題名: |
ベルサイユのばら |
観劇日: |
06/4/14 |
劇場: |
東京宝塚劇場 |
主催: |
阪急電鉄 |
期間: |
2006年4月7日〜5月21日 |
作: |
池田理代子 |
演出: |
谷正純 |
美術: |
関谷敏昭 |
照明: |
今井直次 |
衣装: |
任田幾英 |
音楽・音響: |
加門清邦 |
出演者: |
朝海ひかる 貴城けい 水 夏希 舞風りら 矢代 鴻星原美沙緒一樹千尋 飛鳥 裕 灯 奈美 未来優希 壮 一帆天勢いづる 音月 桂他雪組 |
「ベルサイユのばら」いわゆる「ベルばら」を見た。「ベルばら」は一つかと思っていたが、どうもそうではないらしい。大別すると、オスカルとアンドレに焦点を当てた筋書きとマリー・アントワネットを中心にした恋愛物語があるのだが、それとても公演ごとに内容は変わっているようだ。考えてみれば歌舞伎の古典みたいに役者は違えども毎回同じ筋では芸が無いともいえる。まして固定的なファンが見るのだから、目先を変えるサービスをしようというのもうなずける。
この公演は、「オスカル編」となっていて、マリー・アントワネットはいっさい出てこない。そっちは、この前に終わったばかり、らしかった。
池田理代子の原作は、フランス革命を自身の歴史観も交え、つぶさに描いたと評判だったが、読んでいないから(少女マンガは昔から苦手)まったく先入主なしに出かけた。
宝塚は03年9月「野風の笛」(轟悠+春野寿美礼主演)を見て以来二度目である。(チケットが取れないから何回も行けるものではない。)この演目は時代劇ということもあって、レビューと二部形式であったが、「ベルばら」はルイ王朝時代のフランス宮廷が舞台だから分けることもない。
プロローグは、宮廷の舞踏会のようである。ピンクのドレスの貴婦人たちが舞台一杯に広がって踊る中を、金糸もあざやかな深紅の襟や袖口をあしらった真っ白の衣装に身を包んだオスカル・フランソワ・ド・ジャルジュ(朝海ひかる)が現れる。辺りを払う圧倒的な存在感に驚いた。朝海ひかるのスター性はこれまで見た宝塚のトップの中でも群を抜いていると直感した。
物語は多少省略しているところもあったように思うが、そこは宝塚、文句をいうべきでもないか?
代々フランス王家を守る役割のジャルジュ伯爵家に六番目の娘が生まれると、伯爵である将軍(星原美沙緒)は、このままでは役目が果たせないとこの娘を男として育てることにする。それがオスカルである。ある日、オスカルの乳母マロングラッセ(灯奈美)の孫アンドレ・グランディエ(貴城けい)がみなし子になったとして連れて来られ、オスカルとともに育てられることに。二人はよき友人護衛役として成長する。
華やかなブルボン王朝にも陰りが見え始め、人々の不満が高まっていた頃、オスカルは男として近衛連隊長の要職にあった。このような時代に近衛兵として王を守るだけの役目を潔しとしないオスカルは、平民を含めた国の軍、衛兵隊に転属を願い出る。衛兵隊では、貴族出身のしかも女であるオスカルを隊長にいだくわけにいかぬとことごとく抵抗され、オスカルは途方に暮れる。この状況を得意の剣で切り開こうと兵士のリーダー、アラン(水夏希)と戦いこれに勝って兵士たちを従える。このころ兵士が配られる食事を密かに家族のために残すほど一般の民衆は困窮し、国王・貴族への反感は世に満ちあふれていた。新聞記者ベルナール(未来優希)から革命が近いことをしらされたジョルジュ家の小間使いロザリー(舞い風りら)は衛兵隊にいるオスカルの身に危険が迫っていることを告げようとやって来る。ロザリーは密かにオスカルに心を寄せていたが、ベルナールの結婚の申し込みを受け入れる。
ある日衛兵隊で訓練に励むオスカルのもとにブイエ将軍(一樹千尋)がやって来る。国民議会に立てこもる民衆を排除するようにとの命令である。オスカルはいけば国民同士が殺し合いになるかも知れないと悩み、それを断る。激怒したブイエ将軍がオスカルを逮捕しようとしたとき、ジャルジュ将軍が現れ、オスカルに軍をやめて近衛隊の隊長ジェローデル少佐(聡一班)と結婚するよう命じる。
それを聞いたアンドレは激しく動揺する。アンドレは深くオスカルを愛していた。他の男にやるくらいならいっそ自分の手にかけようと毒の入ったワイングラスを手渡すが、すんでのところで思いとどまり、オスカルに長年秘めてきた気持ちを打ち明ける。オスカルは告白に驚くが、これを受け入れジェローデル少佐との結婚を断る。
軍が人民に発砲したとの知らせに、直ちにパリへ向かうことを命じられたオスカルは、衛兵隊として国民を守らねばならないと決意する。オスカルの身を案じたアンドレもまたパリへ向かう。セーヌ川のほとり、激しく銃弾が飛び交う中、アンドレが斃れる。駆けつけようとしたオスカルにも銃弾が襲う。斃れながらオスカルはバスティーユが落ちたという民衆の叫び声を聞いた。・・・
エピローグのオスカルとアンドレが結ばれた天国での幻想的なシーンに続いて、華やかで長い長いフィナーレが始まる。お約束のラインダンスがあり、階段から登場人物が次々に現れて、舞台上に勢揃いして幕が下りる。
前回同様二階の左端で見ていたが、スターの目線がこちらに向くことはまったくといっていいほどない。途中、オスカルがクレーンの先に着けられた天馬に乗って客席の空中に飛び出す場面があったが、あれが二階席近くまできてくれたらなあと残念に思った。関係スタッフにとって、下から見ると二階席というものはおまけのように目に映るものである。演出家にはこの辺の事情に配慮していま少しサービス精神を発揮してもらいたいものだ。
省略があったと思ったのは、最後のパリの場面である。セーヌ川のほとりでオスカル、アンドレともに銃弾を受けて斃れるが、ここの状況説明がなにもないのは不自然である。ミュージカル「レ・ミゼラブル」では市民が砦を築いて立てこもるが、当時はおそらくそのような形で互いに対峙していたと思われる。無防備に立っていたのでは、流れ弾に当たって死んだと思われても仕方がない。ここは、もっとも劇的に二人の死を飾るところだからそれにふさわしい演出が欲しかった。
今回はマリー・アントワネットが実際に作曲した楽曲が使われるということだったが、失念していて、どこにそれがあったか気がつかなかった。極く自然に聞こえたのはそれが「お嬢さん藝」でなかった証拠か?確かめたらどうもグランフィナーレにあったらしい。
さて、この公演は朝海ひかるにつきると思う。勿論スターシステムということを考えれば当然のことかも知れない。しかし、彼女のりりしさ、力強さ、立ち姿の美しさそして何よりもその存在感、オーラは比べようがない孤高のものに思われた。ただしそれは、彼女に備わったものか、オスカルという役柄がそうさせるのか、いまのところ僕には分からないが。
廻りを見渡すと、男性は何人もいない。おそらく99%ご婦人の客であろう。こんなに華やかで、蕩尽一歩手前みたいにぜいたくなショーを男は見ないのか実に不思議である。何だか肩身の狭い思いで、夕暮れの日比谷をあとにした。