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「パートタイマー秋子」

最近有名なディスカウントショップの商談について行ったことがある。店の二階にある事務所に入るのに、用紙に記入してバッジをもらうのは何処でも同じだが、ふと気づいたことがあった。ここは、男にしては一応愛想はいいのだがいわゆる警備会社のガードマンが受付けをやっている。扮装で解った。それも一人や二人ではなく、受付の背後で見張っているもの、長机で荷物検査を待ちかまえているもの、事務所の階段方向と店への出入り口をにらんでいるもの、駐車場と店の回りを徘徊するものと実に大勢で空港のようにものものしい。ばかにならない経費であろう。こういう業種の経営者は大概ケチと決まったものだが、それでも出費に見合う効果があると断じるに至った経緯を想像すると解らぬこともない。
この手の店は定番といわれる普通の商品をスーパーと同じ値段で売ってはいるが、いわゆるバッタものという極端に安い商品をたくさん置いて、それをウリにしている。旧型の在庫品、売れ残り、季節外れ、換金用等々あらゆるものが持ち込まれ、バイヤーは相手の足下を見て、極端なのは定価の一割で仕入れ、半額セールとか称して売ったりする。そういう筋の商品だから、売り切りごめんということになるのだが、こういう店に在庫管理という言葉はあっても、その実態はないのが相場である。何を仕入れたかは請求書が来るから解る。いくら売れたかはレジで集計できる。ならば在庫は解りそうなものだが、それが単純な算術でかたがつかない。棚卸しというものをやって実際に商品があるかどうか確かめる。あの物質主義の権化のようなめくるめくものの山を見て、何が何処にあるか確かめろと言うのは無理な話だ。しかし長くやっていれば算術があわないことに気がつく。あわない分は客が万引きしているか従業員が持ち出しているかである。普通経営者は、従業員のモラルに寄り掛かって、万引きの摘発も在庫管理も任せている。それが信用ならないというなら、もはやガードマンを雇って従業員を監視するしかない。不思議なもので、こういう店は印象が荒れている。従業員の気持ちが客の方に向いていないことが、店の様子で微妙に解るのである。
ディスカウントショップと食品スーパーは機能が違うから一概に上のようなことは当てはまらないが、従業員のモラルが怪しくなってくると、店が乱雑になるのは同じである。
この芝居の舞台、食品スーパー「フレッシュかねだ」も売り場はどうだったか?
永井愛は、スーパーの裏で何が起きているか克明に取材していて、展開するエピソードの一つ一つの現実味に間然とするところが無い。
物語は、秋子(高畑淳子)が事務所で挨拶の声出しを練習しているところから始まる。新しく本部からやって来たばかりの店長の恩田(横堀悦夫)がパートタイムの従業員として、秋子を採用したのだ。奥様然とした場違いな様子で、周囲から浮いている。秋子は成城で暮らしていて、大企業に勤める夫がリストラにあい、住宅ローンを払うために仕事を求めたと、後で解る。やはり大手不動産会社を部長まで勤めてリストラされた貫井(山本龍二)も店の品出しとしてやとわれている。どんくさい仕事ぶりを前からいる若い副店長の竹内(石母田史朗)に怒鳴られて、いつもプライドが傷ついている。貫井は田園調布で暮らしているらしい。竹内は正社員ではないが一応責任をもって店を切り盛りしている若者で、いつまでも部長然としている貫井が気にくわない。。
一方、野菜担当の春日勇子(津田真澄)を中心に、鮮魚の師岡(村田則男)、レジの新島(小林さやか)、星(土屋美穂子)らが結託し赴任したばかりの店長の積極的なやりかたに抵抗する。抵抗の裏には、自分達の都合のいいように店を仕切り、品物をくすねるのがばれないようにする意向が働いている。この派閥とは別に、自閉症から立ち直ったという若者、精肉担当の小見(小豆畑雅一)、開店以来21年無遅刻無欠勤、伝説のレジ係小笠原ちい子(藤夏子)、店長に気があるらしい総菜担当の窪寺久仁子(井上夏葉)がいて、それぞれどっちつかずの立場で右往左往している。
ある日秋子がレジに立っているとき、一万円のミスが出てレジ係が騒ぎだした。秋子を追いだそうという計略だったが、店長は、ちょうど精肉の小見が理由不明のまま辞めたところだったので、秋子を後がまに据える。春日たちの不正を薄々気がついていた秋子に、あるとき店長が精肉のリパックを指示する。賞味期限の切れる肉をパックし直して購買客を欺く手段である。それは出来ないと秋子が固辞すると、店長は意外にも月額8万円の特別手当を出すというのである。
一方、貫井は、自分らしい仕事がしたいと企画書を書いて店長に提案するが、なかなか認められず、窓から飛び降りて抗議するが、やがて従業員一同が被り物をかぶって、歌を披露するという売り出しキャンペーン案が受け入れられる。しかし、春日たちグループは決してこれに協力しようとしない。反対をよそに、行動する貫井や秋子の熱意のかいあって、次第に全体が巻き込まれ、ついにキャンペーンは大成功してしまうのだ。
こうして店長の巧みなやり方に屈服させられて、店は一応落ち着きを取り戻す。そんなある日店をやめようという貫井は秋子がレジを通さない品物をロッカーに隠し持っていることに気づき驚く。秋子は、いつの間にか不正に染まり、悪いことという意識をなくしてしまっている自分に気づいて涙するのであった。
