<%@LANGUAGE="JAVASCRIPT" CODEPAGE="932"%> 新私の演劇時評
タイトル日にち掲示板トップ

「近代能楽集『綾の鼓』『弱法師』」

三島由紀夫の戯曲を二人の若手、前田司郎(「綾の鼓」)と深津篤史(「弱法師」)が演出する。

『近代能楽集』は、あちこちで上演されていることを目にしていたが、見るのは初めてである。最初に率直な感想を書いておこうと思う。
『綾の鼓』を見ながら、こんなことをしたら能=謡曲は台無しではないか、と思った。なんのために六百年も前に完成している物語を引っ張り出してこのような改ざんを加えなければならないのか。
三島由紀夫が古典としての能にくっつけた「近代」とはまさに三島が感じていた「近代」というものである。この「近代」はいかにも西欧流の文体と価値観を持っている。その文体はいわゆる翻訳調で「サド侯爵夫人」などの外国を舞台にした物語にはふさわしいが、現代日本の出来事として語るには(後で例を示すが)言葉が異様に「もたもた」している。
また、その価値観は西欧社会がまさしく近代になって獲得した「ロマンティック・ラブ」を至上のものとして掲げているように見える。近代というものが、抽象的で曖昧で不確かなものにたいして、具体的で誰にも分かりやすい明晰性を、あるいは主体の確実性を要求したのであるから、男と女の関係も厳しく対峙していることを前提にしなければならなかった。「ロマンティック」とは、「神への愛」と峻別する意味に加えて、主体性の相克にふりかける甘い粉砂糖のようなものである。

僕は、2003年12月に見た山崎正和の「世阿彌」の劇評をこのように始めている。
「将軍義満の愛妾、葛野の前(寺島しのぶ)に懸想して世阿彌(坂東三津五郎)は、これを許される。このとき義満からと言って葛野が差しだした鼓、手に取るとこれが皮の代わりに綾織を張ったもの。打てと命ぜられるが、音が出るはずもない。うって響かぬならば世阿彌、満天下に恥をさらすことになる。天の声は、今を時めく世阿彌が打てば聞こえぬものでもない、とけしかける。苦悶し躊躇する世阿彌。しかし、ついに意を決して・・・鼓は打たれた。天から義満の声、『葛野、お前には聞こえたか?』」

山崎正和が、世阿弥の作とも伝えられる「綾の鼓」を巧みに取り入れた場面のことであるが、この場合世阿弥は綾の鼓が鳴らぬことを知っている。知っていて葛野には聞こえることを願ってこれを打つ。恋とは、そういうものだということを山崎正和は伝えたかったのだ。もちろん元の話とは違う。元の話では、聞こえるはずだと信じて、庭掃きの老人は綾の鼓を打ち続けるのである。

「これは筑前の国、木の丸の皇居に仕え給うる臣下にて候。(語り手がいっている。)さてもこの所に桂の池とて名池の候に、常は御遊の御座候。ここに御庭掃きの老人の候ふが、女御の御姿を見参らせ、しづ心なき恋となりて候。このこと聞こし召し及ばれ、恋には上下を分かぬ習ひなれば、不便におぼしめさるる間、かの池のほとりの桂木の枝に鼓をかけ、老人に打たせられ、かの鼓の声皇居に聞こえば、その時女御の御姿まみえ給はんとの御事にて候ふほどに、かの老人を召して申し聞かせばやと存じ候。」

老人はこれを信じ、綾を張った鼓とも知らず 喜んでそれを手に取り御所に聞こえよとばかりに打つ。

「さてもあはれなる事かな、御庭掃きの老人、鼓の鳴らぬことを嘆き、桂の池へ身を投げ空しくなり申して候。まことに老人の心中思いやられて、我らごときの者までも、落涙仕りて候。かの老人賎しき身にて、いつの折りにか女御を見奉り、しづ恋となり申して候ふを、君きこしめし、桂の池のほとりなる、桂の木の枝に、綾にて張りたる鼓を掛けおき、この老人にこれを打たせられ、音の出で候らはば、思う望みを御かなへあらうずるとの御事にて候間、老人は喜び、綾の鼓とは夢にも知らず、罷り出でて打ち候へども、もとよりさらに鳴り申さねば、これを悲しみかように空しくなり申して候。・・・それにつき我らの推量には、かの老人賎しき身にて、よしなき恋をやめさせ御申しあろうずるとの、御謀かと存じ候。」

