<%@LANGUAGE="JAVASCRIPT" CODEPAGE="932"%> 新私の演劇時評
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「あおげばとうとし」

木製の事務机とは懐かしい。昭和四十二年ごろの小学校の職員室が舞台上にリアルに再現されている。机の上には教科書やら書類や紙の束が所狭しと積み上げられ、脇にも紙挟みや授業に使う道具などがぶら下がっている。硝子がはまった窓から廊下側が透けて見えているのはいい工夫であった。実際にはそんな構造ではなかったかと記憶しているが、しかしこれによって少なくとも腰から上は見えるから廊下で起きていることは、一目瞭然である。半分見えないというのも喜劇になっていい効果を生んでいる。
さて、話は教師にもいろいろいるという言わば教師群像劇とも言える内容だが、その間で、ひとりの問題児がいたずらを繰り返すことによって、それがいわば狂言回しの役割をしながら進行するという劇である。タイトルからすれば子供と教師の交流とかその中における「我が師の恩」などを描くシリアスな教育的内容を想像するが、中島淳彦という作家はもともとがそんなに「重く」ない。説教じみたことはごめん被りたいところだからかえって有り難いと思う反面、教師も人間といって、話をどこにでもあるような職場の人間関係に還元してしまったところは少し「軽すぎた」のではないか。
学校の問題は、別にシリアスに語らなくても議論の多い今日的な課題である。昔の教師は読み書きそろばんの他に修身や道徳も教えた。教える以上自分も身を律する必要があったから尊敬もされた。社会は教師にそれを期待したのだったが、今日では価値観の多様性とやらで、学校に求めるものも教師に期待するものもてんでばらばら、何が目標やら訳が分からなくなっている。
いや、実はある意味で目標ははっきりしている。俗っぽく言えば「いい大学にはいって、いい会社に就職して高い安定した収入を得る」というのが今日誰でも願っている本音のところである。したがって、できれば学校制度はこの願望の実現のために編制されていなければならない。それを学校がやらないから予備校がこれを引き受けているだけのことだ。
とはいえ、さすがにそれを大ピラに言うのははばかられると見えて、こういう議論は背後に追いやられ隠されてしまう。すると予備校化など教育の本質に悖るとか、礼儀とか道徳を教える場所がなくなるとか、成績至上主義で競争が激化するなどの建前ばかりの議論がはびこって、しまいには平等主義、事なかれ主義の権化のごとき「ゆとり教育」なるものが出現したのである。社会がそうじゃないのに学校だけ「のんびりいこうぜ」といっても通用するものではなかった。その後は周知のように、振り子が揺り戻すように元に戻って今日に至っている。
何故教育の問題がこれほどぎくしゃくするかといえば、本音と建前の落差があまりに大きいということの他に、近代化途上の教育制度(エリート養成)を近代化後(大衆化社会)も引きずっているという歴史上の問題など多岐にわたると思うが、一つだけはっきりいえることは、どんな社会の実現に向けて教育という分野で何をしたらいいかという議論がほとんどされていないことだ。ユートピア思想が有効性を失ったと言われて以来、まるで未来の社会を語ることがタブーにでもなったみたいに皆口をつぐんでいる。大上段に構えなくても、相対的にどっちがいいという議論でもかまわないと思うのだが、そろそろはじめてもいい時期ではないか。
もうひとつ、「いい大学に入って、いい会社に就職する」ことが幸福であるという現在信じられている仮説が本当に正しいかどうか実証して見せる必要はあるだろう。僕らは経験知として、必ずしも現実的ではないことを知っているが、そうした価値観が正しいと信じられている以上、ほんとうのことを知っておく必要はある。社会学者はこういう通俗的な問題は自分たちの関わるところではないと考えているかもしれないが、彼らの責務である。
とんだ長話になってしまった。劇のことに話を戻そう。
そうした教育の現場で、教師が何をどう考えているのか一端でも知りたいところだが、それは中島の守備範囲ではないらしい。昔流の「師と弟子」という概念を持ち込めるほど単純ではないということなのだろう。いまや師は、教えるものであり、労働者であり、生活者でもある。中島はそういう現実を押さえながら、多少は教師に畏敬の念を抱いていた自分の幼い頃を思い出しながら、それが「仰げば、遠く」なってしまったという懐かしさを込めてこの劇を書いたのではないか。
自分のクラスの合唱の指導に熱心な教師、梶原恵子(松熊つる松)がいる。勢い余って近頃では放課後も全員居残って練習を続けている。子供も教師も一体になって結構なことだと思うところだが、しかしこれに批判的な教師、山下一恵(津田真澄)もいる。山下は理屈っぽくて常に原則論を唱え妥協しない性格である。梶原は教え子の熱心さに感激して、言わば情に流され放課後の居残りを強制しているというのである。なるほど、そういう見方もできるのか、とそれにもなかなか説得力があると思う。梶原は小さい子供を保育園に預けているのだが、これをやめようとしない。
