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「こんばんは、父さん」
2001年初演の「こんにちは、母さん」(制作:新国立劇場)は2004年の再演も見ている。
あれは「舞台中央に卓袱台のある茶の間。正面に二階に至る階段とトイレに行く廊下、茶の間からは二間分のガラス戸を通して坪庭が見え、その先の板塀には潜り戸がついている。」(再演の劇評から)という典型的家庭劇の舞台装置だった。
こんどは 劇場に入って驚いた。
「母さん」が「父さん」に変わると廃屋と化した昔の町工場跡になった。「父さん」にはもう茶の間が似合わないのである。
埃が積もった薄暗いがらんどうの空間に作業台がぽつねんと置かれている。脇には多少のがらくたが転がっているが、もう何年も人の入った気配がしない。
下手に急な階段があり、中二階のような物置に通じている。その階段の上方に首つりに使うようなロープが一本ぶら下がっているのが奇妙である。
下手階段の前にある窓から弱い夕日が差し込んで、舞っているほこりがいっそうかび臭いにおいを漂わせているような気がする。
太田創の舞台は、いつもくそリアリズムである。「時の物置」(04年6月観劇、劇評 )では、舞台に置いた古い長持ちからにおいが漂ってきた。物語にリアリティがあればそれは「はまる」のだが、この芝居ではどうか?
その窓が突然開いて、ひとりの男が忍び込んでくる。初老の割に長髪でGパン、シャツ姿というのはやや若作りである。
懐かしそうにその中を見て回るが、格別何かがあるわけでもなく、湿気と埃が混じってこびりついたような壁や床やがらくたがあるだけである。わきには、取っ手のあるキャスター付きのトランクに紙袋やらバッグやらを取り付けた一抱えはある荷物を持っている。ホームレスの引っ越しみたいだ。
再び窓が開くと、若いスーツ姿の男が入ってくる。
この男は、山田星児(溝端淳平)といって、闇金の取り立て屋である。
初老の男は、佐藤富士夫(平幹二朗)。
山田は富士夫に貸した金の返済を求めて追いかけてきたのだ。
「金返せ」「持ってない」の押し問答を続けているうちにだんだんわかってきたことは、昔、富士夫がこの町工場を経営していたが、倒産させて、いまは人手に渡っていること、それに富士夫は、いま高齢者に仕事を紹介するNPOから短期の派遣仕事を得て暮らしていること、住む場所がないらしいことなどである。
だから、山田が金を返せといっても所詮、持っていそうもない。それなら、利子だけでもと食い下がるが、富士夫は言を左右にして逃げ回る。
山田は、少しでも金を取り戻して会社に帰らないと研修所行きになってしまうと怖れている。 その取り乱し方から見ると、どうやら普通の 研修所とは違うらしい。たこ部屋のようなところに閉じ込められて、人格破綻でも起こしそうな「訓練」がいまでもあるのだろう。
どうも学歴も技能もないし、就職難の時代だから仕方なくやっているということらしい。
その様子を見て富士夫は、どこかに純金の指輪があったはずだと俄に荷物をほどきはじめる。(指摘を受けて訂正)
鞄の中身を開けたり、紙袋をひっくり返したり、しばらく二人で探しているが、なかなか出てこない。
見ている僕としては、このあたりから、どうもしつこく長すぎる「どたばた」だと思い始めた。闇金のお兄ちゃんがこの程度ならかわいいものだ。「どたばた」がつくりものに見えてくる。つまり必然性を全然感じない。
事態が展開し出すのは、山田が富士夫に息子がいることを覚えていて、そいつに払ってもらおうと言い出したときだ。
富士夫は、急に悶絶してそれだけは勘弁というのである。もう十年も連絡を取っていないし、闇金に手を出したことを知れられたくないというのだ。
息子は、いい大学を出て、いまや一流会社のエリートサラリーマンである。しかし、富士夫とは訳あって、10年前から義絶の仲である。
