題名:

イエスタデイ

観劇日:

03/8/22

劇場:

シアターΧ劇場

主催:

シアターΧ+木冬社

期間:

2003年8月20日〜24日

作:

清水邦夫   

演出:

清水邦夫+松本典子  

美術:

上田淳子     

照明:

山口暁    

衣装:

    

音楽・音響:

斉藤美佐男     

出演者:

吉田敬一 大野舞紀子 泉谷侑子 新井理恵 水谷豊 金光泰明 佐藤里奈 関谷道子 岩田能子 中村美代子 吉田悦子 松本典子 清水邦夫
 

 

「イエスタディ」
 

 北国の日本海に面した小都市に、火のようにさみしい「姉」がいると、そこは清水邦夫の舞台である。三十数年前の「狂人なおもて往生をとぐ」以来、清水の「姉」は気になって仕方のないサブジェクトであったが、解答を覗くのが恐ろしい問題と言うのは存在するもので、ついに今日まで頭の中でさえ論ずることを避けてきた。僕には日本海に面した東北の小都市に火のようにこわい姉が二人もいる。そういうこととは全く無関係に、それは例えば暗やみに向かって小さな声で「姉さん」と呼びかけてみるという行為によって心身に変調をきたすのではないかという類の恐れである。
 この芝居にはやはり「姉」が登場する。そのことが例によって怪しい影を落としているのだが、幸い?と言えばいいか、主要なモチーフというわけではない。
稲葉次郎(吉田敬一)は、生家である写真館の建物を壊してマンションにするというので手続のために故郷に戻っている。この家には高校の教師をしている姉、塩子(大野舞紀子)が長年住んできた。
 次郎はスタジオに立って、戦時中父親が死んで、自分が写真師のまね事をしていた旧制中学の生徒だった頃を思い出す。既に敗色は濃く、出征兵士が記念写真を依頼するくらいの仕事しかない。そこへ東京で暮らしている遠縁の子供たちが空襲を逃れて疎開してくる。姉と弟、それに妹二人の四人である。浦田源一(金光泰明・水谷豊とWキャスト)は次郎と同じ年だが都会育ちということで万事することが大人びて見える。姉、浦田海(新井理恵・大野舞紀子とWキャスト)も妹、雪(佐藤里奈)夢(関谷道子)も奔放な性格で、次郎たち姉弟はその言動に翻弄されていた。それは近所でも評判になっていたが、ついに祭りの日、厭戦的な詩を朗唱していた源一を青年団の連中が襲い、生意気だとして姉妹も乱暴される。それをきっかけにこの町には受け入れられないと考えた彼らは知り合いを頼って長崎に向かう。そしてまもなく戦争は終わり、4人の消息は途絶えた。
 次郎はその嵐のように去って行った日々を回顧している。軍国少年と言うほどのことはなかったが、いずれ自分は戦争で死ぬということを漠然と感じていた日常の中に、全く異質の人間たちが割り込んできた。何故彼らは戦争とは無縁のように、あるいは時代の重苦しい空気の中で己を主張して自由に振る舞うことが出来たのか?大都会とはそんな人間が生きる場所のあるところなのか?
 原爆によってこの世から消えたという密かな確信が、あの遠い日の彼らの思い出を美化しているのかも知れない。しかし、それにつけても次郎には、彼らとは対称的だった自分やまわりの人々、そしてとりわけあの時代がなんだったのか思わずにはいられない。まもなく取り壊される写真館に日本海の夕日が差し込んでいる。その赤い陽を頬に受けて次郎は、昨日のことのように脳裏に浮かんでくる懐かしい顔や記憶に思いをはせ、いつまでもたたずんでいた。
 

