題名:

龍馬の妻とその夫と愛人

観劇日:

05/10/14

劇場:

紀伊国屋ホール

主催:

東京ヴォードヴィルショウ    

期間:

2005年10月13日~10月30日

作:

三谷幸喜

演出:

山田和也

美術:

石井強司

照明:

宮野和夫    

衣装:

菊田光次郎

音楽・音響:

川崎晴美/ 石神保

出演者:

佐藤B作 平田満 あめくみちこ佐渡稔
 

新国立劇場

Since Jan. 2003

 

「龍馬の妻とその夫と愛人」

大学に入ったばかりの頃、長崎出身の同級生が突然下宿に現れて「龍馬が行く」全五巻をドサッとおいていった。面白いから君と知りあったよしみで読ましてやるというのだ。それが司馬遼太郎との出会いであった。時代小説に興味はなかったが、読み出したらやめられない。三日間どこにも行かず読みふけった。
「この日、京の天は雨気が満ち、星がない。しかし、時代は旋回している。若者はその歴史の扉を、その手で押し、そして未来へ押しあけた。」最後の一行は長く記憶に残り、折りに触れて思い出した。
女を描けないと定評の司馬遼太郎にあって、龍馬の姉、乙女とともにお龍は彼がもっとも理解し、愛した女性だったのではないかと思う。しかし、その後のお龍について十分すぎるほどの資料を持ちながら、『お龍の面白さは龍馬の中にしか棲んでいない』と言うばかりで、それ以上書こうとしなかった。
龍馬遭難の報を、お龍は下関で聞いた。西郷・中岡慎太郎の立ち会いで正式に結婚した夫婦である。妻は夫の遺言に従って、その後土佐で一年ほど暮らしたが、坂本の家と折り合いが悪く京に戻った。勝ち気で奔放な性格が災いしたらしい。何しろ、だまされて売られた妹二人を、やくざまがいの連中から短刀片手に取り戻すという伝法な女である。(姉乙女宛の手紙でこの顛末を知らせている。)この土佐で身を寄せたのが、坂本家と取り戻した妹のひとり、君枝の嫁ぎ先、海援隊士菅野覚兵衛の実家だった。龍馬の関係者もかなり面倒を見たようだが、いわゆる態度が悪かったと見えて皆離れていった。立ち居かなくなって東京へでて、やがて神奈川の宿で仲居をやっていたとき露天商の西村松兵衛と知りあい、松兵衛の住んでいた横須賀へ定着する。一子をもうけるがその子は夭逝したという。松兵衛は(諸説あるが)近江の生まれ、京の呉服商に丁稚奉公に上がり着物の行商をしていた。何故横須賀で露天商になったかはわからない。
この芝居に登場する菅野覚兵衛の妻女がお龍の妹だったということに少し驚いて、龍馬は何故この一家に深くつながっているのか不思議だった。例の寺田屋事件があまりに有名なために、龍馬とお龍が出会ったのは定宿にしていたそこだろうと思っていた。ところがその前があった。
お龍は、京都の町医者で勤王派だった楢崎将作の長女である。父親が安政の大獄で連座し、獄死すると一家は貧窮した。ある夜火事に遭い、一旦避難した弟が火の中へ父の形見の短刀をとりに戻って帰らない。そこに駕籠に乗ってあるところへ急いでいた、龍馬が通りかかる。龍馬は大小を預け、水をかぶってすかさず飛び込んで火に囲まれて窒息していた弟を助け出した。このとき火の粉を浴びて髪は縮れ顔が煤け、着物は焼けて穴が空いた。再び駕籠に乗ると駕籠かきが軽くなったという。預けた大小を忘れていたのだ。龍馬はそばにいたものに居場所を告げてその場を去る。


