題名: |
レ・ミゼラブル |
観劇日: |
03/9/21 |
劇場: |
帝国劇場 |
主催: |
東宝 |
期間: |
2003年7月6日〜9月28日 |
作: |
アラン・ブーブリル&クロードミシェル・シューンベルク ビクトル・ユーゴー |
翻訳: |
酒井洋子、岩谷時子 |
演出: |
ジョン・ケアード+トレバー・ナン |
美術: |
ジョン・ナピエール |
照明: |
デヴィッド・ハーs- |
衣装: |
アンドレアンヌ・ネオフィトゥ |
音楽: |
アンドリュー・ブルース |
出演者: |
山口祐一郎
井料留美 河野由佳 内野聖陽 三遊亭亜郎 吉野圭吾 笹本玲奈 岡田浩暉 森公美子 他 |
「レ・ミゼラブル」
前に、鹿賀丈史、村井国夫、福井貴一で見た。このミュージカルは大河小説の舞台化にしてはよく出来ている。何と言っても構成が絶妙で、原作を刈り込む手法、物語の進行を歌に託しエピソードに緩急を付け、学生のプロテスト、革命騒ぎをクライマックスにして、主人公の静かな昇天で締めくくる展開が舌を巻くほどのうまさだ。脇筋で、ジャンバルジャンを逮捕しようとつけ狙う警部ジャベールとの確執がからんで、極めて密度の濃いドラマチックな舞台を作り出した。いまだに世界中で上演されている理由であろう。
鹿賀丈史のジャンバルジャンは、この人の柄の大きさや派手なしぐさで適役だと感じたものだ。何と言ってもあのときは村井国夫のジャベールの存在感が圧倒的で、彼が登場すると舞台に緊張感が走った。鹿賀との対決も互いに引けを取らずこちらが主旋律ではないかと思うほど迫力があった。村井はそれほど器用だと思わないが、ミュージカルのようないわば記号化された役まわりになるとよりくっきりとした人物像を造形する。
昔話はこれくらいにして、今回のことを言うと、別所哲也の名をどっかで聴いた気がした以外、実は何も知らずに劇場に行った。
ジャンバルジャンの様子がどうも別所のものでないとまもなく気づいて、双眼鏡でのぞいてみた。宝塚の二階席で悔しい思いをしたから、今回は気を利かしたつもりだ。もっともそれがドイツ軍用双眼鏡というごついものだったので、まわりの顰蹙をかっていたかもしれない。
覗いてみると、別所でないことは確かだがはて、これは初めてみる顔だ。背が高く美男で声がいい。他の俳優も見たことがない。男優は、よくぞここまで若くていい男を揃えたものだとプロデューサーの手腕に感心するくらい。女優たちはそれなりに、だったので、そういう趣味なのかもしれない、とは下司の勘ぐりか。
山口祐一郎は、休憩時間にパンフレットを見て知った。日本のミュージカルも層が厚くなったものだ。劇団四季で何年も主役をやって来た若手(すでに中堅かもしれない)の有望株のようである。四季は、ブロードウエイと同様スターシステムではつくらないので、タイトルは報道されるが不思議なことに俳優についてはほとんどとりあげられない。よって、四季に縁のない僕には知りえないのである。「李香蘭」の主役の名を僕はいまだに知らない。よくも悪くも浅利慶太の劇団になっているのである。
開幕から柄の大きさに似合わない繊細さで目まぐるしく展開するストーリーを一人で引っ張っていく力量はさすがである。
ところが、二幕目になるとなにか精彩がなくなってきて、他の俳優達の中に紛れてしまうような気がした。ジャンバルジャンがだんだん年をとって、若者の話が前に出るのはいいとして、それとは無関係に表現が弱々しく感じられるのである。鹿賀丈史と比較するのもどうかと思うが、あえて言えば存在感の問題だろう。俳優は磨かれて玉になる、といえば聞こえはいいが、たいがい「俺が俺が」でまわりのものにはやっかいな嫌われ者になる。そういう視線に鈍感になってはじめて役者らしくなるのだが、このプロセスでどれだけ攻撃されて傷つくか解らない。磨かれてと言うのはその戦で角が取れるという意味もあるが、それらの経験が積み重なって光彩を放つということでもある。
長年四季でやってくると、その周辺ではそれなりに認められるが、外にでては無名同然、そこではじめて真価が問われるのは宝塚と似たところかもしれない。鹿賀丈史を昔ある舞台俳優が「黙って歌手をやっていればいいものを」と僕につぶやいたことがあった。彼は歌手から転向してたたき上げた。そしてプレッシャーをはねのけて役者になった。その自信がみなぎっている。僕が観た山口祐一郎にはまだそれが見えなかったということだろう。
一方のジャベール役も見たところパンフレットにある4人の中の誰が演じているのかすぐにはわからなかった。双眼鏡の中の内野聖陽は舞台はもちろん映画テレビでもちょくちょく見る俳優である。こんなにでているのに「引っ張りだこ」という表現にしにくいのは、存在が地味だからだ。それだけでなくこの不器用な役者をどうして多くの制作者が使いたがるのか僕には不思議でしようがない。どんどん出るのは構わない。しかしどんな役どころが回ってきても一向に進歩が見られないのは困ったものである。いい演出家と出会うだけで変化することもあるが(時代劇なら黒沢明とか)、こういう忙しい世の中では「いい演出家」が枯渇していてあまり望むべくもない。古巣文学座に戻って、喜劇を勉強し直すことをお奨めしたい。
再演を重ねて今回は20回目になるというが、今世紀に入って山口を除いたキャスティングが新しくなった。アンジョルラスの吉野圭吾などなかなかに見せる役者もいて、いろいろ言及したいが、これほど完成度の高い舞台は僕があれこれ言うこともあるまい。
原作の香りを残して緻密に汲み上げた構成のすばらしさがこのミュージカルのすべてであって、その事ゆえにこれからもしばらく再演は続くだろう。そのうち歌舞伎の当たり狂言のように、ジャンバルジャンの演者の違いで一晩語り合うなんて日が来るかもしれない。そうなれば日本のミュージカル見物も本物になるだろう。
(2003/10/8)