<%@LANGUAGE="JAVASCRIPT" CODEPAGE="932"%> 新私の演劇時評
タイトル日にち掲示板トップ

「ロマンス」

以前から「かもめ」と「桜の園」のタイトルに「喜劇(コメディ)四幕」と添えられているのは何故かと訝っていた。チェーホフが若い頃からボードヴィルを好んで見ていたことをこの劇が強調するものだから、なるほどそれは自分の芝居を喜劇として見て欲しいという願望だったのだといよいよ確信した。しかし、滑稽、笑い、おかしみから諧謔、パロディと喜劇の概念をどんなに拡大してもチェーホフの劇がその範疇に入ると解釈したものに出会ったことがない。喜劇というにはどうにも無理がある、そう思うのが自然なのだ。
ところが、モスクワ芸術座における「カモメ」の再演で評判をとった後、見舞いに訪ねてきたスタニスラフスキー(段田安則)に対して「君の演出は長すぎる」と不満をぶつけたのを見ていささか驚いた。この時チェーホフ(木場勝巳=晩年のチェーホフ)は、「せりふをもっと早口で言わなくては・・・」といったのだ。なるほど彼は自分の書いたものが喜劇に見える具体的な方法を考えていたのである。あの長々としたせりふをまるでテープの早回しのように言ったところで喜劇になるか?疑問のところだが、おそらくその思いは余程切実だったのであろう。「喜劇」と添えられたタイトルを目にするたびに口をとがらせるチェーホフの顔が思い浮かぶようだ。そう思ったのは井上ひさしも同じで、彼はその一点においてチェーホフと交差し、その接点を手がかりにしてこの評伝劇を書こうという気になったに違いない。
歌にコントに踊り、派手なパフォーマンスに果ては奇術まで何でもつまったバラエティショーをボードヴィルだというのは米国式で、チェーホフが見ていたのは少しの歌と軽い喜劇、人生をスケッチ風に捉えた大衆演劇だったと劇では説明している。黒海に面した港町、タガンローグで生まれ育ったチェーホフは少年時代(井上芳雄)、このボードヴィルをよく見ていたという。ここはイタリア・オペラの劇場の他に小さな劇場やサーカス小屋などがある文化的な街であった。ある日この芝居から帰ると通りの外れにある父親(木場勝巳)の食料品と雑貨を商う店に強盗(生瀬勝久)が入って、なけなしの売上げを奪おうとしている。そこへ偶然警察署長(段田安則)が二人の警官(大竹しのぶと松たか子)を伴ってやってくると、てんやわんやの大騒ぎ、これぞまさしくボードヴィルではないかというありさまである。強盗事件があってもなくても結局、商売はうまくいかず父親は破産、店をたたんでモスクワにでることになる。タガンローグーモスクワ間はおよそ九百キロ、東京、広島間ぐらいだろうか。晩年を過ごしたヤルタは、黒海につき出たクリミヤ半島の南端、生まれ故郷のタガンローグからは南西の方向になる。東京―名古屋間くらいの距離か。ロシア文学で困るのはこの方向と距離の感覚である。
チェーホフは人手に渡った家にひとり間借りして家庭教師を掛け持ちしながら学校を出ると、家族のもとに合流する。やがて奨学金を得てモスクワ大学医学部に入学するが、一家の生活を支えるために書いた短編小説が評価され、在学中既にユーモア小説雑誌の定期寄稿者になっている。
大学の卒業試験の場面では、彼の命を奪うことになった結核菌に関するものを配して、さりげなくこの男の未来を暗示した。主任教授(木場勝巳)がごうごう大いびきで寝ているなかを助教授(段田安則)が口頭試問を続けて五百問全問正解を教授に告げ、優秀な成績だったことを示している。
この後チェーホフは医者になるが、一方、生計の足しにしようとチェーホンテその他のペンネームで雑誌に発表していた短編小説が作品集になり、チェーホフと本名を併記したその本の売れ行きも上々で小説家としての名声も高くなっていた。医者になってまもなく医業に頼ることもなく文学だけで生活を支えていけた。ありていに言ってしまえば、チェーホフは医者でありながら若くして流行作家になっていたのである。このころ書いた夥しい短編小説についてはむろん僕などのようなロシア文学音痴にはなにも分からないが、どうも全編を読破したらしい井上先生はその中から気の利いたフレーズをさりげなくこの劇のせりふに紛れ込ませていたらしい。
