題名:

兄おとうと    

観劇日:

03/5/23   

劇場:

紀伊国屋      

主催:

こまつ座    

期間:

2003年5月11日〜31日  

作:

井上ひさし   

演出:

鵜山仁   

美術:

石井強司    

照明:

服部基   

衣装:

前田文子    

音楽・音響:

宇野誠一郎    

出演者:

辻萬長 剣幸 大鷹明良
宮地雅子 小島尚樹
神野三鈴 朴勝哲    
 


「兄おとうと」

 井上遅筆堂がまた間に合わなかったと言うので話題になっていた。こっちには影響ないからのんきなものだが、関係者には大迷惑、大混乱だったろう。これからも用心して、初演、初日近辺の予約は避けるべきと心得たほうがいい。パンフレットで平謝りしてたが、こっちの印刷はいつしたのか?日本の印刷製本技術のスピードに驚くばかりである。まあ、笑ってすまされることでもあるが、一体何処が書けなくて、あるいは何処が気に入らなくて遅れるのか聞いてみたい気もする。
 井上ひさしは、宮城県古川市にある吉野作造記念館の名誉館長だそうだ。吉野作造は彼の出た仙台二高の大先輩と言うからその縁で引き受けたのだろう。そこで、この民本主義の吉野作造について何か書かなくてはと思っていたという。
それが今になった理由は、有事法案から集団的自衛権、憲法見直し、改訂論とエスカレートしつつある政治論議にもの申したいという意図があったことは容易に想像がつく。大正デモクラシーにかえって、「政治は国民を基とする」という民本主義を見直せというわけだ。さて、その思いは観客に通じたのか?
 音楽劇と言っていいほどふんだんに歌が入っている。繭を紡いでいる女工さんが絹を着られないのはなぜ?米を作っているお百姓がご飯を食べられないのはなぜ?などと歌う「なぜ」という劇中歌が最も面白く印象に残った。この時代の典型的な「矛盾」をいっているのであるが、そういう現実はいま何処を探してもない。ただし、「なぜ?」と問うことはいつの時代も重要で、とりわけマスコミや世間のうわさ、正論と叫ぶもの、政治家の甘言などにはいつも「なぜ?」と思うべしと言う意味でとらえれば、あながち時代錯誤とも言えない。と、これは僕の意見。

 兄とおとうとの兄は吉野作造(辻萬長)、明治11年生まれ、中学高校帝大法科を特待生で卒業、36才で東京帝大教授になる。一方おとうとは、信次(大鷹明良)、10才年下の明治20年生まれ、これも秀才で帝大法科を卒業後官界に入り、大臣までつとめる。
秀才の兄弟だが年が離れているせいで、作造31の年まで枕を並べて寝たことがない。作造の屋敷で、これが始めてと言うその夜、作造の妻玉乃(剣幸)の妹君代(神野三鈴)もやってきている。童謡運動で有名な帝大の同僚、青木長義(小島尚樹)と君代との縁談を進めようと青木を招待していたのだが、信次の口から意外なことを告白されて、作造は驚きがく然。既に君代と信次は結婚の約束をしているというのである。
 こういうどたばたから始まり、二度目になるのか、江戸川べりの川魚料理屋で枕を並べた翌日一行が財布をを盗まれて往生するエピソード、関東大震災の後研究室で右翼に襲われ、玉乃の機転で危うく難を逃れる話、そして、満州事変の後、思想統制にもめげず過激な民本思想を唱える作造と、体制側の高級官僚信次の仲は互いに相いれず冷えきっていたところ、玉乃と君代の姉妹が間を取り持とうと、箱根の温泉宿につれだして、そこで持ち上がる騒ぎ、と言う構成である。
 財布を盗まれる騒動では犯人(宮地雅子)が捕まって貧しい境遇からつい出来心でと警官まで一緒になって見逃してと懇願しているのに信次は、法は法だと酷薄なところを見せる。信次の人となりを見せるエピソードはこの程度なのだが、「兄おとうと」という割に、全体信次の影がずいぶん薄い芝居である。冒頭近く、信次の優秀な部下の一人として、岸信介の名が上げられるが、これは満州を舞台に相当な財をなした官僚として悪名高い。(A級戦犯だ。)その親分とあれば・・・というわけで、あまり言及したいとは思わなかったのかもしれない。どういうわけかパンフレットの作造の年譜は詳しいが、信次の生涯は何処を探しても見えてこないのは、バランスを欠いた処遇だと思ってしまう。演じた大鷹明良は、それなりの存在感を示したが、他の役者だったらもっと宙ぶらりんの感じがしたかもしれない。
 最後のシーンである箱根の温泉宿で、兄弟が大声で言い争うのをとがめにきた東京の町工場の社長と、部屋で鉢合わせした大連の待合の女将が、実は静岡で生まれ、その後別れ別れになっていた兄と妹だった、と言う偶然は、何だか無理やり作ったような話に思える。この兄妹のエピソードに当時の世相を目一杯詰め込んだのはいいが、兄おとうとの物語にそれがしっくりとからんでこないから不満なのだ。とはいえ、この兄妹が歌う「不思議な兄弟」(冒頭、作造と信次が歌った挿入歌でもある。)の長い大合唱によって何だか言いくるめられたような気がしつつ、とりあえずめでたし、めだたしとなるのである。
で、民本主義はどうなったのかといえば、井上ひさしは作造の台詞の中に次のような見解をいれている。国民が主役の政治というのは、吉野作造の基本的な考え方である。では国民とは何か?国家があるから国民なのではない。国民によって作られるものが国家である。では国民とは郷土を共有するものあるいは同じ民族か?あるいは同じ言語を話す人々か?そのどれもがぴんとこないのだという。作造は、それは隣人だという。一緒に暮らしていこうという人々、その集まりがつまりは国民の正体だというのである。作造は若いころに洗礼を受けているし、井上ひさしもカソリックの寄宿舎にいた。クリスチャンらしい考え方とも言えるが、このような国家論で、果たして有事法案とか憲法改訂、徴兵制などというチョー現実的な問題と斬り結ぶことが出来るのか。

