<%@LANGUAGE="JAVASCRIPT" CODEPAGE="932"%> 新私の演劇時評
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イリーナ:(静かに泣く)私、分かっていた。分かっていたわ。(チェーホフ「三人姉妹」より)

「異人の唄―アンティゴネ」

新国立劇場中劇場のあの広い舞台一面に砂を敷き詰めた。黒く湿った重い砂である。ところどころ小山のように盛りあがっている。それにしてもダンプカー何十台分もの砂を撒くとは豪勢なものだ。この砂を見るだけでも木戸銭の価値はあったと思うべきか?
中央に三内丸山遺跡で復元されたものにそっくりの四本柱三階建ての櫓、その奥には暗闇の中に形が歪んだ小屋のようなものがいくつか建っている。海岸にある裏寂れた寒村のようだ。
明かりが落ちると、客席から白い衣裳に白い鍔びろの帽子で顔を隠した女がゆっくりと舞台に下りていき、砂の原を横切って奥の暗闇に消えていく。ひとことも発しないところは、近頃亡くなった太田省吾の芝居を思わせる。一体この女は何ものか?
やがてコロスと見立てた黒装束の男たちが登場し、およそコロスらしからぬ激しい動きで舞台奥から走り出たり、大声でわめき散らすという意表をついた振る舞い方をする。これはコロスでありながら村人でもあるという変則的な役割を与えられたものたちなのだろう。井手茂太の振り付けだというが、一貫しておよそ踊りとは縁遠い動きであった。
そして中央の暗闇から若い女が、盲の老人をのせた車椅子を押して現れる。これは自ら目を突いて放浪者になったオイディプス王とその面倒を見ている娘であるアンティゴネだろうと思った。老人は元旅芸人の淀江穴道(すまけい)といい、後ろで押しているのは姪のアン(土居裕子)だという。
アンティゴネは、イオカステとオイディプスのあいだに生まれた子で父娘だが、同時にオイディップスもまたイオカステから生まれたという意味ではこの二人は兄妹でもある。車椅子の人物と押している女の関係が、何故姪と叔父なのかはわからない。何事か仕掛けがあるのかと期待するところだ。アンの着ているものは開幕の時の白い女の衣裳によく似ているが、どうも同じ人物ではなさそうだ。
車椅子が古くてキィキィいっている。演出の鐘下辰男は、自身が戯曲化した大岡昇平の「野火」の舞台(2007年1月俳優座)でこの車椅子を持ち出した。フィリピンの山の中に車椅子などあろうはずもないが、それほど違和感がなかったのはうまい工夫であった。どうもそれで味をしめたのか。
この村は、魚を獲って暮らしている。アンにはメイ(純名りさ)という妹がいて、彼らの亡くなった母親、淀江サトは唄の名手で二人はその血を引いている、サトが唄えば魚は海岸に寄ってきて大漁になったという伝説があるらしい。ところが何故か叔父の淀江穴道は二人に歌を唄ってはならないと戒めていた。
この魚寄せの唄というのは、ディズニー映画にでも出てきそうなイメージではあるが、つまり一瞬ありそうに思うのだが、すぐになんだか変だという気になった。そういう言い伝えや故事など思い当たらないからだ。ニシンが寄ってくるとか鰰が嵐の夜に海岸に押し寄せるとかは実際にあるが、あれは産卵のためだと知られている。鳥寄せのように歌を唄うとか笛を吹くとか言うのはのどかな風景で結構だが、唄で魚を寄せて一網打尽にするというのはかなり生臭い話である。
これは旅芸人、つまり素性の知れない流れ者を共同体に受け入れる条件、彼らを村に定住させるための条件だったと考えればそれなりに理屈は通る。母親亡き後、一家にその能力がないと知られるのは共同体から排除される恐れがあるからだ。しかし、魚寄せにどんな歴史的根拠もなく、鐘下の好きな土俗的な伝承にも思い当たらない、なんだか無理やり作ったような話である。こういうものを聞かされると、どうにも拒絶反応が強くなって、気分が乗らないこと夥しい。
歌がうまいことから、妹のメイは、村からでて歌手になりたいと思っている。反対にアンは盲でボケ老人である叔父の面倒を見ながら一生この村で過ごそうと覚悟している。そこへ、「クレオンレコード」の社員、水上辰(小林十市)と名乗るものが現れ、メイをスカウトするという。メイはもちろん期待に胸を膨らませている。やがて、水上の父親でありレコード会社の社長水上正吾(木場勝巳)がやって来る。この男と淀江穴道とは旧知の間柄らしいが事情は誰も知らない。水上辰はメイと話しているうちにいつの間にか恋心を抱くようになっていた。社長の水上の奇妙な態度に村にもアンやメイたちにも緊張感が走る。
