題名:

浮標(ブイ)       

観劇日:

03/2/21     

劇場:

新国立劇場     

主催:

新国立劇場    

期間:

200 3年2月19日〜3月7日

作:

三好十郎

演出:

栗山民也        

美術:

島次郎     

照明:

勝柴次朗    

衣装:

宮本宣子    

音楽・音響:

斉藤美佐男        

出演者:

生瀬勝久 七瀬なつみ 佐々木愛 北村有起哉  那須佐代子 長谷川稀世小林麻子 浅野雅博  石田佳祐   花村さやか 大鷹明良 吉村直 永幡洋大津尋葵 山中麻由 下里翔子            
 

 

「浮標(ブイ)」

「水戸黄門」の佐野浅夫が、公演パンフレットに短いエッセーを寄せている。
彼が横浜三中(旧制)の生徒だったころの話である。山本周五郎が小学校の先輩と言う縁で、何となく文学好きになった佐野少年は、時折神田辺りまで遠征して古本漁りをするようになっていた。そんなあるとき、見知らぬ人に声をかけられる。実はその青年も三中出身だと、佐野が被っていた学帽を見て名乗るのである。
  その人は来週出征することになっていて「娑婆とのお別れ」をしているという。「一緒に築地に行こう」と唐突に誘われ、断るまもなくついていくと、てっきり市場に行くと思ったのが、本願寺の向かい側に入っていく。喫茶店でプリンをご馳走になっている間に、先輩が「浮標」と印刷された入場券を買ってきて「一期一会の記念品」と言って手渡すのである。目の前に築地小劇場があった。昭和十五年の、桜にはもう一息の春だったそうである。
  佐野文学少年が、新劇に転向?してのめり込んでいくきっかけが、「浮標」初演だったとは奇遇であるが、これが丸山定夫、岸輝子、東野英次郎(当時は本庄克二)、長浜藤夫、薄田研二などという出演者でなかったら、話は違っていたかもしれない。 それはともかく、佐野浅夫の思い出話を引き合いに出したのは、60年前に築地でこれを見ていた人々がなにを思っていたか気になったからである。
  中には横浜三中の先輩のように、これから戦地に赴くという人もいたに違いない。入営直前に訪ねてきた友人赤井源一郎(北村有起哉)と主人公久我五郎(生瀬勝久)の会話を彼らはどんな気持ちで聞いていただろう?
  絵かきの仲間で小金貸しの尾崎(大鷹明良)がその仕事をなじられて、久我が一時期左翼的な運動に近づいたのは単なるセンチメンタリズムで、「回収のきかない金を、一時的感情にほろりと来て貸してしまう」様なものだと皮肉る場面を客席はどう受け止めたか?
  友人の医者、比企(石田佳祐)が、結核を社会病としながら、国家が何も出来ないのは差しあたり仕方がない、医学に治せない病気があるのは過渡期だからで、科学とはそういうものだ、と諭すのに対して、久我が進歩主義のふりをした偽善者とくってかかるあの議論に賛意を示したであろうか?
  おそらく築地にやって来た観客の教養は、三好十郎がこれらのエピソードに託した問題意識を十分理解し、感じ取っていたに違いない。 しかし、それに思いをはせながら、60年後の世界にいる僕は、いかにもこの時代の議論だなあという感慨を持って見ていた。戦前に書かれた戯曲であっても、こんな感想を持ったのははじめてであった。それだけ三好十郎の提起した問題は、当時のもっとも先鋭的な議論だったに違いない。
  戦地に赴く友人とのやり取りは、臨官席の監視があるから正直の所かどうかは分からないが、懸命に生きたという自覚があれば、戦地でどうなろうとかまわないというのは、おそらくこの時代に生きたものの一定の覚悟だったに違いない。戦争にあからさまな異を唱えなかったと言って、当時の観客は言外にあるものを感じ取っていたと思うが、この点いまさら僕らには何も言うことはない。
  小金貸しの尾崎とのエピソードは、明らかに「転向」のことをいっている。この時代の作家・文学者など文化人はほとんどが左翼的な同盟に参加していたが、「転向」は当時の知識人にとって、もっとも深刻な精神的課題であったことはよく知られている。同盟の指導要領が教条的であるといって離れたものもあったし、権力の弾圧に屈したものもいた。それを非難する言葉としてセンチメンタリズムはよく使われたのだが、戦後の左翼運動にも引き継がれ全共闘前期くらいまではその声が聞こえてきた。しかし、弾圧という力との相対関係で生じる心の傷が「転向」という出来事ならば、我々の時代にはその痕跡さえ探すことができないのは幸いである。  久我五郎(=「三好十郎)は、転向を非難されたが、心のままに生きると、ある意味で開き直った。しかし、そうはいっても、その生き方は、あまり説得力のあるものではない。 画壇のボスが嫌いだからといって、これに与しようとしないのを、仕事を世話してくれている仲間が誘いにかかると、それも断る。おかげで借金で繋いでいた生活も返す目処を失ってしまうのである。天才といわれた「芸術家」には違いないが、いったい何を根拠にこういう態度で生きていられるのか不思議な男である。看病につかれて絵を描く気力を失い、自暴自棄になったのか、全体三十過ぎの男がやることではない。 尾崎が猿だの俗物だのとののしられても、次の瞬間久我が「もう少し待ってくれ」とすがるのに「金を取り来たのじゃない」という場面やたまった家賃を取りに来た善人の大家に尾崎が立て替えてやる場面などに、尾崎の善意を見るよりも、むしろ久我の甘えが目立ってとても共感できるものではない。  医師の比企が言う「医学の過渡期」に対して、久我五郎は「過渡期だからですまして居れるものはそれでいいんだ。それではどうしても、どうしても諦め切れないもの、そいつはどうすればいいんです?何に頼ればいいんです?」と迫る。既に末期の結核患者に施す治療はないと判断しているからこそ、金もないのに無理をすべきでないと比企は言うのである。観客は比企の冷淡さに腹を立てただろうか?
  冷静に考えれば、比企は医者として正しいことを言っている。この時点から十年もすれば、宿痾とも言うべき結核は、潮が引くように、日本から消えていくのだから。では、科学は比企の言うように、究極の一点を目差して進化すると明るく信じていいものだろうか?それには、僕らの時代は、あまりにも多くのことを知りすぎた。脳科学は量子力学なしに語れない。分子生物学は生命の領域に踏み込んでいる。比企のような素朴な議論と現在では医学も科学も既にその位相を変えていて、彼もまた時代の人なのである。
  比企の合理的であろうとする態度に、久我はまるで駄々をこねるように、無い物ねだりをするのだが、そこまで来て僕は、はっと思いついた。 「・・・どうしても諦め切れないもの、そいつはどうすればいいんです?何に頼ればいいんです?」と言う叫びは、妻の病とその避けがたい死をさしているのだが、実は、一見合理的に見えるこざかしい理屈に「それが一体全体何になる!」と痛罵を浴びせることで「この時代=戦争という不合理」に対する怒りといらだちを表現していたのではなかったかということだ。 そう考えると、僕が久我の生き方はおかしいと言ったすべてのことが、三好十郎の、久我という存在に巧妙に仕掛けておいた時代批判であったということになる。 もっともそれは僕の考えすぎで、本人が「インサン極まるイッヒドラマ(=私戯曲)」と自嘲気味にいっているのを見ると、久我の矛盾は三好の苦悩としてそのまま舞台に上げられたものである。いずれにしても、三好の上にのし掛かっていた「時代」の重さというものを考えないわけにいかない。
 

