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「ブルーストッキングの女たち」
昨年三月に、純名りさの伊藤野枝、上杉祥三の大杉栄でみた芝居(地人会)である。これを「次世代を担う演劇人育成公演」と銘打って日本劇団協が主催した。実際は京楽座の制作公演で、劇団に所属する若手の女優井上思麻が文化庁の芸術団体人材育成支援対象である。若手といっても経歴に劇団ひまわり福岡アクターズスクールの名が見えるから子役の経験があるのかもしれない。伊藤野枝の大役を振られて大丈夫なものかと心配したが、最初こそ顔がこわばっていたものの次第に緊張が解けていき最後は堂々たる主役ぶりだった。それでもまあ、人材育成途上ということだから、地人会公演の純名りさと比較するなどという野暮なことはいわないつもりだ。
地人会公演の劇評では、「美しきものの伝説」があるのに、なぜ宮本研は登場人物が重複するこの芝居を書いたのかという疑問から始めた。繰り返すのは恐縮だが、面白い話なので紹介しておこうと思う。
実はこれには三越の岡田茂(元社長=故人)がからんでいた。地人会の木村光一が三越劇場の運営にかかわっていた時期、岡田がいろいろ女優を出してきて今度はこれで一つやってくれと木村が頼まれていたというのである。女優のパトロンなど一度やったらやめられないと聞くが、いかにもワンマン権力者、岡田好みの道楽といってよい。
あるとき三田佳子を持ち出されたことがあって、木村は三田の夫君であるNHKのディレクターとも知己であった宮本研に声をかけた。これを快諾して書き下ろしたのがこの芝居だったというのである。いわれると、三越劇場の演目らしくフェミニズムも無政府主義も労農党も思想とかイデオロギーについては薄められて、もっぱら伊藤野枝の愛情関係、人間関係に焦点が当たっている。
「美しきものの伝説」は大正ロマンの一時代を作った思想家や芸術家の群像劇であったが、その一場面をストップモーションにして伊藤野枝にピンスポを当てて、そこから物語を展開したという仕立てになっている。なぜ、平塚らいてうや、松井須磨子、尾竹紅吉、与謝野晶子らではなく伊藤野枝だったのか?
それについては、木村光一が「研さんは、伊藤野枝が好きだったのではないか」(大笹吉雄との対談)と推測している。これを聞いて僕は少し奇異な感じがした。実は白状すると、僕は伊藤野枝をどちらかといえば好きになれなかったのだ。というよりもここへ来ては誤解していたといわざるを得ないのだが、その因はずいぶん昔のことになる。
瀬戸内晴美(現在は寂聴)の「美は乱調にあり」というベストセラー小説があった。伊藤野枝、辻潤、大杉栄、神近市子らの愛憎関係を扱ったものである。最近これを読んだという四十歳代の大学の教師が、歴史上の人物の固有名詞がなければ単なるエロ小説ではないかという感想を持ったと書いていた。むべなるかな、という思いがないわけではないが、僕はこの本を立ち読みしながらむしろ情交の場面の妙にまとわりつくような書き方に生理的に合わないものを感じて、途中で読むのをやめた記憶がある。瀬戸内の書き方、というよりは女流に特有の心情なのか表現なのか、この後も女流の官能小説の世界にはうまく入り込めなかった。
もともと、伊藤野枝は辻潤のところに二人の子供を残して、大杉栄のもとに走ったのであり、自由恋愛を標榜する大杉には本妻保子(堺利彦の死別した最初の妻)の他に神近市子というスポンサーであり愛人がいるというどろどろした人間関係をあの瀬戸内晴美が書くのだからエロ小説と言う者が出ても不思議ではない。
あの時僕が感じていたのは、伊藤野枝という女は、そのどろどろの中に飛び込んであの無政府主義者大杉栄を征したのだから、希代のバンプ、男勝りの大姉御、大年増の女権主義者に違いないというイメージであった。これが固定観念となって、今日まで来たのだが、この芝居で一気にそのイメージが払拭されてしまった。
芝居の最初の場面は、息せききって、舞台中央に飛び込んできた伊藤野枝が「私、とうとう出てきたんです。」と上野の女学校を出ていったん福岡の実家に戻ったが、意に染まぬ結婚を嫌って再び上京したいきさつを独白するところだ。この時、伊藤野枝十七歳。大姉御どころか、まだ子供ではないか?地人会公演の純名りさは、若々しい満面の笑顔であった。本公演の井上思麻も頬に紅をいれて希望にあふれた少女の笑顔である。
