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題名: 幕末純情伝
観劇日: 2008/08/23
劇場: 新橋演舞場
主催: 松竹
期間: 2008年8月13日〜8月27日
作: つかこうへい
演出: つかこうへい
美術: 中村知子
照明: 林順之
衣装: 宮本宣子
音楽・音響: 内藤勝博
出演者: 石原 さとみ 真琴 つばさ 吉沢 悠 舘形 比呂一 宇津宮 雅代 橘 大五郎 矢部 太郎 武田 義晴 赤塚 篤紀 岩崎 雄一 とめ 貴志 小川 岳男 トロイ 若林 ケン 早坂 実 山崎 銀之丞 清家 利一 古賀 豊 川畑 博稔 小川 智之 杉山 圭一 松本 有樹純 北田 理道 遠藤 広太 尋由帆 高野 愛

「幕末純情伝」

Motherf×cker、英語圏でよく使われる悪態だ。
劇評としてはこの一言で終わってもいいのだが、それでは身もふたもないから少しその理由を書いておくことにする。

春をひさぐ母親の、その生業(なりわい)の寝床の後ろで、息子の少年が母親の裸の尻を押すのだそうである。つまり息子が母親の商売を手伝っているという光景なのだ。これは登場人物の一人である高杉晋作だったか誰だったか忘れたが(この際誰でもよろしい)、その悲惨な少年時代を長々と涙ながらに語ってみせるせりふに出てくるものである。性交中の母親の尻をどうやって押すことができるのか、その姿勢は実に想像しにくい。とっさに頭の中でやりくりしてみたがとっても難しかった。
想像しにくいということは、その表現に嘘があるのだ。嘘と気付いていたかどうか、ともかくいかに惨めな少年時代だったかを表現したいために、ここは嘘があっても何でも勢いだから過激に語らねばと思ったに違いない。この底には、世界(世間といってもよい)に対する怒りであり「恨み」がある。どうだ、これだけひどい目に遭ってきたのだぞ!といっている。
しかし、ストリップ小屋のコントでもあるまいに、新橋演舞場でこういう話を聞かされると正直なところきわめて恥ずかしい思いがする。僕自身、公序良俗という点では常識よりもはるかに寛容だと思っているが、これは限度いっぱいだった。無論、規制しろなどという気は無い。ただ、不快な思いをしたのは僕だけだと願うばかりだ。

もちろん、これだけでも十分Motherf×ckerにふさわしいのだが、全体としてやっていることが単なる思いつきで支離滅裂、国家論も戦争観も憲法論やデモクラシー、フェミニズムに至るイデオロギーのような議論も錯乱の極み、一切合切男と女の愛情に還元するという乱暴な話では、評価に値するような舞台ではなかった。

観劇記録からどうして落ちたのかわからないが、1989年のパルコ劇場、初演は確かに見ている。沖田総司が実は女だったという想定は、意表をつく思いつきで、まだ二十歳そこそこの平栗あつみが主役の沖田総司に抜擢されて話題になった。やたらに刀を振り回す芝居だという記憶以外あまり覚えていないが、確か労咳の沖田総司は、勝海舟の父親が河原で拾ってきた子を育てたということだった。勝海舟は「兄上」という想定になるわけだ。その勝のもとへ坂本龍馬と岡田以蔵が現れ、海舟と龍馬、それに近藤勇、土方歳三、桂小五郎らが女である沖田総司をめぐって恋の鞘当てならぬ本物のバトルを繰り広げるというものであった。「純情伝」とあるくらいだから構造的にはややひねこびた恋愛物といえるが、宝塚を下品にして裏に返したような奇妙な感覚の芝居だった。

勝海舟と龍馬、岡田以蔵がため口を聞くというのも史実とは大いに違うので甚だしく違和感を持った。おおかたは知っているだろうが、海舟は文政六年(1823)の生まれ、天保六年(1836)生まれの龍馬よりも一廻り以上も年長で、しかも海舟は龍馬の師である。
坂本龍馬は、文久三年(1863)暮れに岡田以蔵とともに開明派の幕閣、勝海舟の屋敷を訪ねている。話し次第では勝を斬ろうと思っていたが、逆に感銘を受け弟子入りしてしまった。この時、自分らのような不心得者がいるに違いないと、用心棒に岡田以蔵を残している。ある時二人が京の街中を歩いていると、いきなり三人の浪人が海舟に斬り掛かってきた。脇にいた以蔵が、素早く一歩進むと居合抜きでこれを斃す。人斬り以蔵、面目躍如といったところだが「そんなに人を斬るものじゃないよ。」とたしなめると以蔵が「俺がやらねば先生が斬られるところだった。」と平然としていた。後にこの思い出を「以蔵の言う通りだった。後にも先にも、あの時ほど肝を冷やしたことはない」(「氷川清話」)と述懐している。

