題名:

 ロメオとジュリエット       

観劇日:

04/12/22       

劇場:

日生劇場   

主催:

TBS 、ホリプロ    

期間:

2004年12月日〜12月28日     

作:

ウイリアム・シェークスピア       

翻訳:

松岡和子      

演出:

蜷川幸雄         

美術:

中越司             

照明:

原田保            

衣装:

小峰リリー            

音楽:

井上正弘 
出演者:
藤原竜也 鈴木杏 壤晴彦 瑳川哲朗 立石凉子 梅沢昌代 高橋洋 妹尾正文 スズキマリ 横田栄司 月川勇気 マメ山田 清家栄一 福田潔 グレート義太夫 堀文明 新川将人 鈴木豊 高山春夫 田村真 伊藤一樹 江間みずき 勝島乙江 名塚裕美 松岡さやか 泉裕 井上顕 菊地康弘 原田琢磨 藤田俊太郎 

 

「 ロメオとジュリエット」

この芝居を見ながら、夭折した詩人(?)大宅歩(評論家大宅壮一の長男)が日記に書きつけていたことを思い出した。うろ覚えだが「恋とは、狂った脳が生殖器の後からふらふらついて行くようなもの」という言葉だ。本人が青春まっただ中にいて感じた複雑な心情を自嘲気に吐き出したものだろう。
純愛などという言葉が欧米にあるかどうか知らないが、我が国ではただいまこの純愛ものが大はやりのようだ。しかし、外から見ればきれい事だが大宅歩が感じたように当事者は案外どろどろしているものかもしれない。だからというわけでもないが、こう言う話は燃え上がると同時に病気やら家族の反対やら大きな障害に出会って素早く終わらせるに限る。純愛の本質は必ず挫折することである。
もう少しロマンティックに考えたかったが、この舞台にはさまざまな人種の若い男女の三尺四方もあるモノクロ写真の肖像が壁一面に貼り付けてあって、そういう気分になるのを拒否していた。舞台を取り囲むように高さ一杯の壁があって、それが三階に分かれている。一階はポートレートが三段分で高さ約三メートル、二階と三階は二段づつでそれぞれ約二メートル、ただし各階とも幅が三尺程しかなく役者がすれ違うのもままならない狭さだ。手すりなど始めから考えていない。舞台をどうあれ縦に使おうとする蜷川演出の特徴がでている。ポートレートは同じサイズに伸ばしてある。だから眼の位置は同じところにくるのだが、その部分だけに明かりをあてるとこっちを見ているような効果が強調される。劇場に入って薄暗い舞台にそれを見たときはカタコンベのつもりかと思った。アウシュビッツの壁にピン留めされた写真やポルポトが虐殺した若者たちの顔写真を思い出した。ここに写った微笑の主は若くしてなくなった人々に違いない。直感的にそう思った。挫折した恋に殉じた若者たちであろうか。遺影を並べるとは悪趣味も極まったなと苦笑せざるを得なかった。
つまり蜷川幸雄はロメオとジュリエットの物語をいっさいのセンチメンタリズムを排して「出来事」として提示したかったのだ。この出来事は同じような物語を生きた若い人々によって見られている。同時にその若者たちの眼は観客に向かっていて、哀しい恋の顛末を一緒に見物しようと呼びかけている。
このような観客との共犯関係を作ろうという指向は昨年見た「マクベス」の鏡の部屋にも現れていた。舞台一杯に広がる鏡に映ったものは観客自身の姿であった。「語り部の話に耳を傾けよ」そして「我を忘れて物語に没入せよ」といっているようだ。客席から俳優が出入りするのは常とう手段としても、この芝居のスピード感は「マクベス」と共通のものである。観客は何も考えずにこの疾走するような展開に身をゆだねてくれといっている。それがこのところの蜷川幸雄の基本的な文法らしい。
