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「おどくみ」
横須賀の仕出し弁当屋一家の話。
書いた青木豪の自伝的な内容を含むと言うが、なるほど話としてそれなりのリアリティは備わっている。つまり、新国立劇場の注文に応じて無理な物語を書いた印象はない。しかし、「おどくみ」の「どく=毒」をどこかに込めようと書き進めるうちに、おそらく作家の性格もあるのだろうが、どこにも引っかかりのないするりとした「よくある話」に仕上がってしまった感がある。 実は、タイトルを見て、毒など入っているはずもないと思って食ったら、毒に当たってしまった話かと思って密かに期待していた。 学習院出身(大学は明治)のお育ちの良さが邪魔をしたのか、時代認識がずれているのか、およそ毒のない話になったのは、喜劇の要素が強いおもしろおかしい芝居だけに惜しいことした。
舞台下手半分は、たたきに厨房設備がおかれた調理場、上手半分は、畳敷きの座敷でテレビや小型冷蔵庫のある居間になっている。上手奥の玄関に向かう廊下を挟んで居間の向かいに舅の病室があり、その横、舞台中央の階段が二階の廊下に通じている。二階の上手はもの干場、下手には三つのドアが並んでおり、それぞれ家族が使っている。
この装置は、実際に横須賀の青木の実家を参照したものというだけあって、さすがに全体としては調和がとれている。ところが、二階の使い方があまりうまくいっていなくて(特に、もの干場の場面は中途半端)三つ並んだドアもとってつけたような印象になってしまった。
畑中家は、嫁の美枝(高橋恵子)の料理がうまかったので、それをきっかけに仕出し弁当屋に商売替えをすると、バブル景気の波にも乗って成功していた。当主の畑中幸広(小野武彦)は、営業や経営の面を見ていたが所詮は脇役である。始終ぐうたらしている亭主に、この家の屋台骨を支えていると自負している美枝としては不満を持っている。
最近は、それに幸広の弟、畑中二郎(谷川昭一朗)が、同居している母親のカツ(樋田慶子)のところに再三無心に来ていることが許せないと思っていた。
この人が良いだけで、鈍感そうにみえる畑中二郎は、少し離れた場所でコンビニを経営しているが、これが住宅街の中という立地に問題があり、毎月赤字を出していた。それを埋め合わせるために、母親に泣きついていくらかせしめているのだが、亭主の幸広もそれを認めているのが、我慢のならないところであった。
母親のカツは、脳溢血で寝たきりになった父親の看病をしながら、時々厨房に来て料理の味に口を出した。役にも立たない指摘を無視するものの美枝にとっては相当なストレスになっている。
息子の畑中剛(浅利陽介)は、志望校ではなかったが学習院大学に入学、映画制作の同好会を作って、自ら脚本監督をつとめている。仲間の長崎久志(東迎昂史郎)は、松下政経塾を狙っている政治家志望、もう一人の石綿真(下村マヒロ)は、開業医の息子ながら自分の将来を医者ではなく、映画制作でもなく普通のサラリーマンと決めている。
この三人が、横須賀の剛の実家に泊まり込んで、映画の台本の打ち合わせや撮影を続けているというのが、サイドストーリーになっている。
家族にはもう一人、剛の妹で、医学生の郁美(黒川芽以)がいて、兄の映画制作に役者としてかり出されたりしながら何となく協力している。
畑中二郎が金もないのに、韓国旅行に誘われてのこのこ出かけていくのを、この子供たちもあきれてみていた。祖母も父も無能な叔父の家をいつまでも助けている、しかも叔父に自覚が全くないという構図に、母親の怒りももっともなことだと思っている。
とうとう二郎のコンビニ経営が立ちいかなくなって、これをたたんで新たな就職先を探すことになった。仕出し屋の仕事を手伝っているパートの酒田京子(根岸季衣)も動員して、あちこち当たってみるが、二郎に適当な仕事は見つからない。
