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「黒いぬ」
紀伊国屋ホールの入口は両サイドの真ん中に一つずつある。その列は通路になっていて客席はそれを挟んで前後に振り分けられている。そろそろ時間だというので中に入ると、通路の最前列に大笹吉雄教授始めお歴々が座っているのが目に入った。評論家や俳優のために用意された席だろう。その後ろの座席が埋まっていない。疎らというよりほとんど人が見えないのだ。そんなことは初めてだったので、僕としてはどうも悪い予感がした。
観世栄夫が出るというだけで何の先入主もなく出かけたのだが、いきなり「スパイ大作戦」のテーマが鳴り響いて、照明がチカチカする中に、黒いぬ(観世栄夫)が現れた。今や懐かしいオープンリールのテープレコーダーを前に、何やら「指令」を吹き込んでいる。時々どもって操作も間違える。「当局の指令」の声(大平透がやった)のつもりなのだろうが、あれから三十年、もはや白髪頭のよれよれのよぼよぼといった風情である。
「おはよう、フェルプスくん・・・」で始まるこのTVシリーズは66年〜73年にオンエアされ高視聴率を獲得した。ある日リーダーのジム・フェルプスのところへ「指令」が吹き込まれたテープが送られてくる。「君又は君の仲間が捉えられても当局はいっさい関知しない。なおこのテープは自動的に消滅する。」(実際に、煙が出て「消滅」するのが不思議だった)で終わるメッセージが、大人はもちろん子供にもよく知られていた。
この「当局」が政府機関というのなら話ははっきりしているが、個人的な誘拐事件なども扱うところを見ると必ずしも税金で運営されているわけではなさそうだ。仕事の内容をブリーフィングしたファイルの表に「Impossible Mission Force」の文字があるだけで「当局」が何者なのかは謎、というのも魅力の一つだったかもしれない。
この芝居は、その構造を十分に活用しながら「年老いた元スパイ」の悲哀を喜劇仕立てに見せようとしたものである。いや、それだけでは不十分と見たのであろうか、「元スパイ」の5人に、やはりTVシリーズで、子供向け番組で人気を博した「秘密戦隊ゴレンジャー」のキャラクターを割り当てようとした。「5」レンジャーはそれぞれ赤、青、黄、桃、緑の仮面を付けている。ポスターのズボンで明らかだが、ここで困ってしまうのは、ゴレンジャーが秘密の戦隊として皆同等の立場にあるのに、黒いぬは、「当局」として「指令」を送る立場であり、他のメンバーの師匠格でもあるということだ。ここに多少混乱はあるが、劇では黒いぬはリーダーであり、しかも謎の多い人物として姿を見せる。
ある日、黒いぬから昔の仲間とんび(菅野菜保之)のところにテープが届く。「君の使命は、この国で不必要と思われる人物の減らず口をいっさい封じることにある。」というのだ。「不必要と思われる」とは実に曖昧で恣意的な言葉である。「減らず口を封じる」とはどのような方法で?一体どういう意味なのか。とにかく自分の屋敷にくるようにとあったので、訪ねてみるとヘルパーだというメガネ(伊澤勉)の若い男がいて、あいにく黒いぬはそこらを散歩、いや徘徊中ということである。黒いぬはボケが始まっているらしい。そこへ同じく呼び出された仲間のやまかがし(綾田俊樹)が妙なことに死体の男(笠木誠)を引っ張って現れる。死体を見たメガネが叫んで走り去ると、「共謀罪」を恐れたとんびが死体を始末しようと言い出す。その相談をしていると、やはり呼び出されたジャコウネコ(新井純)と北極熊(坂上二郎)が登場、なんと北極熊の手にはひもがあり、逃げたはずのメガネが縛られてくっついている。この死体とメガネはなかなかのくせ者なのだが、一同後で始末を付けようとひとまず風呂場に隠される。