筑前の国に御所があった事も行幸すらあったことはない。謡曲に詠まれる場所や出来事はそもそも障りがあるとして曖昧模糊とさせるものだ。障りをそぎ落として、主題を際立たせる、というのが作劇の常套である。
老人の「しづ恋」は本当だったのだろうが、その望みはわずかに、女御の御姿を一目みたいというものにすぎなかった。謀と知って、老人は池に身を投げはかなくなるが、この物語は老人が怨霊となって女御に取りついてからの方が長い。むしろ恨みの深さが主題になっているのである。

三島由紀夫は、御庭掃きの老人を法律事務所に雇われている老小使い、岩吉(綿引勝彦)という設定にした。舞台は中央に空、真ん中から二つに分け下手をビルの三階にある法律事務所、上手は法律事務所と道を隔てて向かい合うビルのやはり三階にあるブティックである。この二つの部屋はガラス窓によって隔てられているが、互いによく見える。
岩吉は、ブティックの客の一人である華子(十朱幸代)に恋をした。自分が事務所で育てている鉢植えの桂の木になぞらえて、桂の君と呼んで、毎日ラブレターを書いた。書いて出さなかった手紙が七十通、書いては焼いた。
しかし、思い直して書いたものをこのところは事務員の加代子(内田亜希子)に届けさせている。加代子は毎夕向かいのビルに手紙を運んだ。今日で三十通目、合計百通になるのである。
ブティックでは、経営者であるマダム(多岐川裕美)をはじめ、踊りの師匠、藤間春之輔(国広富之)、戸山(奥田洋平)とその友人である外務省の役人金子(金替康博)が、奥様=華子の仮縫いのために集まっている。戸山と金子は華子の取り巻き、藤間春之輔はパトロンの華子に舞踊劇の切符を引き受けてもらおうとしている。
そこへ、加代子が百通目のラブレターを運んでくる。
一同は、老人のくせに華子に思いを寄せるとはけしからんと、この手紙を華子に手渡す前に開いてしまう。そこには「思いは日ましにつのるばかり、老いさき短い身を、ひねもすさいなむ恋の鞭の傷あとをいやすには、ただ一度の、・・・・・・ただ一度の接吻(くちづけ)・・・・・・」とあった。
いよいよ頭に来た連中は、岩吉をいじめてやろうということになり、一計を案じる。藤間春之輔が持っていた舞踊の小道具である綾の鼓に手紙を付けて投げてやり、それを打って、音がこちらに届けば、桂の君に会わせてやると伝える。
岩吉は喜んで、鼓を受け取りこれを打つ。しかし、音は出ない。何度打っても鼓は鳴らない。その姿を窓越しに見ていた一堂は体を震わせるほどの大笑い。岩吉は騙されたと知って、三階の窓から身を投げて死んでしまう。
一週間後、ブティックの暗がりに華子が現れる。亡霊となった岩吉が呼んだのだ。亡霊は華子に怨言を言う。自分は真心ゆえに愚弄されたと。しかし華子の言い分は、あなたは単に年寄りだったからからかわれただけで、私に祟るというのはお門違いだというのである。それに「あなたはまだ恋の化身とはいえませんわ。・・・・・・あなたの恋が形をとるには、もう一つ何かが足りないんだわ。今の世の中で本当の恋を証拠立てるには、きっと足りないんだわ。そのために死んだだけでは。」
女の中には恋の証拠がいっぱいだと華子はいう。その証拠を出したら最後、恋でなくなるような証拠がいっぱいだと。女が証拠を持っているおかげで、男は手ぶらで恋をすることができるというのである。華子は証拠の一つとして、昔三日月と呼ばれたスリだったという。腹に三日月の入れ墨がある。男に入れられたのだ。亡霊は、それを聞いて二度も自分を愚弄するのかと怒る。しかし、華子はひるまない。あなたに愛されたから私は強くなった。しかもあなたは本当の私を愛していない。すると、そんなことがあるものかと亡霊はむきになって、鼓が鳴らなかったからそういうのだろうという。
今度は鳴らして見せるといって、鼓をとりだしこれを打つ。すると鳴らないはずの綾鼓がポンと鳴る。ところが、華子は聞こえないという。これでもかと亡霊は打ち続けるが、華子には聞こえない。いや、聞こえているのかもしれない。
亡霊は、打ち続けて百まで数えるともはやこれまでと「桂の君」に別れを告げ、消え去ってしまう。華子、「あたくしにも聞こえたのに、あと一つ打ちさえしたら・・・・・・。」と、これは手紙の数にかけてある。

