題名:

母・肝っ玉とその子供たち        

観劇日:

05/12/2       

劇場:

新国立劇場  

主催:

新国立劇場   

期間:

2005年11月28日〜12月11日     

作:

ベルトルト・ブレヒト       

翻訳:

谷川道子     

演出:

栗山民也         

美術:

松井るみ            

照明:

勝柴次朗           

衣装:

ワダエミ           

音楽:

パウル・デッサウ
出演者:
大竹しのぶ 福井貴一 秋山菜津子 山崎 一 中嶋しゅう 梅沢昌代 たかお鷹 沖恂一郎 中村美貴 粟野史浩 永山たかし 金子由之 岡森 諦 保村大和 福井博章 川北良介 鳥畑洋人 鈴木健介 横山 敬 岸槌隆至 飯嶋啓介 伊藤 総 さけもとあきら  

「母・肝っ玉とその子供たち」

四十年前多分高校生の頃観たと思う。残っているのはかすかな記憶だけだ。岸輝子だったから、初演のどさ回りだろう。俳優座がもっとも元気で、千田是也が盛んにブレヒトを翻訳して公演していた時期だ。市原悦子の「セツアンの善人」を観たのもこの頃のことだった。
千田是也訳は、タイトルが「肝っ玉おっ母とその子供たち」でこれは変えようがないだろうと思っていたら「Mutter Courage」を「母・肝っ玉」にしてしまった。「肝っ玉」は定着しているから他の言葉にはしにくかったらしい。なら同じようなものだ。しかし、千田是也の「おっ母」は恐ろしく田舎ぺいの言葉使いで、そんなせりふを聞かされる現代の観客にはやはり迷惑なのである。千田是也は神格化されているから誰も触るのは嫌がっていた節がある。今回は千田是也の孫の婿である演出家の要請で、キャスティングがほぼ決まってから、谷川道子(東京外語大教授)が翻訳し直した。おかげで妙な田舎なまりと新劇臭が消え、耳通りがよくなったと思う。
松井るみの装置はニューヨークの貿易センタービル跡地通称「グランドゼロ」をそのまま模写したもので、コンクリートやら、がらくたの山の真ん中に取り残されてモニュメントになった鉄骨が立っている寒々しい廃虚である。下手手前にはぽっかりと穴が空いていて、演奏用のブースになっている。現地であらゆる角度から写真を撮り、ほぼ忠実に再現したものらしい。この芝居は始めから終いまで十七世紀の戦場が舞台だが、現代の「戦場」はニューヨークのど真ん中にあるという比喩なのであろう。
あとで聞いた話だが、この芝居はひょうご芸術文化センターで幕を開けた。一週間ほどやって東京に装置を運んだが、その時十トン車が十一台だったというから相当なものである。ただし、物量の割には気の利かない舞台で、動きといえば後半の一瞬、大砲がやってくるという見立てで、鉄の柱が倒れる場面くらいのものだった。
「グランドゼロ」はいい思いつきだったが、写実に徹したから動かしようもなく、かえって呪縛されるという悪い事例になってしまった。あれだけの舞台なのだからもう少しサービス精神を発揮してくれても良かったのではないか。
サブタイトルに「三十年戦争年代記」とあるのは、1618年から1648年にかけて主として北部ヨーロッパを戦場にした四つの大きな戦争のことをいっている。要約すればカソリックと新教の対立ということになるが、どちらが勝ったともいえない戦争で、戦場になったドイツの国土は荒廃して、近代化に200年は立ち後れた原因になったともいわれている。
主人公の肝っ玉アンナ・フィーヤリング(大竹しのぶ)は、軍隊にぴったりと寄り添って、彼らが必要とする食料や酒、衣類、雑貨などを商ういわば従軍幌荷車商店の経営者である。それぞれ父親の違う子供が三人、長男はアイリフ(粟野史浩)次男がシュワイツルカス(永山たかし)そして長女カトリン(中村美貴)が母親に従って幌荷車を引いている。
長男は、新教軍の傭兵係に誘われて母親の止めるのも聞かずに入隊してしまう。やがて、次男も会計係として軍隊に徴用されるようになり、残されたカトリンが母親とともに商いの旅を続ける。カトリンは幼い頃、口に何かを押し込められて唖になった。このカトリンの中村美貴が(当然だが)せりふを一言もいわない役なのになかなかの熱演で感心した。「見よ、飛行機の高く飛べるを」(2004年11月シアタートラム)では地味な女子学生であまり目立たなかったが、このカトリンは若い女優の中では今年最高の出来だったという気がする。むろんこれには演出の栗山民也の力が大きかったと思うが、肝心なところで劇を引き締めた表現力は本物だろう。これからが期待される。
