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「人魚の森」

壁に貼りつけた切り抜きやその中の言葉で幼稚園の教室と分かる舞台装置である。そこに大人用の机と椅子を何個か並べてある。幼稚園の休日を利用して、絵画教室が開かれているのだ。関西の海辺に近い町。妻と別れて五歳の女児を引き取った木田恭一(小松幸作)は子供の幼稚園でもあるこの教室で絵を習っている。その間に、外で遊ばせていた子供がいなくなった。必死で探し回る人々の上に宵の闇が迫り、子供の身の上に異変が起きたことを予感させる。やがて子供は遺体で発見された。犯人は、幼稚園にコピー機の修理を依頼されてやってきた岡村明(鈴木達也)十七歳であった。敷地内の池の端に一人でいた女児を連れ回したあげく始末に困って殺したらしい。木田恭一は子供が死んだことを受け入れられない。気が狂ったように娘の姿を追い求める日々が続く。コピー機の修理を頼んだ幼稚園側も責任の一端を感じている。絵を教えている小川はる(富永 あき)も心が痛んだ。その夫、武男(原田大輔)はこの幼稚園のオーナーに雇われた園長で、教え子を殺害された立場である。
少年による女児誘拐殺害事件は公判に入った。未成年者による犯罪は家庭裁判所で行われ、凶悪な場合は刑事裁判にかけられるが少年保護のために匿名報道が原則である。木田恭一は犯人が法によって守られているという点で、二重の苦しみを味わっている。
 絵画教室は続いていた。木田も気が紛れるのか時々やって来る。歯科医の片岡健介(田徳真尚)は親の仕事を継いだが、無趣味で味気ない生活から抜け出そうとして自分でも出来そうなこの教室を選んだ。地味で淡々とした役柄なのだが、背中に生活感が見え、鍛練を積んだ役者でなければ出ない存在感が他の俳優を圧倒していた。金井絵美子(酒井ゆう子)と吉田真希(長柄喜美和)はどこにでもいそうな仲の良い若い女性たち。趣味よりもうわさ話や人物観察に忙しい。
そうした日常を打ち破るように、遊び人の風体をした小川はるの兄、内海聡史(松本直樹)がしばしば幼稚園を訪れる。この兄は定職を持たず、金が無くなると妹夫婦に小遣いをせびりにきている。ある時、一人でいた武男が金はないと断ると聡史の態度は豹変する。幼稚園のオーナーにお前の過去をばらしたらどうなると思うかと脅しているのだ。実はこの二人は同郷の幼なじみであった。小川はるの口からその驚くべき過去が明らかにされる。彼らはこの街を見下ろす山の上の森に囲まれた村で育った。そこで内海聡史が十代の終わりに殺人事件を引き起こす。虫の息だった女性を車の後輪で轢き殺すという残虐な犯罪だった。死体の始末を子分格だった武男に相談すると山のてっぺんに埋めようといった。脅されて引きずり込まれた形である。
少年による幼稚園児誘拐殺害事件は過去の少年犯罪と幼稚園の教師小川はる夫妻を介して、一瞬触れ合ったといえる。これを察知した週刊誌の記者、加納(飯島徹生)が内海聡史の現在を追いかけはじめる。小川夫妻にも過去をあばかれるという危機が迫ってきた。それが大々的に報道されることは法的に問題があるとしても、関係者の回りで噂にならないわけがない。
そうした中、絵画教室に新しい生徒として岩崎早苗(柳沢麻杜花)が入ってくる。妙に色っぽいところもあるが水商売の匂いはしない。一見主婦のようだが、真面目に絵を習うような雰囲気もない。園長の小川武男が顔を合せて一瞬驚き慌てたような態度を見せる。この二人には、何やら過去にあったらしい。岩崎早苗は、武男を追いかけてきたのだろうが、一体今になって、どんな目的で近づいてきたのか。
またある日、犯人岡村の母親(奈良井志摩)が菓子折りを持ってはるの前に現れる。十代で子供を産み、生きていくのが精いっぱいだったから子供の面倒を見る暇が無かった。ほとんど放任状態で育ってしまって、こんな重大な事件を引き起こしてしまった。申し訳がない、と一応謝罪のつもりなのだが、関西弁でまくし立てる態度には、未成年なのだから程々にして欲しいという気持ちがありありと出ている。この女もまた噂を耳にしてやってきたのだ。木田に取りなして欲しいというのだろう。はるは無言のまま菓子折りを突き返す。
兄の事件があってからどんないきさつがあったか劇には描かれていないが、何年かたって、彼らは山の上の森から海の近くのこの町におりてきた。小川はるは、星をちりばめたような町の灯を眼下に見ながらなんという美しいところだろう、あそこにはきっと幸福があるに違いないと幼い頃からこの町に憧れてきたという。そのことを昔読んだ童話と重ね合わせている。人魚が人間の世界は素晴らしいと聞いて、そこで暮らしたいと願う話だという。自分もまたこの人魚のようなものだったと述懐する。モチーフになっているのは「赤い蝋燭と人魚」。この小川未明の出世作は童話といいながら悲しくも恐ろしい結末で終る。幸福を願った人魚は人間の世界に子供を産み落とした。蝋燭を商う夫婦に拾われて大事に育てられる。成長すると白い蝋燭の肌に絵付けする方法を思いついて、これがきれいだと評判を呼んだ。町の高台にある海の神を祀る神社に奉納する客が引きも切らず、海はいつも穏やかに凪いでいた。ある時、噂を聞きつけた見せ物小屋の親方が、老夫婦に人魚の娘を大金で購入したいと申し入れる。大金に心をうごかされる夫婦の態度に驚いた人魚は、蝋燭を真っ赤に塗るようになった。すると奉納された海神が怒ったのか、雲の垂れ込めた空に大風が吹き、いつまでも海は荒れて漁に出ることも船で物を運ぶことも出来なくなった。いつの間にか人魚もいなくなり町の衆は困り果てたということである。(ディテールに記憶違いがあるかもしれない。)この話がすべて語られるわけではないが、そこにある寓意は、小川はるのせりふに十分込められていることが分かる。
事件から数年たっている。大きなお腹を抱えた小川はるが登場して、騒ぎは内海聡史が交通事故で亡くなったことにより唐突に終ったという。ようやく夫妻の回りも落ち着いてきて子供を産む気になったのかもしれない。
エピローグ、カバンを抱えた木田恭一が下手の暗がりに座っている。上手に若い男が現れて携帯電話で話しはじめる。よく見ると、幼女殺害の犯人、岡村明である。刑期を終えて出てきたのだろう。やがて、脇にいる木田に気がつく。同時にカバンから刃物のようなものをとり出す木田。その場を離れようと走り出す岡村。その後を追う木田・・・・・・。

