題名:

火山灰地第二部

観劇日:

05/3/27

劇場:

東京芸術劇場

主催:

劇団民芸    

期間:

2005年3月20日〜29日

作:

久保 栄

演出:

内山 鶉

美術:

高田一郎    

照明:

秤屋和久   

衣装:

緒方規矩子

音楽・音響:

林 光・岩田直行

出演者:

大滝秀治 梅野泰靖 樫山文枝神 敏将・今泉 悠  花村さやか 稲垣隆史・小杉勇二 里居正美鈴木 智  伊藤孝雄 山本哲也西川 明  水谷貞雄 奈良岡朋子 日色ともゑ 岩下 浩 南風洋子 仙北谷和子 ・内藤安彦 千葉茂則 他民芸総出演   


                              

「火山灰地」第二部

舞台の上に何十人も俳優がうごめいているのを見るのは豪勢で気分のいいものだ。暗転の後、明りが入ると忽然と舞台一杯に数えきれないほどの群衆が立っている。そういう場面に何度か鳥肌の立つ思いをしたものだ。新国立劇場こけら落としからまもなく、久保栄も演出をしたことのある「夜明け前」(97年12月)が上演された。鈴木慎平の番頭の舌を巻くほどのうまさは、いまでも記憶に残っているが、あの時の婚礼の場面も忘れられない。提灯の明かりがゆれる中一体何人が踊っているのか、いつ果てるともない夢のような饗宴が続いた。
この「火山灰地」もまた総勢87人という空前の数の出演者である。二部七幕の長大なもので二回に分けて公演するとは気付かなかった。まだ間に合うだろうなどと思っていたら一部は既に終わっていた。だから今回は二部第五幕から見たというわけである。
東京芸術劇場の中劇場は広い。広い劇場が白が頭で埋まっていた。民芸の芝居はしばらく観ていなかったが、これには驚いた。民衆芸術運動も年をとったものだ。
第二部、五幕、ナレーターの大滝秀治が現れ、しばし朗読が続く。この幕前の朗読は「夜明け前」の「木曽路は全て山の中である。・・・」という冒頭のナレーションを意識したものだろうと高井有一が書いている。情景を説明するものだがこれは明らかに詩として書かれたものだ。長い芝居の句読点になっている。木下順二の「子午線の祀り」にも朗読があって美しい言葉で綴られているが、あれは半分の長さに削るべきだ。
明りが入ると、製麻会社の製線所で、収穫され持ち込まれた亜麻の品質検査をしている所である。この麻布の材料になる植物はいまでは全く見られなくなった。外国から調達したほうがはるかに安いのであろう。それでもこの農産物には出来不出来があると見えて等級がつけられ当然価格の違いが出てくるらしい。会社の肥料を使ったものと農産実験場の雨宮聡(梅野泰靖)が提案した配合飼料を用いたものに果たして差があったのか、そこまでのいきさつはわからないが後者に等級外のものがでていたことは確かだ。
第一部を見ていないので物語についてあまり自信のあることは書けない。第二部を見て想像するのだが、この複層的な話は数本の筋によって撚り合わされているようだ。
まず、雨宮聡と妻照子(樫山文枝)の父滝本博士の学説を巡る対立。次に、息子徹(神敏将)がレイプしたという女中しの(中地美佐子)、しのが思いを寄せていた若い炭焼きの泉治郎(斉藤尊史)=第二部では既に旭川に入営していないが、しのは妊娠している。という若者たち。そして、メッケ親父と呼ばれる不在地主の妾で金貸しの駒井ツタ(奈良岡朋子)と小作農たち。他に農民や工場の労働者などの脇筋がある。
昭和十三年の初演というから、蒋介石との戦争が抜き差しならなくって、いよいよ軍部が政治に介入するようになっていた時期である。特に新劇は左翼的なテーマが多く、客席に監視員のためのボックスを設け問題視される場面では容赦なく上演を中止させるということがあったらしい。
