題名:

その人、女優?

観劇日:

04/10/15

劇場:

ザ・スズナリ

主催:

東京ヴォードヴィルショー

期間:

2004年10月8日 〜17日

作:

中島敦彦(劇団道学先生)

演出:

黒岩亮(劇団青年座)

美術:

中根聡子     

照明:

宮野和夫    

衣装:

菊田光次郎

音楽・音響:

石神保

出演者:

あめくみちこ 小林美江 山本ふじこ市瀬理都子
佐藤B作 佐渡 稔 石井愃一 
山口良一 たかはし等 まいど豊 
玉垣光彦 羽賀蓉子

 
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「その人、女優?」


久しぶりにザ・スズナリの座席に座った。クッションはあったが同じ姿勢を強いられて腰に来た。年齢を感じざるを得ない。ただ、客席は僕らの世代も少なくないように見えた。さすがは創立三十年、ファン層は幅広い。
近ごろ評判の劇団道学先生所属中島淳彦が東京ヴォードヴィルショーの俳優のために「あて書き」した本を青年座の黒岩亮が演出した。
「女優」自身をドラマにするというのは誰が始めたか随分昔からある。表面は華やかに見えるが実際はドロドロという落差が刺激的なのだ。近ごろではその仕掛けもすっかりわかってしまって、落ち目のスター女優が後輩にその座を奪われていくなどの陳腐な展開では誰も驚かなくなった。
女優のロザンナ・アークェットが撮った「デブラ・ウィンガーを探して」と言うドキュメンタリー映画は、多数のハリウッド女優にインタビューしてその生活と本音をまとめたものだが、嫉妬とか欲望などとは別の視点から女優をみている。彼らが一様にいうのは職業としての女優がいかに不安定で社会的に不利なものかということである。キャスティングのオファーはいつ来るかしれない。それを待つ不安。酒やドラッグに走るものもいる。しかし再び誘いがあればまた華やかな世界に戻っていく。この悪循環からリタイアしたのが女優デブラ・ウィンガーだというのである。踏み込みの足らないところもあるが映像の粗さが妙にリアリティを感じさせて女優と言うものの一側面を語った映画だった。
我が国の女優は酒とドラッグにおぼれている余裕さえない。居酒屋でビールを運び、オフィスビルの清掃、銀座のクラブで三等重役のご機嫌伺いと忙しい。その辛い仕事も女優であるという誇りだけが支えている。このようにして、女優とは一見光り輝くスターであるが、いまやその正体がかなりの程度僕らにはバレバレの存在だとも言える。しかしながらつくづく思う。こんな考えはじつに悲しい。ジョユーと言う言葉の響きに素直に興奮できたらどんなにいいか。
前置きが長くなった。
片桐沙代子(あめくみちこ)は一度だけTVの昼メロのヒロインで世に知られて以降話題に乏しい女優である。夫の橋岡須賀男(佐藤B作)は脚本家。不遇の時代を片桐が支えた。最近ようやく売れてきたと思ったら女好きの性格がこうじて夫婦仲が破綻、双方離婚に合意した。片桐は精神的な疲労から離婚会見の自信がなくて隠れることにする。誰にも知られぬよう旧知のさえない俳優坂井出俊介(山口良介)に相談の末、彼の故郷宮崎県油津のホテルへ付き人の大石圭子(羽賀蓉子)を伴って現れる。ふれこみのオーシャンビューにほど遠い木造二階建ての「ホテル」 とは、じつは坂井出俊介の実家で母親住惠(山本ふじこ)がやっている連れ込み宿、片桐に気がある坂井出俊介が経済的な事も考えて自分のそばに置こうとしたのだった。この連れ込みの装置(中根聡子)はあの狭い空間に必要なものをうまく配置して古典的な連れ込みのイメージを再現していた。昭和末年と言う設定だが、畳に湿っぽい布団と言う情感溢れる道具立てはめずらしくなったかも知れない。今どきの若いやつらにお奨めなのだが。
片桐は家を出るとき、一週間後に開幕する舞台のために夫が書き上げたばかりの台本を隠し持ってきた。当然自分が主役と思っていたらかつての自分の元付き人女優の天野千里(小林美江)にその座を奪われるらしい。
この台本を取り戻すために宿をかぎつけた橋岡と舞台のプロデューサー吉岡祐二(まいど豊)それに天野までこの宿に乗りこんでくる。
あの手この手で家捜しするが見つからない。そうこうしているうちに片桐の事務所の社長西沢幸司(佐渡稔)まで現れる。離婚をネタに話題づくりしようと説得に来たのだ。
台本をめぐるどたばた劇をややこしくする現地油津の人々がおかしい。
景山一郎(たかはし等)と小料理屋の女将星野加寿子(市瀬理都子)は昼間からこの宿にこもっている。床上手と評判の星野を市役所職員の白井健介(石井愃一)も狙っている。折しもこのあたりのローカル局でかつて片桐が主演した昼メロが再放送されていて、白井は女優を市役所のイベントに利用しようと近づいてくる。
