題名 |
冬物語 |
観劇日: |
05/11/23 |
劇場: |
青年座劇場 |
主催: |
青年座研究所 |
期間: |
2005年11月23日〜11月27日 |
作: |
ウイリアム・シェークスピア |
翻訳: |
小田島雄志 |
演出: |
井上亨 |
美術: |
野地晃 |
照明: |
城戸智行 |
衣装: |
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音楽: |
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出演者:
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鎌田誠樹 船山千香子 野村泰仁 大沢祐介 田中健大 井坂 沢 前田典彦 海老根 理 海老原将人 大山法哲 古舘綾一桜木信介 市場篤 梶正人 奥原茉莉 今野希夏重 佐藤佳織小谷友里恵 佐藤律子 鉄砲塚雅代 |
「冬物語」
青年座の研究生の公演はこれで二回目。近所だから気軽にいける。前回は永井愛の「萩家の三姉妹」だった。比較するとこの「冬物語」の俳優たちは全体に若い。当たり前だが若さが出た。四時間に及ぶ膨大な科白劇で、せりふを言うのに精いっぱいのところが初々しい。ほとんど棒立ちのシェイクスピアだった。
どうしてもシェイクスピアをやりたいという意向が働いたのかも知れないが、少々無理があったのではないか。それぞれの役どころをしっかりふまえて丁寧に人物像を作り上げるのが役者修業になるはずだが、この作品ではそういう余裕はなかった。
これは、シチリア王リオンティーズ(鎌田誠樹)が妻ハーマイオニ(奥原茉莉)と折から訪問していたボヘミア王ポリクシニーズ(前田典彦)の間を憶測して、ボヘミア王を追い返したあと妻を殺すという「嫉妬」が動因となった話しである。
生まれたばかりの娘パーディタ(今野希夏重)をアンティゴナス(大沢祐介)に命じてボヘミアの海岸に捨てさせる。狼の餌食になっても仕方がないと置いて帰るが、これを羊飼い(大山法哲)とその息子の道化(古舘綾一)が拾って育てることになる。アンティゴナスは船に帰る途中熊に襲われて死んでしまう。
それから十数年、美しく成長したパーディタのもとに足繁く通う若者フロリゼル(海老根理)がいた。実は、ボヘミア王ポリクシニーズの王子である。父王は名も知れぬ娘との恋を許さず、彼らの結婚に反対したためにフロリゼルは、勝手に婚約して国をでてシチリア王の保護を得ようとやってくる。羊飼いと道化がそれを追いかけ、ボヘミア王もまた王子たちの後を追って、シチリアに向かう。
ポリクシニーズは、嫉妬に狂いボヘミア王を恨んで、妻を殺した過去を悔いている。アンティゴナスの妻ポーリーナ(佐藤佳織)は王に対する率直な物言いで、信頼を勝ち取っている。ボヘミア王が羊飼いと道化を捉えて、パーディタの素性を問い詰めると海岸で拾ったいきさつをうちあけ一緒にあった箱を差し出す。これが証拠になって、パーディタはシチリア王の娘であることが分かる。
この後、ポーリーナは一同を自分の屋敷に招いて、亡きハーマイヨニの彫像を見せる。ところが、その彫像は見ているうちに動き出す。実は、ポーリーナがハーマイヨニを密かに自分の屋敷にかくまっていたのだ。
というわけでめでたしめでたしの大団円と相成るのである。
「ボヘミアの海岸」といわれて、はてあんなところに海などあったかな?と思ってみていたが、これはシェイクスピアの創作らしい。海岸で熊に襲われて死ぬというのも腑に落ちなかったが、こういうフィクションはときどきあるようだから、気にしないほうがいいらしい。(あとで分かったが、この「ボヘミアの海岸」は結構論議を呼んでいることらしい。つまり、「いい加減ではないか?」という批判である。)
演出の井上亨がどのような意図でこの劇を見せようとしていたかは、あまりはっきりと伝わってこなかった。もっとも、それを表現する余裕が俳優のほうになかったからともいえるが、作りとしては、各プロットをとりあえず組立て、その集積としてようやく劇全体が立ち上がったというややぱらぱらの印象を受けた。ある場面では「棒立ちのシェイクスピア」だが、非常に生き生きと動いている場もなかったわけではない。
第一幕のリオンティーズが嫉妬に狂うきっかけが上手く表現されておらず、ポリクシニーズとの会話も空々しく聞こえて、この立ち上がりは明らかに稽古不足であった。観客を入れて見せるのならば、この場面を徹底的にドラマティックに仕上げて、最初の印象をよくしておくのが演出の戦略というものであろう。この一幕目に比べれば、第五幕のリオンティーズは、嫉妬に狂って自分が犯した罪を心から悔いている様子がよく表現されていて、一幕目とは別人かと思わせるくらい格段の差があった。
劇中ごろつきのような詐欺師まがいの商売人が登場するが、このオートリカスをやった櫻木信介がもっとも伸び伸びと役どころを演じていた。せりふを忘れるところもあったが、お愛嬌で、才能を感じさせる。
女優陣は少し元気がなかったように思う。ポーリーナの佐藤佳織が目立つくらいか。ただし役得であるが。
青年座は、多くの優秀な俳優を送り出している数少ない劇団の一つだが、その研究生ですらも若いうちはまだこの程度である。俳優というものが一朝一夕には出来ないということがよく分かる。
もう一つ確認出来たことは、この時期にシェイクスピアを教材とするのは少し早すぎるのではないかということである。シェイクスピアははっきりした演出意図のもとに作られなければ、ただ単に暗記した膨大なせりふを、観客に手渡すだけに終始することになりはしないか?