そこで、幸広は、弟に仕出し屋の仕事を手伝わせることにする。役に立たないと美枝は反対だったが、母親のカツが大いに賛成したために渋々承知した。
一方、畑中剛の映画は、天皇暗殺を企てる若者の話で、その男が爆弾を製造しながら、未遂に終わるという漠然とした筋書きで撮影が進められていた。
父親の幸広は、いまさら天皇暗殺など何故必要なのかと疑問を呈しているが、剛としては、若者の反発、社会に対する抵抗を描きたいということのようである。学習院という天皇家ゆかりの環境も「天皇制」を考えざるを得ないということと無縁ではなかった。また、かつて奥崎謙三という男が天皇をねらってパチンコ玉を発射して捕らえられたことを知って、天皇を狙うという行為に現実感をもったらしい。
この話に多少疑問を持っていた同級の石綿真が、爆弾というぶっそうな凶器に恐れをなしたのか、天皇にはお毒味役というものがいて、毒殺を警戒していると、聞いたことがあると言い出した。ところが、いろいろと話を聞いていくうちに実際に現在そういうことになっているわけでないことがわかる。当たり前と言えば当たり前だが、ここらあたりから「おどくみ」のタイトルが出てきたとしか言いようがないのは、何とも安易なことであった。
いずれにしても、このテーマも動機もはっきりしない映画の撮影は、三人の学生がこの仕出し屋の家に集まって進められていく。
二郎がインド旅行から帰ってきて二三日後のこと、幸広が電話に出ると何と、宮内庁からの弁当の注文であった。葉山の御用邸に四百円の幕の内を四十個というのだが、何しろ相手は皇室、初めてのことで畑中家は大騒ぎ。
どうにか、無事に注文の品を届けて帰ると、二郎がなにやら下痢をしている気配である。さては、インドからとんでもない伝染病を持ち込んできたのでは?と一同が震え上がる。弁当の仕込みに二郎もかかわったからである。
結局ただの下痢であったことが判明してホッとするが、この騒ぎで美枝が切れた。しかし、嫁の代わりはいるが弟の代わりはいないという夫の言葉に傷つけられ、美枝は仕事を放り投げて家出、子供たちも母親に同調して畑中家は大混乱に・・・。
各場の転換時に、鳩のシルエットがばたばた飛び回る抽象的な映像を舞台に投影するのであったが、次第に鳩の数が増え、このときは強烈な光と鳩が入り乱れ大騒ぎであった。家族の諍いを象徴しようとした演出だと想像するしかないが、一体何の効果があったものが大いに疑問であった。
美枝が夫と話し合って決めたのは、現在の店と両親の世話を二郎に任せて、自分たちは逗子に店を借りて新しく仕出し弁当の仕事をはじめるということであった。すでに逗子の店舗は開店準備を済ませてある。それを母親のカツに告げると、意外なことに猛烈な反対にあう。
そんなことをしたらこの店はすぐにつぶれる、二郎にこの店を経営する才覚はないというのが母親の意見であった。母親は甘やかしてばかりいると思っていたが、息子のことをよく見ていたのである。
それで、美枝の企ては挫折する。
同じ頃、天皇が崩御し、時代は昭和から平成へと移り変わる。
エピローグは、平成に代わってすでに数年。剛をはじめ学生たちは就職し、妹の 医学生だった郁美は医者の卵として勤務していた。舅が亡くなって、カツは車いすの生活になっている。どうやら畑中家は無事に危機を乗り越えて、元の状態に戻っていた。
息子の剛の誕生日、学生時代の仲間二人、いまは勤め人の石綿真と松下政経塾に入った長崎久志が訪ねてきている。
未完に終わった映画のフィルムを見ようという話をしながら、一体何故あんなものをつくろうとしたのかよくわからないと剛はいう。天皇とは何かと言うことを考えたはずだったが、結局理解できなかった。どうも天皇とは、イメージに過ぎないのではないか?なぜなら、それは誰も経験できないものなのだから・・・・・・と、よく分からない結論を勝手に出して劇は終わりを告げる。