進行とともにそのわけが明らかになるのだが、面倒だからここですべて説明してしまおう。面倒だというのは、この富士夫の経歴が絵に描いたようなステレオタイプで、いっこうに劇的ではないからだ。劇的でないものを劇的には語れない。
富士夫は、中学卒業とともに田舎から都会に出てきた集団就職組の一人であった。町工場に旋盤工として入って技術を磨き、やがて時が来て下町に小さな工場をもって独立した。腕のいい職人として仕事は順調に発展、少ないながら人も雇い、結婚して子供も出来た。バブル期がやってきて。注文が大いに増えた。おそらく銀行が金を貸したのだろう、郊外に第二工場を作って業容拡大、自分はそちらの方に行きっぱなしになった。第一工場であるもとの町工場は、古くからいる職人たちが仕事をこなし、その面倒や経営の細々したことはすべて妻がこなしてくれた。
第二工場も順調だったので、社長の富士夫はクラウンを乗り回し、愛人を作って時々ゴルフをしにハワイに行った。
舞台の真ん中の壁が開いて、華やかなりし頃の光景が一瞬舞台に現れる。
この時期羽振りのよかった富士夫は、息子にはあとを継がせるより、一流大学へ進学させることを望んで、猛勉強をさせた。息子も反発しながら、結果としては、それに応えたのだ。いかにも学歴コンプレックスが裏にあると言いたげである。
息子は幸い、一部上場会社に就職して結婚、子供も出来た。
しかし、やがてバブルが崩壊、第二工場は閉鎖し、このとき富士夫は行方をくらました。町工場は、残された妻がしばらくやっていたが、病気になってなくなり、人手に渡ってしまう。
あとで、この妻が孤軍奮闘した思い出話が長々つづくことになる。
さあ、そんな過去があって、親父の闇金問題など持ち出されたらどういう反応になるか、富士夫はそれを怖れている。
山田が、その一流会社に電話をかけると、なぜか息子は三年前に辞めていた。
しつこい山田は息子の行方を捜すために、闇金の情報網を利用しようとする。
何と、投資話に引っかかって辞めたというのである。
その息子、鉄馬(佐々木蔵之介)に電話すると、工場の中二階から受信音がして、本人が突然姿を現す。ジャージを着ているところを見るとどうやらここに住み着いているという様子である。(記憶が曖昧だったので、指摘を受けて訂正)
父子は十年ぶりに顔を合わせてぎこちなく言葉を交わす。
鉄馬は、一流企業で順調に出世し、講演会に招かれて講師も務めるほど業績を評価されていた。
舞台の真ん中の壁が開いて、講演する鉄馬。
「我が国の経済を活性化するためには、より自由な競争すなわち規制緩和と財政および行政の構造改革が必要」と訴える。
どうも、小泉・竹中路線の時代らしい。
そんな鉄馬が引っかかった投資話とは、エビの養殖事業である。
一匹2円のブラックタイガーが、一年後には120円で売れるという養殖事業に投資をつのって600億円集め、首謀者がドロンした詐欺事件が実際にあった。
ある人の例では、最初は40万円払い込んで10日目ごとに2.2万円の払い込みがあった。一年後36回の振り込みは合計で80万円、つまり一年で2倍になったのである。
それからはすっかり信用して、知人も誘い、金を借り、結局その人は2,000万円を失ったということである。
鉄馬が損した額は2,000万円といっていたから、おそらくこういうことだったのだろう。
結局、会社に居づらくなり、妻子からも家を追い出されてしまった。
それから半端な仕事をしてきたが、一週間ばかり前に、廃屋となったもと自分の家だった町工場に潜り込んで暮らしていたというのだ。
してみると、階段の上にぶら下がっているロープは、鉄馬が死ぬ気だったというのだろう。
当然、鉄馬は父親に恨み言をいう。特に、富士夫がいなくなってから気丈にも母親が一人で町工場を切り盛りして、古くからいた職工といっしょにどうにかしばらく続けたという話は、富士夫にはこたえた。
しかし、それを難詰したくても自分もまたふがいないことになっているから追求に迫力がない。少なくとも観客にはそう見える。
では、この先永井愛は、二人にどうしろというのだろうか?
