題名:

森は生きている        

観劇日:

04/1/9        

劇場:

ルテアトル銀座    

主催:

 無名塾    

期間:

2004年1月6日〜18日      

作:

サムイル・マルシャーク        

翻訳:

湯浅芳子      

演出:

仲代達矢          

美術:

妹尾河童              

照明:

遠藤正義            

衣装:

若生昌           

音楽:

池部晋一郎  
出演者:
仲代達矢 山本 圭 仲代奈緒 青木堅治 佐山陽規 真矢 武 林 勇輔 米川一弘 小松美穂松崎謙二 赤羽秀之 山本雅子菅原あき 他 無名塾 


「森は生きている」

 40年以上も前たぶん小学校の講堂で劇団仲間の「森は生きている」を見た。杖をもった老人と木の間に動物が見えたのを覚えている。劇団仲間は、何年かおきに回ってきて公演した。今度調べたら今でも地方巡回をやっていて、上演回数1800を超えたとあった。「放浪記」「女の一生」に匹敵する。
 俳優座がやっていたことは知らなかった。千田是也がどんなつもりでこの童話を取り上げたか想像は出来る。物語として高いテーマ性と優れた構成をもつという点では異論のないところだ。もう一つ、マルシャークがロシアの作家であることが重要だったと思う。新劇の啓蒙主義的なところは築地から既に始まっている。はやい話がソビエト連邦シンパなのである。そんな中で子ども向けの作品として「森は生きている」が戦略的に使われようとしたのではなかったか、ということである。
 継子いじめと十二ヶ月の森の精たちという設定は、「シンデレラ」と「白雪姫」を掛け合わせたような話である。しかし、「シンデレラ」も「白雪姫」も結末が王子様とめでたくご結婚、ではあまりにブルジョワ的でとても肯定できない。ディズニーのような資本主義にこそふさわしい物語ではないか。そこへいくと「森は生きている」はプロレタリアートの子弟が見るべき舞台である。そういう意気込みが当時から感じられた。
 あれから50年、ソ連はなくなって社会主義リアリズムも保守反動も、何も誰も気にかけなくなった。結局イデオロギーとはまったく無関係に、この芝居はいまでも上演され続けている。それを思えばなかなか感慨深いものがある。
 仲代達矢は俳優座の初舞台をこの芝居の兵士役で踏んだ。台詞がひとつのちょい役だったらしい。今度「老」兵士としてこの思い出の舞台に戻ったら、出番こそ最初と最後のプロットだけとわずかだが、台詞は増えていた。
 「じょうちゃん、こんなところで何をしているんだい?」「気をつけて帰るんだよ。べっぴんさん!」・・・と、これ以上の翻訳調もないような台詞を例のなき節で言うのである。なき節は「セールスマンの死」でも指摘したが、こんなことでは一人浮いてしまうだけだ。一緒に見た連れ合いなどは、あきれて、あれは歌舞伎の『形』みたいなもの、と思わなければしょうがない、という。しかし、僕が演出なら「何年役者やってるんだよ!」といいたくなるところだ。林清人はまだこれを許しているのか、と思ったが、実はこの芝居は、本人が演出していた。・・・もうなにもいえない。
 それを瑣末なことと片づけると、なかなか豪勢な舞台である。あんなにリアルな雪も珍しい。その雪をのべつ豪勢に降らした。吹雪になると客席まで凍えるようだった。
 仲代が自慢しているように、妹尾河童の舞台装置は、猛烈に積もった雪の森からたちまち春になり、夏から秋の森に変わるという変化をほとんど瞬時にやってのけた。映像で表現してもこうはうまくいかないという見事な仕掛けだった。おそらくこれは子どもの目にも本気に映ったはずだ。いつも電気紙芝居の中でごまかしを見せられている彼らに、大人が本気になったらこのぐらいやると見せるのは大事なことである。おそらく「少年H」の感性が本能的にそうすべきと判断したのであろう。
 音楽も池部晋一郎に頼んで新しくしてもらった。歌がふんだんに入っているのはリッチな感じで楽しい。豪勢というのは気前のよさという意味もあるが、この印象は十二ヶ月の森の精、佐山陽規のバリトンによるところが大きい。ミュージカル「太平洋序曲」でもそう感じたが、佐山の厚く重層的な声が響くと、とても豪勢な気分になった。ここでもたった一人でこの芝居全体の歌声を引き受けた感じであった。彼がいなければこの芝居は成り立たなかっただろう。
「女」官長をやった林勇輔のテノールも楽しかった。この人は歌手ではないが、声に色気があって宮廷の場面をいっそう華やかにしてくれた。まだ若いようだが表現力が確かで、これからが楽しみな人である。
 若いといえば、仲代奈緒をヒロインにするのを否定する気はないが、どうしても線が細いのが気になる。存在感が薄いのだ。歌手として作詞作曲も手がけ、ドラマにもでた。しかし、仲代奈緒とは何ものか?たぶん自分でもそれがわからずにいるのだろう。はやく脱皮することを期待する。
 逆に相手役になった四月の精、青木堅治は輝いていた。役の造形がうまかったこともあるが、内側から湧きだす力があった。広く活躍しそうな存在である。
女王様役は、俳優座では宮崎恭子がやったようだが、無名塾の山本雅子女王様も悪くはなかった。無知でわがままですっとんきょうな女王様をかわいげのある風情で演じるのは存外難しいものだが、なかなかいいキャラクターに仕上げていた。
 無名塾として初めてのミュージカル挑戦は、多くの客演俳優の活躍があって、まずは及第点をとったであろう。
 無名塾はこれを全国130公演行うということだが、劇団仲間も地方講演は続けるだろうから、今年は「森は生きている」の当たり年になりそうだ。
 僕はたくさんの子供たちにそのどちらでもいいから見て欲しいと思っている。物語を楽しむのもいいが、それはあとからやってくるもっと面白い物語に取って代わられる。それよりも大事なことは、大人たちが真剣に演じている舞台を見て、「これが本物のお芝居なのだ。」という感動を記憶してもらうことだ。小学生の僕が、たぶん名優、中村俊一や生井健夫たち大人の生身の俳優が舞台の上で何かを演じている姿を見て、これは自分達の遊技や学芸会とはまったく違うもの、いわばただ事ではすまないなにかと感じたように。
 そういう意味でも無名塾はいい演目を選んだものだ。
    (1/27/2004)


新国立劇場