なかなか帰ってこない黒いぬを待ちながら、四人は思い出話をはじめる。実際に起きた事件の背景に彼らが画策した「ミッション」が潜んでいたとするもので、川村毅の批評精神、面目躍如の部分である。これが大いに笑える。
「田中の角さんには悪いことをした。」というのはやまかがし。立花隆に資料を渡して書かせたのは、黒いぬの指令だったという。黒いぬには誰が?国か?いや、上のほうだ。それ以上は分からない、という。
岡本太郎を説得して大阪万博の太陽の塔をデザインさせたのも自分たちだった。
キャンディーズの解散コンサートを無事に終わらせたのも彼らの仕事だった。実は過激派が暴動を計画していたのだという。ランちゃんの「普通の女の子に戻りたい」と言う一言で皆が納得したのだ。あれはナベプロも承知していないヤマカガシのアイディアだった。
山中組と三和会の抗争を終結させるという大一番は、黒いぬが謎の極道大親分に扮した劇中劇である。これはほんとにあったかどうかは分からない。しかし、この和解をきっかけに暴力が影を潜め、経済やくざが台頭するようになったのだととんびが語る。戦後のごたごたの解決にやくざを利用し、60年安保の時はやくざも右翼も活用して、それがいつしか不必要になった。自分たちはあの時まさに「必要のないものの減らず口を封じ」たのだった。
北極熊の大山首相なりすまし事件は、フィクションだろうが、長いせりふの中に、首相の本音のようなむちゃくちゃなはなしをいれてストレスを解消した。
「三日間わがまま言いたい放題言ってやろう。・・・料亭にいくぞ。・・・贈収賄だ。・・・靖国参拝。中国と韓国が文句を言ってる?さっさと謝ちゃえ、なに、右翼がきた?あっ、刺された。・・・やい、ソ連、北方領土を返せ!・・・やいアメリカ、いずれ広島、長崎の仇をとってやるからな。なに、北朝鮮にミサイルぶち込んでやれ。・・・国会?あんなもん、国民はなにも興味ねーよ。・・・」といった調子である。
自民党が国会で重要法案を通そうとしていたさなか、可決予定二日前に大山首相が亡くなった。予定通り法案を通過させようと偽装したのである。
北極熊=坂上二郎のじろさんは脳梗塞の後遺症で思うようにせりふが言えなかったが、それでも一生懸命で、何とか聞き取ることは出来た。彼へのあてがきのようなものだったとはいえ、後遺症は思いの他厳しくて、もはや往年の輝きはなかった。この後もやや長いせりふはあったが、棒読みで聞き取りにくく、観客の期待は落胆に変っていた。
その間に風呂場に入れられていた死体の男がよみがえり、メガネの男と話している。二人は仲間だったようだ。ナチスが開発途中だったのをハリウッドが研究して作った薬で、一旦死んだ男は再びこの世に戻ったのだ。
「どうだ、死んだ気分は?」
「おお、三途の川ってあるぞ」
「へえ」
「ほしのあきに似た素っ裸の女が向こうで手を振ってんだ」
・・・
「ところが岸に上がろうとしたら、ほしのあきがデヴィ夫人になった」
「おお、デヴィ夫人素っ裸」
という調子である。どうやら、元スパイの年寄りどもをおびき寄せて「口封じ」をたくらんでいる様子である。
それとは知らず、とんびたちは、まだ昔話に興じている。
今度は60年代のマッカーサー米駐日大使暗殺計画である。黒いぬが政府高官に扮して脇を固め、とんびが狙撃手として狙ったが、そのとき何故か撃たなかった。とんびは審問されて「今でも日本にとってアメリカは必要なのです」と応えた。岸信介は隣で、深く首肯いたという。ただ単に手が震えて引き金を引けなかったというだけだったが、結果としては歴史的な判断を自分が下してしまったのだ。