ここまでおさらいをしてみよう。
「父さん」は自分勝手であまりに無責任であった。だから「父さん」は人生の途中で「父さん」であることを辞めることになった。
かくいう自分もまた「父さん」だったが、欲に目がくらんで(ただし、詐欺にあった詳しいいきさつは語られじまいだった)、「父さん」になりきれなかった。
金の誘惑に負けた「父さん」はいま、一人は借金取りに追われ、一人は明日の暮らしを心配しなければならない孤立した境遇にいる。
ほんとうは、あの首つりロープが物語っているように、かなり深刻な話なのだ。
だが、そこは永井愛である。
富士夫が「研修所」が怖い山田に同情してとうとう五千円を渡してしまう。その金を持って出ていった山田がコンビニの袋を持って戻ってくる。(この辺がどうだったか記憶が曖昧)
中に、ワンカップ大関が二個。
何はともあれ、親子で乾杯となって、なんとなくほんわかムードでお仕舞いということしたのである。どうする気だと心配したのだが無事に幕となったのはご同慶の至りであった。
バブル期から長期低迷期を通過して新自由主義の格差社会にいたる、ここ三十年あまりの日本社会を登場人物三人に象徴させて描こうとした意図はわかる。そして、結局「父さん」は金に踊り、かくもだらしなく、茶の間から消えてしまった。
「こんばんは、父さん」とは、あのいなくなったなつかしい父さんに話しかけているのか、「もと」父さんに呼びかける皮肉なのか、いずれにしてもいま「父さん」はいない。いるのは人生の敗北者たる男二人とその予備軍一人だ。
それが我が邦「父さん」の少し滑稽で、かわいそうな姿だと苦笑を誘う終幕を演出したつもりだったのだろうが。それにはかなり違和感があった。
ほんわか終わったところで、ワンカップ大関の酔いが覚め、現実に戻った二人のことを思えば暗澹たる気持ちにならざるを得ないのだ。
このあと鉄馬が行き詰まって首を吊り、富士夫がやがて高齢者アパートの三畳間で孤独死するかもしれない。人生の敗北者に待っているのはせいぜいそれに近い末路以外考えられるだろうか。
永井愛は、それに何のこたえも用意していなかった。
家族としての絆を取り戻して、二人は仲良くいっしょに生活し始めるだろうという一縷の望みに永井はすがったのかも知れない。
母親と娘、父親と娘の間でそれは考えられるが、 しかし、 父親と息子の間では実に考えにくいのだ。父親と息子の間には目に見えない確執がある。(あとで、辻原登の短編「父、断章」を参照する)それを前提にしない文学は極論かも知れないが嘘になる。
余談に入る前に、肝心のこの劇に感ずる違和感について説明しておこう。
それはまず、この劇の構造による。
もしも、この芝居が富士夫一家の物語が主題なら、舞台を廃屋となった町工場にしたことは、この劇にとってなんの重要性もない。十年の間音信不通だった父と息子が、ほとんど唐突にそこで再会したといってもただそれだけのことである。それは一家にとってむなしさだけを表す最終到達点ではあるが、もはやそこではどんなドラマティックな出来事も起きないのだ。そこはすでに死んだ場所であり、物語の本体はすでに終わっているのである。
したがって、劇の主要な内容はすべて回想でできあがっている。しかも、その回想は、ほんの一瞬だけ、過去の実景が舞台上にスケッチされるが、 ほぼ全編が登場人物の口から語られる過去の出来事である。
過去に何があったかまでは理解できるが、 問題は、その過去についての「批評」が登場人物たちの口から語られることもなければ、現在への「批評」が作者の言葉から聞こえてもこないというところにある。
いいかえれば、観客にとっては、彼らの記憶の中にある過去をせりふを通して想像し、現在と結びつける以外に物語を構成するすべはない。いわば間接話法の構造になっている。
「現在」が話すに足るだけの主題ならその方法論でも通用するだろう。しかし、この劇の「現在」は「借金を返せ、いや金はない」の面白くもないやりとりに、父と子の気まずい再会がある他は、廃屋が象徴しているように「空虚」、なにもないのである。
例えば、僕らが赤の他人の思い出話(それはたいてい、過去へのセンチメンタルジャーニーであるが)を聞かされても実感がわかないのと似ている。
自分にとってどんな意味があるのか、思いが至らなければ、感動もシンパシーもないのだ。
お前には「想像力」がないのかと言われそうだが、それなら登場人物の過去、その葛藤のドラマをきちんと見えるようにしなかった理由を問いたい。なぜこの劇は、全体が思い出話に依拠するような薄っぺらい構造になるのか、僕にはそれが不満であった。
余計なことをいえば、こういう場合に採用される「文法」のいい例は、例えばテネシー・ウイリアムズの「ガラスの動物園」である。あれは、全編が回想でできあがっているが、過去の出来事を舞台に再現することによって、むしろ現在の意味を問うという構造を持っている。
もっと余計なことだが、言いたいことを分かりやすくするために「ガラスの動物園」を参照していうと、この場合劇の構成は次のようである。
