<%@LANGUAGE="JAVASCRIPT" CODEPAGE="932"%> 新私の演劇時評
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「出番を待ちながら」

原題は “ Waiting in The Wings ” 。これは「舞台の袖ですぐに出られるように待機している」ことを謂う慣用句らしいが、この劇ではそれに引っ掛けて、二重の意味にしている。実は、舞台となっているのが文字通り「ウイングス」と言う名の老人ホームなのだ。老人ホームといってもここは俳優、オペラやミュージカルの歌い手、バレーダンサーなど舞台で活躍した女性だけが暮らす施設である。慈善事業(というから宗教関係の寄付によるものと思われるが、政府の援助が入っているかどうかはわからない)として運営されており、賄い付きの下宿みたいなものだが、管理人も世話係もいて、リビング風の共有スペースはホテルのロビーのように立派である。 入居するのにどういう条件があればいいのか詳細は知らないが、英国にはリタイヤした舞台芸術関係の人々のために、このような施設がいくつもあるらしい。舞台俳優の老後など知ったことかという冷たい態度の我が国とは大違いである。
舞台奥、レースのカーテンで覆われた広いガラス窓の向こうには、青々とした樹木が見えていて、全体に清々しい空気がただよっている。上手には暖炉、その上に正装した女優の肖像画が掛かっている。脇に管理室への出入り口があり、絨毯の上にテーブルといくつかの椅子が置かれている。真ん中のしきりの壁にアップライトピアノ、下手には居室に至る階段の前にソファがあり、側のスタンドが床の絨毯をオレンジ色の光でぼんやりと照らしている。
この石井みつるの装置には、落ち着いた色彩感覚、渋い調度やインテリアで厚みのある英国趣味がただよっていて、引退した女優の残り香を描く背景としていかにもふさわしい豪華さを感じさせる舞台になった。この劇の成功に少なからぬ貢献をしたものと評価されるべきところと思った。(奮発した木山潔さんにも敬意を!)
これは作者、ノエル・カワード六十歳の作品である。(1960年ロンドンで初演、日本での上演は今回が初めて←註2006年初演の再演だった)リタイアした女優を取り上げるのは珍しくもないが、ありがちな、過去の栄光と現実との葛藤などという狭く気鬱な話にならないところが英国文学の伝統というもので、老練の作家の手にかかると思わずうまいと言いたくなるような、もう一つスケールの大きな話に仕立てられているのである。こういうものがやがては古典と呼ばれるにふさわしい作品になるのだと思った。というのも、例によって何も先入主がなく、Yに手を引かれて出かけたのだったが、五十年も前の劇を見ているような気はまったくなかったからだ。これは時代がどう変わろうと、僕らが生きていく上で、この劇が変わらぬテーマを持っているということだ。老いは死とともに女優にも誰にでも訪れる、その老いとどう向き合うか、誇り高く老いを生きるとは、という問いかけが美しい旋律となってこの劇から聞こえてくるような気がするのである。
かつての大女優ロッタ・ベインブリッジ(川口敦子)がこの「ウイングス」に入居することになって、初めてリビングにやってくるところから幕が開く。華やいだ色のスーツに身を包んだロッタはここが終の住処になるのかといった面持ちで辺りを見回す。川口敦子の背が伸びたような気がするくらい圧倒的な存在感。その目の端には、既に住人となって椅子に腰掛けているメイ・ダヴェンポート(新井純)の姿が入っている。メイはライバルだったロッタの入居に動揺しているようだ。この二人の間には、過去に(誰でも知っている)何か諍いがあったらしく互いに近づこうともしない。
「ウイングス」では目下のところ、冬に備えて「サンルーム」の建設を要望しているのだが、予算が十分でないとの理由で運営する「委員会」がこれを渋っていた。ディアドリー・オマレイ(加藤土代子)はじめコーラ・クラーク(北村昌子)ボニータ・ベルグレイブ(堀内美希)ら古参の住人はシルビア・アーチバルド院長(水野ゆふ)に不満たらたらである。
どうにかして要求を実現させようと「委員会」の秘書を務めるベリー・ラスコー(磯貝誠)が一計を案じて、ある日女性記者のゼルダ・フェンウイック(木村万里)を伴って現れる。新聞にこのリタイヤホームを取材させ、サンルーム建設のためのキャンペーンに仕立て上げようと言う狙いであった。
遠慮会釈なく写真を撮ってまわるゼルダの態度に、単なる興味本位のいかがわしさを感じたロッタがこれに抗議、「私たちは、心の中ではまだ女優を続けているつもり。私生活を売り物にする気はない。」ときっぱりと言い切る。聞いていたメイだけでなく女優たちもこれに感銘し、記者を追い返してしまう。
その夜、 階段を下りてくる 寝間着姿の住人があった。 寝静まったロビーにやってくると隠してあったマッチを取り出し、それを擦っている。サリータ・マートル(高山真希)は、火をともすのがうれしいらしい。 誰にも見とがめられずに夢中でマッチを擦っている。その様子には既に認知症の兆候が現れていた。そのうちにマッチの火がどこかに燃え移ったらしくサイレンの音が響く中で溶暗、第一幕が終わる。

