<%@LANGUAGE="JAVASCRIPT" CODEPAGE="932"%> 新私の演劇時評
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「オットーと呼ばれる日本人」

初演は62年、劇団民芸(宇野重吉演出)による。以来何度も再演され民芸の十八番になっている芝居を何故いま新国立劇場が取り上げるのか?
というのも、何を今更の感がない訳ではないからだ。パンフレットの扉に誰が書いた文章か知らないが「抵抗者の遺産を46年経ったいま、検証する。」とある。そのまま読めば、抵抗者とは尾崎秀実のことだろうから尾崎の死後18年経って書き上げられた彼の行動の遺産ともいうべきこの戯曲をそれから半世紀ほど立ったいま、検証してみようという意味に取れる。従って、検証されるのは尾崎秀実ではなくて戯曲であり、芝居に登場する男(オットーと呼ばれる日本人)のことだろう。
演出の鵜山仁は、芸術監督として冒頭の「あれか、これか」と題した挨拶の中でそれを示唆するようなことを言っている。
「これは近頃あまりはやらないデンマークの哲学者、キルケゴールの著書のタイトル。あれか、これかと思い悩むこと、そしてそのどちらかを手に入れるために、もう片方を捨てること、これこそが生きることの、いわば生死を越えてすら生き尽くすことの醍醐味ではないか。「オットーと呼ばれる日本人」は、今、「あれもこれも」の時代を生きる我々が、もしかしたら忘れてしまったかもしれない「変革」のエネルギーを思い出させてくれる。……」
ここでいう変革は政治的変革だけをいうのではなく、世界を再構成、再創造するというほどの意味だと注釈を入れ、世界に働きかけ、世界を変えようとする飽くなき欲望は人間だけに備わった能力だと強調する。「オットーと呼ばれる日本人」の生き方から現代における「変革への意志」を学ぶことができるかもしれないというのが上演の意図だということらしい。
かなり強引な論ではあるが、あまり茶々を入れても話が進まないから、一応そのように理解しておこう。
劇は三幕、休憩を入れて三時間四十五分という長丁場であったが、木下順二の言葉といい構成といいどれ一つわずかな齟齬があっても崩れるような揺るぎない緊張感を保っているために、ちっとも血湧き肉踊るスパイ話の面白さはなかったが、反面昭和史の裏面が透けてきて間然するところがなかった。
ただし、外国人との会話を原作では使わなかった英語(一部ドイツ語)にしたのはどうかと思った。原作はかなり意識して生硬な翻訳調の日本語で書いてある。つまり英語で会話していることを前提に、それを直接日本語に翻訳したせりふになっている。そのレベルときたら、日本人の登場人物たちが使う英語はひどいとしばしば台詞にあらわれるほどで、中学生並みの稚拙さをそのまま日本語にしてある。そこが文化の違いあるいは会話のもどかしさを表現しようとした作家の工夫であって、木下順二が生きていればおそらく英語にするのは認めなかっただろう。この芝居では英語にしたことで、かえって人物が後退し存在感が薄くなった嫌いがあったと思う。
第一幕は、満州事変直後から男(吉田栄作)が上海を去る数ヶ月あまりの間、上海のフランス租界にある米国人の宋夫人( ジュリー・ドレフュス)の豪華なアパートを中心に展開する。
ドイツの新聞の特派員ジョンスン(グレッグ・ デール)が組織する諜報機関の会合がこのアパートで行われている。彼らの関心は、目下のところ日本が引き起こした満州における侵略行為がどこまで発展するか、とりわけ関東軍はソ満国境を越えてシベリアに侵入するつもりがあるのかどうかということである。これに探りを入れるには現地で情報を集める以外に方法はない。しかも外国人では自ずから限界がある。そこで信頼できる日本人はいるか?というジョンスンの問いに宋夫人は一人いると答える。
オットーと呼ばれる日本人についてはジョンスンも知っていた。しかし彼は我々の組織の人間ではないと言って宋夫人の見解を求める。ただ、彼の見識、すぐれた情報分析能力はジョンスンも認めるところであった。宋夫人が、しかし彼は受けるかどうかわからないというと、意外にもジョンスンは既にオットーに会ったことを打ち明ける。
この仕事を頼むことは男を引き返すことのできない道に誘い込むことになると、宋夫人はいう。ジョンスンによると、さすがに男は一晩考えさせてくれといったらしい。その返事は新聞社の特派員の身分で、長期間上海を空けるわけにいかない。ついては代理を立てることにしたというものであった。
男はかねてから親交のあった中国人で密かに抗日共産主義運動を続ける鄭(吉田敬一)に適当な日本人を紹介してほしいと依頼すると、現れたのは林(永島敏行)と名乗る男であった。上海日報の嘱託だったが、仕事が何を意味するか万事心得ていた。林を含めて四人が中華料理店で落ち会い、詳細を打ち合わせる。宋夫人とジョンスンが去った後、林は彼らはコミンテルンかもしれない、いずれにしても非常に大きな組織を感じると男に同意を求めると、それはお互いに知らない方がいいと男は答えるのであった。
その夜おそく、共同租界の日本人地区にあるアパートに男が帰ると、妻(紺野美沙子)がまだ起きていた。この妻は、元々男の兄嫁だった。「私立大学をでて、つまらない会社勤めを毎日黙ってやっていた」夫を捨てて、その弟と結婚した。父親は地方の裁判所を転々とした判事で、娘の行動には困惑した。男は岳父をうまく説得していまは波風が立つようなこともない。
酔いにまかせて男は、自分は新聞記者で終わりたくないと告白する。大新聞の一流記者と言ってもやっていることは事件の分析、報道にすぎない。しかし、自分には国家の命運に生涯を託す、もっといえば、日本という国の歴史を決定する事業に参画する人間の一人になりたいという押さえきれない欲望があるというのである。妻は夫が危険を顧みない行動にでるかも知れないと感じる。どんなことがあっても私はあなたについていくつもり、それはあんな無理な結婚をした時から覚悟していることだと夫の腕の中で応える。妻は夫と一緒にウイスキーを口にし、既に酔っている。