それから話は80年代に飛んで、北朝鮮の拉致問題にかかわったことに及ぶ。80年頃自分たちの世界ではすでにそれが分かっていた。やまかがしがオランダに乗り込んで、囮になるというプロジェクトだった。いまは懐かしいジャルパックのロゴ入りショルダーバックを肩にかけてやまかがしが現れる。いま思えば、日本が高度成長を成し遂げて、盛んに海外旅行へ出かけるようになった先駆けである。ジャルパックの団体旅行がどこか滑稽なことに思えて、僕は一人で笑っていた。
やまかがしは、みごと北朝鮮工作員となった日本人の男を取り戻すことに成功する。綾田俊樹の怪しげなスパイぶりがおかしいシーンであった。
老スパイたちはそれぞれ、年取った自分の境遇を語る。家族から孤立するもの、家族がいない淋しい老後を迎えたもの、悲喜こもごもである。
やがて、メガネと死体の男がやってきて、黒いぬが自分たちに指令を出したというのだ。「役立たずの減らず口を封じろ」と言うのは歴史の秘密を知りすぎた老いたるスパイたちだったというわけである。
そこへ黒いぬも現れ、どんでん返しに次ぐどんでん返しで、終いには訳も分からず、ミッション完了ということに。
最後にとんびが黒いぬに「私たちのミッションはどこから命じられるものだったんでしょうね」と訪ねる。
上からだ。と黒いぬ。時の政府?それとも天皇陛下?あなた自身?世論ですか?
見えない個人の意志だ。
分かりません。ととんび。それにしても私たちがしてきたことはほんとうに正義になっていたのでしょうか?
もちろん・・・ただ、この国の正義はいつだって曖昧だ。
川村毅は、自分は喜劇が好きだったが、やっと照れずに喜劇を書く気になったといっている。(「パンフレット」より)パロディにしてはやや手が込んでいて、ギャグで笑わせるという類いの喜劇とは訳が違う。(もっとも、三途の川の場面などは大笑いだが)三谷幸喜などとは一味違う高尚な笑いを求める態度は好感が持てた。初めてという割には立派な喜劇になっていたと思う。ただし、話はどたばたし過ぎで、スパイの世代交代の必要性=メガネと死体の男の必然性をもう少しクリアカットに見せて欲しかった。
「数年前、タランティーノの映画『キル・ビル』を見た時、この女殺し屋の老後はどうなるのだろうかと考えたのがこの劇を書くきっかけとなりました。さらにジェームス・ボンドの老後、チャーリーズ・エンジェルの老後、はたまたゴレンジャーたちはどのような老人の生活を過ごすのか。当初、思い浮かんだタイトルは『キル・ジジ』でしたが・・・」
スパイにも老後があるのは当たり前だが、それを想像してみるというのも奇妙な=めったにない感性というべきだろう。川村毅はその希有な才能でスパイの老後を追求したのだが、結局思い出話に浸る老人あるいは家族から見放される、淋しい老人という普通の老年の姿が浮かび上がっただけではなかったか?あたりまえだが、面白かったのはその思い出話の方であった。
僕にとってはやはり「老兵は死なず、ただ消え去るのみ」だな。退役してまもなくバイクを飛ばして身罷ったトーマス・E・ロレンスのように英雄の老年はなくていいものだ。
それにしても、入りが悪かった。内容がそう単純ではなかったこともあっただろう。ジロさんは期待していただけに、あの調子ではちょっと無残というより他ない。観世栄夫80歳、坂上二郎72歳、菅野菜保之67才、まあ老人であるが、客を呼べないキャリアではない。一生懸命切符を売らなかったのか?残念至極であった。川村には、もう少し話を整理して、キャスティングを変え、いつか必ず再チャレンジしてもらいたいものだ。題名: |
黒いぬ |
観劇日: |
06/12/9 |
劇場: |
紀伊国屋ホール |
主催: |
T Factory |
期間: |
2006年12月6日〜12月10日 |
作: |
川村毅 |
演出: |
川村毅 |
美術: |
島次郎 |
照明: |
関口裕二 |
衣装: |
堀井香苗 |
音楽・音響: |
原島正治 |
出演者: |
観世榮夫 菅野菜保之 新井 純 |