二幕目は、ぼや騒ぎの直後から始まる。ところどころ焼けこげたあとが見えるが、サリータも住人も無事だった。しかし、この一件で、サリータ・マートルのぼけがかなり進行していることが明らかになって、再び同じことを繰り返すのではないかと一同は不安にかられる。
この出来事をきっかけにロッタとメイは初めて話をすることができた。あの過去の諍い、一人の男を巡る二人の愛の確執について。あのときにはわかるはずもなかった状況が話すことによって次第にジグソーパズルをはめるように明らかになっていく。互いの誤解がもとで、傷つき憎しみを燃やした過去が、まるでふたつの固い氷が日差しに暖められて融けていくように消えていく。
ここの会話は、疑いから理解と尊敬、和解に至る二人の誇り高い大女優の心の軌跡が、舞台の上に浮き出てくるような理性的で的確、見事としか言いようのない言葉で綴られている。(こういうところが英国の芝居を見る一つの楽しみでもある。)そして、ロッタの川口敦子、メイの新井純ともに一歩も引かぬ演技で格調高くこの芝居のハイライトとも言うべき場面を見せてくれた。これにはいらぬ動作をつけずにさりげなく静かに言葉を「聞かせた」演出の末木利文のセンスも光った。(ブロードウエイでは、ノエル・カワード生誕百年記念として2000年にローレン・バコールのロッタとローズマリー・ハリスのメイで上演されたらしい。この二人のシェイクスピア役者、舞台女優の競演は見たかったなあ。)
二人が心から和解したその日から間もなく、皮肉にも新聞に「人生の黄昏れにおいても戦い続けるライバル」という見出しの記事が載った。勝手に決めつける新聞のいい加減さに腹を立てるが、そんな記事にあおられるような事実はもはやない。
そして、ついに医者がサリータ・マートルをしかるべき施設に入れるためにやってくる。サリータはむろんどこへ行くのか理解できない。しかし、自分の日常に望んでいない変化がおころうとしていることに気づいている。自分もいつかはこうなるかもしれないという不安が一同を襲う。
やがてクリスマスがやってくる。飾り付けがキラキラ華やかなロビーでは、歌手は得意の歌を披露し、踊り手はダンスに興じている。モード・メルロースをやった大方斐紗子の歌とピアノ伴奏が本物であったのには驚いた。こういう芸達者がいたのを初めて知ったのは収穫だった。本物と言えば、シャンソン歌手の堀内美希が出ていて、昔の体型とは大いに違っていたが、さすがに歌は往時そのままだった。そのにぎやかなパーティの最中に、アイリッシュであることに誇りとこだわりを持っていると公言し、この日も故郷アイルランドをたたえる歌を大声で歌っていたディアドリー・オマレイが倒れる。突然の死であった。
新しい年になって、サンルームが完成していた。陽光の差し込む暖かそうなある日、一人の男がロッタを訪ねてくる。ロッタは驚いた。アラン・ベネット(吉野悠我)、ロッタの息子である。夫と別れたロッタが幼かった息子を引き取ったのが、アラン十八歳のとき、自分から申し出て父親の元に去った。以来三十三年もの間、会っていなかったのだ。
アランは、年老いた母親を自分のもとに引き取ろうとやってきたのであった。妻も賛成して、既に一部屋を空けて待っている。その部屋で自由気ままに余生を過ごしてほしい、と懇願するように話す。ロッタは動揺する。もちろん肉親の心温まる申し出はありがたかった。しかし、実の子とはいえ三十年以上も会っていなかったのにうまくやっていけるのだろうか?ロッタには不安があった。一晩考えるからといって息子を帰す。
翌日、やってきたアランに「申し出は心からありがたいと思うけれど、自分はこのホームで暮らしていくことにした。」と言い切る。アランの好意に水をさすような意味ではないことを 言葉少なに説明し、アランもそれを理解した。
ここに至って僕らは “Waiting in The Wings” の意味が、イデオムとホームの名称だけでなく、さらに二重三重に仕掛けらていることに気がつく。ロッタは女優をやめたわけではない。女優はロッタの全人格なのだ。だから彼女はいつでも舞台の袖で出番が来るのを待っている。さらにこれは、ホームを去っていくアランに対して、ロッタが投げかける言葉になっている。私はあなたの家族をここで待っている。そして何よりも 「老いを誇り高く生きるということ」つまり人生にリタイアなどない、という僕らへの力強い応援メッセージになっていたのである。

 

 

題名:

出番を待ちながら

観劇日:

2008/04/05

劇場:

全労災スペースゼロ

主催:

木山事務所
期間:
2008年4月8日〜21日

作:

ノエル・カワード

翻訳:

高橋知伽江

演出:

末木利文

美術:

石井みつる

照明:

森脇清治

衣装:

加納豊 美

音楽・音響:

音楽:古賀義弥 小山田昭

出演者:

川口敦子  新井 純  加藤土代子  北村昌子  高山真樹  大方斐紗子 堀内美希  荘司 肇  吉野悠我   水野ゆふ  磯貝 誠  木村万里 千葉綾乃  宮内宏道  木村愛子

 

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