この男の家の「場」は、やや唐突に挿入された感がある。ここで男の私生活を示しておく必要性はあまりないと思うからだ。
とはいえ、戦後(昭和22年)夫尾崎秀実との獄中往復書簡集「愛情はふる星のごとく」を出版した尾崎英子の存在にはいずれ触れないわけにいかないだろう。しかも、この劇の核心ともいうべき男の真情、男の心の中に密かに燃えているあの欲望を無防備のまま告白する相手としては妻しかいない。 妻との結婚のいきさつや愛情関係についてスケッチした上で、「君を抱きたい」などとやや高揚した気分の中でそれは現れる。この「場」は、男が何故、何をしようとしているのか、男の行動の本質部分を明快に示したのである。一見、違和感を感じさせながら、そこでなければならない必然性を持っている。木下順二の考え抜かれた構成の妙といえる。
それから二ヶ月後、林が満州から帰ってきた。再び宋夫人のアパートにジョンスン、男の四人が集まっている。林の報告書を男が八時間かけて英語に翻訳した。満州は南京政府とはいっさい関係なく新たに帝王制の国家として建国されること、その最初の皇帝には清朝の廃帝傅儀が就任すると思われること、傀儡政権と防衛する軍の陣容について、また熱河省における白系ロシア人の反乱の兆しの有無については確認できないことなど報告は詳細を極めた。
間もなく男は新聞社の本社に転勤を命じられるとその報告に宋夫人のもとを訪れる。この宋夫人はいったい何者なのか?独身の米国人でジャーナリストにして作家、左翼のシンパサイザーということだが、何故ミセスなのか?昔インド人と結婚したことがあったという噂はほんとうだろうか?謎の多い人物である。この別れの場面は、男と互いに恋愛感情があったことを示唆している。故国と世界の行く末についてそれぞれが持っている信念の違いによって、これは成就されない恋愛なのだということらしい。
第二幕は、上海から帰って二三年後、1930年代半ば、男の家から始まる。
学生時代の友人瀬川(石田圭祐)とその妻(那須佐代子)それに小学生ぐらいの子供がふたり訪れて、男の家族とともににぎやかな午後である。瀬川は、左翼の資金カンパに応じたことがもとで逮捕され、拷問を受けた上に転向手記を書かされて解放されたが、勤めていた大学を追われ私大の講座も失ってしまっていた。
この頃男は論文を発表し、本も何冊か書いている。瀬川にいわせると、男が体制内でぬくぬくと「うまく偽装してある」論文など書いているのが気に入らない。それに対して男は「党の公式的で観念的、不必要に戦闘的だと思えるやり方では日本は救えない」と既存の左翼を批判し、自分はあくまでも体制内にいて改革をすすめる立場だという。瀬川はそんなことがいまの日本でできるのかと疑問を呈するが、男はそれが自分の信念だというのである。
この日、珍しく林が訪ねてくる。大陸から帰ったばかりだという。何かの連絡のようだが、表向きは就職先の斡旋を願い出るというものであった。
一方ジョンスンは、男が帰国したあと、上海を引き払っていったんドイツに戻ったが、重要性を増しつつある日本での諜報活動を推進するために、この頃日本にやってきていた。ジョンスンが組織した活動家には、米国の共産党から派遣された日本人がいた。南田のおばちゃん(田中利花)は移民として米国に渡り、いまは党籍は抜けたがシンパである。日本に帰って、米国で知り合いだったジョー(松田洋治)と電車でばったり会うことになった。ジョーは少年時代に移民として沖縄から米国へ渡った。ひょんなことから画家になり、そして党員になった。
ジョンスンは、上海のときと同じくドイツの新聞の特派員として振る舞った。ドイツ大使の信頼も厚い。ゾフィー(原千晶)という日本人の女が身の回りの世話をした。ジョンスンは、この時期日本が南進を決定してソ連との戦争は回避されたこととナチスドイツが条約に違反して東欧からソ連へ侵攻する意思があることを打電して多大な成果を上げた。これには男からもたらされる情報が大いに役立った。ジョンスンは、世界が変わらなければ日本も変わらないといって、あくまでも日本の改革にこだわる男の考えを国粋主義などという極論を交えて翻意させようとする。世界共産主義とその中心であるソ連のためにともに働こうという誘いである。男の応えは、自分は日本人である、オットーと呼ばれる日本人であるというものだった。つまり日本をよりよく変えることは自分にしかできない、それがひいては世界を変えることになると男は主張する。これこそは木下順二が何度もくりかえして描く、オットーと呼ばれる日本人がジョンスンというコミンテルらしい男に協力した立場と動機である。
1941年秋。日本は、終わりの見えない支那との戦いを続け、南方は仏印からマレー半島に至る占領を終えていた。この状況により、いまはむしろ日米が開戦の危機を迎え、当分の間ソ連との戦争はあり得ないという見通しになった。ジョンスンの日本における諜報活動も終わりを迎えたのである。
ジョンスンはそれとなくゾフィーに別れを告げ、ジョーたちの労をねぎらった。ジョーは、北欧の中立国にでもいってのんびりしたいという。しかし、オットーの周囲にはこれまでと違う監視の目が集まっていると感じるようになる。そんな中、職場に現れた林との会話から、宋夫人が中国共産党を追って遥か西の延安に向かったらしいということがわかる。
エピローグで、ひとりの検事が男の手記(上申書?)について言及している。共産主義者としての信念が実に見事に論理的に構築してあって感心したが、君の行動は少し違うような気がする。論理的整合性にこだわるあまり本音がでていない。本当の気持ちを書いてみないかと誘うが男は無言である。また、弁護士が現れ、君のやっとことは愛国的行為ととれるが、そういう手記を書くべきだとすすめる。やはり男は応えない。
やがて男は、これだけのことはいえると重い口を開く。自分はオットーという外国人の名前を持つ正真正銘の日本人だった。そしてそのようなものとして行動してきたことが決して間違っていなかった、ということだ。

