題名:

夏の砂の上 

観劇日:

06/4/28 

劇場:

「劇」小劇場

主催:

天戸日和     

期間:

2006年4月25日〜4月30日

作:

松田正隆

演出:

松村恵二

美術:

香坂奈奈      

照明:

平松篤    

衣装:

音楽・音響:

井出比呂之

出演者:

鈴木隆 伊藤弘子 小林あや 佐藤華子 照屋実 野口博正 笠原秀幸 椎名桜

 


「夏の砂の上」

妙に力みのある緊張感の消えない演技、抑揚が少なく感情が乾いたようなせりふ回しである。主人公の鈴木隆は勿論だが、他の俳優にもその傾向が見られるのは、それが演出の意図なのかも知れない。次第に慣れていったが、劇中三人の酔っ払いが舞台袖で大声を張り上げて言い合う場面で、再びこれはある種「過剰」ではないかという気になった。音量のボリュームを目一杯大きくしてその限界で声を出しているようなものである。狂気とまではいかないが少しばかり危険な香りがする。

松田正隆の本が、例によって長崎を舞台にしたある家族の人間模様を描いたもので、それほど張りつめた、あるいは高揚した表現を要求してはいない。むしろ淡々と彼らの日常を見せるほうが松田の意図したことが伝わるともいえる。もともと松田正隆の世界は平凡に暮らす人々の細やかな感情の起伏を描きながら、たとえなにか事件が起きたとしても、蝉時雨に包んで日常にかえしてやるような静かな情趣をたたえている。松田の中に長崎という街が抱えている過去への云わば諦念のようなものが流れていて、その故郷への思いをてこに劇作をしているという気がする。したがって、その世界はあくまで静かで情緒的である。

しかしながらこの芝居は、ディテールの心情表現を出来るだけそいで、筋書きを一本の太い線で描いて見せたといってよい。おそらくそれが松村恵二の演出意図だったのだろう。意図したことなら、そういう描き方もあるといってすますことも出来る。が、一方で実はそうとしか表現出来なかったのではないかという「疑い」を抱いたのも事実であった。それは俳優の身についた演技の幅ということに関係している。ただ、そのことはひとまずおいておく。

鈴木隆が「天戸日和」という劇団を作って最初の公演がこの芝居である。それは見る前には知らなかった。旗揚げ公演に松田正隆を選んだのは、つまりはそういう傾向の芝居をやろうということなのだろう。何故か?については次のように書いている。

「さすがに40近くになると周りは所帯を持ち家族を作っていきます。家族を持たない僕が家族の芝居をやります。きっとあこがれているのだろうと思います。なにかをいやでも背負って生きている人はすてきです。そんな人に私はなりたい。・・・(お前は宮沢賢治かよ!)」きまじめさがにじみ出ている。

長崎のがけの上の家。小浦治(鈴木隆)の家で妻の恵子(伊藤弘子)が荷物をまとめて出て行こうとしている。そこへ小浦治の妹、川上阿佐子(小林あや)が中学を卒業したばかりの娘優子(佐藤華子)をともなって神奈川からやってくる。親しくなった男が博多で店をやらせてくれるというので、落ち着くまで娘を預かってくれというのである。嫌も応もない。博多へ取って返す切符を持っていて、唖然としている治を尻目にさっさといってしまう。阿佐子は身持ちの悪い女のようだ。土産に持ってきた「ひよこ」をだして、どこから食べるか悩んだという昔話がなかなか面白かった。優子の佐藤華子がどこか飄々とした味わいでひろい物ではなかったか。

小浦治は、造船所の下請けの溶接工だった。いまは会社が倒産して失業中である。同じ溶接工の仕事を望んでいたが、妻とそういう関係になって勤め先を探す気にもならなかった。

優子は近所のコンビニに仕事を見つけて、通っている。

ある夜、治は元同僚の持田(照屋実)の就職祝いの流れで、やはり同僚だった陣野(野口博正)と一緒にかなり酔って帰ってくる。持田はタクシーの運転手に再就職出来たのだ。怪気炎を上げる持田に比べてどこかぎこちなく落ち着かない陣野。妻の恵子が家を出たのは陣野のせいで、二人は一緒に暮らしているのではないかと治は薄々感じていた。

その夜、酔った持田は泊まった。それがきっかけで、治は気が変わりハローワークへいくようになった。

コンビニに勤めている優子に男友達が出来た。立山(笠原秀幸)はアルバイトの学生。優子は休み時間に治のいない家へ立山を誘い込むようになっている。ただ、優子は本気なのかどうか怪しいところもある。なにしろまだ十五六の小娘である。

タクシーの運転手になったばかりの持田が亡くなった。電車の停留所の車止めに激突したのだ。通夜の日、全身包帯だらけの女が飛び込んでくる。陣野の妻、茂子(椎名桜)だった。治に恵子をつれて帰れというのである。自転車に乗って坂を下りながら、夫を奪われたことを考えていて石垣に身体ごとぶつかったというのである。

陣野と恵子のあいだはもはや決定的になっているのであろう。治がでていって、どうにかなるものでもなかった。

治の就職が決まった。ちゃんぽんやの裏で鶏の骨をたたき切るという仕事である。

ある日、恵子が旅行鞄をもって現れる。大阪で陣野と暮らすという。陣野も頭を下げるのだが、治にとってはもう過ぎたこと。

秋になって、妹の阿佐子がやってきた。博多の店の件は男にだまされたのだという。今度は優子を連れてカナダへ行くらしい。「仕事が決まったんだって」と聞く阿佐子に包帯に包まれた手を見せて、指を三本失ったという治。鶏の骨をたたいているうちに自分の指をやったらしい。しかし、治の顔に憂いは見えなかった。