 この不思議な姉弟に、戦時中という背景を置いてみたら、多少リアリティを欠くのは間違いない。これを一つの想念、きっと存在したはず?のまぼろし、つまりは「神話」と考えれば十分成立する物語であろう。回顧譚であり、その舞台となった写真館(記録する場所)を取り壊すという設定が象徴的でうまい。この写真館は何度か登場した。人が居住まいを正して写真に収まるというのはなにか格別のことだと感じているのに違いない。また劇中、紗幕の向こうに白馬の首が三体現れて踊りながら絡み合うやや官能的なシーンがある。この駒踊り(のようなもの)はおそらく全国どの地方に行っても民俗芸能として伝承されてきたものが原形だと思う。これもまた多用される独特の手法(あるときはひょっとこ踊り)である。土俗的なものと都会的で合理的なものの対比もまた、気掛かりなモチーフの一つなのだ。ただ、それが何ものかの直接的陰喩という感じがないのは、この劇作家が本質的に詩人であることによると思う。

 若い役者たちは、その初々しさは魅力だが、戯曲に書き込まれた人物像を膨らませるだけの余裕はなく、稽古場を覗いているような未熟さが目立った。
 

ところで、清水邦夫は、「作品について」という短い文を公演パンフレットに寄せている。

「この作品は、"一つの創作劇を書いた"という思いからやや遠いものである。といって、体験がすべてというものでもない。わたしの作品としては、うまく言えないが異質のものである。
亀井勝一郎氏は、幼年時代について次のようにいっている。『人間は危機に際して、自分の幼年時代を顧みる。あたかも国家が危機に遭遇したとき、民族の神話が顧みられるように。生まれながらの"生"に対する、それは汚れた"生"の問いでもある』
わたしの場合、幼年時代というより少年時代といったほうが当たっているように思えるが、とにかくこの少年時代を近ごろ繰り返し思い出すようになった。その理由は何なのか自分でもはっきりしない。
"寛大になるには、年をとりさえすればよい。どんなあやまちを見ても、自分の犯しかねたものばかりだ"という言い方もあり、そういう人生のすり抜け方もあると思うが、あるとき突然少年時代に思いがかけのぼり、それに照らし合わせて、今の自分を糾弾したい衝動に激しくかられるのである。
こういう衝動、あるいは心の中のひそやかな対話、これらは矛盾だらけであるが、当分自己再生のための"なにか"になることを強く期待している・・・」
 