昭和六十二年というバブルの真っ最中に始まる物語であるが、 煎じ詰めれば、嫁と姑の確執を嫁と夫の家族全体の対立関係に拡大した話で、 そういう時代背景とは全く関係のない、いつの時代にも「よくある話」であった。
この頃、高齢の天皇は、病床にあって一つの時代が終わろうとしていたことは事実であったが、人々はそのこと自体にたいした意味を感じていなかった。また、家族のあり方という点でも特段の変化があったわけでもない。 そういう意味では何故この時代設定でなければならなかったのか、天皇暗殺というあり得ないエピソードも含めて、そもそも物語の動因が安易な思いつきで、かつテーマが薄弱であった。
日本人は、戦後核家族化したし、個人主義もそれなりに定着した。とはいえ、親と同居する「家」に嫁ぐというケースがなくなったわけではない。家族の中にいわば他人が入るのだからぎくしゃくした関係になることもある。そこに様々なドラマが生まれることを僕らはよく知っている。
この劇の嫁である美枝は、一家を支えているのは自分であると密かに自負しているにもかかわらず、夫もその親兄弟もそれを認めようとしない。自分の稼ぎに寄りかかっているくせに、その金で勝手にふるまっている脳天気は許し難いと感じている。そこで、自分の家族だけを引き連れて婚家を出ようとしたのであるが、姑の思わぬ反対にあって断念するという話で、それがこの手の確執話によくある類型とどう違うかと言えば、大山鳴動して、結局元の鞘に収まるという点で、たいした違いを発見することは難しい。
ディテールは面白くよく書けているのに、全体としてながめると存外、主題がはっきりしないドラマなのである。
何故そんな印象になったかについてはいくつか理由がある。
美枝の不満は、夫の弟、二郎が別所帯を持っているにもかかわらず畑中家の財政から援助されていることにつきる。もちろん姑が仕事に口出しするのも気に入らないが、すでにこちらは隠居の身だから実質被害はない。
夫も母親も二郎をかばって毎月二十万円もの援助をしているが、それは結局自分がかせいだ金から出ている。そのことに気づいてもいないし感謝の念も全くないのが我慢のならないところなのである。
美枝の不満はもっともなところだと作者も思っているようだが、見ているものは、何故美枝はそれほどまでに、つまり、家を出て行こうとするまで思い詰めているのかよく理解できない。
畑中家の財政について説明はないが、子供にかかる授業料だけでも 息子の私立大学が年間120万円、娘は金のかかる医大(おそらく私立だろう)で年間500万円前後とかなりの額に上る。息子の友人が泊まっていくのにステーキなど食わせるという贅沢もたいした問題にしないというレベルの生活をしている。
仕出し弁当屋の利益が、いくらぐらいのものかはともかく、畑中弁当屋は、仕入れの金に手をつけてまで弟の援助に回すという窮状にないことだけは確かである。つまり二郎に渡す金によって、畑中家の屋台骨が揺らぐと言うことはなさそうである。
ということは、美枝の不満は自分にだまって「元はといえば自分がかせいだ金」を自分にとっては家族以外の他人にくれてやっていることにある。
ところが、夫もその親も「元はといえば、美枝がかせいだ金」とは思っていない。それもまた当然と言えば当然である。美枝は家族の一員であり、夫とともに店を切り回している存在だからである。しかも、美枝の個人資産から金を取っているわけでもないから夫もその親も肉親として二郎に金を工面してやるのはやむをえないことだと思っている。
もしも、美枝が仕出し弁当屋の社長だというなら美枝の怒りはもっとものところもあるが、それでも自分が決定権を持っているのだから何とでもなる問題だ。しかし、どうみても美枝が仕出し弁当屋の財政を握っているようには見えない。二郎に金を渡すのは夫や親の勝手なのである。
それで怒るのはいかにも理不尽というものである。
では、そんなことで何故家を出て行こうとまで決心させたのか?