この劇では労働運動も農民運動も直接には出てこない。工場で働くものの日常的な不満や小作農の苦労は描かれていてもそれが検閲にかかることは巧妙に避けられている。とはいえ、この劇を観ると、そのようなイデオロギーを超えた世界観が久保栄にあってこの物語を書かせたような気がする。出身地である北海道のどこかに火山灰で蔽われた不毛の土地があって、その大地を暮らしの根拠とせざるを得ない自らもそうであった入植者或いはその子孫の生活、彼らの未来を描くというスケールの大きな構想があったのではないか。この劇の冒頭の有名な朗読が大地=人間と自然へのこだわりを表しているように思える。
「先住民族の言語を翻訳すると、「河の分かれたところ」を意味するこの街は、日本第六位の大河とその支流とが、真っ二つに裂けた燕の尾のやうに、市の一方の先端で合流する、鋭角的な懐に抱きかかえられてゐる・・・」
久保は「科学理論と詩的形象の統一」といっているらしいが、人間を見る確かな視点、巧みなストーリー展開と群像をまとめ上げる骨太の構成は、いわゆるリアリズム演劇の枠組みを超えた面白さだとあらためて感心した。
と同時にこの戯曲は、あちこちで目にする久保栄その人の頑固で、執拗で繊細、しかも正義漢という性格をよく表している様な気がする。雨宮聡農産実験場場長という人物像にそれが投影されていたのではないかと思った。
築地での初演は大評判だったらしく、雨宮役の滝沢修の名声も上がったようだ。
それからまもなく、昭和十五年八月、突然劇団の即刻解散が強要されるとともに、劇団員・後援会員を検挙するという新劇に対する大規模な弾圧がおこなわれた。
(検挙されたのは、東京では、新協劇団関係の村山知義・久保栄・滝沢修ら二六名、新築地劇団関係の八田元夫・千田是也・岡倉士朗ら一四名、大阪で新協劇団関西後援会の四名、新築地劇団大阪後援会の四名、大阪協同劇団の馬渕薫ら二名、広島で新協劇団広島後援会の九名、静岡で新協・新築地両劇団後援会の八名、島根で山陰新協後援会の一〇名、京都で新協、新築地両劇団後援会関係の三名、総計八○名であった。)
この検挙も衝撃だったが、拘置期間も意外に長かった。昭和十六年十二月、一年四ヶ月もたって、滝沢修はまだ獄につながれていた。取り調べの予審判事が「開戦の詔勅が下り、これからは文民政府も終わる。したがって君たちの命の保証も出来なくる。」と告げた。
ショックを受けて拘置所へ帰ってきた滝沢修の話を長男荘一氏が書いている。「火山灰地」に縁があるから引用しよう。
拘置所の各監房につながる広間のようなところで、編み笠をかぶって並んでいる人の中に久保栄らしい体つきを発見して滝沢修は驚いた。
「判事に「生命の保証は出来ない」と言われて戻っできたばかりの修の頭に、[もし久保さんだったら、これが今生の別れかもしれない]との思いが浮かんだ。看守から自分の番号が呼ばれた瞬間、修はツーと前へ出て行った。看守の前に立つと、兵隊仕込みの直立不動の姿勢をとり、「ハイツ!」と返事をした。看守は[いい態度だ]と思ったのだろう。ニコッとして、下を向いた。その瞬間、修は久保栄とおぼしい人のところへ突進して、編み笠の下から顔をのぞきこみながら「雨宮さん!」と叫んだ。看守を前にして、「久保さん」と本名を呼ぶわけにはいかない。そこで、とっさに思い浮かんだ、久保栄が書き、修が主役を演じた芝居「火山灰地」の雨宮聡・場長の名前を使ったのである。瞬間、久保栄は大きな目玉で、しっかりと修を見た。アゴの筋肉がブルブルッと震えている。[やっぱり久保さんだ。死ぬ前にひと目、会えた]と思った時、「この!野郎!」と看守から猛烈なピンタを受けて、修はひっくり返った。殴られようが、ひっくり返ろうが、構わない。久保さんも私がわかった。これで、お別れが出来た。修は満足だった。独房の場所が違うので、修とは反対側に去って行く久保栄を修はずっと見ていた。久保栄も何度も修を見た。反対側にある大きな鉄の扉がギーッと開いて、久保栄が入ると、扉はガチャーンと閉まった。」(「滝沢修と激動昭和」滝沢荘一、新風舎文庫)
