題名:

「ハムレット」      

観劇日:

02/9/13     

劇場:

新国立劇場     

主催:

新国立劇場 ・朝日新聞    

期間:

2002年9月7日〜18日

作:

ウイリアム・シェークスピア

演出:

ペーター・シュタイン        

美術:

新国立劇場技術部(Stage Lighting & sound)     

照明:

    

衣装:

    

音楽・音響:

        

出演者:

エヴェゲニー・ミローノフ アレクサンドル・フェクリストフ イリーナ・クプチェンコ オレグ・ヴァヴィーロフ ワレンチン・スミルニツキー ドミートリ・シチェルビーナ エレーナ・ザハーロワ アレクセイ・ズーエフ 他            
 

 

「ハムレット」

楽器を演奏するハムレットというからよほど変わった演出なのだろう、と思ったが、極めてオーソドックスな「ハムレット」であった。むしろ、楽器を演奏することが唐突に感じられて、どんな必然性があるのかよくわからなかった。

俳優は、いずれも非常に古風な感じの演技、つまり身体的表現の基本に忠実であるという意味では完璧に見えたが、ディテールの描写についてはあまり気を使っていないように見えた。

舞台が客席の真ん中に作られており、両側から見るようになっているために、背中を向けられると見えないせいかもしれないが。 ハムレットのエヴェゲニー・ミローノフは精悍で知的、この難しいと言われる役柄をよくこなしていたと思う。反面、クローディアスとガートルードは、あまり精彩がなく、特にクローディアスは兄弟殺しをやってのけたような野心と迫力に欠けていて、妻の連れ子、甥のハムレットにおろおろ気を使っているだけように見えた。

また、ボローニアスは、大臣という高い地位にあるにもかかわらず、やや品格がない(日和見ではあっても)キャラクターづくりも不満だった。オフィーリアのエレーナ・ザハーロフは、 出演者の中でもとびきり小柄で、きゃしゃであり、若いがかなり達者で、適役といえるだろう。ただ、惜しむらくは、華がない。役柄だから仕方がないかもしれないが、もう少しディテールを作り込んだら、印象が変わっていたかもしれない。

構成・演出のペーター・シュタインの名声は知っていたが、けれん味のない非常に正統的な舞台をつくる人だということがよくわかった。「私は何よりも解釈する人間であり、それ以上でもなければそれ以下でもない。私はそういう演出家です。」と自身が語っているほどである。

解釈をするというのは、何もとっぴな考えや閃きをいっているのではなく、あくまでもテキスト〈戯曲〉をどのように演劇的な空間に生み出すかということであろう。そういう意味では、過去にかなり斬新な舞台装置を採用したこともあるようだが、あくまでも戯曲の核心にあるものを表現しようとしてきた、合理的で、理性的な演出家であると思う。

しかし、僕には二つの不満が残った。 ひとつは、ホレイショーの扱いである。彼のせりふはおそらくすこし刈り込まれていたと思うが、演じたアレクセイ・ズーエフも小柄で、あまり元気がなく、なぜここまで存在感を薄くしてしまったのかわからない。ホレイショーは、苦悩するハムレットの対極にあり、揺るぎない理性の象徴として、あるいはこの悲劇の唯一の冷静な観察者として芝居全体から見れば重要な役割を与えられていると思われるのだが。

いまひとつは、父の亡霊と出会う場面である。始めは、舞台を挟んで相対峙しているのだが、次第に近づいて、復しゅうを誓わせるころになると、父親の亡霊がハムレットの肩を抱いて、「頼んだぞ」ということになる。これはどうもおかしい。 亡霊は彼岸にあるものである。いかに父親の亡霊でも、現実に生きている息子と抱きあうのは、非合理的である。それだけではない。この接触によってハムレットは、父親が殺された動かぬ証拠〈証言〉を得たのである。ということは、彼岸から投げ掛けられる父親の亡霊の言葉に疑いを差し挟む、つまりそれが真実かどうか悩む必要がなくなったのだ。かくてハムレットに課された使命は父親の「復讐」を遂げる、と言う単純なものになってしまうのである。それで不都合ということもないが、僕には、物語が薄っぺらく見えてしまう。亡霊のすむ世界と現実に生きている場所は画然としてへだたっていなければならない。現実と向き合っているからこそ、ハムレットが悩み、逡巡し、行動するのであり、この芝居のように、父親が現実に出てきて、復讐という動機を与えてしまえば、ハムレットは単に復讐に燃える確信犯ということになってしまう。

正統的な「ハムレット」であったことに僕は、少し安心している。どんなに新しい解釈をしようと、役柄を変えようと演出家の自由だが、評価のしようがない自分勝手な「ハムレット」と付き合わされるのはごめんだと思っているからだ。 その点、モスクワ芸術座の特徴なのかどうかは知らないが、非常に古典的でおおづくりの役者がシェクスピアの「ハムレット」の骨格をきちんと説明してくれたような舞台であった。〈12月5日〉


新国立劇場