どう考えても、二郎という存在(+姑か)がただ「いや」なために自分たち家族が出て行こうというのは無理がある。
「嫁の代わりはいくらでもいるが、弟の代わりはいない」と夫に言われたことで傷ついたのは分かるが、それならなにも夫と子供を連れて出ることはない。
一歩引いて考えると、この美枝の態度は子供がだだをこねているように見えるのである。(実際そうなったが)
つまり、もっと根本的で深刻な理由がなければ、そのような決心に至ることは考えにくいのだ。美枝の心象風景がほとんど描かれていないために、夫の無能な弟という存在に振り回されているだけの感情的な女という印象になってしまう。ではこれまで、夫の家族と美枝の間に何があったのか?
特に、美枝と夫の結婚のいきさつと夫の家族との関係が過去においてどうだったのかが語られなければ、「現在」が見えてこない。いや、「現在」は見えているが、何故、嫁対婚家という対立がこれほどまでにこじれたのか? この芝居ではそれがよく分からないのである。
この場合、美枝は、畑中家のためにけなげにも自分が一生懸命働いて、一家を養っていこうと考えることも可能性としてはあったはずである。 つまり何故、美枝は、自分一人だけが「かせい」で、夫の一家は自分にぶら下がっていると感じるようになったのか?そのいきさつが説明不足なのだ。
大げさに言えば、美枝の精神史が語られないために、見ようによっては、美枝の単なるわがままに見える、ということである。
冷静に考えれば、一家の稼ぎのうち不満のわく出費は、唯一弟の二郎に対する際限のない援助である。そのことで、姑との仲も悪くなっている。しかし、それは夫が解決をしてくれた。それ以上、無駄な出費は出ないはずである。それでもまだ家を出なければならないという不満を抱くというのは、いかがなものか?それは、ここまできてもなお姑と一緒に暮らしたくない嫁のわがままというものだろう。
作者の意図とは反対に、美枝が思慮に欠けた、子供じみた女であるという印象になってしまったのである。
子供が母親の態度に同情して父親に対して暴れる場面もある。
子供もまた、畑中家は、母親の稼ぎにぶら下がっていると思っているようだ。無能で脳天気な叔父さんに反感を持つのは分かるが、この叔父さんに経済的援助をしている自分の父親や祖母の態度に母親と一緒になって、怒るのは一体どうしたことだろう。
大学生にもなって、母親の稼ぎにぶら下がっているのは、真っ先に自分たちだと気づかないものか?脳天気に、意味もない「天皇暗殺」映画を作って金を使っているくせに、叔父さんに金を使うのはいけないことだという。この子供の態度も何か変である。
この場合、子供の立場としては自分たちも後ろめたい存在と気づいて、ニュートラルな立場を貫くものとしたものだが、何故か作家は母親の同調者にしてしまった。考えようによっては自分たちの分け前が、叔父さんに取られるのは許さないと言っているようなものである。
母親に同情して父親をなじるような立場かどうか気がつかないようでは学習院大学の学生の感度もあやしいものである。
そこで、天皇暗殺映画のことであるが、これはセンセーショナルな話題で、どう取り扱うのか興味津々であった。
昭和62年前後に、若者に天皇を暗殺する何か動機があったとは思えないからだ。
ところが、剛が考えたのは、単に若者の反抗的で反体制的な気分を表現したいということで、そのために、青木豪は天皇が標的である理由を何も用意していなかったのにはがっかりだった。
ジョン・レノンはファンと称する男に撃たれたが、 それはどうみても世間を騒がせてやろうという些細で悪質で個人的な動機であった。結果としてやったものが期待したような騒ぎになったが、社会的影響はたいしたことはなかった。しかし、相手が天皇となれば社会的な意味がまるで違ってくる。それも分からずに、無邪気に暗殺を発想するというのは、それだけ天皇が単なる「有名人」の一人になってしまったのか、剛がひいては作者が、無教養なのかいずれかであろう。