語り部はロメオとジュリエットの内面を見せてくれるが決して感情移入することはない。ロメオは恋の喜びに有頂天になっていても、まるでハムレットのように自分を突き放して深刻に悩んでいる。ジュリエットといえば大きなぬいぐるみの人形を抱える子どもで恋愛と言ってもどこかおままごとである。鈴木杏は実に健康的でままならぬ恋のゆくえにもひどく楽観的に見える。要するにこの恋愛にはせっぱ詰まったところ、情緒というものが欠如している。二人だけの世界にはもはや誰も邪魔立てできないという緊張感が完成されていない。たとえば「近松心中物語」の様な互いの感情が入れ子になって離れないのっぴきならない関係が恋愛、純愛の極致とすれば、この幼い恋からそうした情感は匂い立ってこないのである。
シェイクスピアのテクストに忠実なのはその通りかもしれないが、古今の演出家はこの恋愛の燃え上がる思いを描くことに「ロメオとジュリエット」の神髄があると考えてきたはずなのに、蜷川はあっさりとこれを「そんなことがあったのさ。」といわんばかりに片づけてしまった。
かくて、このドラマのいわば「情死」というクライマックスに比べれば、大した台詞でもないエスカラス大公(清家栄一)の最後の宣言がやたらに目立つことになる。つまり若い二人の死は、モンタギュー家とキャピレット家の不仲にたいして神が下した天罰だった。
観客はこんな結論を聞きたいわけではない。恋といういっさいを浄化する不思議な感情のドラマを知っていてそれを追体験したいのだ。自分には出来ないかもしれないが純愛というものがあったらそれを感じたいと思っている。
つまり蜷川は、情念の物語として描くにはあまりにも幼くて、むしろ運命のいたずらに翻弄されて夭折した「恋愛」の鎮魂歌としてこれを描いたのである。その立会人として若くして恋愛に殉じた人々の肖像を用意したのだ。大宅歩が悶々としたあの恋の悩みをまともに見据えることが出来ない蜷川の精神の衰えを感じずにはおれない。
蜷川はこの芝居を1972年に同じ日生劇場で演出した。この時はやはり舞台を縦に使う三層の闘技場のような装置(朝倉摂)だったらしいが、若者の「わい雑なほどのエネルギー」(扇田昭彦)を感じさせてそれまでのシェイクスピア劇に一石を投じたという。この舞台でも両家の若者たちの奔放ぶりはそれなりに描かれていたが、モンタギュー家側の衣装を黒に、キャピレット家側の若者を白に統一したためにかえって整然と見えてしまった。そんな中だからマキューシオ(高橋洋が好演)にサングラスをさせたのも、工夫ではあったが大した効果を見せなかった。
三十二年前の評価は、好意的なものと「肉体は踊れど言葉のエネルギー欠く」などと批判的なものに二分されたというが、この公演はそれだけは終わらなかった。
僕の知っている蜷川幸雄は最も古くは劇団青俳の役者でテレビや映画に端役ででていた。そのうちに70年安保の前後になると新劇の劇団が次々に分裂する時期があった。その頃、蜷川は清水邦夫、蟹江敬三らと現代人劇場を結成して演出家に転向している。この現代人劇場も分裂解散して櫻社をつくったのが72年らしいが、これを僕は就職の時期でのどさくさで知らなかった。この櫻社の時にどういういきさつか、はじめて日生劇場という商業演劇の場で演出をすることになった。日生劇場の発起人は浅利慶太、石原慎太郎、三島由紀夫、村松剛など名うての反左翼であるが、当時の情勢から言って櫻社のメンバーは新左翼或いはそのシンパであったことは想像に難くない。思想的に対立する「場」で商業主義に基づいた芝居の仕事をすることが「犯罪的」行為であると責められるのは当然である。蜷川は「日生劇場」で「ロメオとジュリエット」を演出して櫻社を解散した。時代を見ていたのであろう。これをきっかけに商業演劇の場で演出家としての仕事に専念することになった。やがて「世界のNINAGAWA」が誕生するこれは記念すべき公演だったのである。僕は蜷川がいつの間に日生や帝劇で演出するようになったのかいぶかしく思っていたが、こう言うはっきりとした転機があったのを知らなかった。だから根の部分はまだあの時代に残っているとばかり思っていたが、今思えば木冬社をつくって活動している清水邦夫などに比べれば、歌舞伎の様な華やかで柄の大きい大向こう受けする舞台を指向する性格から言って大資本の元でやるのはもっとものことだと思う。