いうまでもなくゾルゲ事件をもとにした劇である。男は尾崎秀実であり、ジョンスンがゾルゲ、宋夫人はアグネス・スメドレーがモデル、林に南田のおばさんやジョー、それにゾフィーにも実在のモデルはいる。しかし、木下順二はあくまでもこれをフィクションとして書いた。あの当時において、「正真正銘の日本人」が「オットーという外国人の名前」を持つことで、なおかつ正常な精神を保つことができた、あの時代にそのような立場がこの男によってのみ成立したということを描きたかったのだろう。従って、この劇は木下順二の尾崎秀実批評ともいうべきものである。
その意味は、自分が帰属している世界に在りながら、そこを出てもう一つ別の次元からその世界を客観的に眺めてみる、そういうことができるかどうかということである。共産主義者ならコミンテルンの利益に奉仕するのは当然のことで、ジョンスン=ゾルゲはドイツ国籍を持ちながら何の疑いも躊躇もなく国際共産主義のために、すなわち正しいと信ずる「観念」のために働いた。むしろ自分はその「観念」にこそ帰属していることに自覚的であった。ここはこの劇でも強調されていることである。
男、オットーと呼ばれるこの男は日本人であることをやめようとしなかった。ジョンスンがモスクワに誘ったが苦笑して終わった。共産主義について十分すぎるほどの理解を示しながらジョンスンが帰属している「観念」の側に行こうとはしなかったのだ。そのくせ、十分すぎるほどの協力をするということは自分の帰属している世界すなわち祖国を裏切ることになる。裏切りではないという自信はどこからくるのか?つまりは自分はそこには「いない」と考えている。では何を正当化の根拠にこの男は行動していたのか?どこに帰属しているという自覚を持って、精神のバランスを保つことができたのか?
それは、おそらく日本の未来である。オットーとはその未来における男の名だった。男は、自分がいま帰属している世界にではなく、その世界の「未来」にこそ帰属していたのである。男にはこう在ってほしいという日本の未来が見えていた。そこへ着実に近づいていると思った矢先に歴史という大河に飲み込まれたのである。

