題名:

袖振り合うも    

観劇日:

03/4/4    

劇場:

サザンシアター     

主催:

青年劇場    

期間:

2003年4月4日〜12日  

作:

山内久   

演出:

堀口始  

美術:

上田淳子    

照明:

横田元一郎    

衣装:

    

音楽・音響:

菊池弘二     

出演者:

西沢由郎 千賀拓夫   上甲まち子 藤井美恵子  中川為久朗  榎本葉月     
 

 

「袖振り合うも」


  短いプロットを暗転で繋いでいくやり方は映像作品のもので、いかにも山内久らしいと思ってみていたら、あとになってこれは平成十二年NHK土曜ドラマで放送された脚本を舞台に上げたものだと分かった。無論見てはいない。これだけではなく、もう何年もテレビドラマというものを見たことが無い。なぜ見ないかは疲れるから言いたくない。最近、週刊誌の見出しで知ったが、倉本聰と山田太一が「この国のテレビドラマは、もうおしまいではないか?」という対談をしたらしい。自分のフィールドで悪口を言うのはなかなか勇気のいることだ。(テレビ屋はけっこう意地悪なところがあるから)なにも今さら言うまでもなく八十年代から既に「おしまい」だったと僕は考えている。

 物語は、制作が用意した<あらすじ>をそのまま引用しよう。
  日本刀の研師一筋で六十五歳を迎えた安宅巌(千賀拓夫)は、 長年連れ添った愛妻ハル(藤井美恵子)を突然交通事故で失う。
  生きる気力もなくなり、睡眠薬で後追い自殺を図るが、 たまたま集金のアルバイトに訪れた舞台美術家志望の 葉子(榎本葉月)に発見され、一命をとりとめる。
  巌の事情を知り同情した葉子は、元料理人志望の 吉見(中川為久朗)を賄いとして住まわせ、おいしい手料理で 巌にもう一度生きる希望を見いださせようとする。
  そこへ巌の師匠の娘、美佐(上甲まち子)が転がり込んでくる。
  いつの間にか葉子に「女性」を感じている巌、 焼けぼっくいに火がつき再び巌に恋心を燃やす美佐、 “恋敵”の登場に慌てる吉見、 おまけに幽霊のハルまで飛び出して、 果たしてこの四人の共同生活の行方は・・・?

 これにマンションの管理人の老人(西沢由郎)が加わった6人の登場人物による芝居である。
  奇妙に思ったことを羅列すると、
  まず、研師がマンションの一室で仕事をしていること。出来ないことではないだろうが、水を使うことやある程度広い空間を必要とすることからマンションでないほうが自然である。(僕の知っている研師は屋敷の庭に面した水屋のある仕事部屋でやっている。)
  葉子が自殺を図った巌を発見する偶然は、ややご都合主義であるが、まあ許せる範囲として、料理人を賄いにして同居させるというのはおせっかいの度をすぎたものだろう。
  この料理人に巌は毎月四十万円を支払うというのだが、いくら金持ちでも常識を疑う。家政婦を二人雇える金額である。「手料理」ではないが、毎日一流料理屋から出前をとって、おいしい食事が出来るだけの予算だということは誰でもわかることだ。
  このマンションには三人の居候がいる。巌の寝室と仕事部屋とあわせると5LDKのようである。ハルの生前はこの広いマンションに二人で住んでいたことになるが、当節こういう住まい方はあまりきかない。僕が研師だったらマンションを売って、郊外に仕事部屋を求める。都心でなければできない仕事ではない。