パチンコ玉事件の奥崎謙三に影響されたと剛は語るが、奥崎には明らかに動機があった。
それは、戦争である。
奥崎は、南方の戦線から命からがら生還した兵隊である。戦争の責任を取らない天皇はけしからんと思うだけの体験に基づく強い動機を持っている。自らを「神軍平等兵」と名乗るように戦争の背景にあった天皇制と国家そのものを否定するという思想の持ち主で、これを公言してはばからなかった。剛が、その奥崎を知ったのは、パチンコ玉事件と言うよりは、ドキュメンタリー映画のはずである。
もっとも、ドキュメンタリーの内容は、奥崎の田中角栄に対する攻撃の途中から始まっていて、天皇に対する抗議行動は一応終わったあとのことである。したがって天皇への攻撃は過去の出来事として紹介されるだけで、直接的には登場しない。映画は、奥崎謙三という怪異な人物の行動に密着して、常識では考えられない彼の破天荒な言動を描き追跡していくうち、戦時中のある秘密に行き着いて後、唖然・仰天の結末を迎えるというあまたあるドキュメンタリーの中の傑作である。撮った原一男は、奥崎の独善的な態度に、時に喧嘩し、辟易しながらも四年間つきあい続け、結果として映画とは何かという根源的な問いに対する一つの回答を創造し得たのである。
この「ゆきゆきて神軍」を少年時代に見たマイケル・ムーアがこれに多大な影響を受けて、自らも同じ道を選んだというくらい強烈な印象を与える映画になっている。
原田が、このあとに撮った作家井上光晴のガン闘病と死の記録「全身小説家」も優れたドキュメンタリーである。
映画作家を志す剛には、奥崎に言及するならむしろこうした映画論あるいはドキュメンタリー論を語ってもらいたかった。
それにしても、青木豪が登場人物剛に語らせた「天皇」についての認識が、意味をなさなかったのには驚きを禁じ得ない。誰も経験できないということではひとつの「イメージ」にすぎないのではないか、という理解不能のものだったのである。昭和42年生まれの青木にしてみれば、天皇とはせいぜい女性週刊誌でとりあげられる「皇室」ものの登場人物に過ぎないのだから、天皇とは何であったか?何であるべきか?など考える必要もないことかも知れない。
しかし、暗殺を企てるという設定は、いかにも扇情的で、それだけ強い動機が必要である。何故そこを曖昧なままにして、天皇暗殺などと言うことを思いついたかと言えば、青木がものごころつく以前に「天皇制」をめぐる議論が盛んだったことを後に知ったからであろう。「天皇」を体験していない上に、ろくに考えもしないで、とりあげたから結果はいい加減で無責任、意味のないものになった。
戦後、天皇の戦争責任を追及する議論が長い間続いた。戦地で戦った兵士には奥崎のような考え方をするものは少なくなかったし、戦中弾圧された左翼にとっては理論的(唯物史観)にも否定されるべき存在であった。これに反対のものとの論争は、論壇に限らず、日の丸、君が代問題や外交問題など形を変えて、あらゆる場面で時に感情的になりながら日本の世論を二分した。
これには戦中を生きてきた世代が、自分たちの実感をもって戦前の「天皇」と戦後のそれを比較しうるという「特権的な立場」を超えることができなかったために、すでに日本国憲法で「国民統合の象徴」とされた事実をそっちのけで、つまりは「責任」の取りようのない結論を求めて、不毛な議論を続けていたというしかない。
そうしたさ中に、「風流夢譚」事件が起きた。「楢山節考」で評価が高かった深沢七郎が60年に中央公論に発表した小説が皇室を侮辱するものとして右翼の批判を浴びた。深沢がどこまでまじめに書いたかあやしいところもあるが、夢の中の出来事として暗殺の場面が描かれたのである。
深沢が雲隠れしたために中央公論社が批判の標的にされ、連日右翼の宣伝車に囲まれて社屋の前が騒然となった。その騒ぎの中、ある日右翼の十七才の少年が嶋中社長の自宅を訪ねると、主人が留守中だったため、応対した夫人を斬りつけ、家事手伝いの女性を刺殺してしまった。中央公論社は、小説掲載を非として謝罪し、責任者を解雇するなど多大の犠牲を払って事件を収束させた。