プロローグ:廃屋の町工場で、父親と借金取りが隠れていた息子を発見する。
第一幕;1987年、東京大田区のまだ廃屋になる前の活気ある町工場。富士夫が銀行に勧められるままに第二工場を建てようとしているところからはじまり、鉄馬を大学に入れ、バブル崩壊と会社の倒産まで。
第二幕:1996年頃、鉄馬が結婚して大企業に勤めている。母親が再興した町工場を一人で細々切り盛りしながら病に倒れてなくなるまで。
第三幕:2001年頃、町工場にはもはや機械も道具も置いていない。街には「郵政民営化」「自民党をぶっ壊す」「骨太の方針」などの言葉が飛び交っている。鉄馬に投資話が持ち込まれ、(愛人に金がかかるというので)それに乗ってしまう。結果、町工場兼住居は人手に渡り一家は離散する。
エピローグ:父子は結局、女に手を出し(「お父さん」は大概これでやられている)、金に踊らされた人生だったと述懐し、闇金の若い者がそれに気づいて、「モノづくりの修行」を思い立つ。富士夫が地道にやっている町工場を紹介すると約束して、日本の将来にかすかな希望の光を感じさせ、幕が下りる。
こんなことを書いて名のある作家に失礼だと思ったが、この劇の構造にはかなり無理があると感じたので余計なことをした。
劇の構造に問題があると言ったのは、人の口で語られるだけの回想には、リアリティという点で限界がある、ということだった。
リアリティという点で、もう一つ別の角度からの不満があった。
闇金と町工場を取り上げたのは、時代を語る道具立てとしてティピカルと判断したのだろうが、その扱いがどうも現実とずれている。
闇金の方が分かりやすいから先に説明しよう。
山田の闇金が富士夫に貸した金は五万円だといった。
不定期労働者に貸す金の額としてはまあ、そんなとこだろう。
しかし、僕の記憶が間違ってなければ、払った利息が八十万円というので、こりゃダメだと思った。
もしもそれがホントなら、この山田の役は、あの吹けば飛ぶような溝端淳平ではなかろう。もっと怖いおじさんでなければ、だまって八十万円も渡すはずがない。あの程度の若者なら、逆に脅して払った利息を返してもらう自身があるぞ。(その前に払わないけど)
責め立てて、追い詰めてこれじゃあ金を返すより死んだ方がましだと思ってしまうような過酷な手口が闇金の回収方法だってことは、誰だって知っているのではないか。
それに、どこの闇金を取材して「研修所」などという存在を知ったのかわからないが、それがたとえタコ部屋だったとしても社員教育のために無駄とも思える経費を支出する闇金会社は、いい会社である。
おそらく、バックでこのやくざに金を貸している都市銀行が、「近いうちに」傘下に収めようとしている可能性がある。何しろ、年利20%以上の金利を取ったら手が後ろに回るご時世がようやくやって来る。長年政党に守られていた闇金だってもうやってられない。
山田は、まもなく銀行系「一流」消費者金融高利貸しの社員になるのだ。結構な話ではないか。
そんなことをいう前に、五万円がなくて借りる境遇のものが、どうやったら八十万円も返せるのか、理解に苦しむところだ。
それから町工場である。
佐藤富士夫一家の生活史は、むろんそれだけで一つのドラマになっている。
集団就職、旋盤工、町工場、肝っ玉母さん、バブル、いい大学に一流企業のエリートサラリーマン・・・・・・そして崩壊と窮迫の現在。戦後の高度成長と長期低迷期を背景にした十分中身の濃い物語である。僕らが通過してきた時代とは何だったのかじっくりと考えさせられる主題を持っている。
先に、過去を回想にゆだねてしまった「この劇の構造にはかなり無理がある」といった。また、 もしも、この芝居が富士夫一家の物語が主題なら、 町工場の 廃屋が「この劇にとってなんの重要性もない」といった。
が、しかし、永井愛がそのことは百も承知だった可能性がある。
つまりこう考えることは出来る。
この劇の主題は佐藤富士夫一家の生活史ではなかった。
むしろ、この町工場の廃屋をこそ主題に据えたかったのだ。
それは、富士夫と鉄馬の空虚になった人生とわずかな金の貸し借りで見込みのない人生を浪費しているこの国の男たちの姿を見せるために用意された装置。かつて貧乏でもなくそこそこ豊かで、慎ましい家族の日々の暮らしがあった場所。お父さんたちは二十年をかけてその場所を廃墟にしてしまった。
つまり、廃屋となった「町工場」に、出口の見えない日本社会の「現在」を象徴させてみせることが、この劇の第一義的なテーマであった。
そう考えると、妙につじつまが合ってきて、いよいよこの劇の構造の「おかしさ」、一種のボタンの掛け違い、ひいてはリアリティの問題が明らかになってくる。
「町工場」とは、日本社会や経済問題を論じるときにどういう訳か頻繁に登場するキーワードのようになってきた。
いわく、輸出産業の底辺を支えるモノづくり。いわく、日本の手仕事、熟練の技。いわく、ねじ釘からロケットまで。・・・・・・
こんなに町工場が注目され持ち上げられた時代はいままで記憶がない。
