題名:

サド侯爵夫人    

観劇日:

03/5/30   

劇場:

新国立劇場     

主催:

新国立劇場    

期間:

2003年5月26日〜6月11日  

作:

三島由紀夫   

演出:

鐘下辰男  

美術:

島次郎     

照明:

中川隆一    

衣装:

前田文子    

音楽・音響:

井上正弘     

出演者:

高橋礼惠 倉野章子 片岡京子 新井純  平淑恵 中川安奈    
 

 

「サド侯爵夫人」       *註追加

 二葉亭四迷が書いた「浮雲」が日本ではじめて言文一致で書かれた小説ということになっている。山本夏彦によると(「二葉亭四迷の思いで」より)、二葉亭は「これを生み出すのに、まるで天地万物を生み出すような苦しみをした。」そうである。それでも小見出しに「アララ怪しの人の挙動(ふるまい)」などと黄表紙の面影をとどめていると指摘している。それを二葉亭に書くよう勧めた坪内逍遥の沙翁翻訳劇の文体は「尼寺へゆきゃれ!」である。イギリスでも17世紀の言葉で書かれた芝居だから、江戸歌舞伎調であって悪いこともあるまいが、演劇という形式といえば歌舞伎くらいしかなかったからの、これは苦肉の策であった。二葉亭は「浮雲」を内心恥じて、得意とするロシア語の翻訳を言文一致で試みた。これを徳富蘇峰の「国民之友」に掲載したらこのツルゲーネフの「あひゞき」に世間は驚倒したという。余談だが、そのとき編集長は国木田独歩で、驚嘆した独歩はその文体で「武蔵野」を書いた。まもなく文語体は詩文に残るくらいですぐにすたれた。外国の芝居は、戯曲という文学形式で入ってきたが、実際にやるものも、それを見るものもいないからそれはあくまでも文学である。さすがに「生きるか死ぬか、それは疑問じゃ。」はなくなるが、翻訳劇の文体は、直訳調から日常語の間を振れながら、独特の発展を遂げたといっていい。
 枕にしては長くなったが、ようするにこの芝居の三島由紀夫の文体は、あたかも外国語で書かれた戯曲を翻訳したような文体と調子で書かれていて、戯曲として読めば、二葉亭以来の言文一致がたどりついた形式のひとつの到達点といってよい。文語体は朗読を前提としたが口語体になって、黙読にかわった。三島由紀夫のねらいは、この文体の言葉に新劇の役者の肉体と声を与えることによって、自らの文学世界が実像としてこの世に「屹立する」ことを期待したのだろう。
 膨大だが、明晰で美しい言葉で書かれた台詞を役者は、時に声を上げ、時にささやき、泣き、怒り、喚き、懇願し、調子を変え、ぶつけあう。知的で演劇的な興奮を感じることは出来るのだが・・・
 

 ルイ王家につながるサド侯爵のもとに娘ルネ(高橋礼惠)を嫁がせたモントルイユ夫人(倉野章子)は、サド侯爵の異常な性癖がパリ中に知れ渡り、醜聞になっていたことから、家名が汚れることを恐れ、知人のシミアーヌ男爵夫人(新井純)とサン・シフォン伯爵夫人(平淑惠)に助力を願う。訪れた娘ルネにモントルイユ夫人は夫との離別を勧めるが、ルネは夫を愛しているとかたくなに拒み続ける。そこへルネの妹アンヌ(片岡京子)が現れ、義兄であるサド侯爵とイタリヤを旅行していたことを告白する。激怒したモントイユ夫人は、密かに国王宛にサド投獄を嘆願する手紙を書く。
数年後、ルネはアンヌからサド釈放の判決書を見せられる。しかし、それは母親が仕掛けたわなで、再びサドは牢獄つながれるのであった。サドは不道徳で悪徳をたたえる物語などを書きながら日を過ごし、ルネは牢獄を訪ねるのを日課とする。あるときサドに同情的なサン・シフォン伯爵夫人は、ルネに母の陰謀を暴露し、母と娘は深く対立する。それから13年が経ち、バスティーユが破られた後、サドは釈放される。しかし、ルネは既に母の反対にあいながら、修道院行きを覚悟している。そんなとき、召使いのシャルロット(中川安奈)が屋敷の前に一人の老人が現れたと告げる。ルネは老いさらばえたサドと決して会おうとしなかった。
 