右翼の暴力に屈した形になった中央公論社の態度を責めるものもいたが、小説の背景に天皇制を否定する確固たる思想も見えないため、それ以上の抵抗を支援する意見も希薄でそのまま沈静化した。
深沢にしても出版社にしても不覚だったとはいえ、天皇暗殺などと言うものがどれだけ剣呑な話だったか、1960年の段階ではまだ、生々しい話題だったのである。
60年安保の岸内閣のあとを受けた池田勇人首相が「所得倍増計画」を打ち上げ、日本は高度成長路線を突っ走ることになるが、そうしたなか、 論壇が年老いていくとともに天皇の戦争責任論もいろあせていく。
そして、バブルも絶頂となるこの劇の時代には、どこをどう探しても天皇暗殺などと言う動機はなくなっていた。暗殺は、この嶋中事件もそうであったが、以前に日本社会党浅沼委員長を刺殺した山口乙矢も十七才であった。この年齢で、確固たる思想などと言うことは考えられないから、背景にはそそのかした者が必ずいる。この劇の剛にしても少なくともこの背景があったはずで、そこが語られなければ、まるで唐突にテロを思いついたような違和感が生じる。
戦後四十年以上たって、戦時中の経験者(明治憲法下、といっても特に、大東亜戦争の軍部独裁時代)も老年に達し、天皇の戦争責任論がもはや無効となっていたことは、明らかであった。
そして、昭和が終わるとともに、この議論は感情抜きに語られはじめる。天皇は、昭和という諡をもって過去の人となり、その責任を問うことが不可能になった。
90年代になって、戦後生まれの竹田青嗣 、加藤典洋、橋爪大三郎といった論者が天皇の戦争責任論に対して冷静な分析を行ったことがあった。この世代は、戦中の経験もなければ、戦後の占領時代も幼年期で過ごしたいわゆる団塊の世代、あえて言えば全共闘世代である。
僕は、軍部独裁とはいえ、戦争遂行の予算を帝国議会に諮ってこれを議決している以上、その決定は国会議員すなわち国民の責に帰する事柄であるという橋爪の見解に、合理性があると考えている。
もともと、明治憲法下における大日本帝国は立憲君主国であり、天皇は「君臨すれども統治せず」という立場であった。したがって、大正デモクラシーの時代に民本主義をとなえる者がいても誰もとがめ立てしなかった。それが世界不況の昭和の初年頃から右翼によって「統帥権の干犯」などが叫ばれ初めて軍部がそれを利用したために、天皇独裁の印象をつくり出したことは否定できない。作家司馬遼太郎は、この時期の日本を歴史の中に差し挟まれた醜悪な期間と言う意味で「奇胎」と造語して忌避している。
結局、大東亜戦争の責任は天皇一人のものではなく、国民全体にあったという結論になるが、一体この戦争を「国民」が望んだのか?といえば、「それは相当にあやしい」と今年96才になったジャーナリスト、むのたけじ氏(NHK”100年インタビュー”)がいう。「戦争をしたかったもの」がいて、国民は望んでもいなかった災厄に引きずり込まれたというのが真相で、当時朝日新聞の記者であったむの氏は、それをジャーナリズムとして止められなかったことに責任を痛感し、敗戦の日に朝日を辞したのであった。
むの氏は言い残したいことはと問われて、ジャーナリズムは国民に情報を提供する責を全うし、国民一人ひとりが生活者のレベルでものを考え、発言することで、国の方向を定めることだと発言している。
日本国憲法における「天皇」は「日本国および日本国民統合の象徴」である。「象徴」とは何か?という議論もあるが、いまのところこれに公然と異を唱える政党もなければ、団体もない。
青木豪には、こういう時代に「天皇」をどう考えたらいいのか、剛の台詞を通じてでも、自身の見解を示して欲しかった。ほんとうに、意味が分からないというなら仕方がない。それでは聞くが、日本国憲法についての見解はどうか?いやしくもものを書く、表現するものとしてその見識は持っていて欲しい。