きっかけになったのは90年代の終わり頃、金融庁が銀行にバブル期の不良債権をさっさと処理させるために行った「早期是正措置」のような気がする。銀行は、自己資本比率を基準まで上げる必要が生じ、いわゆる「貸しはがし」「貸し渋り」が横行するようになった。
そのもっとも強い影響を受けたのが中小零細企業である。資金の流れを止められると連鎖倒産が起こりかねない、ひいては経済全体がおかしくなるとして、政府は様々の施策を打った。しかし、事態は好転せず、選挙民に中小零細企業を多く抱える政治家がいい顔を見せようとして動いた。
その結果、「町工場の火を消すな!」という一大キャンペーンがマスゴミを巻き込んで起こったのである。
それでも、中小零細の経営は厳しく、業を煮やした作家兼政治家が、自分で銀行を作ると言い出す。
それを聞いてこのブログでも言ったと記憶するが、トウシロウが金貸しをやっても、ろくなことにならないのは古今東西、何百年も前から決まっている。
やがて銀行は出来て、何百年も前から言われているとおりになった。
町工場に金を貸したら、みんながハッピーになるとはただの幻想だったのである。しかし、先人のいうことは聞くものだとみんながこころから反省した形跡はどこにも見えない。銀行を失敗した責任追及には熱心だが、ことの「本質」を見誤ったのに誰もそのことには言及しない。
人間のことだからまた繰り返すに違いない。が、それはさておいて、以来、円高とか空洞化とか経済問題が起きるたびにTVカメラが町工場に入り、あたかも日本経済の命運を町工場が握っているという印象を作っている。
つまり「町工場」が持つ現代の記号論的意味は、「ねじ釘からロケットまで」が表すように「日本経済」と関連する比較的広い範囲の概念をカバーする印象をもっているといってよい。現在における「町工場」は取りあえずそのようなイメージとして存在する。
永井愛は、その「町工場」のコンセプトによりかかった。
日本社会の現在の閉塞感を打破するには景気回復にデフレ脱却しかないとする輿論にたいして、果たしてそれだけでいいのかといいたいのである。
経済的な豊かさを求めた結果、バブルを引き起こし、その後始末に長い時間がかかったかと思えば今度は規制緩和で格差社会を生み、結局もともとあったそこそこの豊かさや勤勉と慎ましさまでも失ってしまったのが「現在」ではないのか。
その廃墟の中に、金に振り回され、困窮したお父さんたちを配置することによって、うがった見方でいえば、お母さんの立場から、経済だけで社会が成り立っているわけではないだろうと、父さんたちに暮らしについての再考を促すつもりだったのだ。「こんばんは、父さん」にはじつは続きのせりふがあった。「あなたたち、まだ反省が足りないんじゃない?」
そのことを描くための記号論的概念として「町工場」は絶好のテーマであったし、闇金、金貸しをからめることによって、新自由主義批判や格差社会到来に警鐘を鳴らす意味を込めようとしたのである。
まずそうした目的があって、廃墟になったのはなぜかという町工場の物語を、つまり、バブルに踊らされ、投資詐欺に遭うという金にまつわる失敗という話の中身をあとからくっつけざるをえなかった。
富士夫や鉄馬の失敗が、「回想」としてのみ語られなければならなかった理由がそれであり、どこかとってつけたような「お話」になってしまっているのはそのせいであった。
とってつけたような話は、そもそも「町工場」神話(記号論的概念として)が嘘八百であり、それがこの芝居のリアリティに重大な瑕疵を作っている元凶である。つまりその現実認識に誤りがあったために、実態との間にちぐはくなボタンの掛け違いが出来てしまったのだ。
「町工場」の問題が日本経済の縮図だなどというバカな話を日本人が信じていると思っているのは、TVや新聞を作っている連中や世間を知らない弁護士あがりや政治塾出の政治家、それに俗流経済評論家ぐらいのものである。
円高で輸出に頼る町工場が貸し渋りにあっているという仮説を立てたTVプロデューサーがいたとしよう。運転資金の一部でも借りたいという「悲鳴にも似た声」を 町工場から聞けたら番組として盛り上がり、そら見たことかと自慢できる。
さて、ワイドショーの取材カメラが町工場にはいる。軍手をはめて顔に潤滑油が多少ついた旋盤工である経営者が、素っ気ない態度でこういう。
「金はあった方がいいけど、借りたら返さなきゃならんでしょう・・・・・・」
そうです。無理矢理金を貸しても返せなければ倒産するのです。
TV会社の社員は倒産の危険をこれっぽちも持ち合わせないとはいえ、賢いTVプロデューサーならすぐに分かるはずである。
借りた金は返すものだ。どうやって返すのか?そこまでいわれても・・・・・・というだろう。
借りた金を「返せるようにする」とは、仕事が途切れないという状態にする、というのが正解である。
