題名:

幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門

観劇日:

05/2/25

劇場:

シアターコクーン

主催:

シアターコクーン      

期間:

2005年2月5日〜28日

作:

清水 邦夫

演出:

蜷川 幸雄

美術:

中越 司     

照明:

原田 保    

衣装:

前田 文子

音楽・音響:

笠松 泰洋・井上 正弘

出演者:

堤 真一 木村 佳乃 段田 安則中嶋 朋子 高橋 洋 田山 涼成沢 竜二  松下 砂稚子 冨岡 弘 山下禎啓 二反田雅澄 大友龍三郎 飯田邦博 塚本幸男 五味多恵子 土屋美穂子 井上夏葉 加藤弓美子 鍛治直人 栗原直樹 神保良介 岩寺真志 山風Y也 ひかる光一 星 智也 小栗了 川崎誠一郎 川崎誠司  
 


「幻に心もそぞろ狂おしのわれら将門」

とんでもない駄作を見せられてかなりいら立っていた。帰りがけ僕の不機嫌なのにYがあきれて逆ギレされそうになったのは迷惑だった。
大きく二つの理由がある。
まず第一にこの芝居を今やることの意味がまるでない。
第二に、話が面白くないのに演出が大仰で、かみあっていないこと鼻白む思いがする。
清水邦夫'75年の作品だそうだが、言われてみればソンなのもあったかという芝居で、上演された記憶はない。「真情あふるる軽薄さ」はたぶん'69年頃だったと思うが、それから何年も経っている。「真情・・・」は2001年1月に蜷川幸雄演出家デビュー作再演として上演された。浅からぬ因縁の芝居だから見たが、何だってこんな古証文みたいなものを蔵の奥からとりだしたのか理解に苦しんだ。この芝居は、一人の若者が整然と並んでいる市民を当時の学生運動の生の言葉で挑発するというもので、終いには機動隊が突入して若者は粉砕されてしまい、あの時代ならば大いに共感をもって見ていられた。昔なつかしいと言っても今となってはいかにもカビの生えた言葉だらけで、聞いていて尻がむずがゆくなる思いだった。「狂人なおもて往生をとぐ」はそのすぐ後だったが、これも反体制運動にかかわる若者たちを家族が引き止めるという現象をもとにした家庭劇であった。「家族帝国主義」などという言葉さえあった。清水邦夫はこうした言葉が飛び交う日常を実感として生の言葉で表現しようとするタイプの劇作家であった。どんな作家も基本的にはそうに違いないが、彼ほどあの当時の同世代のムーブメントに言葉も気分も寄り添って劇作をしたものは少ない。それだけ彼の詩的魂は一貫して強くその影響下にあったといっていいだろう。
岩波映画で同僚だった田原総一朗は対談で言っている。「たぶん74年くらいから書いていると思うんだけど、これは大事な年なんですよ。72年が連合赤軍事件、内ゲバががんがんあって、74年には三菱銀行の爆破事件が起きている。つまり全共闘の終わりの頃で、どんどん過激になっていく。一方で74年は田中角栄が辞任、右も左も分裂してるんです。75年にはベトナム戦争が終わって、アメリカが負ける。そういう時代なんですね。」
田原総一朗のような無神経な男にとってはこう言う大雑把な捉え方ですまされるかもしれないが、これに対して清水邦夫は「勉強になります。」などと皮肉ととれないこともない冗談を返している。つまり、「72年が連合赤軍事件・・・」と軽く流しているところが田原の感覚で、田中角栄辞任と一緒くたにするあたりが教養の限界なのだ。
この芝居のタイトルには連合赤軍の事件がもたらした衝撃の余波が隠れている。「幻に心もそぞろ」というのは強引に解釈するが、理想として求めてきたものが実は幻想に過ぎなかったのではないかという疑いを表現している。その心の土台が崩れたような不安によって心がうつろなのである。ではそれに取って代わるべき確固たるものはなにか?見つからない焦りが「狂おしの」ということになる。そして「われらが将門」ではなくて「われら将門」といって、狂っているのは我々で我々全員が「将門」だと言っている。その将門は戦闘の途中岩で頭を打って、自分は将門を殺そうと狙う武将だと思い込んでいる。将門の前に現れる影武者たちは将門に襲われて困惑するばかりである。
よくもまあこんな複雑な筋書きを考えついたものだと感心する。(内ゲバは特に頭を狙ったからその比喩かもしれない。)しかし、いま見ると痴呆症になった老人を前に途方に暮れている家族を見る思いで、ばかばかしくどうしようも出口のない、始めから挫折しているような話ではないか。将門という謎の多い魅力的な男の話をせっかく現地に取材したと言っても、アイデンティティクライシスに陥っている「他人」に「すり替えて」台なしにしたといわざるを得ない。
しかしそうは言っても書いた当時の「真情」はこもっている。連合赤軍事件によって、世界が目指した「社会主義」がひょっとしたらダメだったのではないか、この惨劇は革命を目指すものに運命づけられた結末だったのではないか?という不安は、おそらく60年安保の後の「アカシアの雨・・・」に象徴される挫折感よりも深刻だった。誰もが沈黙し始めた。言い知れぬ閉塞感がただよった。田原総一朗などはその沈黙の意味をくみ取れなかったひとりである。(全共闘運動のピークは70年の東大闘争でその後急速に衰えている。)