こういう話はすでに周知として、それをわざわざひっくり返して見せる。 それは隠喩やパロディ、あるいは寓話性とか、何かしらの文学的効果を狙ったものではない。そこには何の意味も無い。ここで留意すべきことは、史実にたてつくことで生まれる権威とかエシュタブリッシュメントの否定、異化効果という点である。つまり、つかこうへいにとっては「ひっくり返す」こと自体が重要だったのである。この、世間を敵に回して権威にたてつく、一種「否定」のエネルギーは、つかこうへいの心の非常に深いところに巣くっている「負債」から来ている。これがすなわち、つかの芝居の核心を形成しているものであり、彼の作品が吐き出す毒の正体である。
そのように人は居直ってしまえば、恐れることは何もなくなる。誰と誰がため口を利こうと、品性下劣だろうと時空が飛ぼうとやりたい放題である。それが結果として面白い劇になれば、客は集まるだろう。唐十郎と寺山修司が新劇をぶち壊して整地しかかったあとへやってきたつかこうへいは、彼らよりもちょっぴりだけ政治の匂いがして、そのちょっぴりさ加減が後に続く世代に受けたのである。彼は全共闘世代であり、政治の季節を通過している。
ついでに言えば、その政治の匂いの残滓みたいなものを引き継いだ最後の世代が野田秀樹と鴻上尚史である。彼らにとってさえ、すでに「戦後」は遠い過去(実感のない議論)になっていた。平田オリザに至っては、戦争は遥か遠くから聞こえてくる雷鳴のようなものになってしまう。(「東京ノート」)

二十年前の観客は、美男で有名な沖田総司が女だったという想定にどこかかき立てられるものがあって、演歌と饒舌と爆発的なエネルギーの消費とも言うべきこの祝祭にやってきたに違いない。(僕の場合はYの趣味につき合っただけ)幕末の世相と明治の維新という「革命」の香りを少々まぶしたやかましくもいじけた、司馬遼太郎風に言えば、やたらに「感情の量が多い」芝居である。
これは、映画化までされるほど評判だった。その内容は上演されるたびに、どこにオリジナルがあるかわからないほどデフォルメされ続けた。

そして今度の上演では、二十年前のものから遥かに飛躍してしまっている。
まず第一に、登場人物が一部入れ替わり、大幅に増えている。第二に、話が幕末から第二次大戦後にまで及ぶ。第三に、政治的な問題意識が比較的はっきりあらわれている。
登場人物では、坂本龍馬が女として描かれるのがもっとも変わったところだろう。高杉晋作、西郷隆盛、徳川慶喜、中村半次郎、島崎藤村らが新たに加わり、岡田以蔵と桂小五郎は消えている。
沖田総司は、賢きあたりのご落胤で労咳のため捨てられたのを近藤勇が拾って育てたということになっている。この沖田総司を石原さとみがやった。制作発表を偶然TVで見たが、このときつかこうへいに「淫乱な顔」とか「好きそうな、卑猥な顔」とか、けしかけられたと語っていた。しかし、どう見ても彼女は典型的美人顔でむしろ「色気」に乏しい。これが乳をもむとかあられもない声を上げるといってもあまり淫らに見えないどころか返って作っているところが痛々しく感じられた。
それはともかく、この近藤が沖田にほれている。西郷隆盛は息子を殺したことがもとでホモセクシャルになり、高杉は母親を米兵にレイプされ、土方歳三は妻と浮気相手の間にできた子を育て、沖田は龍馬にほれている。突然の島崎藤村は「戦陣訓」の作者として呼び出された形。ざっと、このしっちゃかめっちゃかな話が入れ替わり立ち替わり舞台に現れて、叫んで消えては大音響の唄が入るという繰り返しであった。同じようなバイオレンスに満ちたお下劣な話が次から次に現れるので退屈のあまり眠くなったが、音がうるさいから眠れもしない。仕方がないから目をつむっていた。一同が宝塚よろしく踊りに入っていよいよお仕舞だろうと期待したら、暗転からまた始まるという猛烈なサービス精神には閉口だった。若い時なら、ばか野郎!と叫んで出てきたところだが、もう年だからそんな元気もない。
びっくりしたのは、坂本龍馬が船中八策ならぬ憲法第九条を発案したことだ。ついでに女権の確立、普通選挙実現に奔走する。沖縄の自決問題、ベトナム戦争、イラク戦争に言及し、世界平和を論じるという奔放さ。ずいぶんと盛り込んだものである。