よくできた翻案だという向きもあるだろうが、まともに考えると随所にかなり無理がある。弁護士の小間使いがどんなものか知っているものにはちょっとどうかと思うが、法律事務所の老小使いが、向かいのビルの窓越しに時々見える「奥様」に恋をする、というのはあり得ないことでもない。しかし、その思いをラブレターにしたためて七十通も書いては焼く、それに飽き足らず、後三十通は実際に事務員の女に届けさせる、というのは度を超えている。いや、そこまではあってもいいとしよう。しかし、その内容が「 老いさき短い身を、ひねもすさいなむ恋の鞭の傷あとをいやすには、ただ一度の、・・・・・・ただ一度の接吻(くちづけ)・・・・・・」というのはどうか?老人の割には肉欲を生々しく語るではないか。そこが「近代」だというのだろうが、六百年前の庭掃きの老人が、かいま見た女御に接吻を望んだだろうか。違和感がある。六百年、接吻という習慣がないのにとってつけたようで気取っている。弁護士の小間使いがこんなふうに見栄を張ることは考えにくい。
「奥様」が実はスリで、男に騙され入れ墨までしている世慣れた女、というのはこの戯曲の唯一面白い工夫で、憤死した老小使いの夢を打ち砕いて現実の厳しさを示した。現実というのは、女としては男が勝手に恋をして勝手な想像を押し付けられてはかなわないということである。亡霊と華子のやり取りには何か意味があるように思わせぶりだが、ただ単に男は勝手な夢ばかり見て暮らしているのに、女はもっと現実的だから男の夢には付き合えないといっているだけだ。そのとおりである。実に身もふたもない結論だったのだ。こんなものに感心しているようでは、先が思いやられるのである。

さらにいえば、言葉が異様にもたついているといったのは、例えば華子の取り巻きの会話である。
金子 このじいさんは自分一人苦しんでいると思っている。そのうぬぼれが憎たら
   しい。われわれだって同様に苦しいんです。ただそれを口外するかしないか
   の違いですよ。
藤間 私どもには慎みというものがありますからね。
戸山 僕だってこれくらいのことは知っていますよ。僕たちはみんな軽佻浮薄で、
   あのじいさんだけが本当の恋を知っているといいたそうな口ぶりが癪に障る
    よ。
金子 われわれだってこんな悪い時代に生きていて、自分をごまかすためにどれだ
   けの苦しみを重ねているか、見せられるものなら見せてやりたいよ。
藤間 古風な人はし方ありません。この世の中に恋の特別席があると思っているん
    でしょう、おそらく。

こういうせりふを目で追っているだけでは分からないが、演出の前田司郎が、ほとんどお手上げの状態で、ほぼこのままのリズムでいわせるものだから、まるで大正時代にいったような気がするのである。書かれた言葉はまともだが、芝居としてのリアリティに乏しい。前田の師匠の平田オリザが添削したらもう少し生き生きとするのじゃないかしら。

キャスティングにも問題はあった。華子の十朱幸代は久しぶりに見たが、容姿が変わっていないのには驚いた。確かに華があって美しく、一目ぼれするものがあってもおかしくない。ところが、第二場で亡霊と対峙するところでは残念ながら迫力不足であった。それは演技の質と関係する。
岩吉の綿引勝彦はミスキャストである。広い肩幅に分厚い胸、坊主頭にぎょろ目では恋などという生易しいものにはならないだろう。即刻ストーカーになって何かしでかしそうに見える。前田司郎も勝手にしてくれとしか言い様がなかったのだろう。
唯一、多岐川裕美だけは意外な一面を見せてくれて収穫だった。

「弱法師」の方は、もともとの話とはかけ離れたものにしてある。
河内の国高安の左衛門尉通俊が、讒言によって家を追いだしてしまった息子俊徳丸の二世安楽のために天王寺で施行をする。そこに盲目となって弱法師と呼ばれている実は俊徳丸が施行を受ける。弱法師は仏の慈悲をたたえ、我が国最初の仏教の寺、天王寺の縁起を語り、心眼にて景色が見えると達観する。盲目ゆえ、往来の人に当たって転び倒れたりする様子を窺っていた通俊は、すでにそれを我が子と覚っていた。夜になって自らを名乗り、恥じ入る俊徳丸を捕まえて、高安の里に帰る。とういうのが元の話である。

こちらは、息子俊徳(木村了)と空襲で別れ別れになった高安夫妻(国広富之、一柳みる)が、川島夫妻(鶴田忍、多岐川裕美)のもとにひろわれ育てられていた俊徳を見つけだし、自分のところに引き取ろうとして裁判になるという設定になっている。舞台は裁判所、調停委員の桜間級子(十朱幸代)が間に入ってどちらに引き取られるのが適当か判断しようという裁判劇の一種である。

