題名:

留守太平間        

観劇日:

04/7/23        

劇場:

シアターΧ   

主催:

こまつ座(香港・中英劇団)    

期間:

2004年7月22日〜7月24日     

作:

莊梅岩(チョン・ムイアム)        

翻訳:

      

演出:

古天農(グゥ・ティンロン)          

美術:

頼妙芝              

照明:

馮國基             

衣装:

            

音楽:

黄伸強  
出演者:
袁富華(ユン・フーファ)
盧俊豪(ロゥ・ヂョンホウ)  

 

「留守太平間(ロウソウタイピンカン)」

香港の老舗劇団「中英テアトロカンパニー(劇団)」の依頼で井上ひさし「十一ぴきの猫」の演出をした鵜山仁が、こまつ座との間を仲介して実現した中国語による公演である。その交歓イベントとして「父と暮らせば」香港公演が行われる予定とのこと。
今年二月、新国立劇場が招聘した劇団「劇場組合」の「ザ・ゲーム」を見たので、香港の芝居を観るのはこれが二度目になる。「ザ・ゲーム」はイヨネスコの「椅子」を翻案したものだが、ジム・チム、オリビア・ヤンのパントマイムを基礎にしたオリジナリティ溢れる表現力に驚いたばかりでなく、あのイヨネスコを東洋的な時間感覚の中に巧みに取り込むという思想性の大胆さにも舌を巻いた。
こんどの中英テアトロカンパニーは、TVや映画に参加することも多く、演目を見ると「劇場組合」よりはポピュラーなものを手がけているようだ。
タイトルの「太平間」は霊安室、「留守」は日本語の「留守」と同じ意味である。中国語で「死」は「太平」なのだと妙なことに感心した。
暗闇の中にドアをたたく音がして「Sam. Open the door !」と叫ぶ声とともに明りが入る。薄緑色の作業服のような上下に白い長靴を履いた中年の男が開かないドアの前でうろうろしている。訳はわからないがどうやらこの霊安室に閉じこめられたらしい。二台の運搬車には血やら油やら泥とかが染みた布がかかっていて、中は明らかに死体とわかる。他に長持ちくらいの大きな荷造り用の木箱とその三分の一ほどの箱がひとつ、壁際に張られたロープには薄汚れたシーツが何枚もかけられている。
男はリー(盧俊豪)、「国境なき医師団」に所属し、内戦の激しいここアンゴラの病院に派遣された香港出身の外科医である。地雷を踏んだ男の手術と治療が済んで妻とともに家に帰したら、途中ゲリラに襲われ死体となって運び込まれた。二つの運搬車の主はその夫婦である。助けたと思ったら殺される。38時間立ち続けのオペ、次々に運ばれてくる負傷者、いつ果てるともない内戦の砲火。志は高かったがいま、リーはむなしさに心も身体も疲れ果てている。
ぶつぶつ独り言を言っているところに突然カーテンのように下がったシーツの陰からひとりの若い中国人が現れる。リーはいいところに来てくれたとばかり早速ドアを開けてもらおうとすると、この男ジェフ(袁冨華)は「これは僕の部屋だから出ていってくれ」といいだす。「ここはアンゴラの病院だ。何故中国人がいるんだ。」といっても聞き入れない。リーは理由は解らないがジェフが学生だと直感したらしい。(中国人から見たらこの若者は学生とわかるのだろう。)若者の態度が悪いのに「お前の指導教官は誰だ?」などと嫌みを言う。
舞台には確かに二つの遺体がある。「僕の部屋」と主張するにはやや無理があるが、そこは演劇的飛躍というか、そういうことにしてしばらく付き合うしかない。
言い合いのあとリーは少し寝たらしい。そこで夢を見た。ジェフは以前ヤングフロイトと言われたことを自慢して早速夢判断をしてやろうと言いだす。リーは、精神分析などはたわ言だ、今目の前で起きている悲惨な出来事をどうにか止めなければならない、という。それを聞いてジェフは、世界をその手で救ってやろうなどとは尊大な態度だ、自分を何様だと思ってるんだとなじる。リーは自分の非力を知ってきただけにジェフの言葉が心に刺さる。突然心臓が痛みだした。
発作から醒めるとリーはさっきは断ったゲームをしようとやや融和的になっている。ジェフが木箱の中からとりだした本の中に病理学の本を見つけ、開くと「天才ジェフ」と署名がある。リーは自分も若いころあだ名を「ジェフ」といったと偶然に驚く。実はジェフは医学生だったのだ。ところが彼は学習態度を批難されて退学に追い込まれ、独学で医学を学んでいるのだった。リーはもう一度外科医を目指すように説得を始める。
するとジェフは自分が考える理想の世界と現実の医学の間には大きな落差があり、それに対する不平不満を吐き出してリーを当惑させる。リーは一人前の医者になるにはそういうことを乗り超えていかねばならないという。リーが自分のやりたいことをやるために「国境なき医師団」に参加したいきさつを話し、大勢の人が死んでいくのを目の前にすると絶望的になるが、結局ひとりづつ(One by one)ひとりでも多く救っていくしかない、それが自分の仕事だったと述べる。聞きながらジェフは大学に戻る決心をしたようだ。
ところがここから妙なことが起きる。
