<%@LANGUAGE="JAVASCRIPT" CODEPAGE="932"%> 新私の演劇時評
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「中西和久のエノケン」

あの猿面冠者に対して中西の平べったい丸顔と、輪郭の違いはどうしようもないが、目の回りを白く囲んで真ん丸い目の特徴を表わしたところはエノケンになっていた。それにからだを斜に構えると肩を怒らして、顔をこちらに「えへん」とひとつ咳払いするところなど、芸人中西和久の面目躍如、久し振りにあのエノケンが記憶の底から引き出された。開幕早々、「やい中西!出てこい。おいらのまねをしていると聞いていたが、隠れていねえでここへ出てこい!」と呼びかける。どうやら、自分は本物のエノケンで、中西という男が自分のまねをしているという設定である。向こう側に中西がいて、自分こそ本物だ(そのくせ中西が演じている)という二重構造が最後まで持続するところがうまい工夫で、単なる評伝劇に見えないリアリティを舞台に与えている。平板な伝記物にしなかったところにジェームズ三木のセンスが光っている。
何故今ごろになってエノケンなのかという疑問が湧かないでもないが、この昭和の一時期、喜劇王として一世を風靡した男の半生がどんなものだったかを振り返って見たいと思ったのは「京楽座の中西」にして見れば極く自然の成り行きだったのかもしれない。京楽座とは中西が作った劇団に違いはないが元を正せば小沢昭一の気まぐれである。(ついこの間新宿西口地下広場でリュックを背負って夫人同伴の小沢昭一を見かけた。まったく余談だが。)小沢の期限付き劇団芸能座が根っこにあるとしたらエノケンは守備範囲にはいっているだろう。
僕らが知っているエノケンは、ということは同世代である中西和久にしても同じだが、既に最盛期を過ぎていた戦後のスクリーンの上でのことだ。もともと戦前の浅草で軽演劇の喜劇役者として絶大な人気を博していた頃、僕らは影も形もない。ものごころついたころ、喜劇映画に登場するエノケンが昔そうだったことは母親から聞いたのである。映画は喜劇に違いないが、エノケン自身のキャラクターがそんなに面白いものかという疑問が、戦前の隆盛を想像しにくくしていたように思う。世に出はじめたころの美空ひばりの脇役をやっていた時の方がむしろ僕らにはしっくりくるくらいだった。劇では、このあたりのことを「舞台を離れた榎本健一は面白くもおかしくも何ともない、くそまじめな小男にすぎなかった」と誰かに言わせている。喜劇役者といえば、萩本欽一も人前を離れれば、無口で不機嫌でひたすらネタを考えているだけというから同じタイプだったのかも知れない。立川談志は多少きんちゃん本人を知っていたようだが、あの芸風を嫌いだと公言している。喜劇をやるなら人生そのものがトコトン喜劇でなければいけないと思っている談志にして見れば、どこか嘘くさいものを感じるのかもしれない。確かに客をいじるやり方といい、阿る風がほの見えて僕も昔から好きにはなれない芸だった。談志がエノケンをどう思っているか知る機会はなかったが、エノケン?ちぇっ!と舌打ちしそうな気がする。喜劇というのは実に難しい。古川緑波は多少の教養が邪魔をして「笑われること」を嫌がっている風が見えたために人気がなくなった。談志にしてからが骨の髄まで喜劇でなくてはいけないと思っている割には、自分の芸が消費されることを嫌っている。緑波ほどの教養がないところにコンプレックスを感じていながら、自分を笑う大衆よりは俺のほうが余程ましだなどと思っているから、芸が荒れる。いい加減にやっても許してくれると思っている風がある。もともとしっかりしたものがあってそれを崩していくのが年季というものだが、歳とともにただ単に崩れてしまっていくのはどうしたことだ!要するに自分の芸を磨くよりも、他人がどう思っているか気になるうちは喜劇役者になんかなれないということだろう。そんな彼が一目置いている落語家がいる。八代目橘家圓蔵がまだ円鏡だった頃、談志と掛け合いのラジオ番組を持っていた。そこでの話。たまたまお国自慢がテーマで各県の隠れた自慢を思いつくまま上げるということになった。スピードが命の円鏡は、なにも考えもせず頭に浮かんだものを出していく。宮城県、ときたとき口をついて出てきたのは「由利徹のおふくろ」。これには談志も絶句するほど驚き感心したという。この圓蔵と四谷でばったり出会ったことがある。前を歩いている、その姿全体が笑い、喜劇になっていた。消費される尻から生産している。喜劇は考えてはいけない、立ち止まってはいけないものなのだ。こう書くと、今の若い「お笑い」の連中が安心するかもしれないが、それは間違い。彼ら芸無し芸人は消費させる商品すら持ち合わせていないのである。
いや、何の話だっけ。ああそうそう、エノケンね。
