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「朝焼けのマンハッタン」

少年のころ、僕が知っていた石垣綾子はすでに白髪の老婦人であった。女権運動の評論活動をしていたと思われるが、むしろ若者向けの性的な問題を含む恋愛の人生相談でかなり大胆で際どい回答をするコラムニストとして記憶に残っている。
この劇は、石垣綾子が昭和の初期に米国に赴任する外交官夫人の姉についてワシントンに渡り、後にNYに移って結婚した夫の画家栄太郎とともに過ごした日々を描いたものである。実はこの芝居を見るまで、彼女にそういう過去があったことを知らなかった。夫妻は昭和二十六年に帰国するが、日本の軍国主義の時代をまるまる米国で送ったという希有な経験をしたことになる。斉藤憐が93年、地人会に書きおろしたもので、同年初演、99年に再演されていて、僕はこの再演を見ている。このときは渡辺美佐子、鶴田忍の夫妻は初演とおなじ、他初演時の写真に鈴木慎平の顔が見えるところをみると脇は少し変っていたかもしれない。今回は木村光一の具合が悪いのか、佐藤信に演出を依頼し、キャスティングも初演からでている松熊信義を除いて、すべて変えている。何故いまごろになって、再々演する気になったのか、9・11があったからというかもしれないが、それならタイミングが遅すぎる。つまりよくわからない。このあたりの議論は後に回して・・・。
そもそも再演のときに、石垣綾子、栄太郎夫妻という地味な存在を取り上げたことを不思議に思ったが、斉藤憐によると、この二人のマンハッタンにおける二十年を通して二十世紀が何であったかが見えてくるというのである。科学技術への希望と社会主義革命への夢、貧困も戦いもない希望で始まった二十世紀であったが、二つの大戦、ロシア革命とその終焉、その間に資本主義の問題として29年に始まる大恐慌があった。アメリカ時代の石垣夫妻を追いかけていくと、大恐慌と欧州のファシズム(スペインとドイツ、イタリア)、日本の軍国主義、スターリニズムとその後に来るマッカーシズムを、身をもって経験していることが分かる、というのである。つまり一言で言えば、彼らの生活や人との交流を通して二十世紀のある側面を浮き彫りにして見せようとしたのがこの劇である。
幕開けは、稲垣愛子(竹下景子)、稲垣幸次郎(夏八木勲)夫妻が暮らすマンハッタンのロフトに愛子の姉、外交官夫人の田口光子(大崎由利子)がワシントンから訪ねてくるところである。田口光子は娘の恵(石橋けい)が愛子のもとに遊びにきて、なかなか帰らないので、迎えにきたのであった。恵は、画家志望の二十一歳、まだ日本には帰りたくないといって母親を困らせるのだが、愛子は味方になってしばらく預かると姉を説得する。
夫の稲垣幸次郎については、物静かな絵描きというだけでこの劇ではあまり多く描かれていない。出会った頃の愛子の思想に決定的な影響を与えたのはこの夫であったが、遠い過去のこととして曖昧に処理したのは少しバランスを欠いた。彼は紀州太地町の生まれで十六歳の時に、すでに移民として米国にいた父親に呼ばれて渡米、シアトル、カリフォルニアで農作業や雑用をしながら教会系の学校で英語を学んだ。この時社会主義関係の書物に接し、そのためにあることがきっかけで居辛くなり、サンフランシスコの叔母の元へ身を寄せる。ここで亡命していた片山潜と出会い、以後交流が続いて思想的な影響をうける。社会派の画家として米国画壇で名をはせるのはこれがきっかけである。一方、詩人の菅野衣川の英語学校に入るのだが、菅野の夫人彫刻家のガートルードの奨めで美術学校に通って本格的に絵を学ぶ。彼二十二歳の時に十五歳年上のガートルードとNYに駆け落ち、その後別れて紆余曲折がありやがて愛子と出会うという波乱の過去があったのだ。話としてはこっちのほうが余程面白そうだが、日本との接点が希薄になるきらいがあったのだろう。その点、愛子(=綾子)の方には、新聞社の特派員、鶴橋(森一)や外交官夫人の姉、日本から亡命してきた佐山碩(高田恵篤)など、日米を繋ぐ人脈は濃厚である。
とりわけ佐野碩については面白い配置にしたものだ。佐野は「インターナショナル」つまり「立て!餓えたるものよ、いまぞ日は近し・・・」の訳詞をした男である。これほど明確な罪状にも関わらず投獄を逃れてある日突然NYの愛子の元を訪れる。彼らは過去になにかあったらしい。佐野はソ連で新しい芝居をやろうと密かに千田是也と約束を交わし、向こうで合流することになっていた、その途中、NYに立ち寄ったのだが千田是也はそれを知らずなかなかやって来ないのに苛立っていたらしい。(ただし、これは描かれていない)佐野は快活な男で、自分の置かれている状況を苦にもしていない様子である。それというのもこの男は神田の佐野病院の息子で、母親は東京市長、後藤新平の長女というとんでもないお坊ちゃん育ちなのである。だから当局は手を出しにくかったというのもあったらしい。佐山(=佐野)をやった高田恵篤は、最初適役とは思わなかったが、この苦労知らずの左翼芸術家を非常に的確に表現していて、高田の芸域の広さと新しい側面を発見した気がした。佐山は、ソ連から逃げ帰るようにして再びNYを訪れる。この二つの登場場面は、前半と後半の山場を形成していて、比較的静かな舞台がその時ばかりは沸き立つようだった。斉藤憐は、この後NYをあとにメキシコに向かって彼の地で客死した佐野碩の足跡をたどるドキュメンタリーに出演したことがある。NHK「わが心の旅」であるが、タイトルにあるように佐野に対する思い入れはかなり深いものがあったと思われる。その後で彼を中心に据えた戯曲が出てくるのかと密かに期待したが、いまだ実現していない。
