<%@LANGUAGE="JAVASCRIPT" CODEPAGE="932"%> 新私の演劇時評
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「エキストラ」

素材がよければ料理はうまいというのは半分本当である。半分から先は料理人の腕で決まる。料理の技術は年季によるからある程度経験を積めばいい線まで行くものだ。が、献立となるとそうはいかない。料理の流れを作り出す想像力を必要とする。そこに個性が出る。個性というのはそのものに備わった才能のことだからあまり年季と関係がない。素材のよさが終いまでわかって、献立に一本筋が通っている料理というものに出会うのは、なかなか難しいものだ。

エキストラというのは映画の背景になる人間のことである。通行人や飲み屋の客、切られ役や、死人、あるいは馬の足といったドラマでは本筋にかかわらないどうでもいいものを演じる役者である。昔、映画会社には「大部屋」という部門があって、ここにその専門の役者が雇われていた。子供のころ、毎週のように東映のチャンバラ映画を見ていたが、その背景に何人もの同じ顔を発見して妙な気分になったものだ。日本映画がダメになってしばらくしたら、その中の顔がいくつか集まって寄席に出ていた。「チャンバラトリオ」である。

「大部屋」はスター役者への登竜門などというものではない。そこにいるのは月給をもらって背景役を演じる労働者である。あまりの待遇に音をあげてストライキまでやったことがあった。せりふのある役をもらえるという希望はほとんどない。なのにそこを離れられない不思議な人々である。ともかくこの世界の最下層にいる役者(といえるのかどうかすら怪しい)だった。

映画会社のかわりにTVがドラマを作るようになると、さすがに「大部屋」をつくって人を雇うというような余裕はない。仕事があってもなくても金が出ていく仕組みでは持たないという考え方が浸透してきたせいだ。それに、毎回同じエキストラが顔を出すというのもTVの性格上都合が悪い。そこで「大部屋」は「仕出し」に変わった。宴会の時に仕出し料理をとるように、あるいは吉原で台やものをとるように、料理屋に、じゃなかった、専門業者に何人と注文を出すとその頭数だけあつらえてくれるのがこの世界の仕出屋ならぬプロダクションである。

この芝居は、仕出屋から派遣されるエキストラの群像劇である。初演は平成十八年の秋で、なかなかの評判であったと記憶している。TVで舞台の録画をちらっと見たことがあったが、面白そうな喜劇になっているという印象はあった。Yは余程これを見たかったに違いない。正月早々相州の相模大野という町の興行に席を取った。午後四時からだったので、昼過ぎ余裕のよっチャンで都心を出ると、東名高速でいったら早く着き過ぎるのではないかというんで国道二四六を走った。何しろ正月のことだから道は空いている。長津田辺りまでは順調に走ってきたが、次第に車が混み出してきた。この辺はどこへ行くにも車だから休日はかえって混むのかもしれない。そう思っていたら国道十六号へ右折する交差点の手前でぴたっと止まってしまった。あと四キロも走れば着くというのに、びくともしない。ソロソロっと動いては止まる。そのうちに、突然腹が痛くなってきた。何かに当たったのか、下痢の兆候が本格的になってくる。渋滞どころの騒ぎではなくなってきた。ようやく十六号に入ったのはいいが、相変わらずののろのろ運転、開幕まであと三十分というところでいよいよやばくなってきた。どこか適当なところはないかと横道に抜けたがそこはいけどもいけども住宅街で無駄な試みであった。必死で元の道へ戻ると目の前にガソリンスタンドがあったから飛び込んだ。危ないところだった。その後は少し動き出したが開幕に間に合うかどうか微妙である。なんと皮肉なことに相模大野の駅近くに着いたら渋滞は解消しつつあった。午後四時ちょうどに駐車場着。大きな劇場の二階の端っこから見下ろす席に着いたときにはすでに幕が上がっていた。

薄暗い舞台の上手よりに大きな仏像がおいてある。後ろには三尺ほどの高さの廊下が横に延びている。上手に矩形の台、下手から中央に岩のようなものが何個か並べられていて、その手前に汚れた百姓の衣装で座り込んでいる役者が何人か見える。何だか薄気味の悪いところだと思ったらこれは時代劇のセットらしい。

この芝居は一言で言えば、ハレプロという仕出屋に所属するエキストラと大和屋興業から派遣される役者、それにプロデューサーやディレクター、カメラマンに助手やら衣装係が時代劇の撮影現場でくりひろげるどたばた喜劇である。三十人近い俳優がそれぞれの人生をワンカットづつ見せあうような群像劇、構造においては短いエピソードが次々に展開されるロバート・アルトマンの映画を彷彿とさせる。
エキストラという仕事は独特の魅力があると見えて、変わった経歴の人物が紛れ込んでいる。矢代忠(綾田俊樹)は地下鉄の駅員を定年でやめたあと、あこがれだったこの世界に入ったばかりの新人。また、中学校の教師から転身した鳴海啓二(角野卓造)は、エキストラがまともな役者扱いされないことが大いに不満である。さすがに元先生だけあって言うことが理屈っぽく、ADには煙たがられている。
夫婦でエキストラという珍しいケースもある。この二人は老後の楽しみということではじめたらしい。小寺ハツ(山本ふじこ)は夫の”爺さん”というあだ名の小寺勉(市川勇)と同じ現場にいるのだが、”爺さん”の方は体調が悪くて弱っている。それが心配だからといって、何とか一緒に出ようとするが、この仕事、そうはいかない。ハツが引っ張り出されているうちにどんどん具合が悪くなって、その辺に寝っ転がっていると、死体の役が必要だというので運び出そうとする。すると、なんと本当に死んでいた。なんともブラックな話である。