僕は、後になってこの状況に非常によく似たものに大逆事件があるのではないかと思った。歴史に60年周期説(柄谷行人がいい、大沢真幸が同調している。)というのがあることをどこかで書いたことがあったが、これはまさにぴったりと当てはまる。無政府主義というものの議論の先には天皇制否定があるのは理の当然であったが、幸徳秋水らは公然とそれを唱えることには躊躇していた。(「寒村自伝」)望んでいたとも言い難い。一方で爆弾製造のまね事などもしていた。しかし、刑死した大石誠之介は教戒師に「世間で言う"うそからでたまこと"というものがあるとすればまさにこれだ。」といったらしいが、どこかに理屈がまさった書生ぽいゲームか冗談という雰囲気があったのではないか。ただし結果は悲惨なものであった。首に生々しい索縄痕の見える菅野すがの遺体を棺桶に入れ、幸徳秋水の棺桶とともに大八車にのせて、特高の監視をともないながら、寒風吹きすさぶ畑のなかを下落合の火葬場に向かう荒畑寒村(管野すがの年下の恋人)の姿は、そのまま当時のインテリの深い挫折感と脱力感閉塞感を表している。
連合赤軍の事件もまた沈黙を強いた。あえて口を開こうにも言葉が出てこなかった。ひょっとしたら俺達はもう立ち直れないのではないかという重い後遺症の中でこの芝居が書かれた痕跡は随所に見られる。
豊田の郷ノ三郎(段田安則)が天を仰いで語る詩的な言葉は美しいがうつろである。豊田の郷ノ五郎(高橋洋)が叫ぶアジテーションはどこかむなしい。狂った将門(堤真一)はしらじらと明るい。意味あり気に詠嘆する桔梗の前(木村佳乃)の言葉も力ない。もう抵抗運動は終わっていたのだ。終わっていたのに、蜷川幸雄は大量の石つぶて(のつもり)を二度も舞台に落とし、戦場の響きをヘリコプターの音と民衆の怒号でモンタージュし、あたかもエスタブリッシュメントに対するプロテストが現実にあるかのようなポーズをとって見せた。(こう言う描き方にもっとも腹が立った。)
もはや知恵も工夫もない。こんなものを見せられた若い観客たちは一体何を思えばいいだろう。「狂おしのわれら将門」と呼びかけられて、何が「狂わせる」のか、言うところの何が「抑圧された状況」なのか?いま自覚的に認知あるものはない。とすれば、演出家は「われらが時代の狂わせるもの」をこの芝居の中に仕込んでおくべきではなかったか?30年前の古証文をつきつけて、まだ賞味期限はきていないと見得を切って見せても良さそうなものではないか。
 唯一救われたのはこれが時代劇であったところだ。扮装も台詞も、ものもしいところでうまくごまかした。ちゃんばらで戦闘シーンを作りだしたところに芝居としてのリアリティがあった。影武者の態度に人間関係の複雑さや組織の在り方を「見いだす」見方もあるかもしれない。しかし、肝心の将門が狂っているという構造において、それもまたハナから挫折しているのである。清水邦夫は、ただ単にセクトも内ゲバも反帝反スタも世界一国同時革命も造反有理も一緒くたにして「狂ってしまおう」と思ったのである。あの時代に閉塞した空気を追い払ういい知恵などなかったのだ。それに今どき丁寧につきあう必要はない。蜷川ぼんくら演出にも感心しなくていい。若者にはこんな芝居を見るくらいなら古い「寅さん」映画でも見て寝てしまうほうがいいと言っておこう。
このくだらない興行を思いついたシアターコクーンにも文句を言っておきたい。演目を決めた愚については散々言ったからいいとして、あの豪華なパンフレットはなんだ。浮き出し印刷にしてまで何かを語りかける意味があったのか?どのページを開いてもこの劇のここに目を留めてもらいたいという気迫が全くこもっていない。作者自身が「この芝居が上演されるとは考えてもいなかった。」と発言しているのを受けてまともなプロデューサーならその応えをパンフレットの中に用意しておくべきだろう。ばか!
パンフレットのデザインも役者一人一人を風の前に立たせて撮った、髪が舞い上がった顔で構成されているのは美しく見えるが、どんな意味が込められているのかは不明である。おばかなデザイナーが張りきりすぎたのだろう。
最後に、将門役の堤真一は今回は感心しなかった。演出家がわかっていないのが大きな原因だが、この人どうも肉体ばかりの人に見えてしようがなかった。木村佳乃は遠くてよく見えなかったが、あまり舞台映えするような役者ではなかった。生硬な感じは慣れていないのだからしようがない。色気がちっともないのはこれから困るだろう。いい演出家に出会うと変わるかもしれないが。
不機嫌な理由が芝居にあったことを理解してYは得心した。機嫌を直すのに飲みに行った。酔ったのはいつものことだからいいが、このまま狂ってしまったらどんなに幸せかとも思った。してみれば、将門はいっそ狂ったから幸せだったのだ。くだらない芝居だったが、まっ、いいか。
      (2005.3.23)

                                                                                       

 


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