 この物語は澁澤龍彦の「サド侯爵の生涯」を下敷きにしている。澁澤龍彦の書く本は、背徳、禁断、官能、欲望などの挑発的な言葉と悪魔的なイラストで飾られ広告された。新左翼がこの独特の美意識を支持したのは、反社会的で自由な感覚があったからだ。僕はサドの名は精神分析の中だけで十分だったし、澁澤の本は広告を見て読んだ気になったのでそれ以上に関心はなかった。
 三島由紀夫がどんな興味を持ったか、この芝居を観たら明らかである。
澁澤はこの欲望の中に踏み込んで、それを腑分けし、それが底知れぬ闇を持つことを偏執的とも言うべき楽しみ方で示した。
 三島はそのような趣味性に多少ひかれるところはあったのだろうが、むしろサドの欲望を人間の自然の発露とみて、それが肥大した結果、道徳や社会的規範に触れて抑圧されると言うとらえ方をした。(僕にはそう思えた。)サドの幼少時代を知るシミアーヌ男爵夫人は、汚れない純粋な目をした少年だったと慨嘆し、サン・シフォン伯爵夫人は、サドの嗜虐的な性癖を肯定的に見ているという一見矛盾した証言は、三島がサドを異常と思っているわけでない証左であろう。義理の妹と外国を遊び回り、少年や若い女との乱痴気騒ぎ、不道徳な性の饗宴を楽しんだところで監獄へぶち込まれるほどのことか?しかし、このような派手な行状を許しておけば社会秩序の乱れのもと、道徳への挑戦、ひいてはこれこそ神を冒涜するものだという声が高くなる。
 三島によるとサド侯爵は宗教的禁忌に触れたのだ。そこに生ずる神との緊張関係は舞台上に見えないが、この芝居はその戦いに巻き込まれた人々の物語だといっていいのではないか。なぜ、ルネは夫と別れようとしないのか?ルネは、シミアーヌ男爵夫人のような母性とサン・シフォン伯爵夫人のような成熟した愛の両方を夫に対して注いでいたからだと三島は言いたいようだ。戦いを終えて抜け殻のようになった夫に何を捧げることが出来るか?
 しかし、このようなルネの理解は、どこかきれい事のように見える。乱痴気騒ぎの中で裸の尻をムチでたたかれ、なめ回され辱められたことは、ルネの胸の内からきれいさっぱり消えてしまったのか?妹と夫の浮気に憤りも嫉妬も覚えなかったのか?それとも見せかけの貞淑の裏で、背徳の日々の記憶に身を焦がしていたのか?サド侯爵夫人が夫を尊敬し夫に忠実な妻であろうとしたという話は、きれい事であり、観念的であり、つるりとした肌の澄まし顔の人形、まるで作り物のようだ。
 サン・シフォン伯爵夫人は、パリを離れ貴族から娼婦に身をやつして、革命のさなかに亡くなるが、大衆はこれを純粋といい天使として葬ったと言うエピソードも、何かことさらのように聞こえる。
 僕は、前に「知的で演劇的な興奮を感じることは出来るのだが・・・」と書いた。その上で言うのだが、この芝居は、しかしながら話が詰まらない。
せっかく面白くなる素材なのに、三島が勝手に妄想した観念的な決めつけによって、話の構造が平板になってしまった。
 平板だから、冗漫である。
 夏彦翁の受け売りだが、「西洋人はくどい。」と中江兆民はいった。ジャン・ジャック・ルソーを翻訳して「俺なら半分で済む。」とつぶやいた。だから翻訳調はくどくなるのか。この芝居にもあてはまる。第二幕の幕あいに拍手をしたのは、もういいよ、と言う意味だった。
 三島由紀夫は自らの「文章読本」でわざわざ戯曲について一章をさき、その巧拙についてあれこれ論じている。そのくらいの見識があるのだから、戯曲としてのこの芝居の文章は三島の もっている芸の限りを尽くして書かれていると思う。僕が言うよりも、そういう定評が確立しているのは知っている。
 しかし、文章あるいは台詞の巧拙を言うのなら、古くは木下順二、宮本研いまなら山崎正和、斉藤憐、平田オリザ、永井愛などがいる。彼らは、三島ほど文学的でないかもしれないが、三島ほど冗漫ではない。ヒューモアということも心得ている。
 三島由紀夫のつまらなさは、人間が、本人がつまらないところにある。その主な原因は、文学が至上のものと思っているところにある。三島に文学はあるが、その中に人間はいない。そんなものが面白いわけが無い。
 ルネを演じた高橋礼惠の堅さが、観客がこの人物を理解しようとするのを拒んでいるようだった。この女優の欠点がでたが、早い話が演出の鐘下辰男がよく理解していなかったのではないか?ルネにとってサド侯爵が尊敬に値する存在であることを観客にたいして説得できなかったら、この芝居は失敗だということが解っていない。
 鐘下は、この芝居の定番である壮麗な王朝風と言う作りをすてて、舞台も衣装もシンプルにした。はじめは、鐘下に宮廷貴族の世界は描けまいと思ったが、終わってみれば逆説的な言い方だが、これでよかったと感じた。こけおどしの王朝風が無かった分だけ芝居のアラが見えたからだ。
 そのかわりというわけでもあるまいが、豪奢なかつらを用いることが多い芝居なのに、、登場人物の自毛で編んだ髪形はそれぞれ実に見事な作りで、ヘアメークを担当した林裕子の仕事を褒めてあげたい。(ただし、ルネのそれだけはかなり迷った節があった。)
 一人気を吐いたのは、モントルイユ夫人の倉野章子である。役得ということもあるが、この芝居で最も説得力のある演技を見せてくれた。怒り嘆き喚き、懇願し、謀を行い欺き、三島の書いた実験的と称する台詞をものの見事に表現した。しかも、倉野章子という女優の個性とモントルイユ夫人の人格を巧妙に入れ替えて、18世紀の宮廷夫人がそこに立っているように。(演技賞ものだ!)それにしてもこれだけ幅広い役柄をこなせる女優は他にいるだろうか?サン・シフォン伯爵夫人の平淑惠も経験豊かな女優であるが、倉野章子のように沖縄の小さな村のおばさん(「ピカドン・キムナジー」)を演じて違和感が無い、というわけにいかない。何だか、いつ見ても存在感の薄い人と感じてしまうのはなぜだろう。いい女優なのに。杉村春子の側に長くいて、精気を吸い取られてしまったのか。台詞回しは無難だが、この女の本性に嗜虐的で悦楽におぼれ、やがて娼婦に身をやつすほどの暗いエネルギーが潜んでいることを感じさせることはなかった。そもそもこの女優にぐれるという言葉はにあわないのであって、この役は、適役でないと思った。