  僕が冒頭、築地で見ていた観客が気になったのは、この戯曲が持っている同時代性を、60年後の世界で見ている僕が同じようには感じられないという思いからであった。 しかし、久我と妻のエピソードは背景がすっかりぬぐわれていて、俗世間から隔離されたように対称的である。
 久我は、妻の看病を徹底するために世捨て人のように千葉に移り住んだ。耳が少し遠い「おばさん」(佐々木愛)が手伝ってくれている。おばさんは、無学だが自分の母親が教えてくれた通りに純朴に生きている生命力そのものの様な人だ。この病人を包む空間だけは時が止まったようにやさしくあたたかい。久我は好きな万葉を自分流に解釈して病人に読み聞かせるが、それは万葉が、「生きる」ことを肯定するからであり、生命を歌っているからである。一向に好転しない症状と看病つかれから生命の力そのものを恨んだりするが、愛するものを失いたくないという一心で軽べつしていた民間療法である蛇の黒焼などに手を染めるまでになる。
  明治期以降の万葉好みもここまで来れば「信心」のように見えるのが、少し異様にも思える。しかし、逆説的な物言いになるが、久我と美緒(七瀬なつみ)の濃密な関係を冷ます?ものとして、万葉はじつに効果的であった。気が触れるばかりに愛するものを失いたくない夫とそれをわかりながら死にゆく妻、妻の耳には命をたたえる歌が聞こえている。
  「万葉人の生活がこんなに素晴らしかったのは、生きることを積極的に、直接的に愛していたからだよ。自分の肉体が、うれしくてうれしくて仕方がなかったのだ。・・・今現に生きているこの世を大事に大事に、それこそ自分たちに与えられた唯一無二の絶対なものとしていき抜いた。死んだらそれっきりだと思うからこそこの世は楽しく、悲しく、切ないくらいのもったいない場所なんだよ。・・・」
  終幕直前のシーンを見ながら、結局この芝居は、なんだかんだいってもこの二人の愛情ドラマにつきるのではないかと感じた。 辺りが暗くなり、息を引き取る美緒に万葉を読みあげる久我の姿がボォと浮かび上がる。その薄明かりに照らされた二人の世界がすべてだった。 それはまた、この芝居が古典としての価値を不動のものにした瞬間であった。

