題名:

INTO THE WOODS        

観劇日:

04/6/18       

劇場:

新国立劇場   

主催:

新国立劇場    

期間:

2004年6月9日〜26日

作:

詞・曲スティーブン・ソンドハイム 台本ジェイムス・ラパイン

翻訳:

橋本邦彦      

演出:

宮本亜門          

美術:

礒沼陽子         

照明:

中川隆一            

衣装:

朝月真次郎            

音楽:

大坪正仁 
出演者:
諏訪マリー 小堺一機  高畑淳子 藤田弓子 シルビア・グラブ  藤本隆宏  SAYAKA   上山竜司 吉岡小鼓音 広田勇二 荒井洸子 鈴木慎平 大森博史 藤田淑子  山崎ちか  二瓶鮫一 仁科有理  山田麻由  飯野愛 




「INTO THE WOOD」」
 

 舞台には三つの家が並んでいる。左にシンデレラ(シルビア・グラブ)の家、中がパン屋の夫婦(小堺一機・高畑敦子)の店で隣が「ジャックと豆の木」のジャック(上山竜司)の家である。
シンデレラは宮殿の舞踏会に行きたいと思っている。パン屋は子どもが欲しい、貧乏なジャックは金持ちになって楽になりたい。おなじみのグリム童話のなかの話である。
これらのそれぞれは何の関係もない物語をソンドハイムは「魔女」(諏訪マリー)を存在させることによって巧妙に結びつけた。
パン屋に隣の魔女がやってきて、子どもは出来ないという。パン屋の親が自分の畑を荒らしたので、当時生まれた子どもをさらったうえに永遠に子どもが出来ないように呪いをかけたのだ。呪いを解くには、三日以内に、ミルクのように白い牛、赤い頭巾、トウモロコシのような黄色の髪、黄金の靴が必要だというのである。パン屋は森の中にそれらを探しに出かける。
三つの家が取り払われた舞台は、大木が並び茂みがあちこちにある深い森となる。
パン屋は森の中でお婆さんの家に向かう「赤頭巾ちゃん」(SAYAKA)に出会う。また牛を売りにいくジャックに会ってうまく豆と交換することができた。もちろんジャックは母親(藤田弓子)に叱られて豆は庭に棄てられる。一方王子(藤本隆宏)にみそめられたシンデレラは継母(藤田淑子)にとがめられることを恐れて森に隠れようとしてパン屋に見つかる。白い牛は手に入り、赤い頭巾、黄金の靴は首尾よくありかがわかった。パン屋の妻が森のなかで石造りの塔を見つける。出入り口のない塔の上には美しいラプンツェル(吉岡小鼓音)がいて、恋する王子(広田勇二)は彼女の長い黄色い髪を伝って塔に登る。それを見とがめた魔女がかわいい娘に手出しをするなと魔法をかけると王子はイバラの上に落ちて両目が見えなくなる。このラプンツェルこそ魔女がパン屋の親から奪った娘だったのだ。どさくさに紛れてパン屋の女房がラプンツェルの黄色い髪を切り取って持ち帰る。
赤頭巾ちゃんは、狼の腹を割いてお婆さんを助け、ジャックは豆の木を登って金の卵を産むガチョウやお宝を持ち帰り、追いかけてきた巨人を木を切り倒して落としてしまう。
パン屋の夫婦が、手に入れた頭巾と髪と靴を白い牛の口に入れると、呪いが解けて魔女が若返り、魔力も消える。第一幕のフィナーレはそれぞれの物語がよく知られたハッピーエンドを歌い上げる。
米国ではほんとかどうか児童に見せるときはここでおしまいにすることがあるらしい。大人でも何も知らなかったら第二幕はどうする気だと思うだろう。
ところがソンドハイムという男はかなり変わっていて、その後日談を用意していた。いい加減な歳になると、童話のめでたしめでたしには「そんなにうまくいくかい?」と皮肉のひとつも言いたくなるものだが、まさか本気であとに続くミゼラブルな物語をこしらえてしまうとは一種の変人だといっていいだろう。
子どもを授かったパン屋は、子育てよりも自分の人生が気になる。
シンデレラと結婚した王子とラプンツェルとの間に双子が生まれた王子は結婚生活に満たされないものを感じ、眠れる森の美女と白雪姫のうわさを聞いて森の中にやって来る。なるほどそういう発想はゴージャスでなかなか楽しい。パン屋の女房と出会ったシンデレラの王子はこれを誘惑し、その場限りといって女房も受け入れ関係する。これでは子どもに説明がつかない。ディズニーにも向ける顔がない。しかし、生きていればこう言うことにも遭遇するといわれれば、大概の大人はソンドハイムを批難しないだろう。
第二幕の開幕から地震があって不吉な予感がしていたが、木から落ちて死んだ巨人の妻君というのが天から降りてきて、ジャックを探している。歩くたびに大音響と大地震である。家々は踏みつぶされ、人々は逃げ惑う。ジャックは、巨人が死んでおしまいと思っていたからこの事態には対応できない。まさかあだ討ちを狙われるとは。童話に巨人は独身又は天涯孤独とは書いていなかった。魔女はこの事態を招いたのは自分の責任だが、どうすることも出来ないといって死をもってこれを償う。パン屋の女房は逃げてるうちに踏みつぶされて命を落とす。ジャックの母親は、巨人の細君に散々悪態をついて追い払おうとするが、挑発していると誤解した執事(大森博)の矛で殴られこれもなくなってしまう。王子もロイヤルファミリーも当てにならないと知って、パン屋、ジャック赤頭巾ちゃん、シンデレラたちは巨人の妻君を倒そうと知恵を絞る。
四人は最後に「誰もひとりじゃない」(No one is alone.)と、歌い上げて、別々の物語の主人公が助け合ったことを称える。(別の解釈もあるだろうが。)めでたしめでたし、である。