加藤ちかの装置は、中劇場を持て余し気味だった。この芝居を中劇場の広さでやるのは無理があるとはいえ、少し考えに甘さがあった。抽象的に描くのはかまわないが、ところどころ絵の具が塗ってないキャンバスを見ているようで、重厚な台詞劇が軽くなってしまった。ひらひらした布で作るよりはもっと硬質の素材でどっしりと見せた方が劇の内容には合っている。宋夫人のアパート、男の上海のアパート、会合に使った中華料理店などはいかにもにわか作りで話の内容までリアリティが薄くなったような気がする。さらにいえば、上海の租界ついては露骨に何の知識もないのが現れていた。猥雑さやけばけばしさ、異国情緒などに加えて抗日運動や左翼運動の騒々しさが表現されていなければ、諜報活動の背景としていまひとつ面白みに欠けるというものだ。資料などたくさんあるはずだから見たらいい。さぼったことが如実に出た。
装置もあまり感心しなかったが、全体に存在感の希薄な舞台であった。
原因の一つは、キャスティングにある。もうひとつは演出の平板さ、鵜山仁の段取り仕事が悪い面に出てしまった。
キャスティングの失敗は、まず第一に吉田栄作にある。膨大な台詞と格闘したのはわかるが、果たして内容と向き合ったのか疑問のところがある。観念でわかってもそれが体で表現できるとは限らない。しばしば見せるアイドル的ヒーローぶりは新聞記者、いわばブンヤってこんなに格好よかったっけと思わせた。格好つけてもいいが、一高東大出の知性とはどんなものか考慮してそれを身につけないと情勢分析の話になってももどうにもならない。この役をやる前に「吉田栄作」をどこかに捨ててこさせなければいけなかった。篠田正浩の映画で、アイドルの本木雅弘がやったことに影響を受けたかもしれないが、こんなことで客を集めようという魂胆が見え透いていて不愉快である。もっと納得のいく芝居ができる俳優を起用すべきだった。
次にジョンスンのグレッグ・デール。これほど影の薄い諜報機関の巨魁もないものだ。柄が小さいのはがまんするが、すごみがない。声も小さく存在感がない。ゾフィーの少し太ってしまった原千晶が近づくと押し倒されるようであった。もっとそれらしい役者はいたはずである。この役がしっかりしていたら、吉田はともかく芝居としてもう少し評価できたのだが。
そして宋夫人。ジュリー・ドレフュスは長い間日本で活躍したモデル、タレントであり、女優である。いまはどこかに拠点を移したはずだが、日本語は達者だから起用したのだろう。ただし、美しい「女優」であるが残念ながら華がない。女優と言ってももとはモデルで、母親ほど本格的な役者ではない。男を手玉に取って世界を飛び回る奔放なイメージのジャーナリスト役はどう考えても彼女ではないだろう。
脇にとびきりうまい役者を配置したかといえば、石田圭祐ぐらいのもので、鈴木瑞穂、清水明彦、吉田敬一、那須佐代子ら達者な俳優は皆ちょい役にすぎなかった。キャスティングに責任あるプロデューサーの大失敗といわざるを得ない。
演出の段取り仕事とは、次から次に「場」をこなしていく流れ作業のことである。鵜山仁は手に余るとこういうことをやる。どんな芝居でも否どんな芸術でも人に何ものかを伝えようと思ったら、強調するべきところはそれなりにメリハリを付けて表現しようとするだろう。その結果心地よいリズムができて、よりよく伝わるというものだが、段取り仕事とはそのリズムが単調なことを意味する。
それに、後で記録された動画を見れば明らかなように、登場人物が皆大声で叫んでいる。中劇場の広さを意識したかもしれないが、これではせっかくの台詞劇が台無しではないか。何度も言うが、木下順二の台詞は推敲に推敲を重ねて完璧に磨き上げてある。時に冗長ではあるが込められた意味は深い。叫ぶような粗野な口調で発語すべきものではないのだ。
というわけで「変革への意思」について言及する元気も失せてしまうほどの出来栄だったのでこれでやめにするが、最後に、二三言っておきたいことがある。