そもそも町工場は、一般的に自分から商品開発をしたりマーケティング活動をする能力がないから大概は大きい企業から発注を受けて仕事をしている。その企業はさらにその上位の企業から仕事を受けるというのが連鎖してピラミッド型を形成している。その構造の最末端にいるのが町工場で、それが能動的に日本経済になにかを働きかけることなどはじめからできない相談なのである。ことの本質は、貸すことではなく、「返せる」状態をつくる事にあった。そのために、町工場自身に出来ることは何と、何一つ存在しなかったのである。
つまり町工場が日本経済の命運を握るなどということはただのたわごとだったのだ。
悪名高かった貸し渋りや貸しはがしにしても、主役は「金貸し」である。「金貸し」というモノは、態度こそ慇懃無礼で善人ぶっているが、もともと自分の都合が優先するモノである。日本経済の命運を握っているのはむしろこの人たちで、TVカメラが向かう先は、銀行の頭取室だったのだ。(TV局に金を貸しているのも、広告主もこの人たちだから町工場ほどづけづけ入っていけないけど)
金貸しは、貸し渋りや貸しはがしをやって企業に倒産でもされたら元も子もなくなるのは十分知っている。したがって、倒産されると自分が損すると判断したら、貸すものだし、どのみちつぶれるとなったら平気で見捨てるか、自分で管理するか、他の銀行に押しつけるかするのである。あるいは、きっと返してくれる確信がなかったら、たとえ政府保障がついたとしてもこの連中は本質的に貸したがらない。なぜなら、返済の「確信」とはほとんど本能に組込まれた感官のようなもので、その感官は、政府のことだってホントは信用していないからだ。
ついでだから、金貸しだけではないことをいっておこう。
今日の大企業、特にいま世界中で負けまくっている電器産業も町工場の生殺与奪権を握っているピラミッドの頂点にいる。
僕は、1990年代半ばに、東南アジアのある日本メーカーの仕事をしたことがある。その国のディーラー1000社を全国から集めてビジネス会議=大イベントを開くことになり、そこで使う複数の映像をプロデュースすることになったのだ。
そのうちの一つに斯界では世界的に有名な会長(CEO)を映像に登場させて挨拶してもらおうということになって、スケジュール調整を本社に依頼した。
右肩あがりの業績を上げてくれている国の大事な販売店に、会長室でカメラに向かって挨拶するというたったそれだけなのに、出演を秘書室が嫌った。いや、秘書室が窓口だっただけで、社内のどんなメカニズムが働いたか知らないが、待てど暮らせど返事は来ない。結局、時間切れでそのアイディアは実現しなかった。
取り巻きに囲まれて、バカ殿様になっていたのだろう。あるいは取り巻きがバカだったのか。80年代に携帯用テーププレーヤーを世界的にヒットさせたそのメーカーは以来、世界をリードするような商品を送りだすことがなかったし、おそらくこれからもないであろう。
バブルを通過して、大企業病にかかってしまったのである。
僕はその頃、これらの会社の今日あるを何となく感じていた。
戦後に、町工場から出発して大企業にのし上がった会社ほどその病に陥ったような気がする。
詳しいことはいわないが、戦前からある企業は、バブルが危険なことは骨身にしみていた。
結局、今日の町工場の苦境の原因は、これらの大企業にあるのであって、町工場がどうこうできるものではない。
町工場をテーマにすれば日本経済の現在を批評できるという発想は、かくのごとく俗流であり、問題の核心を外してしまった。
問題の核心は、永井愛にとって明らかである。
「よりよい暮らし」を追求するとはどういうことか?ということであろう。いいかえれば、わが経済社会におけるモラルと倫理とは何か? である。
しかし、そのこととこの劇で描いた、金に翻弄された「父さん」たちの姿を同じ位相で論じるわけにはいかない。
この父さんたちはあえていえば、遠い場所で起きた嵐の余波を受けてせいぜい蹴躓いたに過ぎない。
アメリカのトロツキストたちが唱えた新自由主義全盛の時代を思い起こしてもらいたい。小泉・竹中路線である。
ライブドアの株が総額1000億円を超えたといってホリエモンが怪気炎を上げたことがあった。そのとき。確かライブドア本体の売上は100億円程度で、グループ合わせてもせいぜい400億円であった。これは利益ではなく売上に過ぎない。なぜそういうことになるかといえば米国が主導した会計制度によって、株を時価総額で計算することになったからだ。少なくとも半分以上は実態のない、泡でできあがっているようなモノである。泡とは信用と言ってもいい。信用というお化けのような商品が立派に存在してしまっている。
この泡のようなモノが、瞬時に国境を越えて取引され、利潤を生んだり誰かが損したりしているのが現在の世界経済である。
今度リーマンショックで痛い目を見たから、しばらくはモラルと倫理が問われることになるだろうが、日本のお父さんたちが多少欲に目がくらんだところで、それとこれではまるで世界が違うことなのだ。
バブルで第二工場を作った話も腑に落ちなかった。
バブルの主役は、大銀行と証券会社と不動産屋、ついでにいえば銀行に雇われたやくざまがいの地上げ屋である。