その文学について「チェーホフの短編小説は、文学に革命をもたらした」などと大仰な言い方をするむきもあるが、これは、彼の小説にはこれといった筋書きも、事件も従って緻密な伏線もあるわけではないという意味である。自然主義といえばいえなくもないのだろうが、物語の面白さよりは、人間の内面のドラマを巧みに写し取って表現することに長けているという点で新しい小説なのだという評価は、晩年の戯曲を見れば容易に想像がつく。ただし、劇ではもっぱら、「ボードヴィルを愛したチェーホフ」と暗示的で、このような相対的な文学論は出てこない。そうはいっても貧困を告発し、権力を憎み、人間の実存を追求し、恋愛に苦しみ、国家を論じ革命を希求するなどというところからは「少し次元がずれている存在」として、ロシア文学の中に位置づけようとしていることは理解出来る。終幕近く、晩年のトルストイ(生瀬勝久)との交流をややカリカチュアぎみにとりあげているが、チェーホフとは、トルストイでもなく、ゴーリキーやプーシキンでも、ツルゲーネフやドストエフスキーでもない不思議な立ち位置に、しかし確固たる存在として屹立していると劇は告げている。
小説家といっても医業を全くしなかったわけでもない。舞台では患者の老婆(大竹しのぶ)がやってきて、あちこち痛いだの歩けないだのいいながら、ただで薬をせしめる場面があった。妹のマリヤ・チェーホワ(松たか子)が秘書兼看護婦の役割をかいがいしく行って、敬愛する兄を助けた。実際チェーホフは自分の屋敷を構えた三十二歳頃には書斎を診療所にして無料で診察したという。このモスクワから汽車で二時間半ばかりのメーリホヴォというところでは、伝染病患者の隔離施設や学校も作って地域に貢献もした。これには三十歳の時にサハリンを訪れ、流刑地の過酷な暮らしを見聞した体験が影響していたとその時のエピソードを短く挿入している。
マリヤには成り上がりの金持ちの息子(井上芳雄)がしつこく言い寄ることがあって、返事を先延ばしにしていたが、兄の仕事を手伝うことを理由にきっぱりとこれを断る。以後、マリヤは教師としての職業の傍ら兄のマネージメントやら看護助手やらぴったりと寄り添って生きていくことになる。
第二幕は、マリヤが女優のオリガ・クニッペル(大竹しのぶ)と出会い、次第に打ち解けていくという場面から始まる。一緒に料理を作って食べるシーンは屈託が無くて楽しめる。ところが、チェーホフはこのオリガに一目惚れする。それまで恋の相手がいないわけでもなかったが、結婚に踏み切るところまでは行かなかった。1901年五月二人は教会で結婚、チェーホフ四十一歳、オリガはその時三十二歳であった。このことは、しばらく伏せられた。マリヤがそれを知って怒りに震える。親友に裏切られた思いと、兄の生活の一切合切を面倒見てきたのに、その大切なものを取られた思いが重なった。しかし、オリガは女優、モスクワ芸術座のシーズン中は、ヤルタの家で執筆しながら静養しているチェーホフとは離れ離れである。
この結婚生活は、チェーホフの結核が急変して亡くなるまで約三年続いたが、モスクワのオリガとの往復書簡が四百三十通余も残っているという。この書簡は没後に公開されているが、まだ関係者が多数存命であったために、不都合と思われた個所は伏せ字にされた。マリヤもオリガも90才近くまで長生きした。マリヤとクニッペルは第二次大戦後の1953年に二人揃って仲良く一枚の写真に納まっている。マリヤはその四年後、オリガは六年後になくなったというキャプションがついていた。
劇は、この往復書簡のオリガに呼びかける言葉がその都度変化して工夫されていたという。「僕のかわいい子犬さん・・・」「ロシアの大地の偉大なる女優さん」「僕の生涯の最後の一ページさん・・・」といったあり様である。まさか公開されるとは思ってもいなかっただろうが、際どい言葉も連なっていて臆面もない愛情表現は二人の関係を物語っている。この二人の短くも濃密な愛情関係についてタイトル「ロマンス」はあてられているのであろうが、チェーホフの生涯を謂う言葉としてふさわしいかどうか僕には分からない。
最近、中本信幸さん(神奈川大学名誉教授)の研究によってこの伏せ字の部分が明らかになったとパンフレットにあった。それによると、1902年の冬にヤルタに滞在したオリガがモスクワに帰る汽車の中で身体の異変に気がついたとある。実はオリガは妊娠していた。知っていればもっと気遣いしたはずだったと後悔するがそれは流産の兆候であった。チェーホフの妻のからだに対する細やかな気遣いが手紙の中に表現されているが、いつかまた子供ができるという喜びも感じることが出来る。まさかその二年後になくなるとは思ってもいなかったのである。