さらに、近所のレストランでコックをやっているヘンリー平井(脇田康弘)とその母親平井信代(寺田路恵)が登場する。平井信代は移民一世である。カリフォルニアで息子を生み育てたが、息子のヘンリーは農民を嫌ってNYにでるとコックになってしまった。親しくなった稲垣(=石垣)夫妻のロフトに出入りしている。愛子の姪の恵が寄宿しているうちに二人は意気投合、婚約をすることになる。しかし、日米の関係が次第に悪くなるのを心配した母親が、強引に娘を日本に送り返してしまい、ヘンリーは日系二世である自分の複雑な立場を思い知らされることになる。その後スペイン義勇軍に志願してヨーロッパに出かけ、帰ってくると太平洋戦争に参加、終戦後は進駐軍の通訳として日本に滞在した。母親は日本人であることを期待するが、自分は日本人かアメリカ人か悩むんだあげく、マッカーシズム吹き荒れる中で、稲垣夫妻を裏切る行動に出る。このヘンリー平井にはジャック白井という一世のモデルがいたらしい。だが、ここではカリフォルニアの強制収容所における日本人の扱いなどで母親と対立したり、日米の国籍を巡る苦悩を表現する典型的な人物としてやや類型的に描かれている。
母親役の寺田路恵については、そのうまさに舌を巻いた。彼女の若い頃は、お嬢さん役ばかりで、下手ッぴいな女優と思っていたが、どこかで吹っ切れたのだろう。あの年代ではその演技力といい存在感といい最高のレベルにあるといっていい。
もう一人初演から同じ役をやり続けている人物がいる。ロフトのあるビルの管理人で、中国人の陳さん(松熊信義)は、日本にいたことがあって、日本語が少し出来る。これが、夫妻の暮らしをさりげなく眺めていて、要所で忠告などするところがほほ笑ましい。日中戦争について言及する時には欠かせない人物として配置したものであろう。
愛子は米国の中で、日本の支那侵略に反対する演説会を開いて軍国主義批判を続けていたが、太平洋戦争が終り一旦引き上げていた姉も夫が再びワシントンに赴任し、新聞社の鶴橋も帰ってきた。ところがそれからまもなく幸次郎がFBIに呼び出され尋問を受ける。マッカーシズムが始まったのである。幸次郎は社会主義者との交流を聞かれ、愛子はジャーナリストのアグネス・スメドレーとの関係を詮索される。じわじわと包囲網が狭まるのを感じていたある日、二人は住みにくくなった米国を捨てて日本に帰ろうと決心する。
劇中誰かのせりふにあったが、米国という国は、民族も人種も皆バラバラだ。それを一つにまとめるには、いつも敵をつくっていなければならない。最初はそれが自然と先住民族だった。次にファシズムになり、そしてコミュニズムになったのだ、というのである。それに引き続いて、今はアラブのテロリズムだと斉藤はいいたいのかも知れないが、こう言う分かりやすい通俗的な歴史観で米国を見ても一体何になるのか。米国に限らず国がまとまるにはいつでもなにか旗印が必要なものだ。このあたりの米国批判に今回の再々演の動機のようなものを感じることは出来るのだが、しかし、実際の政治は利害が複雑にからんでひとつの理念で割り切れるほど単純ではない。
斉藤憐はこの劇にも出てくるが「棄民」という言葉を使う。カリフォルニア移民もブラジル移民も「棄民」だという。国が国民を棄てたという意味である。斉藤の「国家」というものは国民を棄てるものらしい。こう言う国家観では国は恐ろしく強い権力を持って、本人の意思に関わらずどこかへ運び去って遺棄した上で顧みないものだということになる。17・8世紀頃の英国は万引き程度の微罪で捕らえた17・8歳の娘にまでオーストラリアへの移住を勧めた。本国にいれば食えないことを知っていたそれらの少年少女を含む国民を大型船でオーストラリアの海岸に運んだ。斉藤に言わせればこう言うのは棄民の典型だということになるだろうが、しかしそれを批難したところで何がどうなるものでもない。国家賠償のタネにでもする気ならそれでもいいが「棄民」の証拠は簡単には集まるまい。ブラジル移民は当時の帝国日本の周到な根回しと土地の買収などの準備によって行われた。そのために初期は苦労したが現在の日系社会の隆盛を見れば、「棄民」で訴えるような気分にはならないだろう。満蒙開拓団は、逆に帝国陸軍のソ連邦との国境線を守備するという隠された目的と杜撰きわまりない植民計画によって「棄民」と言われても仕方のないようなところはある。しかもソ連軍が国境を越えるや否や真っ先に関東軍が逃亡したのだからこのことは日本人である限りこの卑怯千万な軍人がいたことを孫子の代まで語り継ぎ、強きものが弱きものを守らねばならないと教えなければならない。さりながら一体誰が自分は国に棄てられたという思いで満州に出かけただろうか?誰が国などを頼りにしたか。国が嘘をついたと泣きついたか。誰も何も言わなかったのは「国」などそんなものだとハナから高をくくっていたからだ。自分たちがいわば罪人のように国に棄てられたという思いで移民船に乗ったものは一人もいない。それを棄てられたと言われたら彼らの誇りが傷つくのではないかと僕は恐れている。
斉藤憐の国家は巨大な影、亡霊を背負っている。その影が弱い個人をいつでも圧倒している。この劇にもそういう考え方が充満していて、個人の物語は歴史が決定するという観点があらわに見えて劇を息苦しくしている。こんなことなら歴史教科書でも書けばいいのだ。
こう言う感覚は「場」合いをつなぐところどころにニュース映画を映し出してその時代背景を印象づけるというやり方によって助長されている。評伝劇なのだからそうするのは常套手段だといえるが、斉藤憐の手にかかると「状況」が主役で、人物はいつでも「状況」に翻弄されることになっている。この視点には、常に「状況」の方が間違っているという歴史に対する批評精神が働いているからである。それはかまわないが、しばしばそれが一方的で硬直した歴史観であるところが問題なのだ。「棄民」と言う言葉はその典型的な事例である。