僕は、会社の経営企画室というところでM&Aを担当していたから多少モノを言えるのだが、中でももっとも悪辣だったのは銀行であった。住友銀行のあくどさについては面倒だから省く。証券会社も、昨日今日入った小娘がボーナス200万円という盛況ぶりで、あれば高値で売れるから不動産会社も血眼で土地を探した。
とにかく、土地さえ担保にしたらジャブジャブ金は出た。
計画中のビルのワンフロアを20億円で買った知り合いの会社が一年半後に竣工して引き渡されるとき、そこは100億円になっていた。すぐに売ったら80億円が懐に入るというバカさ加減である。
スペインの地中海を見下ろすリゾート開発、カリフォルニア半島の荒れ地に街を作る計画。高級SPAなるものを作ろうとしてヘリコプターで本州中の土地を物色していたプロジェクト、あれは一体どうなってしまったか・・・・・・こいつら、頭がどうかしたんじゃないかと思っていた。
そのうちに、訳あってかかわった事案だったが、こんな辺鄙なところに世界一豪華なホテルを造って誰が泊まるのかと思っていたら、まもなくホテルもつぶれ、そこに金を貸した銀行もつぶれた。主役は富士夫に似た経歴の立志伝中の人物だったが、逮捕されてしまった。リゾート開発に金を出した証券系投資ファンドも見事に万歳した。
そんななかで、おかげをこうむった「マハラジャ」も一杯になったし、たいていの会社の交際費にも余裕が生まれた。しかし、少なくとも大半の国民である僕らがいい思いをしたという記憶はない。
旋盤で、金属を削ったり穴を開けたりする仕事にもバブルの恩恵が巡り巡ってきたのだろうが、しかし、こういうものこそ「実体経済」である。旋盤を増やしたのか、それとも多角化したのか、いづれにしても町工場とバブルが一直線でつながることはない。
なぜ、失敗したのか具体的な話がなければ、ここは説得力に欠けるといわざるを得ない。
また、鉄馬の投資話にしても、動機の説明がほとんどない。
大企業のエリート社員といえども様々誘惑は多い。だから、この手の投資話にうっかり乗る場合もないとは言えない。しかし、大概は警戒するものだし、第一、結婚してたら奥さんに財布を握られているのが多いから投資する金を持っているケースは少ない。
一介のサラリーマンが2000万円もの大金をどうやって工面したのか説明がなければ、その話に得心することは出来ないだろう。むしろ、金を集めるプロセスにドラマ性があるのではないか?
町工場の廃墟を見せて、「お父さん」たちに反省を促してみても、それで我が邦経済の問題がどうにかなるものではないということは、すでにお分かりの通りである。
△
現実認識におかしなところはあったが、しかし、永井愛の目の付け所はさすがである。
「お父さん」たちは、バブルに踊り、金に目がくらんだ結果、投資詐欺にあって家族も、「よりよい暮らし」もなくしてしまった。欲望に歯止めをかけなければ、結局廃墟になる、という教訓を確実に伝えたのである。
冷戦後からはじまった米国主導のグロバリゼーション、それに続く新自由主義=市場原理主義の考え方からいえば、経済活動に一定のルールは必要だが、モラルや倫理の入り込む余地はない。そうした価値論に帰する事柄はむしろ市場にゆだねて自由な競争のなかで自然に淘汰されるのを待つべきだと言うのがその根幹にある。
したがって、日本のバブルもリーマンショックも人間が仕掛けたことだが、人間が止めることは出来なかった。なにしろ、リーマンブラザースはじめ経済工学やらを駆使して儲けに走った連中は、一億円の他人の金を借りてきて100億円手に入れようというのだから目の色が変わる。変わった目の色を見てこういう元でもいらない博打は大丈夫かと大いに疑問を持った経済人もいたが、ルール違反じゃないから誰もとめられない。
こういうのは、鉄馬が遭った投資詐欺も同じで最初の方に加わったものほどおいしい思いをする。おいしい思いは我も我もとどんどんエスカレートさせていくものだ。 途中で止まったらそのとたんに恐ろしいことが起きることを知っていながらである。
リーマンショックを準備したともいえる市場原理主義全盛の時代、竹中平蔵は当時、主に年寄りの資産を狙ってみんなが貯金をはたいてでも株を買って値をつり上げ、競争して儲けるべきだ、それで負けたものはセーフティネットで救ってやると言う政策を唱えてあおった。
同じ頃「金があれば何でも買える」といって世のひんしゅくを買ったホリエモンが時代の寵児にまつられ、会社は株主のものと言って、給料を配当に回し、社長の給料が低すぎるといっては何億円にも上げた。
挙げ句の果ては三万人を超える自殺者と、住む家もないワーキングプアにとんでもない格差社会ができあがったのである。
ところがである。
一ドル120円だったものが、70円台になって、このところ円高であえいでいる。
なぜなら、先進国の中で、あのインチキな「サブプライムローン」の餌食にならなかった唯一の国だからである。
日本の銀行は、保険会社は、証券会社は、なぜあれを買わなかったのか?
