題名:

太鼓たたいて笛吹いて

観劇日:

04/4/9

劇場:

サザンシアター

主催:

こまつ座   

期間:

2004年4月2日〜29日

作:

井上ひさし

演出:

栗山民也

美術:

石井強司     

照明:

服部基    

衣装:

宮本宣子

音楽・音響:

宇野誠一郎

出演者:

大竹しのぶ 梅沢昌代 神野三鈴 
松本きょうじ 阿南健治 木場勝己 朴勝哲

 
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「太鼓たたいて笛吹いて」


 林芙美子ほど評判の悪い作家はいない。奔放といえば聞こえはいいが、身持ちが悪くわがままで打算的、庶民的といいながら実は高慢ちきで陰険、意地悪とまあ、その周りではいつも罵詈雑言の嵐が吹いていた。僕の母などは「放浪記」を読んだ形跡はあったが作家の行状は「ふしだら」といっていた。
 実際、作家という存在には男であれ女であれロクなものがいない。昔は無頼漢とか、やくざ(もともと役に立たないことを言う)と似たものに思われ良家の子女は近づけないようにしたと梅原猛があるところで語っている。この芝居に出てくる島崎こま子(神野三鈴)にしてからがある種、その被害者である。夏の夜、酔って帰って横になっていた叔父藤村の胸の汗を拭こうとして・・・間違いが起こり、それから関係が続いて子どもまで出来てしまった。
 こう言うのはもっとも酷い事例かもしれないが、まあ、大概がたちの悪い酔っ払い、偏執狂、あることないこと書かれる親類間の厄介者と相場は決まったようなものだった。
僕は初演の時、なんでいまごろ林芙美子か?という巨大なクエスチョンマークと上のようなおおいなる偏見をかついで出かけた。たぶん自分の体調のせい(乗りきれなかった)と初演の芝居がこなれていなかった(時々音程を外れた)からだろう、その重さの半分くらいしか落としてこなかった。
 この再演も残った半分を抱えて見たたわけだが、結論を先に言うと芝居の出来が想像以上によかったので、もって出た疑問符も偏見もどこかに置いてきてしまった。
僕のような意見のものは少なくなかったようで、再演に際して井上ひさしは次のような「前口上」を用意していた。
 「・・・ところで初演時に、『林芙美子はこんなに立派な人間だったのかな』という批評がありました。これはたぶん、例えば芙美子の告別式での葬儀委員長をつとめた川端康成のあの名高い挨拶あたりが影響しているかもしれません。川端康成はこう挨拶したのです。『故人は自分の文学的生命を保つため、他に対して、時にはひどいこともしたのでありますが、しかし、あと二三時間もすれば、故人は灰になってしまいます。死はいっさいの罪悪を消滅させますから、どうかこの際、故人を許してもらいたいと思います。』
確かに芙美子は、後進の女流作家に意地悪をしたり同輩の女流作家(とくに吉屋信子や平林たい子)に無意味な対抗意識を持ちすぎました。けれども、告別式が行われている芙美子邸の外には、焼香を待つ市井の人たちが何百人も行列していたという事実の方が大事なのではないか。霊柩車が家を出たときは大勢の人たちに囲まれて、前へも後ろへも動けなかったともいいますが、つまり、芙美子は文壇の鼻摘みものにして、市井の人気者だったわけです。いや芙美子は最初から最後まで市井の一員だった。だから一種特別の集まりだった文壇では摩擦ばかり引き起こしていたのではないか。・・・」
 川端康成の挨拶もかなりのものだが、芙美子の憎まれ方も尋常ではなかったことをうかがわせる。井上ひさしは、それは特殊な世界での出来事で、芙美子がどんなに陰険で意地悪なことをしたかなど、芙美子の小説を愛した市井の人々には関係がないというのである。作家の行状と作品は違う。川端康成にしても、そばにいた連中の証言によると相当薄気味悪い老人ということになるが、だからといって晩年の作品(あまり目ぼしいものはないが)の名声に傷がつくというものでもない。
 井上ひさしによると、林芙美子は初作品の自伝的小説をベストセラーにし、戦争中は、女性従軍作家として戦意を煽り、戦後は売れっ子作家として、一貫して庶民の代表として生きて書いて死んだ。この戦中の従軍作家時代にまるで「太鼓たたいて笛吹いて」煽るように戦争の実況を報道し、戦意を高揚したことは、あまり褒められたことではないが、芙美子は戦場の悲惨を目の当たりにするにつけ、次第に自分の言動に疑問を持ちはじめる。ついに過ちに気づいた後は、その反省として戦争の災禍にまつわる物語を多く書いて反戦の態度を表明した。こう言う正直さ屈託のなさが庶民の姿と一致するというのが井上ひさしの見方なのである。
