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「破戒」
京楽座は初めてみる名だった。昔、小沢昭一が永六輔らと作った期限付き劇団、芸能座というのがあった。期限が来たらやめてしまうとは勝手な言い分である。しかし、小沢昭一が劇団経営にふさわしいとは思わないからそれも仕方がないかと思ったものである。どうせ長続きしないなら、ハナからやめると断っておくのも手ではある。ところがこの劇団、大まじめで団員を募集した。しかも現役だけでなく学生までも。プロもいたが、芝居は初めてという若いのもいたらしい。素人を劇団に入れて五、六年で解散では、かわいそうに中途半端で放り出されてしまう。七十年代半ばだから、先はどうなるかなど気にする若者もいなかったのだろう。「なんとかなるさ」といういい時代だったのである。
中西和久は学校を卒業して芸能座の試験を受けた。多少は大学でやっていたのだろう。合格して演出部に回された。事情が変って一年後には舞台に立っていたようだ。京楽座は、この中西が芸能座解散後に当時の仲間と作ったものであった。中途半端で放り出されたかどうか、いまとなっては分からないが、中西和久は立派に「独り芝居」を打てるまでになった。
この芝居は、作者が中川小鐵となっている。これは、中西和久と演出の西川信廣の共同執筆のペンネームだそうだ。五木寛之が監修となっているが、中川小鐵としては今一つ確信が持てなかったと見える。何故五木寛之に監修する資格があるのかは不明。映画が作られているからすでに脚色された台本はあった。(雷三の丑松で撮った時の相手役が、藤村志保で、これが彼女のデビュー作だった。人を食った芸名の由来である。)
あの長編を過不足なくよくまとめてある。
同じ下宿先にいた、経済的に成功した男大日向が穢多出身であったことがわかり、激しく排斥されたのを目の当たりにして、小学校教員の瀬川丑松(中西和久)は下宿先を少し離れた蓮華寺に変えた。実は丑松は、部落出身の新平民であることを隠して暮らしていた。いや、むしろ忘れていた。父親(声の出演:三国連太郎)から出自を明かしてはならないと、きつく戒められておりその戒律を守って生きてきたが、この事件によって、世間の差別意識、憎悪の根深さに改めて恐ろしさを感じたのである。一方で、そうした理不尽な差別の存在に抗して、自らの出自を明らかにしたうえで、平等・差別撤廃を訴えた猪子廉太郎(森山潤久)の著作「懺悔録」を愛読し、同僚にも奨めてはばからなかった。「懺悔録」は「我は穢多なり。」で始まる告白で、自分の心に偽らず生きていくことのすがすがしさを謳ったものとして、丑松は共感を覚え、手紙を書いたりしていた。
校長(関輝雄)や郡視学(猪股俊明)は、丑松が生徒に慕われている優秀な教員と認めつつ、反面、正論を吐いていう通りにならない丑松を疎んじていた。同僚の土屋銀之介(石田圭祐)や藤野文平(若松泰弘)は丑松と親しく交わり蓮華寺の下宿によく訪ねてきた。
蓮華寺では養女の志保(山本郁子)が、身の回りの世話をした。志保の父親、風間敬之進(依田英助)は元教員であったが、勤続年数が6ヶ月足らなかったために恩給が支給されず、妻にも先立たれて零落し、志保を養女にだした。風間に仲介を頼まれた丑松が校長に掛け合ったが規則を盾に断られるということがあった。
ある日所用で上田に向かう汽車に乗ると、そこに猪子廉太郎が弁護士の市村(猪股俊明・二役)といっしょにいるのに出くわした。あいさつすると宿でいっしょに話をしようということになる。ここで、市村が選挙に出るのを猪子が応援するということが分かった。猪子は丑松が新平民とあえて名乗らなかったのを察した。
丑松は、猪子の生き方を肯定しながら自分では出自を明かせないことで悩んだ。自分は卑怯者だ、と思う反面父親の戒めを解くこともできない。
その父親が牧場で飼っていた牛に角でつかれて死んだ。その葬儀に向かう車中で、丑松は市村弁護士の政敵で、今度の選挙に立候補する高柳利三郎(隈本吉成)と出あう。高柳は、丑松を避けるようにして去る。猪子によると、高柳は政治家として必要な資金を捻り出すため、部落出身の金持ちの娘を密かに娶り、こっそりと祝言をあげるためにきていたというのだ。猪子は、金のために世間をはばかるような結婚をした高柳も、権力者と交わろうとする父親も許せないという。蓮華寺へ帰ると高柳が訪ねてくる。まわりくどい言い方で、自分が穢多の娘と結婚したことを誰にも言わないでくれと懇願するのを丑松は、なんのことか理解出来ないと帰してしまう。高柳はこれを恨みに思い、秘密が明るみに出る前に先手を打って丑松を追放しようとした。勝野文平に、丑松が穢多ではないかという噂を吹き込みそれがひろまった。素性が露見することを恐れた丑松は、ついには大事にしていた猪子の著作を密かに古本屋に売り払ってしまう。
