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「夏の夜の夢」

タイトル”A Midsummer Night’s Dream”「真夏の夜の夢」がいつの間にか「夏の夜の夢」になっていた。噂ではMidsummerは夏至の頃のことで、日本の真夏と誤解されてはかなわぬから改めたと聞いた覚えがある。妖精が出てきていたずらする楽しい話だとはいつの間にか知っていたが「真夏」がただの「夏」になって久しいのに、この劇を見た記憶はなかった。
しかしこだわっているわけではないが、劇が進行していくと「これで五月祭も無事終った。」とかいうせりふがあって、五月なのに夏というのはいくら何でも無理があるのではないかと、ふと疑問に思った。英国の冬などは午前八時だというのにまだ真っ暗な朝である。五月の頃なら一仕事終えてビールでもと思って外にでると午後九時の空は夕暮れにもなっていない。メキシコ湾流の恩恵に浴しているからといって汗だくの夏にはならないところなのだ。万事日本の常識は通用しない。とはいえシェイクスピアには他にも妙なところがたくさんあって、はてこれはどういう意味だと立ち止まることも少なくないが、いちいち気にしていたらきりがない。結局トリビアリズムにはまるのが落ちというものだ。四百年も昔のテキストを詮索する楽しみは学者のためにとっておいて、五月だろうが真夏だろうがかまわない、僕らは物語を楽しむことにしよう。
英国人のギリシャ好きはシェイクスピアの時代からあったものと見えて、芝居の舞台はアテネということになっている。妖精ならアイルランドに決まったものだが、そういう常識を外すところもシェイクスピアの特徴かもしれない。アテネの公爵シーシアス(村井国夫)が力づくで奪ってきたアマゾンの女王ヒポリタ(麻実れい)との婚礼を四日後に控えた夜のことである。プリーツをたくさんとった白い幕が真ん中から斜め上に引き上げられる(乙女チックでなかなかよかった)と、シーシアスの屋敷の前に人々が集まっている。婚礼を祝う催しについて打ち合わせをしようと言うのである。ヒポリタは花嫁とはいえ、女だけの国アマゾンの誇り高き女王である。シーシアスは臆面もなく愛を告白し、ヒポリタもそれを受け入れる。
ここで、それならアマゾンの国はどうなるのだなどという野暮はいいっこなしとしよう。一同の中から公爵とその婚約者の前に、イジーアス(大島宇三郎)が進み出て、公爵に訴える。自分の娘ハーミア(宮奈穂子)をかねてから家柄も性格も申し分のないディミートリアス(石母田史朗)と結婚させようと決めていたが、ハーミアがこれを承知せず、相思相愛であるライサンダー(細見大輔)といっしょになるといって、自分の言うことを聞かない。これではアテネの掟に従って娘を告訴せざるを得ない、ついては、娘は父親の所有物という自分の特権を行使することを許して欲しいというのだ。ライサンダーも自分こそハーミアにふさわしい相手と主張し、ディミートリアスと口論になるが、公爵はハーミアに父親の言うことを聞かないのなら、一生独身でいるしかないという見解を述べて、自分たちの婚礼の日まで考え直すように諭す。
一同が去った後、ライサンダーはハーミアに駆け落ちしようと持ちかける。彼にはアテネからほど近い街に独身の叔母がいて、そこなら二人で暮らせると言うのだ。ハーミヤは一も二もなく承知して明日の晩、森で落ち合おうと約束を交わす。そこへヘレナ(小山萌子)が現れる。ヘレナはかつての恋人、ディミートリアスに恋い焦がれているのだが、見向きもされないことを思い悩んでいた。それを知っているハーミアは、自分とライサンダーは駆け落ちしてアテネからいなくなると告白する。あとはディミートリアスと勝手にせいというのである。ところが、ヘレナは駆け落ちの一件をディミートリアスに知らせることにする。当然彼はハーミアを追いかけて森へ行くに違いない。そこでどうなるかはともかく、ヘレナ自身も森へ行けば、恋しいディミートリアスの姿を目にすることが出来る。恋は盲目とはよく言った。どんな修羅場が待っていようかなど、後先のことは考えないものなのだ。恋に狂ったヘレナ、小山萌子の独白はよく身体が動いてコミカル、説得力があった。