何年前になるか忘れたが、パルコ劇場の「下谷万年町物語」を見た。蜷川の最も勢いのある時期だったと思うが、劇場のエレベーターホールに杉皮をはる徹底ぶりでわい雑でアナーキーな下町風情をつくりだしたのは、唐十郎の想像力を越えていたかも知れない。当時も盛んにやっていたシェイクスピアやギリシャ悲劇の成功は蜷川の指向から言って当然と思うが、テント芝居をここまでもってくるかと感心したことを覚えている。
あの頃は観客が何を見たいかに心を配っていたように思う。商業演劇というものはなにしろそこに敏感でなくてはやっていけない。その意味では蜷川幸雄のサービス精神が最高潮のときだった。しかし、ここ数年の仕事を見ると蜷川には観客への関心が薄れていると思える節がある。
この芝居もそうだ。「セカチュウ」だの「冬ソナ」だの、つい最近のことだが昔話題になった「愛と死を見つめて」まで再版するという「純愛」ブームを知らぬわけではないだろう。かつての蜷川ならこれにより沿うようにロマンティックな恋愛をつくり上げたあげくに、「そんな甘いものか?」「何がヨン様だ!」という毒を盛り込むのだったが、それをしない。もっと直接的に自分の心境を舞台に浸透させている。商業演劇資本の思惑に抵抗しているとすれば無意味なことだが、むしろ蜷川は老境に入ったというべきかもしれない。
家路につく観客の顔には期待にそぐわなかったとまどいが貼り付いていたように感じた。
ロメオの藤原達也はよくやっていたと思う。しかし、この若い俳優にはどうしてこんなにも存在感がないのだろう。この舞台の前はハムレットを長く公演していたらしい。その感覚が残っているのはかまわないと思うが、あのアナーキーでエネルギッシュな若者たちの間に入ると実に小さく見える。演技力という点では彼らにまさっていると言っていい。しかし、俳優が「技巧」だけではないということを示す好例で、その事をよく考えてもらいたものだ。
反対にジュリエットの鈴木杏は健康的で才能を感じさせる女優と言っていい。舞台経験もそれなりに豊富だと思うが、天性の才能だけでやって行くには限界がある。つまり俳優としての基本的な訓練が必要だと感じるところがいくつかあった。表現の引き出しが多ければそれだけ観客への説得力が増すことになるが、この引き出しは訓練と人生経験でしか増やすことは出来ない。彼女にとって難しいことではないと思う。
気になったのはジュリエットに求婚するパリス役の月川勇気である。どうも元気がない。存在感が薄い。蜷川がよく使っているらしいが、藤原達也とも共通する印象は何故なのか?
神父役の瑳川哲朗、ジュリエットの父壤晴彦、母親立石涼子、乳母の梅沢昌代ら脇役陣は安定感があってそれぞれの役割を十分果たした。商業演劇の興行のうまさは脇役のキャスティングに表れる。
それにしても何故いま「ロメオとジュリエット」なのか?それは書いてきたように分からないでもない。では何故いま蜷川幸雄が「ロメオとジュリエット」なのか?蜷川も70才を過ぎて勲章も与えられた。32年前の出発点へ回帰してきた記念だとすれば商業資本(TBSとホリプロ)からの還暦祝いのようなものか?そうだとすればしかし、その祝いの舞台に遺影を貼り付けるとはこの爺さん、案外確信犯かもしれぬ。
                     

 

                 (2004年1月4日)


新国立劇場

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