題名:

箱根強羅ホテル

観劇日:

05/5/27

劇場:

新国立劇場

主催:

新国立劇場    

期間:

2005年5月19日〜6月8日

作:

井上ひさし

演出:

栗山民也

美術:

堀尾幸男     

照明:

勝柴次朗  

衣装:

前田文子

音楽・音響:

宇野誠一郎

出演者:

内野聖陽 段田安則 大鷹明良酒向 芳 藤木 孝 辻 萬長 麻実れい 梅沢昌代 中村美貴 吉田 舞  平澤由美
 



「箱根強羅ホテル」

チケットを取るのに並んでしまったとYが言っていた。新国立劇場の前売り切符売り場に大勢の中年女性が押し掛けて、なるべくいい席を取ろうとひしめいていたらしい。内野聖陽である。Yが言うには彼を目当ての行列だった。井上ひさしの新作に駆けつけたわけでない。役者に魅かれて芝居見物とはよくある話だから文句の言い様もないが、せっかく持ってる「頭」を使っているように見えないところがどうもねえ。やれやれ。
その井上ひさしがまた遅れたようだ。前口上で「ところが、わたしは・・・またもや稽古場を地獄にしてしまいました。」と平謝りである。
この「遅れる」ということが、劇全体の出来にさほど影響しない場合もたまにはある。新国立劇場こけら落としの「紙屋町さくらホテル」は公演二週間前にようやく最後の原稿が届いた。観客にはその修羅場がほとんど感じられなかった。
この劇は同じ「ホテル」であるが、遅筆堂の悪癖が名手栗山民也にかかっても舞台上に出てしまうことを避けられなかった。近ごろの井上作品は「with音楽」の傾向が極めて強く、歌と劇のつながり部分がうまくいかないとひどいことになる。ひたすら稽古を積むしかないところだが、台本が無ければはじまらない。というわけで、井上ひさしの新作は避けるべきだと言うのが賢者の判断である。しかし、このスリルと出来の悪さを味わうのも、おつなもので、僕らの場合、もはや「習い性」「病気」になっている?かもしれない。
ヒットラーに攻め立てられたスターリンが後ろを襲われたらたまらんと言って、結んだ日ソ不可侵条約も昭和20年4月ごろには効力を無くしていた。
ところが、日本は敗色がいよいよ濃くなって、外務省を中心に降伏の手がかりをソ連に求めようとしていた。麻布狸穴のソ連大使館は宮の下の富士屋ホテルに疎開していたが、これを休業していた箱根強羅ホテルの施設に再疎開させる計画が持ち上がり、外務参事官加藤清治(辻萬長)がその任に当たっていた。
加藤ら外務省の思惑は、強羅ホテルと言う豪華な施設を提供することで、ソ連大使館の好感を得て、スターリンに連合国との仲介を願い出る機会をうかがうというものであった。<br>
かなり頓珍漢な作戦だが、大まじめにやった可能性はある。なにしろ、この役所の情報収集能力の劣悪さはどうも現在に至るまで一貫しているらしいから。
このために、強羅ホテルの管理人兼留守番、秋山テル(梅沢昌代)のもとで働く従業員が公募されてやってきた。植木係の国枝茂(内野聖陽)、靴磨き兼靴修繕係の岡進太郎(段田安則)、同じく坪井広三(藤木 孝)アイロンミシン係の三浦彰(酒向 芳)、同じく稲葉定一(大鷹明良)、ランドリー係の三人娘(中村美貴、吉田 舞、平澤由美)それにロシア人とのハーフで大使館員の子弟に日本語を教える教師の山田知恵子(麻実れい)である。
一同は無論住み込みで各人が部屋を割り当てられている。最初の日、広間に集まってそれぞれ紹介されるが、目ぼしい男子は皆兵隊にとられ、ここに残ったものは運動能力も怪しい、たよりない連中に見える。岡慎太郎などはラムネ瓶の底のような眼鏡をかけ、足下もおぼつかないほどの近視である。三浦彰といえば常時黒眼鏡をかけて怪しいが、実は他人が目を合わせると困惑するほどの斜視で、単にこれを隠しているのであった。管理人の秋山テルに気合いを入れられながら、歌など歌って草むしりに出かけるのはまるで小学生並みの様子だ。
夜になり皆寝静まって、外は雷の音と稲光がしている。舞台下手に三つある従業員用の部屋のドアがひとつ開き、中からきびきびした様子の男が出てくる。昼間の鈍くさい態度とは比較にならない。薄暗い広間で何やらとりだしてごそごそやっている。と、もう一つのドアが開く。これも動きやすい服装で身を固めた男があたりの様子を窺って舞台中央へ後ずさりしながらやって来る。と、そこで前の男とばったり鉢合わせ。また一人暗がりに出てきて・・・。と靴磨きやら、ランドリー係やらが薄暗がりで互いの怪しい素性を探り合う。
実はこの連中、外務省の意向をかぎつけ、断固降伏を阻止し、日本帝国を本土決戦に導こうとする組織から派遣された軍人たちであった。
稲葉定一(大鷹明良)は帝国陸軍の将校、岡進太郎(段田安則)は中野学校出の下士官、三浦彰(酒向 芳)は海軍少佐で階級は上だが、その頃になると乗船する軍艦も沈められて丘に上がった河童同様、陸軍からは馬鹿にされている。国枝茂(内野聖陽)は陸軍参謀部(大本営)から派遣された将校、坪井広三(藤木 孝)だけは少し毛色が変わっている。彼は特別高等警察、内務省のいわゆる特高=治安警察からこのホテルに潜り込んでいた。
陸海軍の思惑は、箱根強羅ホテルに爆弾を仕掛けて、適当な時期に爆発させ入居してきたソ連大使館員を傷つけ脅すことによって外務省の意図をくじくことにあった。
