題名:

こんにちは、母さん

観劇日:

04/3/26

劇場:

新国立劇場

主催:

新国立劇場    

期間:

2004年3月10日〜3月31日

作:

永井愛

演出:

永井愛

美術:

大田創     

照明:

中川隆一    

衣装:

竹原典子

音楽・音響:

市来邦比古

出演者:

加藤治子 平田満 大西多摩恵田岡美也子 橘ユキコ 酒向芳 小山萌子 西本裕行
 
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「こんにちは、母さん」


 まるで当て書きしたように適役だった杉浦直樹の 「直ちゃん」が西本裕行に代わっての再演である。 西本でも悪くはないが、色気が違う。やや爺さん過 ぎた。後のキャストは初演と同じで、それぞれとこ ろを得ている。随分評価が高い戯曲で、面白さは折 り紙付き。見てない人には、是非、とお奨めしたい。
 新国立劇場再演は、「太平洋序曲」「神谷町さく らホテル」に続いて三本目だそうだ。再演に当たっ て永井愛は並々ならぬ意欲を見せた。その最も分か りやすい証拠はポスターにある。「太平洋・・・」も 「神谷町・・・」も初演のものをそのまま使った。図案 代をけちったわけでなく、替える必要を認めなかった のであろう。ところがこの芝居は、見ての通り初演 と極めて大きなイメージの差がある。初演 の 下谷二助のイラストはへたうま系のペン画で広い 空間に三人の人物を配し、ポップな(軽いと言っても いい)感じにそこはかとないユーモアを醸している。 永井愛の世界といって大概は同意するはずだ。 ところが今回の再演のイメージは下町の路地裏と見え る褐色に色あせた写真である。初演の気分に比べたら一見雑然として重く、暗い。こうしなければいけなかった何かがあったのだろう。
 そんなことに気がつく前に、第二場当たりから、何となく台詞を刈り込んだかなと思い始めていた。あるいは、少しテンションを抑えているかという気もした。もともとの話が面白いのでかまわないのだが、それならむしろどんなふうに再演を考えたのかに興味が湧いてきた。
 二年ぶりに実家に帰った神崎昭夫(平田満)の目に飛び込んできた母親福江(加藤治子)は、髪を染め派手な洋服を着てボランティアに忙しくするという意外の姿だった。おまけに荻生直文(西本裕行)というカルチャースクールの講師、元大学教授の恋人もいる。昭夫自身は自動車メーカーの人事総務部長でリストラの真っ最中である。いわば首切り役人だ。そんなさなか子どもが就職して家を出たのをきっかけに妻に離婚を言い出され、居場所を失って実家にやって来たというわけである。福江のボランティアは中国人留学生に適当な下宿先を紹介斡旋する仕事で、学生の李燕(小山萌子)や代表の琴子・アンデション(田岡美也子)が出入りしている。
 舞台中央に卓袱台のある茶の間、正面に二階に至る階段とトイレに行く廊下、茶の間からは二間分のガラス戸を通して坪庭が見え、その先の板塀には潜り戸がついている。その坪庭をのぞき込むような位置に階段を上って琴子のアパートがあり、隣り合う物干場は、せんべいやの二階裏で、昭夫の幼なじみ番場小百合(橘ユキコ)が住んでいる。その手前は李燕の下宿屋。下手にあるはずの玄関口よりはガラス戸の方がよく使われて、いかにも下町の風情がある。(美術の大田創が考え抜いた構成で、初演の時からとりわけガラス戸の評判がいい。)
あるとき潜り戸からサラリーマン風の男が現れ、あたりをうかがいながらガラス戸を押し開けて入ってくる。昭夫の同僚でリストラの対象になった木部富幸(酒向芳)である。昭夫の後をつけて実家にいることをかぎつけたのだった。ここから怒濤の展開が始まる。
 