ここから先は、村人を巻き込んで、ごたごたあるが正直のところ頭の整理がつかなかったので物語を説明することに自信がない。途中で、一瞬「あれっ、クレオンレコードの社長、水上正吾の方がオイディップス王だったのか?いや、そんなはずはないな」などと思ったこともあり、なにがどうなっているのか分からなくなってしまった。馬鹿馬鹿しさに頭が休んでいたのかもしれない。
結局のところ、メイはこの水上正吾と母親サトとの間に生まれた子で、水上辰とは腹違いの姉弟であったことが明らかになる。恋心が芽生えた男女が実は血を分けた姉弟であった。一方アンの方は、母親サトの子であることは確かであるが、サトの兄である車椅子の老人淀江穴道との間に生まれた子であった。淀江穴道は実際、叔父であり同時に父親であるという衝撃の事実が明らかになったのだ。アンはこれに絶望して目を突き、死のうとする。
しかし、これではオイディップス王はどこにもいないことになる。ギリシャ悲劇でもっとも有名なこの存在については、放浪の果てに娘とともに過ごした晩年を扱った劇(「コロノスのオイディプス」ソフォクレス)があるのだから、淀江穴道と娘がいたらオイディップスとアンティゴネに違いないと思うだろう。実際僕もそう思ったが、これは実に簡単に裏切られた。目を突いて死ぬなど、アンこそオイディプスであったのか?そんなはずはない。では、淀江穴道とは何ものかといえば、母親サト=イオカステ(オイディプスの妻であり実は母親)の兄妹というのだから、それはクレオンということになる。クレオンレコードの水上社長はクレオンではなかったわけだ。しかも、水上辰がクレオンの息子ハイモンだとすれば、この男はアンティゴネの婚約者である。ところが、水上辰は妹メイ(=イスメネ)と恋仲になり、それが実は兄妹であったというややこしい結論になるのである。
そうなったところで、この劇がいい加減だということにはならない。ギリシャ悲劇から物語の一部を参照しただけだという言い訳がいつでも成立するからだ。本歌取りというよりはぐちゃぐちゃに解体して手当たり次第に無理やりくっつけたという話である。それでも現代によみがえった悲劇として成立するならそれはそれで一つの劇に違いはない。
しかしなぜ、彼らがこのような運命に見舞われたのか、休んでいた僕の頭ではよく分からなかった。物語の背景を成している寂れた漁村や、唄寄せの伝説や蛭子についての土俗信仰など用意された話が一体どのように関係しているのか。最後に明らかにされる近親相姦という驚愕の事実を隠していた「お話」としては実に薄っぺらいものであった。
この劇は、オイディップス王の娘アンティゴネを中心にすえた物語であることは始めから分かっている。だからどんな本歌取りをしたのか観客の第一の興味はそこにある。その上で、どのように物語を現代によみがえらせるのかということに関心が集まるはずである。ならば、もともとの話はどういうものであったか。
ソフォクレスの「コロノスのオイディプス」と「アンティゴネ」を「大胆に」ドッキングしたとパンフレットにあるが、その「大胆さ」の正体は上に述べた通りである。前者は各地を放浪してきたオイディプス王とアンティゴネ、イスメネの二人の娘がアテネ近郊のコロノスの森にやってきて、そこで父王の最後の日々をともに過ごすという話である。一方「アンティゴネ」は、その後の話である。オイディプス亡き後のテーバイの支配を巡って二人の兄弟があい争いともに討ち死にをしてしまう。新しくテーバイ王となったクレオンは、城の外にある兄弟のひとりポリュケイネスの亡骸を葬ってはならないという触れを出してきつく戒める。アンティゴネは身内の亡骸を放置しておくわけにはいかないとしてイスメネに相談するが、法は法といって断られる。そこでひとり城外にでて、弔いしたところを捉えられ、死刑を宣告される。
この話は、ヘーゲルがクレオンを国家の法、アンティゴネの立場を家族の情愛と解釈してその対立について議論していることでも知られるところである。アンティゴネは、家族の情愛は禁令にも勝ると考えて、死罪を覚悟で身内の弔いをした。クレオンは一旦出した布告は国家の法であり、何人も犯してはならぬといってアンティゴネを投獄する。しかし、すぐにクレオンは翻意して死罪を取り消そうとするが、アンティゴネは既に獄中で自死していたという悲劇である。
