題名:

円生と志ん生

観劇日:

05/2/18

劇場:

紀伊国屋ホール

主催:

こまつ座      

期間:

2005年2月5日〜27日

作:

井上ひさし

演出:

鵜山仁

美術:

石井強司     

照明:

服部基    

衣装:

黒須はな子

音楽・音響:

秦大介

出演者:

角野卓造 辻 萬長 ひらたよーこ 神野三鈴 宮地雅子 久世星佳
 


「円生と志ん生」


「あばらかべっそん」は文楽、「なめくじ艦隊」は志ん生の半生記、円生も何か書き残しているかもしれないがあまり贔屓でないから知らない。
酒がたら腹飲めるというので円生(辻萬長)と二人で満州に出かけた話は確か「なめくじ艦隊」にでていた。この二人が終戦の一週間前にソ満国境を越えてきたソ連軍に追われて多くの日本人とともに大連に閉じこめられたときの話を芝居にしたものだ。大連に抑留されていたのは六百日間にも及んだ。しかし、この時の二人の記録がそれほど多く残っていたとは思えない。「連鎖街」を書いたくらいだから色街とかカフェーの場所は正確かもしれないが、井上ひさしの想像もかなり入っていたと思われる。
伊勢町の旅館「日本館」、逢坂町遊廓の「福助」、委託販売喫茶「コロンバン」の場はおそらく記録にあったものだろう。ただ、そこに登場する女郎や旅館の女将やら女性たちとの交流が実話かどうかはわからない。遊廓の人のいい女郎たちは運命を受け入れてひっそりと片隅で生きていく庶民の姿を表現していた。また下宿していた旅館で軍の高官のお妾と妹と相部屋になるエピソードはさすがにさりげなく権力批判、反骨精神を表現したい井上の本領発揮の部分であった。そうしたなかに志ん生(角野卓造)の「居残り佐平次」や「火炎太鼓」のよく知られた話をちりばめたところはいいが、そのせいで何だか劇自体の話が薄められた感じになってしまった。大連のどこか場末の焼け跡のようなところで野宿しながら古道具を集めているシーンは「火炎太鼓」の道具屋そのもので、岩見重太郎のはいた草鞋は出てこなかったが、あとは小野の小町が鎮西八郎為朝の所へ出した手紙やら○○が使ったふんどしに○○の壺などなどふんだんに登場する。こう言うのははっきり言って落語で聞くから面白いのであって、現物を見せられたらかなわない。一体、志ん生と円生は大連で何をしていたのだという疑問にまともに答えていない点でもこの「焼け跡の場」は現実感に乏しい。
委託販売喫茶「コロンバン」で博打でやられて尾羽うちからし、ぼろを纏った志ん生がばりっとした身なりで現れた円生から身ぐるみねだって着替えてしまうシーンではこの両者の性格を非常によく表している。円生は酒も飲まず律義で働き者である。志ん生は大酒飲みで、博打好き身に付いた貧乏暮らしはものともしないという性格である。ここだけは戦後の二人の芸を観ているとなるほどこう言う具合だったのだろうと思わせる。
最後の女子修道院の場は井上ひさしの「青葉繁れる」の時代を彷彿とさせる。カソリックの戒律をいくつもならべて落語の効用と対比させ、あくまでも厳格にきまじめに生きようとする修道女についには「笑い」は人生にとって必要欠くべからざるものと納得させる。結局「落語」というものの存在意義はそこにあるのだというのが井上ひさしのいいたいことのようだ。この場に登場するテレジア院長(久世星佳)オルテンシア(神野三鈴)マルガリタ(宮地雅子)ベルナデッタ(ひらたよーこ)と呼び合う女性たちと志ん生のからみがまるで異質なもの同志の会話で、バラード風挿入歌も入り、そのエキゾチックな空気が浅草オペレッタでも見ているようなおもしろさだった。こう言うところは井上ひさしのもっとも得意なところで、安心してみてられるがその反面「落語」の世界とはかなり遠くなって、理屈っぽくなったのはやむなしとしたものか。
この芝居は音楽劇といっていいほどたくさんの挿入歌が入る。幕開けが既に「さらば大連」という歌だ。「桃太郎気分でね・・・」という歌は「一流国家になるために、手紙で兵隊呼び寄せる・・・テッポウかついで外国へ、桃太郎気分でね・・・ アメ公なんぞこわくない パールハーバーやっつけろ シンガポールをとっちまえ・・・ 満州国も消えちゃった 地獄の大連の毎日 何もかも変わり果てて ウァー浦島太郎の気分よね・・・」という具合に一大叙事詩になっている。昭和史を井上ひさしの見解で語ったもので、「大将も政治家もいくさいくさといいたがる・・・一流国家になるために・・・」国民が兵隊にとられていけいけどんどんやって来た結果がこれではないか、といっている。当時一流国家になるということは大国の真似をすることを意味した。