如何にも松田正隆らしい話しである。突然姪と二人暮らしになった男のとまどい、その姪の若さというものによって癒される傷ついた心。焼けつくような夏の陽射しが和らいで、秋の気配が静かに回復の兆しを感じさせる終幕、ドラマティックな佳品であった。

蝉時雨が場面転換に使われたのは常套手段だが、いつも同じようでいささか単調だった。「場」の空気にあったそれぞれ違う蝉の鳴き声があったはずである。それが芸というものだろう。それに短くていいから音楽との組み合わせがあるべきだった。もっと情緒を表現出来たはずで、そのあたりをケチらないほうが良かった。

また、狭い劇場で、香坂奈奈の装置はなかなか工夫してあったが、夏ということが一目で感じられるために抜けが欲しかった。たとえば、正面でもどこでもいいが、坪庭が見えて軒先に風鈴が下がっているなどのことである。せっかく出演者が腕や顔に汗の粒を浮かべて登場するという芸の細かなところを見せても、舞台装置が扇風機一台の他はまったく季節感を感じさせないのでは、やれスプレーを掛けたななどとよけいなことに気がいってしまう。ややもすると奥が暗いので寒々とした気分になったのも事実であった。

ここは、失業と妻の浮気、家出に打ちのめされている男の心情をモンタージュする夏のじりじりする強烈な陽射しと脳髄の中に食い込んでくるような蝉時雨が欲しかった。

また、平松篤の照明も劇場が狭いだけにもっとフォーカスを絞ってメリハリをつけたほうがよかった。明かりを絞り込まないと客席との境界がはっきりしないので、舞台に集中出来ない嫌いがある。この明かりは、かなり勉強が必要だな。(同じ劇場で観た青年座の「友達」の、桜井真澄の照明はたいへん参考になると思う。)

ところで、はじめに俳優がこういう演技しか出来なかったのではないか?と書いたことだが、それはもっと直裁に行ったら、「我流」という意味である。我流が悪いというのではない。ただ単に、表現の幅が狭くなるだけで、演劇の質の問題ではない。それは主として、張りつめていて抑揚が少なくせりふがまるで叫んでいるように聞こえることをいうのだが、おそらくそれが身についてしまっているのだろう。そういう意味である。

同じようなせりふ回しを、聞いたことがあったと思ったら、新転移・21「黙る女」(山崎哲・作/演出05年11月)のときだった。これはドキュメンタリーのような内容だから感情を殺しても違和感はないが、それにしてもずいぶん平板な言い回しだった。よく似ているように感じる。

この芝居は、俳優のプロフィールを見ると、鈴木隆、伊藤弘子、小林あや、佐藤華子の主要な役どころは流山児の指導を受けるかその影響下にあった役者だとわかった。

流山児祥も山崎哲も俳優養成機関を劇団の中に持っている。加藤健一や一跡二跳(古城十忍)もさまざまな劇団が自らの俳優を養成しようとしている。

それらがいったいどういうコンセプトで、何を目指して、どんなカリキュラムで教育養成されているかは知る由もない。

40年前、流山児がムチと竹刀を持って、俳優を裸にしてしごいているという噂を聞いて、ほんとかどうかは知らないが嫌な思いをしたものだ。しかし、どうあれいまだに劇団を維持しているのだから、それは尊敬に値する。

何故そういう噂になったかといえば、多かれ少なかれ当時の小劇場運動、小劇団の活動の根底には「アンチ新劇」という空気があり、俳優修業のバイブルであるスタニフラフスキー・システムなど「くそくらえだ」という気概があった。かわりに持ち出されたのは「偶然性」や唐十郎の「特権的肉体論」に代表されるような俳優そのものが表現であるという思想であった。演劇は既成の価値やエスタブリッシュメントに対するプロテクトであり、俳優もまたその中で解放されるべき存在であった。それは確かに「新劇」を解体する力になったが、その威光は野田秀樹あたりが活躍した八十年代で終わっている。新しい観客層がやって来て、彼らが納得する表現が求められている。

こういう認識の中で、このような芝居を見るとそれは少し大ざっぱすぎるのではないかという気になるのである。

たとえば、鈴木隆の小浦治は、妻が男をつくって家を出ようとしているのにそっぽを見て止めようともしない。このときの表情は何ものかに堪えているようには見える。しかし、ここは妻の浮気に気付いてから現在に至るまでの複雑な感情の動きを一気に観客に見せる絶好のチャンスである。じっと堪えているだけでは、鈍感になった現代の観客の理解を得ることは出来ない。

平田オリザの演劇論など新しい考え方が出てきているのも確かだからあまり心配はしていないが、一度見直してみる必要があるのではないかと思った。

大笹吉雄あたりに築地小劇場の俳優養成方法から始まる歴史を通史として書いてもらいたいものだと思っている。

ともかく鈴木隆の天戸日和はスタートした。まだ、課題は多い。しかし、まわりの俳優やスタッフに恵まれているようだから、大丈夫だろう。期待している。


新国立劇場

Since Jan. 2003