物語にはこの二組の若い男女の他に、公爵の婚礼を余興で祝おうと集まったアテネの町の職人たちが並行的に登場する。彼らは祝いの席で素人芝居を演じて見せようと計画していたのである。リーダーは大工のクウィンス(青山達三)、それに機屋のボトム(吉村直)、指物師のスナック(小嶋尚樹)、ふいご直しのフルート(水野栄治)、鋳掛け屋のスナウト(大滝寛)、仕立屋のスターヴリング(酒向芳)らである。彼らは若き戦士ピラマスとその恋人シスビーの死にまつわる悲しい物語を演じて見せようと稽古に励んでいる。この話は、石壁を隔てて逢瀬を楽しむピラマスとシスビーがある誤解を元に二人とも死を選ぶという悲劇で、「ロメオとジュリエット」のパロディになっている。指物師のスナック演じるライオンが、猛獣らしくもなく、見物のご婦人方を怖がらせることを恐れている。これはどこか変だと思っていたら、あの時代にロンドンの町なかにライオンが逃げ出して大騒動になったことがあったことを下敷きにしているのだそうだ。学者というものはえらいもので、そんなことまでよく調べ上げている。
さて、翌日の夜一同は暗くなった森にはいってくる。ここは妖精の王、オーベロン(村井国夫)とその妻、妖精の女王ティーターニア(麻実れい)が支配する森。回り舞台が回転すると三つの螺旋階段を植物の枝や蔓に模した鉄製のオブジェで蔽い、上部を廊下で繋いだ薄暗い森が現れる。この装置は、衣裳とヘアメークを担当したスー・ブレインの手になるものであるが、劇の森のひんやりとした空気感を実に的確に表現していてたいへんな才人だと感心した。ついでにいえば、妖精たちが付けたとんがり耳と背中の小さな羽も彼女のアイディアだと思うが、妖精という文化になじみのない僕らにもすんなり理解出来る造形であった。
オーベロンとティーターニアはあまり仲がよろしくない。互いに公爵とその妻にかかわり合いを持っているようだが、目下のところはインドから連れてきた子供をオーベロンが小姓によこせといっているのにティーターニアが手放そうとしないことに困っていた。そこで、妖精世界の放浪者、いたずら好きのパック(チョウソンハ)を呼んで、恋の三色スミレとか言う花を採ってこいと命じる。その花のエキスをかけると、誰であろうが目覚めた時に最初に目に飛び込んでくるものにたちまち恋に落ちてしまうという。オーベロンはティーターニアにこれをかけて、彼女が誰かに恋をしている間に子供を取り上げてしまおうと考えたのだ。
オーベロンは、また四人の若者たちが森の中にいることを知っていて、パックによくよく事情を説明して、この花のエキスをうまく使って絡まった恋の糸をほぐすように言いつける。この若者たちを探すうちに森の中で芝居の稽古をする職人連中に出会ったパックは、たまたま一人になった機屋のボトムに馬の頭をかぶせてしまう。それには気づいていないボトムがうろうろしていると、オーベロンに花のエキスをかけられて眠っていたティーターニアが目を覚ますところに出くわし、彼女は馬の頭のボトムに一目で恋をしてしまう。もうティーターニアはボトムから離れようとしない。ボトムも馬になっているとは思ってもいないから、実に気持ちがいい。吉村直は馬の首を付けて口を動かすは目を開いたり閉じたり、動きは少ないが、独特のとぼけた味わいをふりまいて大活躍であった。