  ブラウン管の狭い画面で、思わせぶりをやったり、タレントによりかかって(巌=仲代達矢だったらしい)ごまかしをやればそれなりに見える。家で見ているほうもいい加減だから、文化庁芸術祭優秀賞(平成12年度)をとれたかもしれないが、舞台で見るとこういうあらが目立って、感興をそぐことおびただしい。
  このあたりを演出の堀口始が気づいて、たとえばマンションを住宅街の屋敷に変え、管理人の老人は隣人にするなど手を入れるべきだった。
  また、登場人物達が「袖振り合う」導入部もテレビのプロットをそのまま繋ぐ省略の多い手法だったので、出会いも「同居」もご都合主義の感じがして、こういうのは演出の感度の鈍さを示していて感心しない。
  一同が同居してからは、吉見と葉子の恋愛ざた、巌の葉子への思い、美佐と巌の関係に割って入るハルの幽霊など茶の間の主婦が好みそうな「いかにも」の艶っぽい話を下敷きに、老人と若者の対立を主題にした山内久らしいものがたりが展開される。
  最初から頻繁に流れるBGMがジョーン・バエズであることにおどろいた。僕はいやな予感がした。ジョーン・バエズは、いうまでもなく四十年前の若者たちが聞き、愛唱したフォークであり、プロテストソングである。堀口始はこの歌に何を込めようとしたのか?いやこれは山内久の注文だったのかもしれない。いづれにしても、老人と若者というテーマに対して、いかにも古色蒼然としたイメージを重ねたものである。
  登場する老人、巌は六十五歳という設定である。若者は多分二十代であろう。とすれば、いづれにも当てはまらないから、ジョーン・バエズが意味したものは、「若者たち」を書いた作者、それに同調する演出家のあの輝かしい時代への郷愁そのものではないか?
  ここで何が起こりそうかだいたいの想像はつく。 現代の老人vs若者のジャジメントは自分たちがやるということなのだろう。
  ところがこの若者、舞台美術を勉強中の葉子と板前修業を伝統的なしきたりがいやだと言って逃げ出してきた吉見のふたりが現代を代表するのかといえば全くそんな気がしない。舞台美術修業は結構だが、現実にはそれは未来にわたって失業者と同意である。つまりそれで生活できる可能性は限りなくゼロに近い。それをごまかして何やら希望みたいなものをほのめかすのは、ジョーン・バエズの時代、高度成長の時代を基準に世の中を見ているのである。
  吉見のように一晩で二百万円も失うギャンブルに手を染める若者もいるだろう。しかし、現代においては覚せい剤を買うための金を盗む若者の方がはるかにリアルで社会的問題である。高校を出てもその半分は就職先が見つからない。大学を出た若者の三割はいわゆるフリーターになるしかない。就職できてもいつ馘首になるか心配してなくてはならないのが現代を、少なくともこの十数年を生きる若者の現実である。
  ジョーン・バエズを聞いていやな予感がしたといったのは、老人と若者という枠のなかに老人にとって都合のよい若者をはめ込んで、説教でもしようという魂胆だと直感したからだ。

 管理人の老人は戦争体験者で、酔った勢いで戦争中人肉を食ったと口走ったり、ニューギニアで飢えたあげく部落を襲って住人を生き埋めにした話を告白する。自分たちのように戦争を体験したものがその悲惨さを伝えていかなければならないというのだ。その志はいい。しかし、体験は絶対に伝わらない。そして体験した人々は時間とともにいなくなる。それが歴史というものだ。このことを根底から認識していた大岡昇平は、自分の戦った戦場がなんだったのか、その有り様を確かめ克明に記録した。それは体験というものを透徹した眼差しでとらえ直し、知性によって未来に引き渡そうとする態度であった。
  最近読んだ本から孫引きするが、歴史とは何かを考えさせられる一文である。
  「私自身は、戦争中、友人を殴打、足蹴にしてはばからぬ軍人や軍国主義的教官の横暴を体験しており、その背後に絶えず存在した日の丸・君が代を国旗・国家として認めることは断じて出来ない。それは個人の感情と言われるかもしれないが、この法律は、二月十一日という戦前の紀元節、神武天皇の即位の日という全く架空の日を「建国記念の日」と定める国家の国旗・国家を法制化したのであり、いかに解釈を変えようとこれが戦前の日の丸・君が代と基本的に異なるものでないことは明白な事実である。」(「『日本』とは何か」網野善彦より)これは歴史を専門とする学者の発言である。僕にとって建国記念日は数ある休日のひとつにすぎないが、軍人に殴打、足蹴にされた記憶を持つ人には許しがたいものであり、政治家による法制化の裏には国家主義への危険な郷愁があると指摘しているのだ。しかし、こうした議論が既に賞味期限切れのことは明らかである。
  むしろいまは、そういう日本が無くなったことの方が問題なのだ。
  「東西冷戦の終結、バブル経済の崩壊を経て、援助交際、出会い系サイトの流行・・・。これまで人々の行動を秩序づけてきた道徳や価値が共有されなくなり、年長者には日本社会が無規範な混乱状況(アノミー)に陥ったと見える。従来の常識が通用しないから疎外感を抱いてしまう。・・・そういう寂しい年長者の問題は、日本という国のヘリテージ(相続遺産)が何なのか分からないという、根の深い問題につながっている。例えばフランスには「自由、博愛、平等」というフランス革命の理念がある。ところが日本は、どんなに街の風景が変わっても「オレたちには○○があるぜ」と胸を張れる「何か」を共有してこなかった。・・・」(宮台真司 都立大助教授 朝日新聞4/10/03付け朝刊「男女共同参画社会」関連記事より)
  宮台が指摘(し、自らは何も提案しようとしない)するように、そのヘリテージを21世紀に向けて、そろそろフィードフォワードしなければならないのだが、日本とは何か?あるいは何であるべきか?という議論に、この五十年、たえず<戦前> vs<戦後>という超えがたい枠組みをはめてきたために、恐ろしく不毛な観念の応酬が横行してきたのである。その最後っ屁のような「新しい教科書を作る会」の登場によって、そのばかばかしさに終止符を打つことが出来た(と見える)のは幸いであった。 ついでに言えば、いずれの陣営もTOYOTAのトラックが砂漠を走り、世界中の人々がPANASONICのテレビでSONYのカメラが撮った映像を見ているという現実を見ていないし、産業主義の向こうにはすでにEUがやったようにボーダレス社会が見えていることを理解していない。
  日本の歴史を時間的にも空間的にも位相を移して、新たなパースペクティブにおいて考えなければ、宮台の言う「相続遺産」を共有することなどできないと僕は考えている。

