題名:

桜の園

観劇日:

02/6/21

劇場:

新国立劇場  

主催:

新国立劇場    

期間:

2002年 6月21日〜7月21日     

作:

アントン・チェーホフ        

翻訳:

潤色:塚越真(神西清翻訳による

演出:

栗山民也          

美術:

堀尾幸男             

照明:

勝柴次朗            

衣装:

前田文子

音楽:

山本浩一
出演者:
森光子 吉添文子 キムラ緑子  佐藤慶  津嘉山正種  段田安則 瀬下和久  銀粉蝶  花王おさむ 西山水木 三谷昇 石田圭祐  他

 

「桜の園」
 チェーホフをどのくらい読み込んだかわからない。この難しい芝居を細部まで腑分けして、「悲劇」ではなく、彼が望んだような「喜劇」として再構築して見せた力量!
 この半年後に上演された蜷川幸雄の「桜の園」(シアターコクーン)と比較すればその差は歴然。あれが世界のNINAGAWAなら、この「桜の園」によって栗山民也は世界第一級の演出家として認められてよい。
 特に一見難解で、退屈になりがちな二幕目の各プロットの処理がうまく、なぜ、この屋外のシーンがなければならなかったか、ほとんどの観客は納得できたと思う。
 ここには、それぞれの登場人物の言葉で語られる人生観と、たとえば社会主義思想、ニーチェ、資本主義経済、ボヘミアン、刹那主義、貧困、没落・・・とチェーホフの時代そのものがある。その背景を水彩画のスケッチのように描くことで、舞台のパースペクティブを深くして、それぞれの人物の陰影がより強く観客の心に刻まれるようにした。
 ところで、この芝居は、名訳と言われている神西清訳を塚越真が明治末期の長野県の地主という設定に置き換えて書かれたのだが、どこをどう探してもこの潤色の理由が見つからなかった。設定そのものの整合性(つまり日本でこういう話が成立するか)を追求してもたいした意味はない。観客が見ているものはまぎれもないチェーホフそのものだったからだ。塚越真の潤色がそれほど自然で違和感がなかったともいえるが、ではなぜそのような手間ひまをかけたのか?不思議である。
 ラネーフスカヤの森光子は確かに洋服では少しつらいところがあるかもしれない。だから大家の夫人らしい上品な和服は似合っていたが、声に力がないために、頼りなく見えた。この女優はいくつになってもかわいらしさの表現は自然に出るようだが、この役に肝心な色気がないのは困りものだ。観客を集めてくれるいわばスター役者だからこういうキャスティングでいいというのか?
 キャスティングといえば、ヤーシャに石田佳祐を配したのは手柄であった。いや計算ずくだったかもしれない。この若い従僕の役回りは、軽く見られがちと思うが、石田が軽薄でナンパ、刹那的な生き方の若い男をうまく演じることによって、脇に光が当たり、百姓を軽べつして都会に憧れる時代の風潮を表現することが出来た。
 ロパーヒンの津嘉山正種は、適役だと思うが、性格づくりに少し迷いがあったのか、スキをみせたところもあった。終幕近く好意を寄せ合っているワーリャ(キムラ緑子)と、結婚の申し込みを逡巡しながら向き合う場面では、さすがに見事な心情表現で、キムラもよく応えて心に残るシーンになった。
 アーニャ(吉添文子)は、典型的「お嬢様」という意味で損な役回りであるが、これを吉添はよく演じていたと思う。特に後半になってただのお嬢様に知性の灯がともって輝きだすといった印象で、チェーホフが自分の未来をこの若者に託そうとしていた?という演出意図をよく表現できたのではないかと思う。
 銀粉蝶のシャルロッタは、難役に挑んでまずは成功していたと思う。この役は演出によってどうにでも振れてしまうものだが、根無し草でいながらしっかりと生きていこうとする女性の強靱さがでていてよかった。
 堀尾幸男の装置は、三幕目の舞踏会のシーンにてこずった様子が見られるが、全体にシンプルで自然、特に二幕目の凹凸のある屋外場面がうまく出来ていた。
僕は、チェーホフが格別好きなわけではないが、この栗山民也の解釈には納得がいく。「登場人物がバラバラ」という評判のこの戯曲を、バラバラのひとつひとつを徹底的に追求して、ついにはそれらが突き抜けたところにまとまった「喜劇」を発見するという構想に賛成である。
 チェーホフ没後百年になるそうだ。近ごろ上演が多いのはそのせいかも知れない。築地小劇場の時代に既にチェーホフは古いという議論があったというが、いまになってチェーホフ盛況の理由がまさか単純な百年記念イベントでもあるまい。(そんなところか?)
 むしろ、こういう不景気の時代、停滞した時代にはチェーホフがふさわしいと皆が感じているのかもしれない。ならば、蜷川幸男のように「難解」といって急いで投げやりなものをつくるより、立ち止ってじっくりとチェーホフに取り組み「ああこんなにも味わい深かったのか」といえるものを見せたほうがいい。栗山の時代感覚の方が信頼できるといえば褒めすぎだろうか。

2/6/2003

 

 

 

 

 

新国立劇場