 吉野作造の民本主義はデモクラシーの訳語である。ならば、なぜ「民主主義」でないのか?「天皇に遠慮したのだ。」と井上ひさしではなく、山本夏彦に教わった。吉野作造の名は民本主義、大正デモクラシーとともに高名ではあるが、それ以外のこととなると全く無知蒙昧である。最も驚いたのは、二十八歳の時家族とともに天津に渡って袁世凱の子供の家庭教師をしたことがある、ということだった。劇中に、その子供の一人が東京の作造を訪ねて来る場面がある。ひと足早く近代化した日本を当時の支那が大急ぎで追いかけ学ぼうとしていたエピソードのひとつとして、井上ひさしは挿入したかったのであろう。江戸末期からこの時代あたりまでの日中の人の交流を見ると、いつも心が豊になるのだが、今の日中関係に隠れてこうした過去の交情が見えなくなっているのは残念である。
 そして、作造の妻、玉乃と信次の妻、君代が姉妹だったということ。会ってもおかしくはないが、不思議な縁である。
作造は東大教授の傍ら、私財を投じて慈善事業に挺身していたということも始めて聞いた。信仰の強さを思わせるが、収入のために帝大をやめて朝日新聞社員になったというのは、信次でなくとも、非難に値するだろう。それも数ヶ月で、右翼の攻撃にあってやめなければならないのだから。
 無論、信次という弟がいて、官僚から大臣にまでなったということも初耳だった。信次がどんな政治家だったか、ということにせめて言及して欲しかったが、こっちが調べるしかないと今は思っている。

 登場する役者はピアニストを除くと六人であるが、剣幸は宝塚だからもちろん、いずれも歌ってよし、踊ってよし(小島尚樹は「AMERIKA」でおどっている。)チームワークもよくて楽しい芝居であった。
秀逸というか強く印象に残ったのは、神野三鈴であった。「お馬鹿さんの夕食会」ではじめてみたときは、いかにも女優らしいかまえというか、女優臭さが鼻についたが、「太鼓たたいて笛吹いて」で一皮むけた。かと思っていたら、今度の君代役ですっかりふっ切れたようで、ここまでやれたらどんな役でもこなせるだろう。役を得て成長するのか。演出家のせいなのか、とにかく役者はあっという間に大きくなるものだ。もともと感がよさそうだし、素質があったのだろう。収穫であった。
 剣幸は、この芝居の役柄もあったが、「国語元年」の方が良かったと思う。
宮地雅子は、はじめてみたが、こまつ座が呼んでくる役者らしく、実に達者であった。今後何度も見ることになりそうだ。

 さて、井上ひさしは評伝劇を書くたびに「・・・に聞く」という本を出している。芝居を書くために研究した素材を別の形にして書いたものにちがいない。すると今度も「吉野作造に聞く」を出すのだろうか?
 実は、僕は「・・・に聞く」シリーズをひとつも読んでいない。読むことをいつもためらう。たぶん、その人物については、井上ひさしの書いた芝居が全てで、それに尽きるという思いがあるからだ。多少の瑕疵はあっても、あの楽しい芝居に付け加えるべき何かがあるだろうか?
 

(6/5/2003)

 

 

 

 


新国立劇場