  七瀬なつみの美緒にまずは拍手を送りたい。僕の席からは少し見にくかったが、それだけに、病人らしい動作のひとつひとつからその意味が明確に伝わった。美しくはかなげな姿が、情愛を一身に受け止めて、次第に衰えていく様子もリアルだった。初演の岸輝子がどうだったか知る由もないが、歴代の美緒を並べることができたら必ず上位にくると確信する。誰かまともな批評家が見ていたらなにかしら「賞」をとっておかしくない演技であった。これで七瀬は舞台で生きる決心をしても大丈夫と勝手に太鼓判を押しておく。
  おばさんは、最初とてつもなく達者な役者がいるものだと感心してみていたが、見覚えはあっても誰だか分からない。必死に思い出そうとしてやがて気がついた。30数年ぶりに舞台で見る佐々木愛だった。少女役の彼女は可憐であった。
  生瀬勝久は必ずしも適役とは感じなかったが、力演だった。力演を評価したい。しかし、何かが足りないと言う気がした。内省的な眼差しが強いのはいいのだが、その同じ強さで人を見ると、妙な言い方だが、人を見ていないように見える。対象によって変化があったほうがよかった。足りない何かは、せんじ詰めればおそらく対象との距離(生活歴とでも言うか)の設定だと思う。これは難しいが、俳優なら自分で創造するしかない。それが俳優の醍醐味とも言える。
  いつも「キレ」そうな印象の北村有起哉は落ち着いていて、その軍人ぶりは好感が持てた。多分この役者はだんだんよくなるタイプだ。
  石田佳祐の比企は説得力があった。器用な人である。
  大鷹明良の存在感は独特である。尾崎とは適役を得たものだ。
  花村さやかに才能を感じた。表情のひとつひとつに意味を込め、動作にリズムがある。この女優は、大物になる可能性を秘めている。また別の機会に見てみたい。  栗山民也の演出は、尾崎や比企のプロット、京子(比企の妹)との砂浜でのシーンなど非常に丁寧で分かりやすかった。 ただ、戯曲にはない注文だが、同時代性ということをどこかで示す方法はなかったかという気がしている。
  久我の借家と砂浜とを交互にセットしなければならなかった装置は、幕あいが少し長かったが気にならなかった。どうやって入れ替えたのかいまだにわからない。砂浜の明るく開けた感じが特によかったと思う。

 ところで、「浮標」という題は漢字も音も非常に魅力的だと思っていたが、最初この戯曲は「体温」というタイトルにしようと考えたらしい。それが第一稿で「焔」、最終的に「浮標」と決定された。「浮標」になったいきさつはわかっていない。 浮標は、台詞の中に一二回でて来るにすぎないが、これを題名として採用した三好十郎の感覚に僕は全面的に賛成である。
  浮標は海の上を漂う灯である。僕らの寄る辺無い人生を象徴しているようにもみえる。溟い海で何かを導くというよりは孤独を噛みしめているようだ。しかし、どこかへ流れていくものではない。道しるべとしての役目を果たせないからだ。それは海底の、どこか一点で、鎖か何かでつながれている。
  「万葉こそはおれたちの故郷だという気がするな。」と美緒に語りかけるシーンを思い出す。 万葉のはるか以前から受け継がれてきたいにしえの「歌垣」に思いをはせながら、死にゆく美緒の命も、やがてはかなくなる僕らの命もそこにつながっているという想像によって、「体温」や「焔」の熱をおさえ、精神の安寧を得ることができると三好十郎は考えたのかもしれない。精神の古層へという思いが浮標に託されたイメージだとすれば、それはこういうことなのではないか?
  浮標は溟い海を漂う光である。荒波にもまれ、頼りなく孤独である。 しかし、それは海底のどこか一点で、大きな、母なる大地とつながっている。
               

                             (2/28/2003)

 

 


新国立劇場