 さて、この戯曲は戦後50年に書かれた作品の評論家によるベスト20の選択投票で第一位になったものだという。
 この芝居を観ながら、昔観念の遊技と言う言葉が流行ったが、それを思い出した。小理屈をこねまわしていた若いころ、散々いわれた覚えがある。近ごろそれが解るようになった。この名作をちっとも楽しめなかったのは、多分僕の感覚がどうかしているせいだろう。

                                 (2003.6.13)

山本夏彦が昭和47年に書いたエセーの中に面白いエピソードを見つけた。
 山口瞳が憤慨していたという話である。あるとき山口が一人ですし屋にいると、三島由紀夫が入ってきた。何に致しますかと親父が言うと「まぐろ」という。黙々と食べ終わったので、次は何?と聞くと「トロ」という 。次もトロで、ついに三島由紀夫は帰るまでまぐろ以外口にしなかったというのである。山口は、これではすし屋がかわいそうだ、と山本夏彦に訴えた。ネタによってすし屋の利益率が違うのは当たり前だが、まぐろは仕入れ値が高いうえに店の看板だからあまり高く売ることが出来ない。自分は、もうけが取れるように気を使って色々注文することにしているが、三島のように利の薄いものだけ食べるのは意地悪だ。そういう理屈である。山口瞳は、旅館に泊まるときに女中から下足番に至るまで心付けを配らないと気が済まない、今どき珍しい性癖の人だ。しかし、山本夏彦は、そういう神経症的な性格はしかたないとして、すし屋のもうけに気遣いする山口の態度も感心したものではないという。客が食い物屋にこびるのは見苦しいとグルメブームに棹を差そうという趣旨のエセーなのだからそれでかまわないが、僕はこの話の中で三島由紀夫のすしの食い方が面白いと思った。
 一人ですし屋に入ってくるというのは、いかにも三島らしい。山口瞳は飲ん兵衛だから一杯やりながら親父と世間話をして軽くつまんで帰ろうという魂胆だろう。この場合一人の方が気が楽だ。三島は酒はおそらく好きじゃないから、単にすしを食って帰ろうと思ったに違いない。ここで口にしたのがマグロだけ!と言うのが三島の真骨頂で 、三島由紀夫の人間のつまらなさを端的に表している。このエセーを店頭で(「室内」最新号に再録)読んだときに僕は思わず笑ってしまった。山本夏彦はこの三島の態度については何も語っていない。しかし僕には山口もどうかと思うが、三島も三島だと言外にいっているような気がする。
 人は自分の食べているものがうまいかどうか感じるものである。うまいものとは何か?と言う関心が生まれると比較検討したり知識を集めたりしたくなるものである。しかし、世の中には、こういうことに興味のない人がいくらでもいるものだ。 そんな人を何人か知っているが、たかが食い物じゃないか、それがどうした!といって取り合わない。そんな人はたいてい他のことにも関心が薄く、付き合いづらいものである。
 たとえば、僕のとなりにトロばかり注文する客が座ったとしたら、山口瞳のように僕は考えない。こいつの懐具合はどうなってんだとも思わない。野暮と同席はごめんだといって店を飛びだすだろう。こういう人間からは離れているのが1番である。 

 

 

                   (2003年8月8日)    

 

           


新国立劇場