翌日、寄宿していたある寮の玄関先に一人の若い女が立 った。礼を言うその顔を見て龍馬は一目惚れしたに違いな い。とびきりの京美人だが、其れだけではない。勝ち気で 意志が強く賢ささえ伺える様子に龍馬は参った。普通の男 なら目も覚める容貌に驚きながら、多分敬して遠ざけるタ イプの女だが、龍馬は違った。世の中から少しはみ出して いるような性格をほとんど瞬間的に互いに認めあったのだ ろう。このときお龍二十四歳、龍馬二十八才である。
ここから龍馬は一家の面倒を見始める。すぐにお龍を、 信頼している寺田屋のお登勢を口説いて養女にしてもらい、姉妹には働き口を見つけ、上の弟は中岡の陸援隊へ入れる。やがて、妹の君枝を土佐出身の海援隊士、菅野覚兵衛と妻合わせるといういきさつがあったわけだ。
相変わらず三谷幸喜はいいところに目をつける。「その場しのぎの男たち」は大津事件で右往左往する閣僚に取材し、面白おかしい物語に仕立て上げた。
この芝居は、龍馬を知っているものなら誰でも興味をもつだろう「その後のお龍」である。が、お龍それ自身はあまり描かれていない。お龍を巡って右往左往する男たちの面白おかしい物語である。
維新から十年あまり、菅野覚兵衛(佐藤B作)は海軍に仕官している。その頃すでに、おりょう(あめくみちこ)は大道商人の西村松兵衛(平田萬)と一緒になって横須賀の裏長屋に住んでいた。
幕開け、覚兵衛がおりょうを訪ねて長屋にやって来る。あいにく留守である。ひどいあばら屋で、暮らしもかなり貧しい様子である。そこへ松兵衛が帰ってくる。
覚兵衛がきたのは、今や明治新政府の要人となった元海援隊をはじめ縁の人々が龍馬の十三回忌をやろうという相談がまとまって、その場へおりょうを呼ぶことになったと伝えるためであった。それだけではない。ただでさえ評判の悪いおりょうをこの機会に再婚して立派にやっていると見せたい、というのが身内としての覚兵衛の願いで、そのように期待に応えて欲しいというためだった。というのも、おりょうが毎日飲んだくれているという評判を聞いていたからだ。
その日も、夕べから帰っていない。覚兵衛は松兵衛を、お前がしっかりしてないからおりょうは酒浸りなのではないかと責める。しかし、松兵衛はおりょう(再婚を期にツルと改名していた)の鬱々たる日常を理解しているという。自分は貧乏暮らしでなにもしてあげられないが、せめておりょうには好きなようにさせておきたいというのである。惚れた男の弱みである。問いただすとおりょうには他に男がいるらしい。松兵衛の仕事の元締めテキ屋の寅蔵である。覚兵衛は、松兵衛を叱り飛ばして、力づくでも取り返してこいというのだが、松兵衛は自信がないとしり込みするばかり。
この当たりのやり取りが、ぼけと突っ込みの漫才になっていて佐藤B作と平田萬のコンビが面白く見せてくれる。そしてこの芝居の見どころであり、喜劇を作る三谷幸喜の真骨頂といえる。
ようやく松兵衛がその気になって、寅蔵を呼び出すことになる。現れた寅蔵(佐渡稔)は龍馬そっくりの姿である。言うことも態度も龍馬が生きていたらこうだったに違いない。ところが実際の龍馬を知っている覚兵衛にとってはとんでもない偽物で、龍馬をかたる詐欺師にすぎない。次から次化けの皮をはがしていくが、ついに付け眉毛つけ毛がばれて寅蔵は降参する。おりょうが現れて二人は北海道へ行くと言い出す。寅蔵がかねてから考えていたことで、向こうで一旗揚げようというのだ。それは困ると言い出す松兵衛に決闘で白黒つけようと覚兵衛が提案、寅蔵も受けて立つという。が、実は寅蔵はおりょうがついてこようと来まいと一人でも行く覚悟だったので、面倒な争いを避けてさっさと遁走してしまう。残されたおりょうと松兵衛。この先どうなるのか・・・
松兵衛は、おりょうにとことん惚れている。惚れて畏れている。おりょうが自分を男として見ていないことも知っている。それでいて夫婦であり、それを続けたいと願っている。不思議な関係だが、あり得ぬこともない。それに対して、おりょうは残酷である。自分に惚れているとわかっている男の前で、他の男と一緒にどこかへ行ってしまうという。松兵衛はそれも仕方がないと思っている。こういう男の情けなさ、悲哀、どこまで行っても折り合いのつかない心持ち、そうしたものを三谷幸喜は、いい素材を得て、書くことが出来ている。
一方、おりょうが、(松兵衛にとっては)間男として選んだのは龍馬そっくりの見かけだったことからも、三谷幸喜は結局おりょうの龍馬に対する思慕は一生消えなかったと見ている。松兵衛との結婚のいきさつはわからないが、子まで為しているのだからそれなりのことはあったのだろう。この芝居では、おりょうの頑なさが強調されていて、まったく交錯しないベクトルにむなしさが残った。(この点、市川準の映画版は配慮があった。)
実際は、その後おりょうは横須賀をでることなく六十六年の生涯を終える。墓は信楽寺、墓碑銘は「贈正四位阪本龍馬之妻龍子墓」。松兵衛が建立したことになっているが、墓石の裏にあるのは中本光枝、おりょうのすぐ下の妹の名である。賛助人に西村松平の名が見えるという。松兵衛は密かにおりょうのお骨を京都の龍馬の墓に分骨したといわれる。
不思議な男である。おそらくおりょうの魅力にとりつかれた半生だったのだろう。そこから逃げようとしたこともあったに違いない。しかし、ついにおりょうの強い引力には逆らえなかったのだ。
おりょうもまた、酔ってたびたび「龍馬の妻だった」ことを口にしたらしい。これは龍馬への思慕というよりは、そこから逃れようとしてつぶやいた「ぼやき」だったかも知れない。死ぬ間際に龍馬の名を口にしたと伝えられるが、どうであったか。結局、それを背負って彼女もまた残りの人生を生きたのだった。
三谷幸喜は、実在の人物に加えて寅蔵というフィクションを媒介に、うまい喜劇を作った。ただし、演出は映画の市川準の方がはるかに情感豊かであった。

写真はお龍30歳ごろのものといわれている。
 

(2005年11月30日)