いっぽう、若者四人は互いにあい争ううちにパックの手によって、おかしなことになってしまう。惚れ薬の効果によって、ディミートリアスがハーミアではなくヘレナに、ライサンダーがハーミアではなくヘレナに、つまり二人ともヘレナに恋をしてしまったのだ。男たちはヘレナを巡って決闘騒ぎになる。取り残されたハーミアがどうなっているのだと戸惑っているのに気づいたオーベロンが、パックにやり直しを命じる。
やがて夜明けが近づいて、ティーターニアの恋もボトムにかけられた魔法も解けてなくなり、狂騒の一夜が明ける。
シーシアスとヒポリタの婚礼の日、現れたディミートリアスは公爵に自分の愛しているのはかつて婚約までしたヘレナの方でしたと報告、ライサンダーは元通りハーミアと結婚すると宣言するのであった。めでたしめでたしである。ここに劇中劇が挿入される。例のピラマスとシスビーの悲劇である。一同は、客席の最前列に陣取りこれを見物する。このシーンは通常省略されるらしいが、この芝居では丁寧に描かれた。登場人物が死んで劇は終わりを告げ、シーシアスも満足であった。
夜中の十二時を告げる鐘の音が響き、舞台が回ると、なんとむき出しの舞台裏の前にパックと妖精たち、それにオーベロンとティーターニアが現れる。オーベロンは、妖精たちに人間たちの幸福を見守るようにと口上を述べると、彼らを引き連れて退場、残されたパックが、「我ら役者は影法師」と素の俳優に戻ってこれは一夜の夢、面白かったといって下されば励みになりますと一座に成り代わって挨拶をして幕になるということであった。
なんといっても、これほど分かりやすく、しかも楽しくシェイクスピアを見せてくれた演出のジョン・ケアードの並々ならぬ手腕を評価すべきだろう。通常は冗長あるいは関連性が薄いなどと、つまんでしまう部分も取り入れて、何のけれん味もなく正攻法で作り上げたことによって、劇に言い知れぬ余裕ができた。松岡和子の翻訳のよさも預かってあまりあるものだといえる。
俳優はオーディションで選んだというが、納得出来る布陣であった。特に妖精の若い俳優たちの選定には、腐心したようで、それも含めて全体として演出家の感性がよく伝わってくる。ディミートリアスの石母田史朗、ハーミアの宮奈穂子、ライサンダーの細見大輔、ヘレナの小山萌子、それぞれ適役だったといえる。
特にパックのチョウソンハは、初めて見たが、こんな役者がどこにいたのだといささか驚いた。背丈は余りないがなにしろからだの切れ味がいい。
劇中、ヘレナとハーミアのせりふの中で女が男に対して吐き出す批判は、辛辣でそれから考えると人間というものはほとんど進歩のないものだなあという感慨が湧いてくる。興味のある方は、戯曲に当たって見ることをおすすめする。

それにしても何と楽しい芝居だったろう。憂さも晴れる芝居なんてそうそう見られるものではない。その日のうちに、「おすすめ」と歓声を上げた次第である。

 

 

 

題名:

夏の夜の夢

観劇日:

07/6/1

劇場:

新国立劇場

主催:

新国立劇場

期間:

2007年5月31日〜6月17日

作:

ウィリアム・シェイクスピア
翻訳: 松岡和子

演出:

ジョン・ケアード 

美術:

スー・ブレイン 

照明:

中川隆一

衣装:

スー・ブレイン

音楽・音響:

イロムナ・セカッチ/久米大作

出演者:

村井国夫 麻実れい チョウソンハ 
細見大輔   石母田史朗 小山萌子        宮菜穂子 青山達三 大島宇三郎 吉村 直 大滝 寛小嶋尚樹 酒向 芳 水野栄治神田沙也加 松田尚子 JuNGLE
坂上真倫 森川次朗 一 弾丸 柴 一平 西田健二