 山内久の時計は「若者たち」で止まってしまったのか。
  「若者たち」は自分の住んでいる社会は間違っている、だから自分達が頑張れば世直しが出来ると思っていた。反体制こそ正義であると考えた。社会の理不尽に抗して生きるのが美しい、そのことに誰もが同意した。 しかし、こう思った若者たちの最後の世代は自分達の「あらかじめ挫折した未来」を知っていた。やがて消費の総体が生産の総量を上回ると、若者たちが敵意を向ける先も見えなくなってしまったのである。 こうして、「若者たち」は孤立し、敵意も熱情も解体され、都会の街中に紛れ込んで消えた。
  労働者もまた消費者として社会の主役に踊りでると、階級という区分を失って、単なるEmployee の意味になった。
  老人はどうか?日本においては昔から人生の先達、経験者として尊敬され、老人もその立場から助言をしたり、取りまとめたりする「役割」を期待されてきた。「老人らしさ」は双方の了解事項だったのである。しかし、民主主義においては、「女らしさ」「子供らしさ」「学生らしさ」も「老人らしさ」もいわばヴァナキュラーなことがらはすべてHuman Rights に統一される。老人の経験も知恵もその及ぶ範囲は肥大した現代社会に対してあまりにも狭いのである。 このようにしていくつ年齢を重ねても老人はもはや「老人らしく」ならないし、誰もそれを期待しない。身体だけは衰えていくが、精神が枯れて「隠居」するということがなくなったのである。
  山内久は、自分を老人だと思っている。
  その老人のまま若者に出会って何かを言わねばならないと考えたに違いない。そして、その思いを刀の研師という日本の古い伝統を受け継ぐ職人、巌に託したのは象徴的である。葉子に対する励ましや金を盗もうとした吉見の生き方に対する説教は、そのまま若者全体へ向けた、作者のものだろう。そしてこの二人は巌の援助を素直に受けて、あっさりと新疆ウイグル地区の奥地に移住してしまうのである。 これは近ごろの親と子供の関係を見るような気がする。ただし、親の説教など子供には通用しない。金だけとって外国へ行くとか好きなことをしているのが当節の若者気質というものだ。 これでいったい何が解決したのだろう。いいかえれば、日本刀の研師から我々はどんな「ヘリテージ」を受け継げばいいのだろうか。
  割り切れぬ思いで終幕を迎えた。

  役者に言及すると、皆ベテランで安心してみていられた。藤井美恵子の幽霊は、陽気だが嫌みが無く、よいアクセントになっていた。葉子の榎本葉月は稽古を重ねた跡が見えて、一生懸命さがよく伝わってきて好感が持てた。
  上田淳子の装置は、都会のど真ん中という雰囲気をだすために背景にマンションやビルを置いて、灯まで仕込んだ。舞台全体のマンションらしい部屋とはマッチしているのだが、刀の研師という設定と大都会のイメージとの違和感が僕には見ている間中、気になった。さらに肝心の仕事部屋がいかにも狭い感じがした。
  ジョーン・バエズの「乱用」にはまいった。あんなに使う必要はなかっただろうに。
 

  山内久は若者に説教していい気持ちだったと思う。
  しかし、老人も若者も現代においては、フィクションである。どこにもいないものを無理に袖振り合わせて作る物語は、むなしい。
  宮台真司がいうように「日本社会が無規範な混乱状況(アノミー)に陥ったと見え」ている年長者の列に山内久がいるとすれば、あの「若者たち」を作った瑞々しい感性がもはや「現代」と斬り結ぶことはないだろう。しかしまだまだ、1925年生まれが老人のふりをしてはいけない。 (4/11/03)

 

 

 

 


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