景山一郎は実は警察官で表にパトカーを止めたまま励んでいたのだ。この警官が、何かというと拳銃をとりだして脅したりぶっ放すなどむちゃくちゃで、赤塚不二男の漫画から出てきたような危険なキャラクターである。
星野は実は若いころ東京のアングラ劇団で女優をしていた。束ねていた髪をはらりと前に落とし、テレビと机の上に飛び乗って和服の股を開いてたんかを切るところは三十年前のあの頃を彷彿とさせて知ってるものにはなつかしくもおかしい場面である。田舎町に女優がやって来た騒ぎに刺激されて、もう一度上京しようといつの間にか事務所の社長西沢をその肉体で籠絡し、西沢もすっかり虜になってしまう。「私はそう見られているのかしら」と市瀬理都子がいっているが、まあ勲章みたいなものだからあまり気にしないほうがいい。
虜といえば、女優天野千里はしたたかで、橋岡を引きつけておきながら、実はプロデューサーの吉岡祐二ともできている。役をもぎ取ってのし上がっていくには力のあるものを利用するのがてっとり早い。これもよくある話しだ。ただし実力もないのにやったら足を引っ張られるのが落ちである。昔大蔵貢(大蔵映画の社長)が妾を女優にしたとか女優を妾にしたとか評判が立って、当の女優は年増の美人だったが大成しなかった。力があったら「何が悪い!」と開き直っても相手が「女優」なら恐れいりましたというのが世間である。そんな大女優がいないわけでもない。
台本は便所に隠してあったのだが、掃除に入った坂井出住惠がこれを読む。ここからがこの芝居の弱点で、中島淳彦はどうしてこんな安易な展開にしてしまったのか不思議でしようがない。
この住惠が台本をつまらないと言いだすのである。見つかってほっとしたのもつかの間、橋岡は、住惠の指摘に愕然とする。なんと住惠が添削を試みるとその方が数段面白い。一同納得して、プロデューサーの吉岡祐二が書き直しを依頼すると、住惠はねじり鉢巻き、徹夜でこれをやり遂げてしまう。しかも原稿料の交渉でもしっかり吉岡の足下を見て言い分を通してしまう。
連れ込みのおかみさんにしてやられて、橋岡は形無しである。
それにしても住惠はいつの間に物書きの才能を磨いたのか?これにはどんな伏線も説明もない。それとも芝居の脚本は、ある日突然その気になれば帳場の計算やら部屋の掃除食事の支度に忙しい旅館の女将だって書けるほどのものなのか。そうならば、中島淳彦本人こそ形無しである。自分の仕事をその程度だといっているようなものだ。話の成り行き上そんなこともあるかとつい遣り過してしまうが、よく考えれば納得できることでもない。ボォーとした脇役でうろちょろしている坂井出俊介の従兄弟の佳太(玉垣光彦)が、密かにシナリオの勉強をしていて・・・と言う設定ならまだ説得力はあった。「あて書き」の都合から女優山本ふじこにそれなりの役回りを与える必要があったのだろうが、巨体の住惠が座卓で原稿用紙に向かう「知的な」後ろ姿は妙なものだった。
ヒロインが後輩女優と悪態をつきあうお定まりの場面もしっかりあって、互いに傷ついたのもつかの間橋岡のダメージがこれを癒した格好だ。役所のイベントも警察の一日署長の話も一時「女優」の誇りをくすぐられるが直前に沙汰止みになって、片桐は拍子抜けする。自分が持ちだした台本を巡る騒ぎが意外な結果になってみれば、これがただの意地の張り合いだったのではないかと思えてくる。
エピローグでテレビの画面に片桐と橋岡がおさまって、離婚取り消しなのか再婚なのか記者会見をやっている。雨降って地固まるだが、橋岡の女好きがいつ再燃するとも限らない、と思うのはいじわるだろうか。こうしてハッピーエンドをテレビで締めくくるのも当世流というか、芝居の世界もテレビ抜きに語れない時代の反映であろう。
テレビというのはどんなものでも日常性のレベルに引き下ろしてしまう。おまけに出来たイメージを一方的に消費し陳腐化するだけだ。
「私は女優よ!」とすましたところで芝居を「お仕事=稼ぎ」などといってるようではカリスマもへったくれもない。「女優」でいたかったらテレビとは極力離れていることだ。
それはともかく、怒濤のごとく進行するあっけらかんと面白い芝居だった。方言も生きていた。警官役のたかはし等は初めてみたが、もっともヴォードヴィリアンらしくて楽しめた。収穫だったといえる。
女優であることの悲哀とか喜び、表現者としての心構えとか技術、人生観といった内面に迫ることはこの劇の守備範囲ではないが、女優が化け物でないかぎり心はある。喜劇の中にそのようなスパイスが利いていたら、もう一味おいしくなっていたに違いない。   

 

         (2004年10月24日)




                                                                                        

 


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