それらの議論が必ずしも成功していなかったのは、ターム=用語がすでに古風であり、議論としても手あかにまみれた観念的なものだからである。
ただし、初演はこれほど露骨に政治的ではない。
あれから二十年経った。考えてみれば、初演の89年ごろはバブルの真っ最中、Japan as No.1で皆浮かれていた頃である。思想の世界も構造主義から脱構築、ポストモダンへと思想そのものを消費する浮かれた時代へ。この芝居もそういう世相を背景にかかれているということに心を止めておきたい。
しかし、一方で昭和が終わり、ベルリンの壁が壊れソ連がペレストロイカ、グラスノスチを口にし始めていた。そして、まもなく世界が劇的な変化を遂げるのである。誰も口に出すことはなかったが、あの「革命」とは何だったのか?という一種の深い疲労感を伴うフレーズが僕らの心の中で渦巻いていた。続いて、日本は長期低迷期へ。反対に米国はグローバリゼーションという世界制覇に走り出し、それも9.11で終焉を迎えることになる。

二十年という歳月の経過を盛り込まずにおれなかった、という気持ちはわかる。幕末と現在が似ているという議論があるのも周知であろう。たとえば「自民党長期政権は幕末期の徳川政権に等しい」という見方である。この時代の転換期に何か発言すべきである。これはちょうどいい機会だと思ったに違いない。
ところがいっていることは二十年前の議論とほとんど変わらなかった。扱っている問題が「戦後」という議論に集約されることばかりなのである。まるで、時間の経過はなかったことのようである。ここに、左翼の限界がある。いや、つかこうへいが左翼というのでは少し違うかもしれない。言い直せば、左翼的議論の範疇でしかものを語っていないということである。そんなものがなんの役に立つものか。日本は「侵略しなかった」いや「侵略した」という議論と同じくらいばかばかしくも意味がないことである。
つかこうへいは、口をとがらして不平不満、ついでに卑猥な言葉を吐き出すが、頭の中身の進歩発展てえものはないらしい。

そんなことで僕は、つかと同じ世代の笠井潔とその子供=団塊ジュニアというのか?くらいの世代に属する東浩紀との公開往復書簡を読んだときのことを思い出した。(「動物化する世界の中で」集英社新書)
笠井潔は全共闘時代、あるセクトの幹部だったらしい。僕は読んだことはないが、探偵が事件を解決するミステリーが専門で、現象学だの実存主義だのなんだかんだ哲学用語を駆使して小難しい小説を書くのが特徴ということだ。当然その頭の中にはマルクスもレーニンも詰まっている。これが、流行した構造主義からポストモダンあたりの思想家を山ほど勉強して学位を取った「オタク」の専門家とも言うべき東浩紀と手紙をやり取りした。東浩紀には主としてコジェーヴおよびシジェクに寄り添って書いた「動物化するポストモダン」(講談社現代新書)がある。「オタク」以降の若者を見て「動物化」ではないかというのである。動物より人間は少しましなだけだが、それでは困る。資本主義も終焉に近づくと避けられないことだと言っても、しかし、それで嘆いている風でもない。
この二人の、何がかみ合わないかといえば、まず笠井潔には「ポストモダン」が何であったのかわかっていなかった。「ポストモダン」というのは一言で言ってしまえばどうやってマルクスおよびマルクス主義を乗り越えようかとさまざまな思想家が七転八倒した有り様のことである。笠井潔の頭には、まだ唯物史観がのこっている。唯物史観だって賞味期限は来るのにそうは思っていない。つまりは、ポストモダンを取り込む手前で思考停止してしまっているのに本人が気付いていないのだ。
これではかみ合うはずがない。終いに笠井は元全共闘の活動家幹部らしくキれてしまった。幹部はよくキれたのである。このガキが何を言う、というわけだ。
僕が思うに、つかこうへいはこの笠井潔と同じではないか?二十年の間に何が起きたのかちっとも気付いていないのである。

Motherf×ckerと一言で済まそうとしたが語りすぎた。これでお仕舞にしよう。
新橋演舞場で、気分よく観劇しようとやってきたご婦人たちには実に気の毒なことをした。

 

 

 

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