「天皇」は、幕末に担ぎ出されたが、それまでは幕府によって公家とともに養われている存在であった。幕府が毎年支出する費用はおよそ十万石といわれている。この額がそれほど多いものではない証拠に、司馬遼太郎がしばしば引用するエピソードだが、孝明天皇が朝食に出た塩鮭を半分夕餉に残したことや、下級の公家だった岩倉具視が自らの破れ屋敷を賭場に貸していたことがあげられる。
実際に分かっている、およそ1500年の「天皇」の歴史、その長い時間の中で、現在それがどんな存在なのか、将来にわたってどういう存在であるべきかということを冷静に考えられる時がようやくやってきたのである。
さて、不毛な「天皇戦争責任」論争が長く続いたおかげで、失ったものがあると言うことを指摘して、そろそろおしまいにする。
失ったものとは、「国家論」である。
奥崎謙三の見解にあるように、天皇=国体ということから国家とは国民の上に君臨して国民の命を奪うものである、という認識である。
つまり、天皇責任論と表裏一体となって、「日の丸、君が代」忌避論が存在したのである。これは国家はいずれ消滅するという左翼思想と相性がよかったために、「国家」は人民の敵という印象が先行して、「国家」がどうあるべきかという議論を封じてしまった。
この場合の「国家」とは、もう一つの国家のことである。
国家は、国民との関係における国家と国家間における国家の二面がある。近代国家は、国民の「一般意志」を一挙にそこへ預けたもの、つまり国民の「相互承認」によって成り立っていて、そこに合意の源泉がある。しかし、こうした国家でも、ひとたび外に向かえば、ホッブスの言う「万人の万人による闘争」という原理が働く弱肉強食の世界で、国家間の「一般意志」などは存在しない。
我が国の天皇戦争責任論は、国家が国民の「相互承認」に原理的に依存しているにもかかわらず、専ら国民を統制する機能に注視し、その原理すらも否定しようとしたのであった。したがって、日本国憲法による国家と国民の枠組みがあるにもかかわらず、この憲法においてすらただ単に第九条をめぐる議論に終始したために、 国家間に原理的な軋轢が存在することはないかのごとき様相を呈したのであった。
左翼と右翼が互いに国家主義とか平和ボケとののしりあって、対外的な戦略を構想することに誰も興味を持たなかった。
21世紀になった今日でも、その後遺症は、随所に見られる。
青木豪に、今後世界はどうなるか?などと大上段に振りかぶってほしいとはいわない。しかし、学習院と明治大学で学んだのだから、その成果は見せて欲しいものである。
この芝居がその成果だというのなら、わざわざ劇場に足を運ぶ必要もなかった。(病み上がりで、劇場に行くのは楽しみだったが・・・)
TVで、寝転がって見て忘れてしまうようなもので承知させられるほど世の中は甘くない。
高橋恵子は、思い詰めたようで暗い。自分だけが苦労しているという被害者の感じを出そうとしたのだろうが、幾分ヒステリーに感じた。もっともそれは、本が悪いからで、高橋の責任でもない。
秀逸と思ったのは、谷川昭一朗のできである。飄々としたバカさ加減がよく表現されていて、役者としての個性を感じさせた。
おばあさん役の樋田慶子とは、 席が遠くてよく見えなかったが、以前の緋多景子だった。道理で存在感が半端ではなかった。
小野武彦は、適役だったのではないか?相変わらず無難にこなしていた。
若い人たちにいいたいことがある。芝居の中で、映画を作ると言うことについて作家以上に考えた節はどこにもなかったことだ。与えられた台詞をこなしているだけでは、舞台芸術を作っている意味がない。何故、天皇暗殺なのか疑問に思ったらとことん演出家や作家と議論すべきではないか?
青木豪の他の芝居はもっと面白いらしい。この芝居は、テクニックのあることを裏付けるものだったが、思想性において骨格がふにゃふにゃであった。