我が国がモデルにしたのはまさに欧州近代国家であり、軍事力を背景とする植民地主義の国家だったのである。いまになって思えば、もっとも近代化に遅れてやってきた独逸イタリア日本が先行する近代国家に袋だたきにあうのはある種歴史的必然だったかもしれない。時代遅れだったのである。僕は、別の近代化の道を誰も指し示すことができなかったという点で指導者も国民も同じように責任はあるという立場だから、国民は軍国主義の犠牲者とする中国政府の見解にも井上の見解にも組みしない。井上ひさしは一貫して指導者と庶民を分ける立場をとってきたが、問題はそのような過去ではなくてむしろこれからである。軍事力を背景とする近代国家が「普通の国家」だという議論があるが、これでは考えがあの時代から一歩も進んでいない。井上ひさしには、日本がモデルにした近代国家はもう通用しないのだから、それを越える国家像或いは社会像を考えてもらいたいものだと常々思っているがどうか?
こう言う情趣に欠ける歌ばかりではなく要所要所に宇野誠一郎の名曲が入る。
ところが、この歌の、というより音楽劇としての印象がまるで感じられなかったのはどうしたものだろう?「太鼓たたいて笛吹いて」再演は井上音楽劇のひとつの完成型といっていいと思うが、あれに続くものとしてはかなり後退してしまった感がある。
鵜山仁の段取り仕事が裏目に出てしまったものか?つまり、芝居の流れを大事にして可能なかぎりよどみをつくらないという演出の仕方が、歌まで流してしまったのではないか?「太鼓・・・」の栗山民也とは明らかに手法が違うとは言えもう少し歌の気持ちや空気を大事にしてもよかった。この点は再演の時にもっと気遣いをしたほうがいい。大きな宿題が残った。
円生と志ん生を題材にして新作を書くと聞いて大いに期待したが、大連という封鎖されたところで記録も風聞も乏しい中ではこう言うのが精一杯かとは思う。しかし、円生の逸話はともかく志ん生だけなら芝居にするにはあまるほどの話があるだろう。井上ひさしは「前口上」で息子の志ん朝が死んだときに落語も終わりだという専門家の発言に腹を立てたと言っている。落語はそんなやわなものではないというのである。落語という文化は一人の芸人の肩にかかっているものではない、大勢の落語家の築いた伝統の上に成り立っているというわけだ。落語が問題ならば大連でなくてもよかったのではないか?という気がするのは無理な注文だろうか?考えてみたら常設の寄席は東京に知っているかぎり末広亭一軒が残っているだけで、そうなると井上先生!一体落語はどこで誰が聞いているのだ。
荒畑寒村の自伝だったかで読んだが、関東大震災の前までは東京に寄席はおよそ百軒ほどあったそうだ。売れっ子は羽織袴で人力車に乗り一日に何軒も掛け持ちをしていたものだという。震災後は激減し、落語家も地方に残った寄席に散っていったらしい。志ん生はそうしたなか貧乏暮らしで家賃も要らないなめくじ長屋で落語を地で行くような生活をしていた。「なめくじ艦隊」を底本にした評伝劇ででもあったらどんなに楽しいか、とそんな気がしている。
円生については大御所一歩手前あたりから見知っているが、四角四面の落語がどうにも好きになれなくて大した知識を持ちあわせていない。やはり、脳溢血で倒れ戻ってきてからの、あのろれつの回らない志ん生の「間」がたまらなく好きでよく聞いたものだ。時代が終わったという言い方をするなら、大成しないうちに逝った志ん朝よりむしろ文楽と志ん生のなくなったときだろう。というわけで、井上ひさしには落語をテーマに別の角度から劇を書いてもらいたいと思っている。
俳優たちは、遅筆堂が十分稽古する時間を与えてくれたものと見えて、文句のでようもない出来であった。とりわけ今回こまつ座初お目見えのひらたよーこには感心した。若いと思うがたくさんの役をよくこなした。天性の才能でもあったと思う。久世星佳、神野三鈴、宮地雅子の三人はこまつ座の常連でいよいよ息も合ってきたという感があった。角野卓造、辻萬長については当然現役時代の円生も志ん生も知っているはずだが、全く似せようともしないで、どちらかといえば角野、辻両人とも本人の地でやっているのではないかという気さえした。それは中途半端にやるよりはよかったと思うが、最近風間杜夫が高座にでている噂を聞くにつけ、角野志ん生、辻円生を見てみたいという思いも残った。
そういう基本的な不満はどうしようもないことだが、再演では音楽劇としての体裁をもう少し考えて欲しいと思う。
期待してみただけに少し拍子抜けしてしまった。

        (2004年3月6日)

 


 

新国立劇場

Since Jan. 2003