これは現代でもありうる話で、そうとっぴな翻案でもないからたいした違和感はない。俊徳を金髪の美男にしたのは三島好みに深津篤史が気遣いをしたのだろう。
あまり言うこともないが、一つだけ指摘しておきたいことがある。
それは、十朱幸代のところでいった演技の質ということである。
高安夫妻と川島夫妻の二組の夫婦が並んで客席に向かい証言をする場面がある。
鶴田忍と一柳みる、国広富之と多岐川裕美の二組の俳優の芝居がまるで異質なのだ。鶴田は俳優座の養成所をでて主に新劇畑で仕事をしてきた。一柳みるは、玉川大学の芸術学科から劇団昴に入ってこれも主として舞台で活躍してきた。国広富之と多岐川裕美はテレビドラマ+映画出身の俳優である。
どちらがいいとかいう問題ではない。舞台においては全身がさらされているために、一つのせりふを全身で表現しなければならないし、そうしなければ観客にそのようには見えない。舞台では、うつむいて泣く時には肩を振って全身を震わせなければ泣いていると映らないのである。映画やテレビは部分を撮るから顔のアップに涙がこぼれていればそれですむ。大げさに体を震わせるのはかえってわざとらしく見えるものだ。
こういう違いがあるから、客を集めるからといって、映画やテレビでよく知られた俳優を起用するという考えは安易である。舞台という場所できちんと芝居ができるかどうか、よく検討したほうがいい。

新国立劇場の芸術監督をめぐって騒ぎがあったことは周知である。天下り役人の専横があったとかなかったとか真相は定かではないが、公演の採算を考慮するあまり、商業演劇のようなスターシステムは、上のような理由で公立の劇場にはなじまない。税金を使う施設なのに、役人と財界、演劇関係者がバラバラなのも変なものだが、観客代表、つまりは国民代表が入っていないのはもっと変だ。このことを考えないといけない。

ところで、話をもとに戻すが、三島由紀夫は「近代能楽集」を書くに当たって、「能楽の自由な空間と時間の処理や、あらわな形而上学的主題などを、そのまま現代に生かすために、シチュエーションの方を現代化した」といっている。そのために謡曲全集を渉猟するのがくせになったらしいが、その基準で「現代化に適するものは」五編(後加えて計八編)にすぎなかった。四百あまりある謡曲を読んでたったそれだけのものである。
ならばなぜ、わざわざそんなことをしなければならなかったのか?
三島由紀夫はこの時三十才をわずかにこえたばかりである。小説家が尊敬されるいい時代で、すでに大家先生の呼び声は高かった。王朝趣味もあって、小説の素材を探すにはうってつけと思ったのかもしれない。
「現代化」可能と見た綾鼓では、老庭掃き人であるところの岩吉に「接吻」をせがませたところが「現代化」で、老庭掃き人の真情に「接吻」という欲情がすでに潜んでいたと解釈したに相違ない。しかし、そんなことがあるはずはない。三島のいっている「現代化」とはなんのことはない「西欧化」にすぎないものだった。それが、われわれにとっても三島にとってもただひとつの「近代」だったのだから。
要するに近代能楽集というのは謡曲に西欧的素養による解釈をほどこそうとしたものである。それに気付かなかったのは、「あらわな形而上学的主題」といっているものと西欧のアリストテレス以来の形而上学的主題にあたかも共通項があると思い込んでいるからである。そんなものがあるはずがない。
謡曲が六百年もの間ほとんど変わらずに残ってきたのは、それだけ揺るぎない強固な形而上学的主題があったからで、たかだか百年前の「近代」によって解釈も変容もされないものである。

本当は、謡曲にもとがあるといっても、もっと自由に創作されてしかるべきだと思うが、若さゆえのこだわりが邪魔をしたのであろう。その意味では、「弱法師」の方が「現代化」されていて面白いといえるのではないか?
「綾鼓」もラブレターなどという無粋なものではなくて、せめて歌を詠んだ短冊ででもあったなら、もう少しは評価してもよかった。

 

 

 



      
 
 

題名: 近代能楽集「綾の鼓」『弱法師』
観劇日: 2008/09/26
劇場: 新国立劇場
主催: 新国立劇場
期間: 2008年9月25日〜10月13日
作: 三島由紀夫
演出: 前田司郎『綾の鼓』 深津篤史『弱法師』
美術: 池田ともゆき
照明: 小笠原純
衣装: 半田悦子
音楽・音響: 上田好生
出演者: 『綾の鼓』 綿引勝彦  金替康博  奥田洋平 岡野真那美 国広富之
内田亜希子 多岐川裕美 十朱幸代
『弱法師』 木村 了鶴田忍
一柳みる  国広富之 多岐川裕美

カウンター