松本順司(大家仁志)は体操の教師で、体育系らしく単純で活発、机の下に一升瓶を隠し持っていて、何かといえばそれを引っ張り出して酒盛りを始めようとする。向いに坐っている阿部京子(那須佐代子)に時折露骨に誘うような言葉をかけるものだから、そのたびに既に中学生の子供がいるベテラン教師である阿部は困惑してしまう。松本よりも若く、同じような性格に加えて、いつでも一言多い、いわゆるKY空気読めない奴もいる。近藤良太(小豆畑雅一)は、言わずもがなのことを言ってはその場を白けさせ顰蹙を買っている。
寺原源三(矢崎文也)は若く精力的な教師である。何かといえば率先して行動する正義漢だが、教師然としたところがあって、それが多少鼻につく。同年配の山村芳恵(小林さやか)は反対におとなしくて、どんなときでも我関せずの態度、引っ込み思案である。
新任の吉田町子(安藤瞳)は教師になりたてなのに、教室にでれば一人前として見なされることに戸惑いを覚えている。たしかに教師という職業は不思議である。一般の企業なら一二年は半人前の見習い期間だが、いきなりかなりの経験者と同じ立場に立たされるのである。その点、久永幸夫(桜木信介)は二三年すでに経験を積んだ教師で自信もついてきたと見えるが、挙動が落ち着かない上にあまり思慮深いとは言えないところがある。
白髪の老人有田善松(増富信孝)は定年間近のベテラン教師である。職員室では誰と声を交わすわけでもなく、真っ先に黙って職場を去る毎日である。一体何を考えているのか、何が面白くて学校へ来るのか分からないという存在である。ところが、ある時この教師に初孫が出来ることがわかる。生まれたという電話を受けて破顔一笑、彼はこの瞬間とまもなくやってくる定年を楽しみに生きてきたというのである。
そして教頭の荒竹智恵子(藤夏子)。管理職らしい落ち着いた雰囲気、問題の処理能力もさすがと見える。ただ、どこか上の空のところもあって、どうしたのかと思っていたら、実は夫が末期のガンで入院中、いつ病院から連絡がはいるか分からないという状況下にあった。
そして問題を起こす児童というのは、街の工務店の経営者竹井新二(嶋崎伸夫)の息子である。これが近頃話題の無理難題を言う親、モンスターペアレントのような態度で、うちの息子はなにも悪くないと学校に怒鳴り込むタイプの父兄である。この男が、副業で始めたラブホテルのフロントを母親が務めていることから息子もそこに出入りすることがあり、ある時コンドームに水を一杯詰めたものを学校でひけらかすという悪さをする。職員室には若い女教師もいる。扱いに困ってドタバタと大騒ぎになってしまう。
またある時は校庭の鶏舎の鍵を壊して、鶏が逃げ出すという事件を起こした。廊下にはいった鶏を捕まえようとして教師たちが走り回る様子は大笑いである。この事件にもうひとり関わったという児童の母親坂本容子(ひがし由貴)が怒鳴り込んでくる。自分の息子は、誘われただけでなにも悪くはない、すべてはあの工務店の子供のせいだというのだ。
この二人は学校で対決するが、壊れた鶏舎の修理を請け負っているうちに意気投合して、すっかり仲直りをしてしまうという落ちがついて、めでたいことではあった。
 ことほどさように、いろいろなことがあってあの頃の学校は楽しかったなあ、という劇であった。群像劇としては、ひとりひとりの個性がよく書けていて、上々の出来だといっていい。からんでくる悪ガキの話も、モンスター親の存在もいかにもありそうでなるほどと思わせる。そうした意味では完成度が高い劇だといえる。ただし、それ以上でもそれ以下でもないところがもったいない。せっかく、学校というテーマなのだから見終わった後に、何かしら手応えのあるものが残った方がよかった。たとえ、仰げば遠くなったという感慨でもいいが、そこから今はどこまできてしまったのかという距離感でも示されないと単なる感傷になってしまう。

 二年前だったか青年座養成所の卒業公演(?)でシェイクスピアの「冬物語」をやったことがある。富ケ谷の青年座でこれを見たのだが、この時の劇評の中に「劇中ごろつきのような詐欺師まがいの商売人が登場するが、このオートリカスをやった櫻木信介がもっとも伸び伸びと役どころを演じていた。せりふを忘れるところもあったが、お愛嬌で、才能を感じさせる。」と書いた。この桜木信介が「次世代を担う演劇人育成」者になってこの劇に登場していた。着実に成長しているのを見るのは愉快なことである。

 

 

 

 

題名:

あおげばとうとし

観劇日:

07/11/22 

劇場:

本多劇場

主催:

青年座 

期間:

2007年11月16日〜25日     

作:

中島淳彦

演出:

黒岩亮

美術:

柴田秀子

照明:

中川隆一

衣装:

三大寺志保美

音楽・音響:

城戸智行

出演者:

那須佐代子 大家仁志   津田真澄松熊つる松  小林さやか 矢崎文也  安藤瞳  桜木信介 益富信孝 小豆畑雅一 藤夏子 嶋崎伸夫 ひがし由貴   黒崎照

 

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