「火山灰地」は戦後昭和三十六年〜三十七年に滝沢修の雨宮聡役で再演されている。その時久保栄は既にこの世の人ではなかった。六十年安保闘争の後で、この芝居がどう受け止められたかはわからない。それから四十年以上たった今、これを見ることの意味を自分に問うて見た。「古色蒼然たる」ものが目の前に現れるのではないかという心配も正直のところあった。しかし、見てよかったと思った。
ディテールにわたって様々の不満を目にしたが、それらが問題にならないほど物語の展開が力強い。亜麻を植えて加工するという現代では見られなくなった物語の背景も特殊なことには見えない。こう言う時代になっても雨宮の仕事に対する情熱には共感できるし、した積みのものの苦労や、借金苦にあえぐもの、人情のカケラもない金貸しなどを見ていると人間なんて大した進歩をしてないものだと感ずることが多い。
最後に農民が、レイプされたしのに子どもが産まれたと雨宮の家に知らせに来る。「泉の治郎さにそっくりでねいすか。」
人々がてっきり雨宮の息子、徹の子だろうと思っていたものが、実はしのは好きな男の子を宿していたのだと観客が得心したところで幕が下りる。なるほど「科学理論と詩的形象の統一」か。観客の心を捉える心憎い配慮である。しかし、これとても少しつくり過ぎではないかという批判もあったようだ。
さはさりながら、ここは素直に受け止めるべきだろうと僕は思う。あの時代に比べてわれわれがその程度にまですれっからしになったということにすぎぬ。
久保栄が生きていたらどんなことをいってもらいたいか?という質問に演出の内山鶉が応えている。「うん、現代劇になっているよ。といってくれたら嬉しいな。」
僕の上のような感想は内山がたてた演出プランがうまくいった結果なのかもしれない。内山は、この芝居をいまやることの意味を十分考え抜いてつくったのだ。もはや古典といっていいだろう。古典とは格闘するものであり、その痕跡を舞台の上に残してはいけないという定石を内山がさらりと言ってのけたのだと解釈したい。
大勢いる俳優の中でYがめずらしく奈良岡朋子を名指して褒めた。金貸しの婆さんという役柄のせいもあったかもしれないが確かにあのうまさ、存在感は際立っていた。この女優はむしろ憎まれ役や汚れ役にまわったときが本領を発揮するような気がしていた。この芝居もそうだったが憎々し気な振る舞いや鬼気迫る表情にとてもリアリティがある女優だ。いま思い出したから書いておこうと思うが、戦時中奈良岡朋子が疎開した弘前の高等女学校で同級だった人の子息の家庭教師をしたことがあった。都会的で洗練されたおしゃれなお嬢さんでいつもみんなの中心にいた。そしてとてもおしゃべりだった。とその人は語っていた。すると彼女は何才か?いや、やめよう年を数えるのは・・・
こんなにいい芝居を若い人たちにも見てもらいたいが、ロビーで見るのは民衆芸術運動に同調してきた年齢の方達ばかりでわれわれがむしろ若いほうというのは気掛かりである。
僕が心配してもしようがないが、劇団民芸には若い世代を劇場に呼ぶことも少しは考えてもらいたいと思う。


 (4/15/05)

                                                                                       

 


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