題名:

花よりタンゴ

観劇日:

04/8/13

劇場:

紀伊国屋サザンシアター

主催:

こまつ座     

期間:

2004年8月6日 〜22日

作:

井上ひさし

演出:

栗山民也

美術:

石井強司     

照明:

服部基     

衣装:

岸井克巳

音楽・音響:

宇野誠一郎

出演者:

旺なつき  三浦リカ  鈴木ほのか  占部房子  田根楽子  吉村直    朴勝哲  藤巻るも  小林勝也
 

 

「花よりタンゴ」

ショパンの練習曲作品十、第一番ハ長調と言っても何だかわからないかもしれないが聞けばすぐに思い出す名曲である。和音をバラバラに引く右手のアルペジオの稽古をするものらしい。この曲は一オクターブ以上の音階差があるので指を思いきり広げなけれならない。ピアニスト泣かせなのだと、朴勝哲(森川俊夫役)が言っている。この再々演から新たに井上ひさしが加えたもので、自分が学生時代に(演奏を)挫折した曲だと知ってのことか?と冗談をとばしている。おそらくいかにもクラシックらしい曲が欲しくて、自分の大好きなショパンに歌詞をつけたものだろう。朴勝哲は劇の伴奏を専らにする座付ピアニストとも言うべき存在なのだが、この芝居ではめずらしくせりふまでいくつかあり舞台上を駆け回る。こまつ座の芝居を見慣れたものにはちょっとした驚きだったにちがいない。
87年の初演である。再演が97年で僕は久野綾希子、土居祐子らのキャスティングでこれを見た。初演の演出は井上自身がやったらしい。歌を劇の中に取り入れることを本格的に考える、つまり歌が入る必然性を厳密に確立するために書いた最初の戯曲だったというのである。この方式は「ドラマ・ウィズ・ミュージック」と名づけられた。(マンマだ!)ネーミングはともかく音楽劇というには音楽的でなく、ミュージカルというにはあまりに演劇的であり、他に同じような形式で書くものも見当たらないのを見ると、これは井上ひさし独自の世界、独自の境地と言っていい。僕らにはテレビ草創期の頃の音楽バラエティなどの香りがしてなつかしくも楽しい演劇形式なのである。
井上ひさしは、この発明の最初の試みをねじり鉢巻きでやってうまくいったと思ったそうだ。そこでこれを自分で演出した。ところがそれはどうも大失敗だったらしい。演出の才能は別物と悟らされた。以来、栗山民也に頼むまで十年もの間お蔵入りだったのである。
うまく書けたとはいえ、この芝居は出演者のひとりを歌手志望にしたことが歌の入る必然性になっていて、例えば最近の「太鼓たたいて笛吹いて」などに見られるような高度に洗練されたかたちで歌が挿入されるものに比べればこの形式のごく原初的な形態と言える。
昭和二十二年秋。銀座資生堂裏の焼け残ったビルの一階。舞台には「銀座ラッキーダンスホール」の切り文字が貼られている。
月岡男爵家に遺された四姉妹、欄子(旺なつき)藤子(三浦リカ)桃子(鈴木ほのか)梅子(占部房子)がこのダンスホールでどうにか生計を立てている。姉妹と言っても桃子は市川の妾宅に生まれた腹違いで、梅子とは同い年である。この市川というのがいかにもの話で、いまでも真間の辺りには粋な黒塀見越しの松のこじんまりした家が多く、江戸時代から囲いものの住む在所として知られることが背景にある。月岡男爵はこの愛妾と川べりを散歩していてグラマンの機銃掃射に遭い、はかなくなった。それからは長女欄子が一家を取り仕切っている。
このダンスホールに中折れ帽にサングラスのあやしい中年男(小林勝也)が入ってくる。そこいら中の造作を見ながら建物を値踏みしているようだ。百二十万円でビルを買い進駐軍相手の土産物屋をやる魂胆である。「金太郎!」と欄子がうしろから声を掛けると男は電流に撃たれたように硬直する。「欄子さま。」と叫ぶと男は急にへなへなとなった。高山金太郎は昭和十四年まで渋谷区松濤の月岡男爵邸で住み込みの運転手をしていた。欄子に付け文をしたのがばれてクビになったのである。八年目の再会は妙なことになった。しばしなつかしい話に花が咲く。金太郎は、戦中は警防団のリーダーだったが戦後は一転してヤミで儲け、いまや中位のヤミ成り金である。昔の奉公人とは言えビルを買い取り一もうけするのを諦めるわけにいかないと決心する。一方欄子はこれに対抗するため、追放された財閥の大番頭という爺さんに月岡家に残った写楽の役者絵を売りつけようと用意しているところへビルの下から掘り出された焼夷弾の不発弾が燃えて浮世絵は台なしになる。万策尽きて欄子はこの爺さんの妾になる覚悟を決めるのであった・・・。
そうまでして守りたかったダンスホールだが、進駐軍がこれを接収するために裏で動いていることがわかり、結局欄子たちはダンスホールをでていかざるを得ない。いつも国家や権力、大金持ちたちが庶民のささやかな望みを打ち砕くとなげくが、抵抗しようがない。金太郎も全財産を現金に変えたところを昭和義賊団と名のる強盗に襲われすってんてん。一同出直そうと歌い踊って幕が下りる。