劇は実にサービス精神旺盛で、浅草軽演劇というよりは当時大はやりのボードビルショウ、レビューをたっぷり見せてくれる。側近を演じる劇団の隅本吉成がテナーサックスを吹いて舞台を歩き回る。女優陣は頭に鳥の羽をのせ、太もももあらわに編みタイツを履いてラインダンス、クラリネットで練り歩き、女学生役から女工、ちんどん屋まで実に楽しそうで、これは劇なのかそれともレビューなのか錯覚を覚えるくらいだった。中西、いやエノケンも例のだみ声で歌う一方、トロンボーンの腕も確かでなかなか聞かせてくれる。トランペットも難なくこなす。バイオリンは、というとこれが手に取るまではいくが弾こうとしない。弾こうと構えたとたんに話が邪魔をする。しばらく繰り返しているうちにああ、バイオリンだけは勉強出来なかったのだなと観客もあきらめかけ、本人も楽器を置こうとするのだが・・・・・・もう一度気を取り直して、弾こうとする。次の瞬間、ようやく音が出るというわけだ。わかっているけど、うまいなあ。演出は本を書いたジェームス三木。中西との息もぴったりである。
劇中、
だみ声で歌ういくつかの唄の中に「エノケンのダイナ」というのがあった。
「ダンナー のませてちょうダイナー おごってちょうダイナー たんとはのまない ね いいでせう    ダンナー 盃ちょうダイナー コップなら尚結構 こいつはいける 酒はうまい うまい ・・・・・・」
これはディック・ミネのヒット曲のもじりだったろうが、作詞がサトーハチローである。いかにも軽演劇の挿入歌という雰囲気がただよっていて、「母さんのうた」を多数作詞した人のものと思えば笑ってしまう。こういう歌詞を書ける人は皆無になってしまった。皆世知辛くなってしまって、高等遊民などという生き方は許されなくなってしまったのだ。サトーハチローが浅草国際劇場の文芸部長をやっていたころ、座付き作者のくせに何も書かず新米の菊田一夫に無理難題を押し付けて数日で本を書き上げさせていたというが、この時代のものだろう。どこで覚えたものか忘れているが、何故か記憶に残っていて懐かしかった。こういう当時の浅草を彩っていた人々との親交も描かれていたら面白かったかと思うが、まあきりがなくなってしまうか。
戦後も何年か経って、次第に人気にも陰りがたってくる。映画に進出して「エノケンの・・・」シリーズを何本か撮っていたがその中でも孫悟空ものは当たった。その撮影中に足に如意棒を落としたことから壊疽になってつま先を切るという不幸が襲った。エノケンの芸の見せ所は、その身のこなしにあった。からだの素早い動きが喜劇性を生んだ。その核心のところが鈍くなって、エンケンの心は傷ついた。後にそれが悪化して右足切断ということになった時も、関係者はじめ客の心遣いにかえっていらだちを募らせたという影の部分を劇の後半で描く。三十歳代になった長男を病で失うという悲しみを押し隠して舞台に上らねばならなかった。
劇は戦前のもっともの華やかでにぎやかだったレビューの世界から、戦後の後半生を描く不遇の時代にはいると、照明を落として影絵のような世界をつくる。喜劇王といわれた男にも、人並みの、いや、人並み以上の人生があったのだ。しかし、この時代を描く中西和久に、何故か暗さはない。あのエノケン独特の肩を怒らして、「えへん」と咳払いするやせ我慢のしぐさが、自分のまねをしているという中西に対する本物の心意気だといわんばかりなのである。「おい中西!オレはエノケンだ」どんな不幸が、どんな不運が襲ってこようが「オレは死ぬまでエノケンだ」といいたいようだ。
病の床に伏していながら思い出している。あの懐かしいきらびやかな衣裳をまとった踊り子たちが舞台狭しと踊り回り、その輪の中にいるのは若かりしころのエノケン、自分である。彼の喜劇の本質は、その身体姓にあった。背が低くて痩せた猿顔だったが、動きのスピードで見せた。しぐさに笑いがあった。内実はどうあれ、全身でおかしみを演じたのだ。
フィナーレは再び浅草レビューがかえってくる。娯楽が少なかったあの時代に最高のエンターティメントを世に送り出した喜劇の人、榎本健一。彼に直截な笑いを求めた大衆の息遣いが伝わってくるような舞台は、今どこを探しても見つけることは出来ない。中西和久がエノケンをやろうとしたのは、僕らが何を失ってきたのかを確かめるためだったに違いない。
妹尾河童の装置が、華やかでありながら泥絵の具のような色彩を帯びていて、当時の浅草のうさんくささ、猥雑さを表わしているようであった。それに加えて、筋肉のはりを失いかけた女優の踊り子たちがそれと呼応するような雰囲気を醸しており、少女歌劇団とは一味も二味も違う華やかさであった。

こういう芝居をなんといえばいいのか。とりあえずエノケンを知らない世代にも楽しめたはずだと思いたい。

 

 

 

 

題名:

中西和久のエノケン

観劇日:

07/11/06

劇場:

紀伊国屋ホール                

主催:

京楽座   

期間:

2007年10月5日〜7日

作:

ジェームス三木

演出:

ジェームス三木

美術:

妹尾河童 

照明:

坂本義美

衣装:

中矢恵子  

音楽・音響:

鈴木茂  

出演者:

中西和久 隈本吉成    黄英子渋沢やこ 長戸綾子 小河原真稲 井上思麻    海浩気            まんたのりお                ズッカーマン明子 ヤビマーヤ 

 

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