僕はこれを取り上げて分析したTV番組も本も発言も目にしたことがない。
これを見る限り、お父さん方が欲に目がくらんだ形跡は発見できない。それはなぜか?
町工場の父さんに反省を促すことも大事だが、永井愛には「こんばんは、父さん」「なぜあなた方は、あれを買わなかったのですか?」と問うてもらいたかった。
戦前、これといった身代の家には、こう書いた札がぶら下がっていた。
「株屋と広告屋は裏口に回れ」
竹中平蔵が多少あおったところで、日本人の伝統とはそれほど変わらないものである。まさか、バブルで痛い目を見た父さんがたが、反省したのではないだろうな。ならば、日本人も捨てものではない。
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ちぐはぐは、まだあった。
平幹二朗の富士夫である。
誰がどう見ても集団就職の旋盤工の町工場の親父ではないだろう。角刈りにでもして出てきたらまだそれらしかった。
わざわざ、話のリアリティを消してしまおうという意図があったとも思えない。困惑の極みであった。
佐々木蔵之介の鉄馬は、それといわれれば、まあ失礼ないところだが、父親との関係がそれほど鮮明に出たとは言い難い。おそらくそれは二人の距離関係をきちんと書けなかった本のせいだろう。
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まだいい足りない気もするが、その関係の話を余談として付け加えて終わることにしよう。
辻原登の短編「父、断章」(2012年、新潮社、同名単行本に収録)である。
「父親には息子を殺す権利がある、というのは、わたしがはじめて、自分の頭を焼き切れるほど使ってつかんだ思考、文章だった。」(P26)
これは辻原が実名で登場する彼の自伝的小説である。
二十四才にもなって職にも就かず、家の中にこもって自堕落な生活を続けていたある日、母親が外出し、一人になったところで、玄関に錠を下ろし、二階の部屋でTVに映る三島由紀夫自決にいたる番組をながめていた。うとうとしていたら玄関の戸を叩く音がする。いつもより、早く父親が帰宅したらしい。
彼は、あけようとしなかった。じっと息を潜めて居留守を使っているつもりだったが、父親は息子が一人中にいるのを知っている。
しきりに客に向かってわびている。父親には連れがいたのだ。勝手口に回って戸を叩き、二階の窓が見える場所から叫んでいる。だが、彼はじっと身を堅くしてひたすら耐えた。
「それからまどろんだ。
私は襟首をつかまれ、引き起こされた。包丁を持った父がいた。
『殺(ころい)たる!』
と彼はいった。テレビはまだついていた。私は殺されてもいいかな、とおもった。」
このとき頭にひらめいたのが、「 父親には息子を殺す権利がある』という文章だった。
「父はほんとうに殺すつもりで階段を駆け上がってきたのだとおもう。私は幸い殺されずにすんだ。
こうも考える。父親には息子を殺す権利がある。この思考のひらめきが私の目に躍った。そのきらめきが父の行為を食い止めたのかもしれない、と。
あるいは、これはまず父の頭に浮かんだ考えだったと言えないだろうか?そして、彼はその考えを息子に継承させ、それを息子の目の中に見た。穿ちすぎるだろうか。
父は震えていた。」
この父親はまもなく癌で死んだ。
「父は何か屈託を抱えていたのではないか。私にも屈託はあった。しかしはっきりしているのは、彼のものに較べ、わたしのそれは軽い。比較にならないほど軽い。あの夜、二階で、その屈託同士がぶつかった。」
父親と息子の間には、言いしれぬ緊張感が潜んでいて、何かの拍子にそれはむき出しになり、殺意となってほとばしるのである。
「こんばんは、父さん」には殺意こそよく似合う。