  ごくありふれた日常の底にある本当のこと=難しく言えば「構造」を平易な形でしかし少しばかり風刺を利かして見せてくれるのが永井愛の真骨頂である。
この芝居の場合、そのひとつが福江と直ちゃんの関係である。
老いらくの恋いに浸かっている本人達は能天気だが、結婚などされたら財産分与だ介護だと問題は著しくややこしくなる。当然直ちゃんの長男は猛烈に反対する。益々燃え上がってついに福江の家で同棲を始めることに。荷物を運んだ嫁の康子(大西多摩惠)は堅物の夫とうまくいっていないらしく離婚を考えている様子。それぞれうなずける事情がぶつかり合っているのである。
 そして、次に昭夫と木部の熾烈な戦いである。
リストラの木部は、貴様らに「理想の自動車を開発するという自分の夢」を奪う権利はないとばかりに昭夫を追い回して暴力沙汰におよびついには管理職ユニオンに駆け込んで問題を拡大する。この間、木部は家族には毎朝何事もなかったように出勤して見せている。木部のような涙ぐましい姿は実際に数多く見られたはずだ。結局この事件の対応のまずさが原因で昭夫自身がリストラされることに。この大騒動を通して、失業がもたらす悲劇や企業のエゴ、ひいては日本社会の変容など広範囲の問題が浮き彫りにされる。 (木部は昭夫の家に出入りしているうちに琴子とちゃっかり出来ている。ずるい。)ついでながら言えば、リストラとは再構築のことだが、言葉の真の意味でこれをやった企業はどれほどあっただろう。僅かな利益を確保するためにむやみに人を敵対させ、傷つけ恨みを呑んだ失業者を五百万人も溢れさせた。そんな混乱と悲劇の果てに何年も景気を回復させることはできなかったのである。愚挙としか言いようがない。
 この二つの主筋の他にもうひとつ通奏低音のように流れている旋律がある。それは、ビートルズ。小学六年の昭夫がトイレに書いたギターを弾くビートルズの絵がいまだに残されている。それを書いたとき足袋職人だった父親はこっぴどく昭夫をしかりつけた。昭夫は父親とは理解しあえないと感じて、そのとき初めて家出をするのである。絵の出来を父親が感心したかどうかはともかく消されずに残った。昭夫は大学入学と同時に家を出て、ついに父親と親密な関係を結べなかったと思っている。このことが、福江と昭夫の関係にも微妙な影を落としていて、終幕の重要な伏線を成している。場をつなぐ間には当然のことながらビートルズが流れる。
 脇筋についても少し説明しておく必要があるだろう。
 琴子・アンデションは、スエーデン人と結婚していたが、男はいつの間にかいなくなってしまった。元来外人を好きだというタイプの気丈で姉御肌、ほれっぽい女。アパートにいろんな男を引きずり込んでいる。木部もその一人。初演では、ボランティアのリーダーで、気っぷが良く明るいキャラクターが狂言回しの役割をしていたように思えたが、今回は、地味に押さえ込んでいた。夜一人で階段を溌剌と登ってアパートに帰るシーンがあるが、初演では途中でハアとため息をついてしゃがみ込み、「女もつらいよ」と言った風情を見せる田岡美也子が大いにおかしかったが、今回はあっさりしたものだった。
 せんべいやの番場小百合は婿取りだが三ヶ月前に亭主が家出をして行方がわからない。幼なじみの昭夫が帰ってきてしばらく実家にいると知って何かと用事を作ってはやってくる。小さいころ昭夫のことが好きだったといって露骨に誘惑するようなそぶりを見せる。ところが荻生康子がやってくると昭夫がそわそわしだし、康子もまんざらでもない様子なのに嫉妬の焔を燃やす。
 こちらは初演と差はないが、妙なことに家出した小百合の夫が声(山本龍二がやったはず)だけ出演する場面が省略されていた。
 他にも、昭夫とその妻が電話で会話する場面もなかった様な気がする。
 こうしてみると、再演で永井愛が考えたことは、脇筋を出来るだけ刈り込んで、印象を抑えるということだったと理解できる。
ではなんのために。当然のことだが主題をよりいっそう際立たせようとしたのだ。
 終幕、急死した直文の葬儀から帰った親子が茶の間に入ってくる。久しぶりに訪れた「母さん」と二人きりの時間である。昭夫は退職も離婚も決心したという。それを聞いて福江が坐り込りこむと側にあった一升瓶から湯飲みに酒を注ぐ。「不幸だねえ。」と一言。それから二人の不幸自慢が始まる。
 永井愛は、この最後の場に非常に多くのものを入れ込んだ。
昭夫は大人になるとすぐに家を出た。だから本当は福江の人生について多くは知らない。父親についてはもっと知らない。ビートルズは、いわばこの時代特有の世代間ギャップの象徴であり、神崎家にもそれが具体的な形で十二分に投影していたことが言える。
福江は、恋人を失ったさみしさを紛らすように、自分の不幸を語る。東京大空襲で逃げ惑った娘の頃、昭夫が生まれても抱こうとしなかった夫の不信な態度、夫の昭夫に対する厳しさを許してしまった悔恨、老いて身体が利かなくなることへの恐怖・・・コップ酒を煽りながら話す母さんは、初めて出会う母さんだ。
 そして、ビートルズの落書き家出事件の日、夜中に起きだした夫の後を追い、暗い洗面所で鏡をのぞき込む夫のすさまじい形相を見て、何故か、この人は中国戦線で子どもを殺したことがあったと直感する。劇半ば、何気なく中国人留学生にあげた古道具の中に旧帝国陸軍の水筒が混じっていて突き返されるところが伏線となっている。福江はこの時に聞けばよかったといま後悔する。そうしたら夫のこともう少し理解し得ていたかもしれないと思うのだ。
気がつくと七月末の夕暮れに、いつの間にか宵闇が迫ってきて、突然隅田川から花火の音が鳴り響く。琴子も小百合も李燕も二階に顔を出して歓声を上げる。
 この最後の場は、たぶん全く手を入れていなかったと思う。人生半ばで始めからもう一度出直そうと決意する昭夫、自らの半生を語り尽くすことで喪失感を癒し、覚悟を新たにする福江、二人を祝福するような景気の良い花火こそ、芝居の幕引きにふさわしいのである。
さて、この再演の戦略はどうだったのか?
 おそらく初演を見た観客は、この加藤治子の長いモノローグで構成された最後のシーンを際立たせるという永井愛の意図を理解したと思う。初演を見なかったものに不満がでるとも思えない。それでは、この再演は成功か?