ジェフは運搬車の死体を本だと言い出して部屋から運びだそうとする。リーが制止すると
ジェフ「これが死体なら、僕たち霊安室にいるってこと?」
リー 「ビンゴ!ここは霊安室だ!」
ジェフ「・・・ここは僕の部屋だ。」
リー 「部屋?」
ジェフ「そう!僕の部屋!クイーンマリー病院の向かいにある何善衡楼三階の突き当た  
    りの部屋。病院の寮だよ!」
リー 「じゃあ・・・ここはどこだ・・・どこの国だ?」
ジェフ「どこって、香港だよ。」
リー 「アフリカのアンゴラだろ?」
ジェフ「何で僕がアンゴラに行かなきゃいけないんだよ?」
リー 「・・・俺はいつの間に香港へ戻ってきたんだ・・・」(訳:井上和子「せりふの時代」)
霊安室でない証拠に窓を開けて見せる。といってもブロックの壁と思っていたところが左右に大きく開くのだから相当の違和感はある。ともかくそういうことだったらしい。
駄目押しのようにリーが君は何ものだと問う。
ジェフ「僕はここの学生・・・ジェフ・リー、李学仁・・・あんたは?」
リー 「・・・俺は医者だ・・・ジェフリー・リー、李学仁。」
リーの学生証は不思議なことにジェフの医学書に挟み込まれていた。ジェフが「来年僕は卒業します。でも学生証は取っておきます。学生時代の夢をずっと忘れないために。もう大丈夫です。・・・」と言って病棟の見回りにでたあと、リーはじっと学生証を見つめている。「香港大学医学部・・・李学仁・・・1973年・・・」
そして最後になかなか粋な幕切れを用意していたがここでは言わないでおこう。 
作家の荘梅岩はこの戯曲で2003年の香港舞台劇賞の最優秀戯曲賞および傑出青年戯曲賞を受賞したそうだ。名前に「梅」がつくこともあったが、作品の出来からいって女性ではないかと思っていたら、果たしてそうだった。
構成のうまさは、賞を取るだけあってなかなかのものである。ただし、ジェフがあれだけ理屈屋で反抗的だったのが、最後には「リー先生、ありがとう」と急に素直な好青年に豹変するあたりは、何だか拍子抜けで、持って回った構成の妙も価値が半減するのではないかと思った。香港は日本と違ってそんなにひねくれていない証拠だということかもしれない。
ひねくれついでにもうひとこというと、リーが四十年前、医学生李学仁であったこととジェフが現在医学生李学仁であることは一見関係がありそうで、実は単なる偶然にすぎない。なぜなら、ジェフの話を聞いたリーがそれを自分と同じ体験と認めていないからだ。この同一人物という「ほのめかし」が意味のある喩えになっていないのは少し考えればわかるだろう。こんな底の浅いジョークはハリウッドへっぽこ映画の影響に違いない。また、アンゴラの扱いも「国境なき医師団」の活動もまじめに取材していたらこの程度ですまされないはずだが、リーの口から出てくる話はどこか絵空事である。そんな若書きのところやお話の甘い部分は目をつぶるとして、荘梅岩の書きたかったテーマははっきりしている。
世代間の違い、それは育った時代、文化の違い、そして経験の差を意味する。リーとジェフの激しいやり取りにはそのギャップがむき出しに現れている。そして青年らしい理想主義。思い描いた医学かくあるべしという世界に比べると現実は何といい加減で功利的でみにくいのか?青年にはそれが許せない。そして戦争。二つの遺体はその象徴として直接医学と向き合う形で舞台に存在し続ける。隣り合わせにアンゴラの民族間のあらそいが横たわっている。
荘梅岩はそれらのテーマを若者らしい感性で、この登場人物二人の会話劇に込めようとしたのだ。ジェフが生き生きと現実感のある人物像に書かれていたと感じたのは、おそらくジェフ(香港大学医学部と言えば超エリート)に自分の人生観や問題意識を投影したのだろう。
ジェフは若い俳優盧俊豪が演じた。エリート医学生らしい雰囲気を出して好演したが、少しつくりもの的な感じもあった。香港の表現術なのかもしれない。
そこへいくと、リーの袁富華は経験豊富な役者のようで盧俊豪にあるくささ(英国の影響があるのか?)がみじんも感じられない。おそらくどんな役柄もこなす達者な俳優なのであろう。この俳優たちのチョウチョウ発止の勢いのある会話があったから物語の多少の瑕疵をごまかすことが出来たといってもいい。
装置には全く感心しなかった。香港公演の写真は細部はわからないが少し違っている。アンゴラのいわば野戦病院の遺体置き場なのだろうが、その雰囲気はなかった。しかも、香港の病院の寮でもある。分厚い壁が左右にわれて窓になる場面ではいささか驚いたが、こんな大胆なことより他に工夫はなかったのだろうか?考え抜かれた舞台美術でないことだけは確かだ。
こんなにもまじめに「若者が未来を信じて、一生懸命いまを生きていこう」とする結末は我が国では今どきなかなか成立しにくい。香港の演劇界はこのようなテーマを称賛した。我が国の若者にこんなにシンプルに明るい未来を書くものがいるだろうか?考えてみると、リーがまだ学生だった四十年前、その頃の日本にはいたかもしれない。     

 

              (7/29/2004)

 


新国立劇場

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