ではなぜ直接ソ連と関係のない(内務省)治安警察は、箱根強羅ホテルに興味を持ったのか?
実はロシア人とのハーフ日本語教師の山田知恵子を追いかけていたのである。山田の知人が米国のシカゴにいて、山田はソ連の外交行嚢を利用してこれと文通していた。この知人のもとへ大山郁夫が出入りしていて、その動向を探るというのが坪井広三(藤木 孝)の仕事であった。
大山郁夫は早稲田の教授でリベラル派。弾圧を嫌って米国に移住していたが、降伏を早めるために、米国政府が日本の亡命政府を大山を中心に作ろうと画策した形跡がある。実際には大山はこれを断ったようだが、特高の探索はここまで及んでいたと井上ひさしは言いたいらしい。なるほど外務省のお坊ちゃん上がりよりはなんぼか役に立つものだわい。泣く子も黙る特高を無くしたのはちと惜しいか?いま、公安警察はあるが、左翼もよぼよぼになってせいぜいオウムの連中くらいが対象では、いっそ外務省に移してスパイをやらせたほうがいいのではないか?(余談だった!)
この山田知恵子には幼いときに別れた腹違いの弟がいた。管理人の秋山テルが子を手放した過去を持つ身に覚えがあることから山田知恵子と国枝茂(内野聖陽)の話をつなぎあわせ、二人が姉弟であることを突き止める。国枝を自分が棄てた子だと思い込んだは勘違いだったが、二十年ぶりの再会を手助けしたのであった。
井上ひさしは生き別れ姉弟再会譚が好きである。僕が観たのだけでも上げると「兄おとうと」「花よりタンゴ」に同じ話があった。何か理由があるに違いない。暇な文学部の学生でも調べてみたらどうか?
傑作は、本土決戦を戦う作戦だった。H弾というのは空中で粉を散布して航空機のエンジンを止めると言う触れ込みで開発しようとしたものだがうまくいかなかった。H剤は犬用の催淫剤で、まくと犬が発情期の状態になり皆おとなしくなったという。中野学校でこれが盛んに用いられたという。米軍が上陸してきたら、犬を手名づけようという魂胆だった。上陸といえば、もっともおかしかったのがマムシ作戦である。これは海軍が考えたアイディアらしいが、上陸が予想される湘南海岸の後背地の草むらにマムシ50万匹を放つという素晴らしい作戦である。日本の野や山に海軍軍人が大挙して入りマムシを捕獲して大量に集める。何も知らずにやって来た米兵たちがマムシに噛まれて往生すると言うわけである。しかし、その姿を思い浮かべるだけの豊な想像力があれば、さっさと戦争をやめたほうがいいと考えつきそうなものだ。<br>
ということで、箱根強羅ホテル爆破作戦は大いに邪魔が入って外務省の知れるところとなり、大失敗をしてしまったのである。早く負け戦を終わらせてこれ以上の国民の犠牲を食い止め無ければ、と気付いた稲葉定一(大鷹明良)は軍に帰ってこれを進言したために満州に追いやられ、戦後はシベリアに抑留されることになってしまったという。
結局8月9日にソ連は条約を一方的に破棄してソ満国境を越えてきた。この前に降伏していれば、スターリンにあれだけ大きな顔をさせないですんだものを、この当時の日本人は頭悪かったのだなあ。
たぶん軍が大馬鹿だったのだ。何故軍隊があれほど政治を蹂躙する力を持ちえたのかということを井上ひさしは書かない。気ちがいに刃物といって済ませられることでもない。戦後日本は軍隊を持たないことにしたから、このあたりの事情がとんとわからなくなったのだ。軍は威張ってばかりいたから皆作家が軍人嫌いになってしまって口するのも腹が立つという具合だ。まあ、そのうち誰かが書いてくれるだろう。
この芝居は、戦時中のソ連を扱ったという点で珍しい。ゾルゲがあるではないかというかもしれないが、あれは既に完結していた。この終戦間際のソ連との裏交渉について井上ひさしはごく詳細に調べてある。A級戦犯でただ一人文官で死刑になった広田弘毅が箱根のソ連大使を訪ねて和平の道を探っていた。この辺は劇には全く反映していない。
この時既にスターリンが自国の人民を一千万人ほどは殺していただろうが、気がついていたのか?分かっていたらこの独裁者に近づくという発想は生まれていただろうか?ヒットラーと組んだのは松岡外務大臣の誤りだったと人のせいにしているが、それよりもっとたちの悪い独裁者にすり寄ったのは外交史上最悪の戦略ではなかったか?戦後米国が強硬にソ連を追い払ったからよかったものの、一歩間違えたら今ごろ北海道と南北問題でもめていたかもしれない。
完成度はいまいちながら、話題の新しさで見せてくれた。
役者は今日このような喜劇を演じるにふさわしい最高のキャスティングになっている。
もっと早く本が出来ていたら、もう少し点をやってもよかったが、とりあえずはシリーズ&quot;笑い&quot;の第三弾として間に合ったことを僥倖とせねばなるまい。
                

              (6/23/2005)                                                                                       

 


新国立劇場

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