「かもめ」に続いて「三人姉妹」「桜の園」をモスクワ芸術座のために書いていずれも好評を博した。演出したスタニスラフスキーは定型化された身体表現を排して、心理学に基づく新しい演技論を打ち立てたことで知られている。築地小劇場にはこの俳優訓練術・理論=スタニスラフスキーシステムが直接導入されるなど、日本に限らずいまでも世界の演劇に多大な影響を与えている。しかし、先にいったように、この演出法では喜劇に見えないという不満が作者からでるという皮肉な結果になったのである。
チェーホフは、病状が悪化し、オリガとともに彼女の故郷であるドイツで治療を受けるためにでかけ、その街のホテルでなくなる。
短いプロットを歌を挟んで軽いタッチでつないでいく劇で、これぞボードヴィルというものかと思った。井上ひさしにしてはあっさりとした味わいの仕上がりといっていい。他のもの(ほとんどすべて日本人の評伝劇)と比較して引っ掛かりがなさすぎる嫌いもあるが、それはとりもなおさずチェーホフという人柄にあったのかもしれない。チェーホフのような分かりやすそうで、しかしとらえどころのないようなキャラクターをおそらく扱ったことはないはずだ。「人間、このおかしな生き物!」という突き放したように、しかし、親密に対象を観察する視線は井上ひさしには見当たらない。あるいは「抵抗しても仕方がないのではないか・・・」という一種の脱力感は求めても無理というものだ。そしてなによりも「働かなくっちゃ・・・」という現実感に彼の作品では出会ったことがない。こうしたチェーホフの人間観察を彼が医者だからという批評はあるようだが、しかし(やや理科系の頭脳という気はするものの)、むしろそれが持って生まれた性格なのだろう。それこそがボードヴィルを見ることで助長された好ましきキャラクターなのかもしれない。この作者とは非常に対称的な主人公であったために、かえって清新で品格のある佳品に仕上がったのではないか。
初日が開く二日前にようやく本が上がったという、いつもの綱渡りの割には、俳優のアンサンブルがすこぶるよかった。警戒して二週間目にしたのは正解だった。
井上芳雄ははじめてみたと思うが、ミュージカルの経験は多いらしい。さすがに声量があって音程も正確で聞かせてくれた。
大竹しのぶと松たか子がはじめて舞台で顔を合せたという触れ込みだったが、これがはじめてかという自然な出来で、舞台に溶け込んでいた。ここは出張らなかった松たか子の芝居を褒めるべきだろう。
また、段田安則があちこちで使われているのはいいことだ。うまい。うまくなった。
ところで、冒頭でチャイコフスキーの「ロマンス」に詞をつけた歌がうたわれる。(ここで註:冒頭の歌はガーシュインの「Do! Do! Do! 」だという指摘があった。これについてはブログをご覧ください。僕の思いこみであった。謝って訂正しておく。)
「・・・主義もない夢もないチェーホフ お高くとまったニヒルなやつさ ・・・けれど一つ たしかなことは そう、ボードヴィルが好きだったこと・・・」
チャイコフスキーの曲は題名の通り甘さがあって切なくてゆったりとしたスラブの平原を思わせるスケールの大きい曲想である。ここで取り上げたのはむろん彼らの親交を前提にしているが、それにしてもこの詞では身もふたもないではないか。
僕はまず、前奏曲としてストリングスでこの曲を聴かせたい。すると、この曲の中に欧州ではない、どこか東方の風景が匂ってくるのを感じるはずだ。ロシアとはそういうところでありそこで生まれた文学のことを、そこで生まれたチェーホフのことを語ろうとしている、ということがより鮮明になるのではないかと思う。この稿を書くに当たって、ユーラシア大陸の地図をあちこち行来しているうちに、チェーホフもまた間違いなくこのロシアという大地に生まれたという実感が湧いてきた。と同時に「主義もない 夢もない・・・」という生き方がそれほど批難されるべきものでもないのではないかという気もしてくる。

チェーホフ没後100年の2004年ごろには随分あちこちで記念上演が目に付いた。そう思っていたら今度は生誕150年(2010年)がまもなくやって来て世界中でイベントが計画されているらしい。この芝居は、その合間に一石を投じた形になって、そういう面からも有意義であった。

 

題名:

ロマンス

観劇日:

07/8/10 

劇場:

世田谷パブリックシアター   

主催:

こまつ座+シスカンパニー

期間:

2007年08月03日〜9月30日

作:

井上ひさし

演出:

栗山民也  

美術:

石井強司 

照明:

服部基  

衣装:

前田文子

音楽・音響:

宇野誠一郎 音響:秦大介

出演者:

大竹しのぶ 松たか子  段田安則生瀬勝久 井上芳雄 木場勝己  

 

kaunnta-