翻訳した谷川道子によると、この話には種本があるのだそうだ。物語と同時期にグリンメルハウゼンが書いた悪漢小説「放浪の女ペテン師クラッシュ」で、この時代のベストセラーだったという。ブレヒトは、クラッシュの姿にアンナを重ねて、戦場を放浪する「肝っ玉」の太い母親を作り上げた。戦場では、さまざまな出会いと別れがある。
まず、新教の従軍牧師(山崎一)は一緒に行軍すべき軍から離れてしばらくの間アンナ、カトリン母子と行動を共にする。その生活力にまったく身をゆだねた格好である。
また、軍人相手の娼婦イヴェット(秋山菜津子)も古い知り合いである。秋山菜津子のメーキャップはいかにもそれらしく誇張されており、歌も動きも迫力があった。このイヴェットの惚れた相手が、将校の料理人(福井貴一)で、この色男は後にアンナのところへ転がり込んで戦争が一時鎮まった頃にカトリンを置いて二人で故郷に行こうと誘う。アンナに多少気持ちはあったが、カトリンを一人にするわけにはいかない。
会計係となった次男シュワイツルカスは、偶然軍の金庫を預かる羽目になり、これを隠匿したことが元で殺される。長男アイリフは軍隊で頭角を現すが、負け戦の最中に農民を殺した罪に問われ曳かれていく。最後に残ったカトリンも、皇帝の軍隊が新教の連中の町を攻撃しようとしているのを知ると寝静まった町の方角に向けて太鼓を打ち鳴らしたために兵隊に撃たれて死んでしまう。
アンナは一人になった。しかし、戦争はまだ続く。
本には、各「場」ごとに二三行のタイトルというかこれから起きることを要約した説明文がついている。通常の上演ではスライドなどで示されるようだが、この芝居では上手手前に椅子を置いて、梅沢昌代が語った。梅沢は最後の場面の説明が終わると農婦になって登場するのだが、なんともぜいたくな使い方である。ただ、もともと個性的で特徴のある梅沢のナレーションは、無機的に読み上げるべき説明には向いていない。何だかもたついた印象になった。ナレーションに経験の有る適役は他にいたはずである。ナレーションにするというのがそもそも栗山民也の考えすぎではなかったか?
ぜいたくなといえば、キャスティングは国立劇場ではのもので、ベテランをちょい役で使ったのも見どころであった。中島しゅう、たかお鷹、金子由之、冲恂一郎らである。
蜷川演出なら、大竹しのぶの、あの一本調子の抑揚のない早口を歓迎しただろうが、栗山がそれを許すはずはない。一つの場面の意味をとことんまで追及して、自分がこれだと納得したものだけを採用して表現する、というのが栗山民也の方法である。したがって彼が考えたことは難なく観客に手渡される。そのために早口で急ぐ必要はまったくない。おかげで、大竹しのぶのアンナは小柄で童顔にもかかわらず、生活力旺盛な肝っ玉ぶりを造形することが出来た。このアンナに異を唱えるものはいないだろう。ということは彼女の当たり役になるかも知れない。ただ、芝居の背景が日本の観客には分かりづらいところがあり、上演の頻度となるとどうか?観客の理解を得るには話の骨格だけを際立たせて、新教と旧教の対立や軍隊の組織などをもっと単純にするなどの翻案が必要かも知れない。(「グランドゼロ」という発想も、この場合単に「しゃらくさい」のであって、時世はロングロンゴアゴーでよい。)
ところで、この芝居は戦場を舞台にしている。したがって戦争とアンナという構図で議論されることが多い。「グランドゼロ」もそうした考えの中からでたものだろう。アンナは、戦争という状況の中で、軍隊に寄生して生きてきたといってよい。劇中つかの間の平和がやって来ると、途端に「商売上がったり」になっていまい、戦争を願う始末である。反面、子供たちが軍隊にとられ命を無くすと、一瞬戦争を恨む気持ちにもなる。しかし、彼女にとっては戦争が生活の場であり、そのようななりわい以外に生きる術を知らないのだ。