それは、スパイ話なのにちっとも面白くない、ということだ。 尾崎は国を裏切ったわけではないということの証明に終始するような芝居だから一向にスパイ事件にはならない。
映画の話で恐縮だが、篠田正浩がそんな歳でもないのに、これを作ったら映画から足を洗うとまで言ったことがあった。映画「スパイ・ゾルゲ」(2003年)である。生真面目に作ってはいるが映画としてちっとも面白くない。せめてスパイ映画にしろといったら、007じゃないんだからと言われそうだが、いっそのことこういう話は英国人に渡してシナリオにしてもらうのがよさそうではないか。
あの連中なら、特高警部が日本共産党員伊藤律の転向を迫っているうち、ひょんなことから「米国帰りのおばさん」の自白を得て、そこから米国帰りの画家、宮城与徳にたどりつき・・・正体不明の電波が東京某所から発信されているのを発見、とうとう国際スパイ団の存在に気がつくなどと追う側からもスリル満点に描いて、いざ逮捕というときになって国家間の関係が絡んで渋滞しスパイ側に国外逃亡のチャンスが生まれるが寸でのところであえなく逮捕などというおまけまで付けてくれるのではないか?
映画は尾崎ではなくゾルゲが主人公だが、この「オットーと呼ばれる日本人」に多分に影響を受けている。木下順二は最初から尾崎を愛国者に描こうとしているから、篠田もつい同じ目線で尾崎を見てしまった。もとの話が面白くないから仕方がなかった。

もうひとつ。昭和十三年の初頭に近衛文麿が突然「爾後國民政府ヲ對手トセズ」という声明を出して内外をびっくりさせた。これは僕にとっても長い間納得のいかないことだった。蒋介石を南京から追い出したのはいいが、和平交渉は一切しないと宣言したのである。軍の中には石原莞爾のように和平工作をすすめようとするものがいたがこれも完全に阻止する。和平工作をするにも建前上は相手がいないのだからにやみくもに突き進む以外にない。日本が泥沼の戦争にはいっていくきっかけになった。
この唐突な方針転換は、近衛の周辺にいた尾崎らの提案だったという説が根強くある。日本が蒋介石と休戦協定を結べば、蒋介石はかろうじて保たれていた国共合作をかなぐり捨てて中国共産党攻撃を始めるに違いない。その延長にソ連攻撃もありうる。ゾルゲにしてもそれは回避しなければならない事態であった。
その結果、大陸における戦争は長引き、和平が成立していれば(そうすべきだったことは明らかである)失うこともなかった多くの命が犠牲になった。これで尾崎秀実は果たして木下順二がいうように愛国者といえるのだろうか?
もし仮に尾崎がコミンテルンに忠実なスパイだったとして、望むように日本が国際共産主義の国家になっていたら、いったいどうなっていただろう?それを考えると「変革への意思」ということもよほど慎重に考えないといけないと思う。
最も問題なのは、尾崎にしても近衛にしてもインテリの知識人であったことだ。昔サルトルが「知識人の責務」という言葉を使うので、何か特権的なエリート意識に鼻持ちならないと思ったが、あの時代は知識人に大衆を導く責任があった。だから、一国の歴史を動かす人物の一人になりたいという意識はエリートなら当然持って不思議ではない。
いまは、幸か不幸か世界は狭くなって一国が勝手なことをしようにもできなくなった。知識人に自分たちの未来を託そうなどという羊の群れのような大衆もいなくなった。あの時代とは全く異次元にきてしまった状況の中で、あらためて「変革への意思」というのは考えなければならないのである。鵜山仁の提案はあまりにもいいかげんで無責任というものだ。
最初に書いた「何を今更」と思ったのはそういうことであった。

 

題名:

オットーと呼ばれる日本人

観劇日:

2008/05/30

劇場:

新国立劇場

主催:

新国立劇場
期間:
2008年5月27日〜6月8日

作:

木下順二

翻訳:

 

演出:

鵜山仁

美術:

加藤ちか

照明:

服部 基

衣装:

前田文子

音楽・音響:

上田好生

出演者:

吉田栄作 紺野美沙子 グレッグ・ デール ジュリー・ドレフュス 石田圭祐 松田洋治 清水明彦 原千晶 田中利花 那須佐代子 吉田敬一 古河耕史 石橋徹郎 北川響 マイケル・ネイシュタット 鈴木瑞穂 永島敏行

 

 

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