 人は自分のアイデンティティがあやしくなったときに幼かった日々の思い出に救いを求める、といった程度のことならばよくある話だ。しかし、少年時代の無垢に対する汚れとして「今の自分を糾弾したい衝動に激しくかられる」という表現に、切迫した焦燥感があふれていて、この言い方には異様なものを感じる。それが「自己再生」の手がかりになることを強く期待していると結んでいるとなれば、これはもう詩人の中でなにかが壊れ、彼の神経はいま傷んでいると言うより他はない。
 それにしても、分かりにくい文章である。僕はこれを三〜四回読んでようやく文意がとれた。とれたが、とても同意しかねると思った。過ぎ去った時代を正しいとしていまの自分を責めてもむなしいではないか?引用された亀井勝一郎の言い分も、子供は純粋で大人は汚れていると言う概念の措定の仕方が気に入らない。抹香臭い言い方に苛立つし、そんな書生ぽい議論で済むなら世の中苦労はないとしたものだ。
 しかし、気を取り直して考えてみると、この文章の中でしきりに思い出す「少年時代」を具体的に表現したものがつまりはこの芝居で、稲葉次郎が回顧した戦争中のあの時代がそれを指していると思えばどうやらつじつまが合ってくる。
 亀井勝一郎の引用から書き起こしたのは「人間は危機に際して、自分の幼年時代を顧みる。」と言う趣旨が自らの個人的な心境を説明するテーマに沿っていたからに違いない。話もそのことだからいいのだが、この引用はどこかおかしい。「あたかも国家が危機に遭遇したとき、民族の神話が顧みられるように。」と言うフレーズが際立って目立つのである。しかし、どうやらそれも確信犯的な引用のようだ。人間の危機とは、精神の病でもないかぎり、家族や社会ひいては国家というものと無縁ではない。少年時代をしきりに思う「・・・その理由は何なのか自分でもはっきりしない。」といいながら、国家の危機すなわち国民である自分の危機という補助線を当ててみれば、生まれたままの"生"と汚れた"生"などというありもしないたとえ話よりもむしろ危機に当たって顧みられる民族の神話こそ問題なのだということが浮かび上がってくる。そのうえで、戦争という状況にも関わらず、自由で、開放された精神は可能か?と言う物語を打ち立て、自己再生のために顧みるべき新しき「神話」の一つにしようとしたのである。
 では、なぜそんな手の込んだ言い方をしたのだろうか?おそらく、自分の中に存在するよく分からないものを説明するのが困難だったからだろう。
 このパンフレットには、また吉田悦子(サイスタジオ主宰)と言う人が「イエスタデイの裏側にあるもの」と言うタイトルの短文をのせている。要約すると、
「世界中いろんなところへ出かけたが、米国と旧ソ連に行きたいと思わない。戦争のことを根に持っているからだ。原爆を落とした国と不可侵条約を犯して虐殺、抑留をした国だから戦争とは言え許せない。こういう第二次世界大戦はどうして起きたのか、欧米がアジアを侵略したことが問われないのはおかしいし、日本は戦争裁判で一応責任をとって賠償金も払ったのにそのことが学校教育も半端でキチンと伝わっていない。この辺りのことを包括的に知っておくことが日本の行く末を決めるうえで大事なことである。どんな理由があっても戦争は正義ではない、人間には言葉があり叡知がある。平和のうちに話し合うことが長い目で見れば正しいのである。」とあって、これに続く最後の部分を原文そのままに引くと「イエスタデイという心やさしい舞台の裏側に潜む真実を私たちはもう一度確認する必要があることを痛感するだろう。」と言うことである。
 戦争に正義はないといっているのはおそらく米国=イラクの事である。その後に続いてイエスタデイの裏側にあるものについて言及しているのは、あの不思議な姉弟たちが乱暴され長崎に立ち去ったことをいっているのだと思う。この最後の部分は僕には何を言っているのかよく分からない。また、戦争に正義はないというが、昔から正義などというものがあるから戦争になると考えたほうがよい。そして人は正義が大好きだ。これが正義だと同意を求めるものがあったら、疑うべきだと僕は考える。そして、第二次大戦もそうだが、1830年のベルリン会議(欧州のアフリカ分割)1840年アヘン戦争(英国の中国侵略)あたりから世界の近代史について包括的に知っておくことは、これからの日本を考えるうえで極めて大事だと僕も思う。この吉田という人は、若い世代に属しているような気がするが、アイデンティティを確認する作業の基本としてかなりいい線をいっていると思う。
  僕は、別役実の「マッチ売りの少女」劇評で、89年に昭和天皇がなくなり、ベルリンの壁が壊れやがてソ連が解体すると、日本のインテリは、思想の推力を失ってしまったと書いた。そのために進駐軍が厳格に隠蔽しようとし、戦後の進歩的知識人によってゆがめられた日本近代史をはじめからやり直し、この国の行く末を決める必要が生じたのは吉田悦子が言う通りである。しかし、思潮と言うものがなくなったこの国では、知識人がそれぞれこの困難な思想の再構築を行わねばならない。しかも、それには批判を浴びるリスクもある。「少年時代」を手がかりに「自己再生」を切に願うと言う告白は、この思想の孤独な営為と難しさを端的に示していて、痛々しい。 しかし、吉田悦子がいっているようにイエスタデイが心優しい舞台だとすれば、それは「日本の行く末」が共有すべき神話として既に成立している可能性があり、それをただ我々が気づかないでいるだけかもしれない。

(9/15)

 

 


新国立劇場