これは正直のところ僕にとって少なからぬ衝撃であった。なんとなくあった二十才台後半から三十才前後というぼくの中の伊藤野枝のイメージがひっくり返ってしまったのだから。この開幕の場面はひょっとして宮本研が僕のような先入主を抱いている観客を意識して、伊藤野枝の若さとそれゆえの純粋さを強調して見せたのではないかとも考えてみる。
好きでもない婚約者と一緒になるのはいやだといって、後先のことも考えずに福岡の家を飛び出して、東京の女学校の男性教師のもとに転がり込むなどという無鉄砲なことをやる女はそうはいない。女学校を卒業したら、親が決めた結婚をするというのが当時の女の生き方だったが、そういう常識には一顧だにしない。「見る前に飛ぶ」という伊藤野枝の一本気な性格がよく現れているといっていい。男はこういう奔放な女に弱いものである。
飛び込まれた辻潤はこの時十歳年長の二十七歳。少女を諭して故郷へ返すことはしなかった。やがて伊藤野枝の婚約者から訴えられると、上野の女学校を辞めざるを得なくなり、職を失ってしまう。
辻はこの頃の事を次のように回想している。
「染井の森で僕は野枝さんと生まれて始めての強烈な恋愛生活をやっていたのだ」
「昼夜の別なく情炎の中に浸った。初めて自分は生きた。あの時僕が情死していたらいかに幸福でありえた事か・・・・・・」(中尾富枝=女性誌サロン荒尾代表の短いエセーから孫引き)
瀬戸内晴美が書いた「情炎の中に浸っ」ているような「恋愛生活」はあったのだろうが、それは詩人辻潤が感じたことである。ここから十年、伊藤野枝は七人の子供を産み、思うところを書き、雑誌の編集に奔走しながら「強烈な」忙しさで駆け抜けていくのである。「自由恋愛」のようなものを軸に伊藤野枝をみたら瀬戸内晴美が描くような世界になってしまうかもしれないが、しかし人はそれだけで生きているわけではない。
木村光一が、大正ロマンの時代を「女権の主張」ととらえるのは誤解だと宮本研が言ったことを紹介している。それは「母性の復権」と彼は言ったというのだ。その言葉とこの芝居の伊藤野枝を重ね合わせると「研さんは、伊藤野枝が好きだったのではないか」と木村がいったことが理解できるような気がする。
ここまでは、地人会公演の劇評に書いたことの繰り返しであった。
この公演は、大杉栄をやった中西和久が演出している。中西演出はけれん味のない、律義で誠実な描き方に好感が持てる。ただ二つだけ言いたいことがある。
先ず、荒畑寒村(まんたのりお)の造作の卑屈さである。職人に身をやつしているとはいえ、大杉栄の思想運動の相棒である。寒村は大逆事件を生きのび、日本共産党創立に参加し、のち労農運動の立役者、戦後は日本社会党をつくった大立者である。それが腰をかがめてへらへら笑ってばかりいる。まんたのりおの喜劇性は買うが、この場合は裏目に出た。毅然とした革命家の片鱗をどこかで見せる必要があった。
もうひとつは、最後の憲兵隊麹町分隊の場面である。甘粕大尉(松田光輝)の不気味さが伝わってこない。大杉栄は自身が軍人一家に生まれている。名古屋の陸軍幼年学校を素行の悪さで放校処分になっている。甘粕も同じ学校の後輩に当たる。教練中にけがをして、多少足を引きずるようになったため、歩兵から憲兵へ転科を勧められた。不本意な軍人生活を強いられたことで、屈折した心情を持っている。大杉が実際に面罵したかどうかはわからないが(劇ではかなり過激な言葉で甘粕をなじっている)その怒りが向こうの部屋で爆発したという想定だから、ここはその恐ろしさが伝わってこなければならないところであった。原因は、松田光輝の若さでは、軍人のこはさが基本的にわかっていないところにあったのではないかと思うが、中西演出の唯一の甘さがあの最後の場面に出たのは惜しかった。
題名: |
ブルーストッキングの女たち |
観劇日: |
2008/01/18 |
劇場: |
シアターΧ |
主催: |
(社)日本劇団協議会 |
期間: |
2008年1月16日〜1月20日 |
作: |
宮本研 |
演出: |
中西和久 |
美術: |
中根聡子 |
照明: |
坂本義美 |
衣装: |
山田靖子 |
音楽・音響: |
川崎絵都夫 |
出演者: |
長戸綾子 井上思麻 まんたのりお 渋沢やこ 小河原真稲 海浩気 梅澤泰子 岩崎メリー 中邑ゆら 中西深雪 諸藤多聞 岡本高英 松田光輝 椎原克知 松田光宏 清吾英孝 薄井啓作 吉田直子 菅沼朋美 中西和久 |