二年ぶりの再演だったとは思えないほど、テーマは新しい。ということは少年の凶悪犯罪はなくならないのと同時に、難しい問題を含んでいるということなのであろう。しゅう史奈は、この困難な主題に真正面から取り組もうとした。犯罪の動機に探りを入れ社会病理をえぐり出すという方法ではなく、犯罪被害者の切実さと法に守られた加害者の現実をさし出し、これでいいのかという疑問を率直に提示しているところが実は問題の核心を突いていて共感出来る。法を超えた人間性の問題だと言いたげなのだ。さらにタイトル「人魚の森」のきっかけになった童話を手がかりにして、人間の善意と醜悪さの二面性を認めながらも、むしろこの劇に込められているのはあくまでも善意の方を信じたいという作家の思いである。山の上の森からはるか下に見える銀河にも似た町の灯に強い憧れを持ち、そこにあるはずの幸福を信じるというのが本来の人間の姿ではないかと小川はるは独白する。あまりにも残酷な仕打ちを平気で出来る人間という不気味な生き物を前にしても、しゅう史奈の視点は徹頭徹尾性善説である。いくつか腑に落ちない瑕疵のようなところはあったが、作家のナイーブな心情が横溢した佳品に仕上がっていた。
いくつかの瑕疵というのは、まず武男の前に現れる岩崎早苗が何ものか描き切れていないことである。武男がはると結婚したいきさつが語られていない上に、過去の愛人らしきこの女が、何を目的に現れたのかも分からないうちに、いつの間にか舞台から消えていた。夫婦になにかが起きそうだという観客の興味は消化不良を起こしてしまう。そして、絵画教室にやって来る人々であるが、自分のことはよく語るが、園長夫妻の過去にまつわる話にはからんでこない。これも構造上少し浮いた感じになってしまっている。もう一つ欲を言えば、兄が唐突に亡くなったことが少しご都合主義に思えるところだ。それで見ている方は正直のところ安心したが、なにか工夫はなかったかとも思う。
俳優では、前に書いた通り歯科医をやった田徳真尚が群を抜いた存在感を示した。それに犯人の母親役の奈良井志摩が独り芝居のようなもうけ役だったとはいえ、関西弁の厚かましさを前面に出して説得力があった。絵画教室の女性二人を除くと、他の男優にはどこかにぎこちなさが残って、稽古不足なのかと思わせた。また、演出上の問題だったかもしれないが、小川はると武男の夫婦関係が今一つクリアに描かれていないのが隔靴掻痒のところであった。
前回見た「カナリヤ」は冤罪事件を扱っていた。この芝居も少年の殺人事件で、しゅう史奈は犯罪に関心がある作家のひとりと言ってもいいのだろう。二つの芝居を見た限り、事件を扱う視点は他の誰にもない独特のものがある。それは作家自身に備わったナイーブさ、やさしさとでも言うべきものである。人間の良心に対する裏切りが許せない。その怒りが劇を生み出す原動力になっているような気がする。
しかし、犯罪というものはその時代の抱えている矛盾あるいは病巣がそこに向かって噴出してきた膿のようなものでもある。ときにはそれをじっくりと観察し、外科医のような手つきでそれを扱うことも作家に必要な能力である。

 

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題名:

人魚の森

観劇日:

07/10/6

劇場:

下北沢「劇」小劇場

主催:

海市工房 

期間:

2007年10月3日〜8日   

作:

しゅう 史奈

演出:

小松 幸作 

美術:

吉野 章弘

照明:

村上 秀樹

衣装:

音楽・音響:

熊野 大輔

出演者:

境 ゆう子 鈴木 達也 松本 直樹富永 あき   田徳 真尚
飯島 徹生 ながえき 未和
原田 大輔 柳沢 麻杜花
すがの 江津子  鶴岡 悦子 奈良井 志摩   小松 幸作

 

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