この芝居は戦後間もない焼け跡ヤミ市時代の銀座が舞台だが、このころの風俗がふんだんに取り入れられている。脇筋としてヤミたばこ売りの佐々木正子(田根楽子)と戦争で別れ別れになっていた兄で郵便屋の近藤勇蔵(吉村直)が偶然ダンスホールで出会うまでの話がある。これは当時「尋ね人」の張り紙やラジオ放送が盛んに行われていて戦争が家族を引き離す悲劇が多くあったことが背景にある。そして、銀座の花売り娘は歌にも歌われたように戦争孤児などがこれになって花を売り歩いたが、登場する娘(藤巻るも)は空襲で声帯をやられている。他にも街を歩いていて、いまは発ガン物質として使用禁止になっているがあの頃は殺虫剤として万能と思われていたDDTを頭から浴びせられる話(実際長い髪の毛を櫛で梳るとシラミがぱらぱら落ちてきたものだ。)や洋服の寸法を計るふりをして奪ってしまう寸法詐欺、真冬にドラム缶に木をくべてあたらせる商売、ヤミたばこの正体はしけもくだった、当時はしばしば停電したなどなど細かなエピソードを拾い上げて、混乱の時代を生き生きとユーモラスに描き出している。そこによく知られているタンゴやジャズ、スイング、歌謡曲が挿入され全体としてじつに楽しい「ドラマ・ウィズ・ミュージック」に仕立てられているといってよい。
ただ進駐軍の接収によって「銀座ラッキーダンスホール」がなくなるという設定で庶民と国家や権力の対立の構図を示すには少し違和感がある。ダンスホールは所詮借り物だからだ。もっとも銀座がダメなら渋谷があるさと気軽に考えられない魅力が銀座にはあるのかもしれない。
楽しい芝居には違いないが、どこか物足りなさが残って、それは何だろうと考えていた。おそらく作家が歌を取り入れる必然性を厳密に考えようとした、つまりそれにこだわりすぎたこと、そして銀座の風俗を可能なかぎりリアルに取り入れようとしたこと、つまり記録映画のように無批判に扱ったことによってテーマ性が弱くなったのではないかと思った。いや何よりも主題としての「ダンスホール」が一体どんなものだったか、庶民の娯楽としてどんな位置にあったかという肝心のことが抜け落ちてはいないか?「ダンスホール」は専ら建物、不動産として扱われたが、その意味の方がむしろ描かれねばならなかった、欄子たちが守ろうとしたのは生計の基だけだったのか?「ダンスホール」とは身体を張ってまで守るべきものだったのか?それが心に引っ掛かったことの正体かもしれない。
歌はレコード会社のオーディションを受けるという桃子がもっとも多く歌った。鈴木ほのかはミュージカルの経験が豊富な役者である。これが歌謡曲からタンゴ、クラシックまで歌うのだが全体として歌の作りが若い。十八才の設定だから若くて何が悪いと言われそうだが、本人は年齢を表現する余裕などない。みな同じに聞こえた。歌謡曲はその気分で、ジャズやスイングはリズム感を大事に、クラシックは声楽家のようにそれぞれ歌いわけるだけの器量が欲しかった。こんなにうまいのに落選するのはあがり性のせいという話に説得力がいまひとつというわけである。前回はこれを土居祐子がやった。こちらはうま過ぎてリサイタルのようになってしまったけれど。
旺なつきも歌ったが、宝塚調は仕方ないとして、全体としてやや浮いた感じが気になった。脇筋の田根楽子と吉村直の兄妹はさすがに達者で安心してみていられた。秀逸だったのは、藤巻るもの花売り娘である。声が出ないから表現はむずかしいのだが、これがまるで身体にばねが入っているかのようによく動いた。表情も豊で若いがかなりいろいろやれそうな感じである。前回は俳優座の若手四本あやがやった。藤巻は劇団民芸である。この役は老舗劇団の若手女優が引き継ぐのかもしれない。
初演の大山金太郎役はハナ肇だったらしい。何かアナーキーなものを感じるが、その点小林勝也だって引けを取らない。はまり役と言ってもいいくらいキャラクターにあっている。ただどういうわけか前回よりは少しくたびれた感じがした。歳のせいか?
栗山民也の演出は基本的に変化していない。歌を取り入れる手法は井上ひさしが感嘆するように極めてうまい。「ドラマ・ウィズ・ミュージック」の手法が完成した記念すべき作品だが、そのバランスはまだ少し危うい感じがある。
ダンスホールは戦前からあった。男と女が出会う場所として、あるいは社交の装置として意味があった。いまはあとかたもないが、芝居に描かれた戦後間もないころの銀座の風俗を含めて、紛れもない歴史の一ページであった。僕らにはなつかしくもほろ苦い思い出だが、むしろこの日本が経験した時代というものを認識するということでは、若い人にこそ見てもらいたい芝居である。
どうにかして若い観客を集める工夫をすべきではないか?     

 

 

(2004年8月22日)  


 


新国立劇場

Since Jan. 2003

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