では、アンナは、戦争状態を肯定しているのではないかという話になる。ひいてはスエーデンでの初演の時、ブレヒトに対してその種の批判があったようだ。そのあと、本の改訂を数ヶ所にわたって行っているのが、その誤解を解こうとしたことにあたる。確かにヒトラーの戦争が激しい時代だったからそういう見方も成り立ったかも知れない。
しかし、冷静に考えればこの芝居は戦争を肯定していなければ否定もしていない。戦争はアンナにとって「状況」なのだ。おおかたの庶民は状況を受動的に受け入れざるを得ない。戦争を始めることも終わらせることも庶民の側には出来ない。しかし、一度戦争になれば、犠牲になるのは圧倒的に庶民である。NYの貿易センタービルで働いていた人々がアラブ世界と戦争状態にあると考えていただろうか?それが自分の生活とどうかかわっているかなど、考えていただろうか?宗教的教義とか経済対立、民族主義やイデオロギー、何かの大義などといった戦争の原因はアンナに代表される庶民の生活レベルの問題と一緒くたに話されるべきではない。それは、「すべての戦争は悪だ。すべての戦争に反対する。」というスローガンと同じように無力であり、何事もいっていない。
劇の終わりに、アンナの荷車が舞台奥に消えていくと、大きく垂れ下がった布にこの年代、つまり1600からデジタル数字が時を刻み始める。一の位が目に留まらぬ早さで変わり、時代は次第に現代に近づき、それを通り越していく。つまり、戦争はアンナの時代のあとも止んだことがない。そしてこれからもひょっとしたら無くならないかも知れないという不安を刻み付けているようだ。
イラクの戦争が始まろうとしているときに、演劇人の会議だったと思うが戦争反対の声明を出した。何故反対かといえば、「すべての戦争は悪だ。すべての戦争に反対する。」という類いのものだった。僕は、これに批判がましいことをいうつもりはない。かつて湾岸戦争が勃発したときに田中康夫、中沢新一、浅田彰、柄谷公人ら文化人がマスコミを通じて戦争に反対する態度表明をしたことがあった。どういう論理だったかすぐに思い出せないが、説得力がなく、ベトナム戦争の時のような熱情もなく違和感だけが残ったことを記憶している。僕も戦争は嫌いだ。すべての戦争に反対する。しかし、戦争当事者をどのような大義あるいは論理で説得しうるか、どのような手段でそれを止めるかを考えられなければ反対してもむなしいことである。少なくても僕はそう考えている。だからその戦争のことをよく知らなければ自分の態度表明は難しい。したがって「すべての戦争」などという言い方は成立しない。すべての戦争、すべての出来事は個別でありしかも構造的である。幸い日本は戦後六十年、直接戦争にはかかわらなかった。これからもかかわらないでいければいいと願っている。
それにつけても以前この劇評で書いたこと(「線の向こう側」2004年4月)を思い出す。
「梅棹忠夫が84年にコレージュ・ド・フランス(メルロ=ポンティ、J-P=サルトル、レヴィ=ストロースなどが教授となったフランス思想界の最高権威)で行った「近代日本文明の形成と発展」と言う講義の中に少し驚いた記述があった。
『・・・ある歴史家が、1480年から1941年までの460年間に行われた戦争の数を次のように報告しています。イギリス78回、フランス71回、スペイン64回、ロシア61回、ドイツ23回、そして日本は9回です。これらの数字はヨーロッパ文明の発達が戦争の遂行といかに緊密に結びついていたかを,はっきりと示しています。・・・』
戦争が科学技術を押し上げ文明の発達に寄与するというのはわかる。しかし、鎖国という特殊な事情があったにせよ、日本の平和は先進国では飛び抜けている。日本は戦争の哲学もあるいは始め方も終わり方も技術もたいしてもたないまま近代化を遂げた奇跡のような国なのである。」
ドイツの23回にはこの芝居の「三十年戦争」も入っているに違いない。
ここで僕は、日本は戦争に関して無知だという意味のことを書いた。戦争の少ないのは確かに大陸と地続きでないことが幸いしたと思う。しかし、逆から見れば戦争を避ける術を知っていたということも出来る。日本人がどのようにして戦争を避けてきたか。そこにどんな普遍的な知恵が隠されているか。そういうことにも目を配るべきではないかと思う。
(2005年12月16日)

新国立劇場

Since Jan. 2003