とにかく三時間は長い。腰が痛くなった。それはお前のせいで、芝居が悪いわけではなかろうというかもしれないが、つまりはくどいという意味である。第一幕は狂言回しの魔女に仕掛けがあって楽しめる。しかし個別の物語の描き方は極限まで省略しても何の問題もなかった。ひつっこい!第二幕は、もっとテンポよく展開するかと思っていたが、二人の王子が「苦悩」(AGONY)というナンバーを歌ったあと、巨人の細君がシルエットで出てきてから退治されるまでがもたついた。もっとすっきりとスマートに主題を見せて終わって欲しかった。
これはもともとの本に問題があったのでどうしようもなかっただろう。
宮本亜門はよくやったと思う。この冗長なミュージカルを童話の世界らしく色彩豊かにとにかく楽しく、分かりやすく描こうとしている意図ははっきりと読み取れた。好意的に見れば、楽しいミュージカルを見たといってすましていいと思う。
ただ、日本でミュージカルをやるときの基本的な問題については指摘しておいてもいいだろう。
「太平洋序曲」の時も感じたが、ソンドハイムの曲は日本語の歌詞が極めてのせにくい。うまくいった曲がないわけではないが、それにしても記憶に残っているものはほとんどない。この舞台も曲想自体が日本語を拒否しているようなところがあって、翻訳ミュージカルの限界を感じさせる。こんなアクセント、イントネーションの日本語などあるものかと腹が立つことすらある。翻訳の橋本邦彦に文句を言うわけでないが、もっと時間をかけて意訳でもいいから曲と詞の一体感を出せないものかと思う。誰かが書いていたが、ソンドハイムにはヒット曲がないらしい。メロディラインがむずかしいのであろう。米国人でありながら日本の幕末に取材してかなりマニアックな(米国人に興味があるとは思えない)歴史ミュージカルを書くのだから、もともと通俗からは超然としている。ストーリーははっきりしているからいいが、音楽的にはもっとも日本人が共感しにくい位置にある作家ではないか?
ところで、この舞台は02年に再演(87年初演)してトニー賞(リバイバル賞と照明デザイン賞)をとっている。人気があったのは魔女をヴァネッサ・ウイリアムスがやったせいかと思うが(批評の大半は彼女のもの)、その時のステージデザイン見た。(写真)
磯沼陽子が中劇場の設備を駆使して三つの家を天井に釣り上げ、立ち並んだ大木をダイナミックに動かして創りだした森のイメージは、中川隆一の照明と相俟って物語の背景をくっきりと立体的に示すことが出来た。これならNYの舞台に勝っていると僕は思う。ソンドハイムが見たらこれでまたやりたくなるかもしれない。
宮本亜門について一言だけ触れておきたい。確か88年だったと思うが築地本願寺のブッディストホールで「アイ・ガット・マーマン」の初演を見た。その構成、テンポ、センスのよさに驚いた。翌年博品館の再演を見てようやくブロードウェイミュージカルがわかる演出家が出てきたと確信した。ミュージカル輸入元の浅利慶太は紹介者としての功績があったと認めるが、日本のミュージカルシーンが本格的に始まるのはこの「アイ・ガット・マーマン」からだと僕は思っている。(この点友人の評論家御木平輔の意見も聞いてみたい。)その後いくつか亜門の舞台を見ているが、都会っ子らしいセンスのよさとエンターティメントに徹するやり方にはいつも好感をもって見ていた。ただひとつの不満を言えば、この舞台もそうだが、もっとも描きたいものを鋭利な刃物で切り取って見せるような迫力と鋭さが足りない。人柄の良さが邪魔しているのだろう。
キャスティングも亜門がやったと思われる。
話題のタレントとベテランを組みあわせて、興行的な成功をも視野に入れた配置にしてある。ナレーターの鈴木慎平起用には大賛成である。これほどうまくで安定感のある俳優はなかなかいない。SAYAKAは「赤頭巾ちゃん」を無難に演じることが出来た。度胸のよさは評価出来るがこれからが問題だ。何しろ母親にはありあまる華というものがない。ジャックの上山竜司はオーディション番組から出てきた。いい意味の野心が顔に表れている。芝居もごく自然で好感が持てた。これは収穫であった。また、シンデレラのシルビア・グラブを舞台で見るのは初めてだった。すでに日本のミュージカルに欠かせない存在になっていると知った。ミュージカルはアンサンブルのよさが肝心だが、この点ではしっかりと稽古を積んだと見えてうまくいっていたと思う。
それにしても長かった。
そう感じたのはよく知っているグリム童話だったというのもあったかもしれない。しかも、一端はハッピーエンドで幕が閉じるのである。そのあとソンドハイムが用意した後日譚は極めて現実的で不幸な話だった。徒労感もひとしおである。それでも私たちはひとりじゃない=No one is alone.と歌い、一同未来に一条の光明を見いだして幕が閉じるのだが、僕は少し釈然としないものを感じた。
  そこで、ソンドハイムには「AFTER "INTO THE WOODS"=その後の・・・」とでも題して書いてもらいたいと思っている。その冒頭はこうして始まるはずである。
パン屋、シンデレラ、赤頭巾ちゃん、ジャックがそれぞれの道で幸福に暮らしていたところ、ある日大きな地震があったと思ったら天から大音響で「俺の母ちゃんを殺したやつはどこにいる!」という声。巨人の息子が現れたのだ。
        

                 (6/23/04)












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