  僕は大いに不満である。
 こんど再演する機会があったら、初演演出にすべて戻すべきである。ビデオは撮ってあるだろうから見比べたらどっちが面白いかおそらく一目瞭然だろう。
 この芝居を冷静に見るならば、先に書いたように主筋は昭夫のリストラと福江の老いらくの恋である。この二人は親子だが、別々に暮らしてきたからお互いの事情は知らない。だから「こんにちは、母さん」だったのだろう。これが現実であり現在だとすれば、最後の福江と昭夫の会話、福江の長いモノローグのようなものだが、これは回想であり過去である。始めから位相が違うのだから一方が他方に影響することはない。つまり一方のシーンを減らしてテンションを下げ、台詞を削っても他方には何の効果ももたらさないという構造なのだ。
 もったいないことをした。
 そんなことと関係なく僕は、初演の時から、この最後の長いシーンを半分ほどにするべきだと感じていた。直ちゃんの葬式が終わって、気持ちの整理をつけたら景気よく花火があがっておしまい、では何故いけなかったのか?
おそらく「こんにちは、『今まで知らなかった過去の』母さん」に大急ぎで取り組まねばならないと思ったのだろう。
 いかんせん大量の情報を詰め込みすぎた。
 小学生のビートルズファンというのも張り倒したくなるが、父親が誕生したばかりの昭夫を抱こうとしなかった理由を中国戦線で子どもを殺した体験があったに違いないと思った話もいかにも唐突でこんな重要なことを出す場面としてかなり異様である。暗がりの鏡に映った形相を見て直感するなどちょっと映画の見過ぎではないか?
 昭夫と父親の関係にしても、今でこそ友達親子見たいなものが普通になったが、もともとこのあたりの世代まで父親が子どもと口をきく習慣はなかった。だから、子どもは父親がどういう男かその後ろ姿をみて成長して巣立つしかないのだった。どこからみても昭夫父子の不仲などありふれた風景であり、取るに足らない問題である。
 福江にしても「あの時聞いておけばよかった・・・」と大いに反省するが、それは嘘である。「あの時」ははっきり言えば聞きたくなかった。答えが恐ろしかったのだ。絶対に答えが出ない現在になって安心して「聞けばよかった」などと少し内省すればわかるごまかしを永井愛は言わせてはいけない。「やはり、あの時聞かなくてよかった・・・」が正解である。父親にしても仮にそれが事実だとしたら、口が裂けても言うものか。胸にしまい込んで、一生痛みをこらえて生きていこうと覚悟したのだ。人間にはどんなに親しい間柄でも知られたくないことや言いたくないことがあるのはもちろん、知りたくないことや聞きたくないことがあるのも当然のことではないか。何もかも知りたいと願うのは一種の小児病で、浅はかなだけだ。しかも、こんなとってつけたような話を「中国における侵略行為を告発すべきだったことの喩え」だなどと受け止めるおめでたい頭脳は多くはあるまい。どうあれこの芝居にとって重要なサブジェクトにはなりえない。ここは徹頭徹尾、退職と離婚、心を寄せる人の喪失、それを癒して再生への希望をつなぐ場面であるべきだ。
 永井愛が戦争について書くときはそれなりに取材をしているものと思うが、東京大空襲に比較して、中国戦線子殺しの話にあまりリアリティを感じないのは想像で書いたものだろう。他の芝居でもそうだが、永井は戦争の話になるとどうもうなずけないことが多い。それは彼女が昭和の戦争についての立体的な構図を自らの中にしっかりと描いていないことが原因である。 戦争体験者は既に八十歳前後、もはや肉声で体験を聞ける限界に近づいている。
 いずれにしてもこう言う話題の提出の仕方にはかなり無理があったと僕は思っている。
 検討を願いたい。
                       

          

             (2004/4/17) 

 

 


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