佐藤信の演出もところどころ戸惑いを見せて立ち止まる。ディテールの処理は木村光一に及ぶべくもない。戯曲にある紋切り型の歴史解釈の扱いに困ったのか知らないが、劇として面白く見せようという気概が見えない。愛子と幸次郎が互いに相手を必要としあいながら生きている愛の深さを表現したいといっていたが、それがどんなものか具体的に見えてこない。むしろ政治活動やら日米関係論に注意がいって、愛情生活の方はどんなものか描きわすれたのではないかと思うぐらいだ。愛子に竹下景子を配した時からこの敗北は約束されていたようなものだが、それにしても何というぶっきらぼうな演出だったろう。この芝居を木村光一に託された時に感激、恐縮した話を書いているが、もとクロテントの旗手が恐れて萎縮している場合ではないだろう。俺ならこうやる、というものを見せて欲しかった。

 

 

 

題名:

朝焼けのマンハッタン

観劇日:

07/7/13

劇場:

紀伊国屋サザンシアター   

主催:

地人会

期間:

2007年7月7日〜19日

作:

斎藤 憐

演出:

佐藤 信

美術:

佐藤 信

照明:

黒尾 芳昭

衣装:

岸井 克己   

音楽・音響:

島 猛 

出演者:

竹下景子 夏八木勲 大崎由利子 石橋けい 脇田康弘 寺田路恵 高田恵篤   松熊信義 森 一  

 

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