「アンティゴネ」の本質部分を形成しているのは、まさにヘーゲルが目をつけた法と人間の対立、そこに悲劇が生まれるという点であろう。しかし、鐘下辰男はこれを翻案する時にそういう観念的な言わば弁証法のダイナミズムには目もくれなかった。もっぱらギリシャ悲劇の中心には神がいる、というところに注目したらしい。
ギリシャの神々は日本の八百万の神に似ているという言い方もあるが、それにしても現代の日本において「神」はそれほどリアリティを持ちえない。そこで、「神」を「信仰」と言う言葉に置き換えて見たら現代日本でも成立する物語が出来そうだと考えたらしい。(パンフレット「日本の土俗とギリシャ悲劇」岡野宏文、鐘下辰男、鵜山仁の鼎談)さらに、日本の信仰といっても教義に基づいた信心というものではなく、土俗信仰のようなものが現代にも息づいていて、それならギリシャ悲劇の本歌取りとしてふさわしい舞台になりそうだというのである。
そうして、岸に流れ着いた水死体を崇める土俗信仰「蛭子様」の由来を説いた後で鐘下はこう発言する。「この『信仰』にたいする日本人の感覚と、ギリシャ悲劇における『神』に対する感覚、これをうまい具合にリンクさせると何とかなるかな」この芝居のキーになっている「蛭子様信仰」とか「巫女」とか土俗的な信仰というか迷信というか、現代的な言葉では「世論」と言うか、そういうものに支配されている現代社会を舞台にした物語にしたというのである。
そうすると、彼はギリシャ劇においては「神」を、何か信仰の対象であるかのように考えていることになる。ひょっとしたらギリシャ神話とギリシャ悲劇を同じものとして捉えているのか?しかし、少なくともこの劇で参照した「アンティゴネ」にしても「オイディプス」にしても、人間界から超然とした存在はひとりも出てこない。皆生身の人間ばかりである。鐘下が「発見」したギリシャ劇における「神」と日本の土俗的信仰との関係はそもそも始めから何かの勘違い、お門違いだったのである。
というよりも、はっきり言えば、この「土俗的」といっているおどろおどろしい世界は鐘下辰男がもっとも得意とする場所であり、あえていえば「共同体とその中の差別=異人」という鐘下好みの物語の中にあとからギリシャ悲劇の「近親相姦」それも断片を無理やりとり込んで、劇的感興を盛り上げたにすぎないのである。
このシリーズは、まず芸術監督鵜山仁が演出家を決め、演出家に作家を選ぶ自由が与えられる方式がとられた。しんがりの鐘下辰男は、今の劇作家は身の回りの出来事を書くことは出来てもギリシャ悲劇のようなスケールで書けるものはいないといって、漫画家の土田世紀に依頼した。土田は、戯曲は初めてだったがこれを快諾、二三ヶ月で書き上げたそうだ。出てきたものは、北海道の寒村が舞台で、アンとメイの姉妹にはこまどり姉妹のイメージが与えられ、クレオンレコードの社長は津軽海峡を青函連絡船で渡ってくるという演歌の世界が横溢する物語になっていたらしい。これに鐘下が具体的な地名が出てくるのは具合が悪いなどといって、筆を入れてでき上がったのがこの芝居で、もともとは漫画的発想が下にある。漫画といってバカにするわけではないが、本歌取りどころかなんとも遠くまで飛躍してしまったものだ。土田の故郷は秋田、鐘下は北海道と暗く重たい雪が舞う閉ざされた北国の世界、といえば言い過ぎかも知れないが、そういう側面が呼応しあって重苦しくどろどろした共犯関係ができ上がったのかも知れない。漫画でなければ理性が邪魔をしてこうはいかなかっただろう。
こうして、「三つの悲劇―ギリシャから」シリーズは終った。始めから最後まで客の入りが悪くて、劇の内容にも批判が多かった。鵜山仁芸術監督最初の仕事にしては不本意であっただろう。
しかし、今どきギリシャ悲劇などどうする気だと思ったのは僕だけではなかったはずだ。案の定、最初の「アルゴス坂・・・」では川村毅がコケにした。次の「たとえば・・・」は、はからずも実に健康的な喜劇になってしまった。そして最後は、何といえばいいのか、錯乱状態に終ってしまった。
では、そうはいってもこの狙いは始めから間違っていたのだろうか?
もう一度思い出すと、鵜山がこの企画を掲げた第一の理由は、いまある物語の原形はだいたいギリシャ劇にあって、それが時代と呼応しあってその時代なりの劇ができ上がっているのではないか、ならば現代とギリシャ劇がぶつかり合って何が出来上がるかという興味であった。さらに言えばギリシャ悲劇のような激情が衝突する状況を現代の人々はあまり経験することがない。ならばそのような劇に関心が生まれるのではないかという思いであった。それらの考えを総合してギリシャ悲劇を「大きな物語」と定義しようとしたのである。