見慣れない男が紛れ込んでいると思ったら、この影の薄い男、清水収(大森ヒロシ)は、家出した妻がドラマに映っていたのを発見して探し訪ねてやってきたのだった。妻の清水美代子(楢崎まどか)は、なんの魅力も存在感もない夫をすててこの世界に入った。現場で出会ったやさ男、諏訪昇(村田一晃)と現在愛人関係。夫の清水の懇願にもかかわらず、その目の前で愛人といちゃいちゃする始末。収は、何とかして美代子を取りかえそうと右往左往しているうちに、エキストラと間違えられて駆り出されることに。やってみると素人ながら筋がいいとおだてられ、次第にその気になっていく。これは案外自分に向いている仕事かもしれないと自信を持ってしまうと、がぜんこの影の薄い男が立派な役者、いやエキストラに見えてくる。それを見た妻美代子が夫の違った一面を発見して、惚れ直すそぶり。愛人諏訪昇がちょっと待てよと立ちふさがるが、美代子はすげなく関係解消を宣言、今度は昇を追っかけ回すことに。ところが、すっかり自信満々の男に変貌を遂げた昇は、美代子にはもう目もくれないという皮肉なことになる。

エキストラからせりふのある役者に昇進するのは至難の業といわれているが、他の撮影現場を終えて、舞台に入ってきた田所寛太(佐藤B作)はその例外中の例外、エキストラ歴二十年の後にいまの地位を獲得した出世頭である。並み居るベテランエキストラを前に、役者の心得などを言い含めるように長広舌。あごをしゃくり上げて「どうだ」という態度である。そこへプロデューサーの与謝野茂(瀬戸陽一朗)がやって来ると、途端にモミ手すり手で卑屈な愛想笑い。田所はこの男にゴマをすって引き上げてもらったらしい。

ところが、話しているうちに与謝野の態度がどこか変であることに気付いた。田所と付き合うのはもう飽きたということらしい。気まぐれで移り気で、しかもこの世界では絶対的な権力をもっている。キャリアの長いエキストラ中村より子(市瀬理都子)とはできている。与謝野が地位を利用したというよりは、中村が一枚上手のようで、この女、利用できるとあれば誰とでも関係を結ぶという評判である。その自信が態度に現れている。

最古参の猪俣吾郎(志賀圭二郎)は、時代劇が得意。しかし、癖のある芝居が使いにくく、あまり仕事が回ってこない。静かな男、脇田一(たかはし等)はやればできるくせに、なぜか仕事をしたがらない少し変わった性格である。また、一つのシーンで一人何役も演じわけることができる船津秀勝(石井洋祐)は、この世界ではきわめてまれで重宝な存在である。

映像作りにこだわりを持っている芸術家気取りのディレクター伊達克哉(京極圭)は、思いつきで現場を混乱させ、ちょっとした暴君ぶりを発揮している。ところが演出家といえども、主演の元アイドル黒田ジョージ(垣内裕一)、松かおり(羽賀蓉子)にはぺこぺこしなければならない。 現代の監督は、主演俳優に頭が上がらないということになっているらしい。黒田や松にしても、いつアイドルから卒業するかあるいは現場の評判は気になるところ、威張ってもいられない。そして、癖のあるAD、アシスタントディレクターたち。最下層のエキストラの上にいる不安定な身分だがそれだけにエキストラに対しては厳しい。

こうして、笑いの中に、ドラマの撮影現場にはどんな仕事のどんな地位の人々がかかわっているかを俯瞰して見せ、その最下層にいるエキストラの悲哀を描いて見せるのがこの芝居である。
途中、再びお腹が痛み出して中座せざるを得なかった。そんなことは今までなかったことであるが、我慢できないくらい急激に襲ってきた。それでも、声だけは館内に流れているので、おおよその展開はわかるようになっている。
しかし、それぞれのエピソードはきわめてわかりやすくできているために、少し中座するくらいで混乱することはなかった。つまり、意外性は少なく、話がやや類型的、「先が読める」のである。群像劇としての限界かもしれないが、エキストラという職業の表面をさらっとなでただけのような感じが残った。

それにしても、あの下痢は何か食べ物に当たったとしか考えられない。だとすれば、前日に揚げた牡蛎フライか?あの牡蛎は百貨店で買ってきたもので、一日二日冷蔵庫にあったとしても素材に問題はなかったはずだ。牡蛎特有のウイルスが話題になったことは知っている。それだったのか?ウイルスは火には弱い。ちゃんと火を通せば問題はないはずだ。どうも、調理の仕方がまずかった。揚げ方が中途半端だったのかもしれない。素材は悪くなかったのに。
僕は、料理の仕方を失敗した。この芝居は別に下痢を起こすようなウイルスを含んでいないし、調理の仕方を間違えてもいない。惜しむらくは、味付けの点で肝心のだしが薄かったようだ。

題名:

エキストラ

観劇日:

2008/01/05

劇場:

グリーンホール相模大野

主催:

東京ボードヴィルショウ

期間:


07年12月12日〜08年4月29日

作:

三谷幸喜

演出:

三谷幸喜・演出補:山田和也

美術:

堀尾幸男

照明:

宮野和夫

衣装:

菊田光次郎

音楽・音響:

井上正弘・萩野清子

出演者:

佐藤B作 角野卓造 佐渡稔 綾田俊樹 志賀圭二郎 市川勇 石井洋祐 たかはし等 あめくみちこ 山本ふじこ 大森ヒロシ まいど豊 瀬戸陽一朗 中田浄 京極圭 玉垣光彦 垣内裕一 村田一晃 市瀬理都子 奈良崎まどか 羽賀蓉子 フジワラマドカ 金澤貴子

 

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