細かなエピソード、例えば万引きの老人大坪(森塚敏)は、近所で八百屋をやっていてこのスーパーとの競争に敗れたのであったが、その他小笠原のなぞめいた振る舞いが連れ合いの入院だったとか、永井愛の描くディテールは、平成不況の時代を語ってあますところが無い。
店の品を適当にくすねる話があったので、最初にディスカウントショップの例を出したが、商品管理を完璧に行うのがいかに困難か素人でも想像は出来る。結局は従業員のモラルに期待し、会社に対するロイヤリティを高める以外に適当な方法はなさそうだ。つまりは人間を大切にすることなのだが、グローバリゼーションという、実はアメリカのルールで作られた経営方法を、世界基準と誤解させられた結果、人件費を低減すれば短期的利益が見込めるという会計上最も単純な論理が日本でまかり通ってしまった。そんなことは分かり切っていたが、日本の経営者は誰もが「それをやっちゃあ、おしまいヨ。」と耐えていたのだ。しかし不況が長引き、貧すれば鈍すで、目先の利益(別に必要もなかった)に目がくらんでしまったのである。ばかな政治家が後押ししたのであろう、どこもいっせいにやりはじめたのであった。
かくて終身雇用の弊害が語られ、個人の能力開発やキャリアパス、IT革命、SOHOの時代の到来が喧伝されたが、一体世の中は変わったのか?個人の能力は正当に評価されたか、専門性の高い分野で企業間を横断的に転職する人は増えたか?独立して住まい兼事務所を構え、ITを駆使してビジネスをやるものはいるか?なんのことはない、結局給料の高い中高年の首を切って人件費を切り詰めただけだった。
秋子の夫も、貫井も別に能力を疑われたわけではない。たまたまその年代だっただけの話である。貫井は自分の企画能力やその経験に自信を持っているが、いまはスーパーで品出しをしている。貫井のいらだちを見ていると人間は、そういうことに耐えられないものだということがよく解るのである。
そもそもアメリカの戦略にうかうか乗ってしまった日本の経営者が馬鹿なのだ。日本の資源といえば人材くらいのものだと気づいてももう後の祭りである。希望退職を募ると優秀なのから辞めるのが人事関係者の常識だそうだ。今大企業に残っているのは、某銀行の頭取などそのいい例であるが、いわばかすである。地方は何十年も東京に優秀な人材を送り込んだのだから、地方交付税をたくさんもらうのは当然だと言う話を聞いたことがある。自分達はかすだといっていると気づいて笑ってしまった。かすだけになると自分で立っていられなくなる。日本もおしまいだねと古老のふりして嘆くしかない。
ここで展開されている職場の派閥やエゴやいじめ、懐柔、不正や欺瞞は何処にもある話で、だからこそドラマとして面白いのだが、永井愛は何もそれを正そうとして正義感ぶったわけではあるまい。どんなに厳しく管理しても職場を構成するのが人間であるかぎり、上のようなトラブルは付き物だ。
しかし、リストラという社会現象が会社と従業員の関係に変化を与え、いわゆるモラルハザードがこの国で確実に進行していることを永井は見逃さない。終幕近く秋子が自分を責める姿に感じるのは、人の心に住み込んだ病は、気づかぬうちに重くなりやがて根元のところを腐らせるのではないか?ということだ。
高畑淳子は、成城の何も知らない奥様が、現実と妥協しながら思ってもみなかったところまできてしまったことに気づくプロセスを好演した。涌井の山本龍二は、大企業の部長と言う感じはなかったがリストラのストレスを熱演。しかし、興奮すると台詞の語尾を伸ばすいつもの癖がでて気障り、役者ならいい加減には直したほうがいい。店長の横堀悦夫も、少し弱いキャラクターを演じるときのあいまいさがでて、気になった。大昔「蝿の王」だったか、あの時の強い印象を見せて欲しいものだ。
目立ったのは、野菜担当春日の津田真澄と鮮魚担当師岡を演じた村田則男で、いかにもいそうな人物像を巧みに造形したと思う。
副店長の石母田史朗は、若手の中でも守備範囲の広い役者で、今度のフリーターで責任があるという複雑な立場をうまく演じて、好感が持てた。これからも活躍が期待される。
実は、少し前に、テアトルエコーがやった永井愛の「ら抜きの殺意」をTV録画してみた。比較するのは適当でないかもしれないが、面白さという点では「ら抜き・・・」の方が上だと思った。この芝居では、被り物をかぶって歌を聴かせるというイベントがいま一つリアリティを欠いていたと思う。構成の妙という点に差が出た。
それにしても、よくここまでスーパーの裏側を書き込めるだけの取材をしたものだと感心する。出入り口の様子、休憩のイスのわびしさ、雑多な商品が置かれたテーブル、僕らが訪ねる事務所そのものが再現されている。
やがて、こうした場所に監視カメラの設置あるいはガードマンが詰めることになるとすれば、永井愛の心配は現実のことになるだろう。
             

 

                           (2003/6/22)

題名:

パートタイマー秋子

観劇日:

03/6/13

劇場:

紀伊国屋

主催:

青年座

期間:

2003年6月5日〜15日

作:

永井愛

演出:

黒岩亮

美術:

柴田秀子

照明:

中川隆一

衣装:

三大寺志保美

音楽・音響:

井上正弘

出演者:

高畑淳子 山本龍二 横堀悦夫  津田真澄 小林さやか 土屋美穂子 藤夏子 井上夏葉  村田則男  石母田史朗  小豆畑雅一  森塚敏

 

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