「大きな物語」と言う述語を使ったのはおそらくそれが流行の言葉であったことが作用したのであろう。そのことは別の劇評に書いたが、ポストモダンの時代状況を表わすのに、「大きな物語」が消滅した時代というのがこの言葉の一般的な使い方であった。したがってここで、鵜山が言おうとした「大きな物語」とは意味が違っている。フランスの構造主義の中から生まれた「大きな物語」の消滅という指摘は端的に言えば、イデオロギーの時代の終焉を表わしている。それは鵜山も知っているようだが、にもかかわらず鵜山にとってギリシャ悲劇は依然として目の前に屹立している「大きな物語」らしいのである。
「アルゴス坂・・・」を見て以来、鵜山が本当のところどんな動機でギリシャ悲劇と取り組もうと思ったのか、それが何故惨敗に終ってしまうのかを考え続けてきた。そして、この「異人の唄」を見終わって、僕の中に一つの仮説が生まれた。それが正しいかどうかはわからないが鵜山のためにもここに書いておくのは悪いことではなさそうだ。
「大きな物語」の終焉の後、物語はたがが外れたように、枠組みも方向性もないただの「お話し」になってしまった。要するに強固な思想性もなければ、教訓があるわけでも社会に働きかけるでもない。シュミレーションゲームあるいはロールプレーイングゲームのように、あらかじめ決められたプロットにいくつかある選択肢から条件を入れて全体を構成することが普通に行われるようになる。物語は、代替可能な要素の組み合わせでいく通りも出来るようになった。そうした状況の最終出口は、携帯小説の流行である。僕らの世代から見れば、そんな無機的な小説のどこが面白いかとなるが、どのように生産されたかはもはや問題ではない。消費するに足るだけの心の高揚があれば物語としての価値はあると判断され、百万のオーダーで買われていくのである。
「大きな物語」に対して「小さな物語」とは、そうしてでき上がっていくお話し、説話である。鐘下が、現代の劇作家は、「小さな物語」すなわち身の回りの出来事にとらわれているといったのはおそらく正しい指摘である。「大きな物語」の終焉とはまさしくそういうことだからだ。イデオロギーも近代的自我ものどに多少引っかかっているが、それはもはや『過剰』なものなのである。説話としての面白さ、それがあれば取りあえずは間に合うのだ。
おそらく鵜山仁は、こうした時代の空気を感じていたであろう。前任者の栗山民也はまだ拘泥していたが、もはやイデオロギーでも正義感でも戦争反対でもない。説話としての面白さで携帯小説に対抗するしかないのではないか。話の面白さで言えば、すべての劇の原点にあるギリシャ悲劇に勝るものはあるまい。親殺し、母子相姦、片思いの連鎖・・・。そうして考えれば、歌舞伎にだって同じような話はある。ギリシャ悲劇と有り難がっても、洋の東西を問わず、古典とはそういうものなのだ。古典とは、いつそこに帰っても何かしら答えを出してくれるから古典なのである。
もしそう考えたとしたら、何のけれん味もなく、真っ向からギリシャ悲劇にとり組むべきであった。オイディップス王の物語などはなにも面倒な理屈をこねなくても、それだけで面白い話である。中劇場をアテネかどこかの野外劇場に見立てて、正々堂々ギリシャ悲劇を見せてくれればよかったのだ。

川村毅は、何故今ごろギリシャ悲劇なんだといいながら、一方で「やるなら、そのままやるしかないではないか」と言う発言をしている。鵜山仁は、今こそギリシャ悲劇だと感じた。それは正しかった。そうして、現代という時代に移し替えて見せる、言わばこの時代と戦わせて見ようと思ったのだ。しかしそれは、始めから無謀なことだった。戦わねばならない理由が何一つなかったからだ。

 

題名:

異人の唄

観劇日:

07/11/16

劇場:

新国立劇場

主催:

新国立劇場

期間:

2007年11月14日〜12月2日

作:

土田世紀

演出:

鐘下辰男

美術:

島次郎 

照明:

中川隆一

衣装:

小峰リリー

音楽・音響:

久米大作 音響:井上正弘

出演者:

土居裕子 純名りさ 木場勝巳 小林十市 すまけい 石本興司平松ゆたか 山崎秀樹   若松力安倍健太郎 酒井和哉   野口俊丞 前田一世

 

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