しかし、噂は校長や同僚の耳にも及んで丑松は追いつめられる。放逐されるよりは死を選んだほうがいいとまで思い詰め、ついには猪子に会って打ち明けてみようと決心し、演説会場に向かう。すると、高柳が放ったと思われる刺客によって猪子が刺され、目の前を運ばれていく。それを見た丑松は自分の生き方は間違っていたと思う。
生徒を前に、自分は穢多であることを隠してきたと謝る。ここは生徒たちに対してわびを入れる重要な場面であるが、果たして「詫び」を言う必要があったか議論のあったところで、この劇では自省の念を表わして、さらりとすました。
事実が明らかになった以上、校長としてかばう理由はない。
丑松は辞表を出して、猪子も卒業した難関、高等師範学校に入学すべく東京へ向かうことにする。その前に志保に結婚を申し込むと、「自分はそのように考えていました。」といううれしい返事である。
瀬川丑松の心は晴れ晴れとしている。
「破戒」は、さすがに部落解放の先駆的な問題提起だけあって出版当時からさまざまな議論があった。丑松が隠し通して生きようとしたのは問題を隠ぺいするものだとか生徒に詫びるのは筋違いとか最後に米国テキサスを目指すというのでは、単なる逃避ではないかとか言う議論である。
こうしたことをむしろ押さえて、どちらかといえば、丑松が「告白すべきかどうか」を迷い、自問し、葛藤する様子を強調し、何がきっかけで翻意するかという物語性を重要に書かれた本であったということができる。実際、何故今ごろになって「破戒」なのかという疑問に対して、「彼はハムレットではないか?」という演出の西川と中西の会話が一定程度説得力を持っている。
悩み多き王子ハムレットの悲劇でことが済めばそれにこしたことがない。しかし、瀬川丑松には内面の葛藤かも知れないが、観客にとっては、その外側に全国二千ヶ所に及ぶ部落問題が存在する。せっかくだからその「現在」を映し込む努力をしてもらったほうが今日的意味があったのではないかと思った。
先日来、奈良市の職員が五年間に八日しか出勤していないにもかかわらず、給料は全額(五年で二千七百万円)支払われていたという問題で、この職員が部落解放同盟奈良市支部協議会の副議長であることが分かった。同様の勤務状態のものが他に数名いるとの情報もある。この職員は、妻のやっている建設会社に市の仕事を誘導するための談合まがいの活動もやっていたことが知られており、この仕事に普段はポルシェ、フェラーリなどの外国の高級車を乗り回しているという。
またついでに言えば、京都市で、覚せい剤所持で捕まった女性職員もまた同和事業に関係するものであったことが分かっている。
そのことを論評する場所ではないが、それにしても猪子や丑松が見たら何と思うであろうか?
原作は、なにかと批判は多い。逃避(今風に言えば問題の先送り)ではないかという指摘である。しかし、実際にはこの小説のあとで水平社ができ部落解放運動が始まることを思えば、藤村が一石を投じた功績は大きいといえる。そのことを思い出させるという意味で、今日的意味があったといえるかもしれない。
石井強司の装置はシンプルで力強い構成だった。中央の奥を逆光で見せる場面で突然広い空間が現れると見せかけるのは効果的だった。ただ袖で小物の出し入れをする時の処理が煩雑で、もう少しうまい工夫がないかと思う。その袖の後ろでチェロ(槙野伸也)とパーカッション(田中佑司)が劇に伴奏をつけた。これは効果的でいいアイディアであった。
もともと長編だから筋を追うだけでも場数が多くなるのは仕方がないと思う。その多い場の転換が、まだ明かりの残った状態で行われるのはあまり褒められたものではない。見ているものの心の切り替えにもっと気遣いがあってしかるべきである。気障りで仕方がなかった。
さて、中西和久の丑松は誠実そのものに見えて、けれん味のない芝居には好感が持てた。石田圭祐、森山潤久、若松泰弘、関輝雄、猪股俊明らが脇をしっかり固めた。文学座と縁があるのだろうか?
題名: |
破戒 |
観劇日: |
06/10/13 |
劇場: |
俳優座劇場 |
主催: |
京楽座 |
期間: |
2006年10月11日〜10月15日 |
作: |
原作:島崎藤村 脚本:中川小鐵 |
演出: |
西川信廣 |
美術: |
石井強司 |
照明: |
坂本義美 |
衣装: |
山田靖子 |
音楽・音響: |
上田亨 |
出演者: |
中西和久 山本郁子 依田英助石田圭祐 森山潤久 猪俣俊明関輝雄 隈本吉成 若松泰弘 黄英子 渋沢やこ 海浩気 長戸綾子 小河原真稲 井上思麻 まんたのりお 声:三國連太郎 |