 この芝居は、評伝劇にはちがいないが、林芙美子の「いいとこどり」である。例えば、当時いたはずの「好きでも何でもなかったが、飯を食わしてくれたので一緒になった」夫緑敏は登場しない。こんな人物に出てもらっては芝居はぶち壊しだ。他にも都合の悪い関係者を取り除いて「林芙美子は従軍作家までやって戦争を煽ったが、その後反戦に態度を変えた庶民感覚の作家だった。」というものがたりを伝えるために書かれたのがこの芝居である。「ここのところの『反省』がなかなか出来ないことでしょう・・・」と井上ひさしが得意そうに笑っているような気がする。「人間合格」も太宰治の出自コンプレックスとかどろどろした愛憎劇などいやな部分を丁寧に避けて太宰ファンも納得する評伝劇にしあげたが、その同じ腕で、林芙美子もやってのけたのである。もっとも大宰の場合林芙美子ほど酷く憎まれてることはなかったが。
こう言うわけだから林芙美子を演じるのに大竹しのぶほど得難いキャラクターはない。昨日生まれてきたような裏も表もないさっぱりと屈託のないナイーヴな芙美子ができ上がったら、この芝居は成功したも同然だ。
 レコード会社の文芸部員、三木孝(木場勝己)は「放浪記」の作家林芙美子に流行歌の詩を書いてもらおうと新宿下落合の自宅に何度も通ってきている。家には芙美子の母親、林キク(梅沢昌代)がいて応対するが、多忙な娘には迷惑とばかりに冷たい態度である。 
そんなある日、母親キクが広島の尾道で行商をやっていたころの弟子達、加賀四郎(松本きょうじ)と土沢時男(阿南健治)が訪ねて来る。なつかしいかつての仲間と宴会になり、ここでうたわれるのが「行商隊の唄」、「どうもどうもご町内の皆様こんちわこんちわ・・・」と踊りながら合唱する楽しい唄である。
 何度訪ねても歌詞は出来ないので、仕方なく三木は自分が芙美子に成り代わって詞を書き承認してもらうという挙に出る。それで出来たのが「女給の唄」。「放浪記」の中の女給時代を歌ったものである。これを木場勝己がチャイコフスキーの曲にあわせて朗々と歌う。初演の時よりも音は安定して声楽家はだしになった。
四郎と時男はのちのち、このとき「女給の唄」にうたわれた「出来ればもっといただいて松島か満州大連へ行きたいわ」という歌詞に影響されて、加賀四郎は満州へ、土沢時男は松島ヘと行商の目的地を変えて出発することになる。
 島崎こま子(神野三鈴)が現れたのは、高名な流行作家に亀戸で自分たちがやっている無産者貧民連帯託児園のための寄付をお願いしようと言う目的だった。しかし芙美子は「赤は嫌いよ。」とにべもなく断ってしまう。途方に暮れたこま子は腹を空かして待っている子どものためにと包みを渡し、金に替えてくれるよう頼む。包みは島崎藤村の「椰子の実」を綴った生原稿であった。それで素性がわかって、芙美子は藤村は自分だけ「新生」を宣言して実は現実から逃避した卑怯者だとなじる。結局母親のキクが金を出してその場をおさめるのだが、託児園の将来が見えたわけではない。このとき、こま子の心情を歌ったのが「ひとりじゃない」という宇野誠一郎の美しい曲である。
 やがて、芙美子が歌う「椰子の実」に三木孝が応じて合唱となる。「名も知らぬ、遠き島より流れよる椰子の実ひとつ、ふるさとの岸を離れて、汝はそも波に幾月。」しみじみといい唄なのに目の前のこま子の不幸が胸を塞ぐ。
 このこま子との出会いとその後のいきさつが実際にこうだったのか、気になって仕方がないがよくわからない。芙美子は、昭和十三年三月、貧窮と過労に倒れ板橋養育園に収容されていたこま子を訪ねた。というのは事実である。それから長野ヘ疎開するまで一緒だったのだろうか?
 「戦争はもうかる!」と三木孝が耳元でささやく。日清日露、欧州の大戦を通じて日本は戦さのたびにもうかった。これが日本を底の底の方で動かしている物語の正体です。国民はこの物語にのせられて生きている。「先生もこの物語に沿ってお仕事をすべきなのです。」と断じる三木孝は今や日本放送協会の音楽部員。林芙美子はなるほどと納得して二人は、「ものがたりにほまれあれ」を高らかに合唱する。ここから従軍作家までは指呼の間である。
戦場から帰るとやがてこま子の実家信州へ疎開して引っ込んでしまうが、「この戦さは負ける」と発言したのが問題になり、こんどは内閣情報局に出仕する三木孝と大連に渡って現地憲兵隊から警視庁勤務になって戻った加賀四郎が「撤回発言」をさせるためにやってくる。
 しかし、芙美子はあの物語は間違っていたと応じない。「滅びるにはこの日本、あまりにも美しすぎる」と歌う芙美子に二人とも手出しが出来なくむなしく帰るしかない。
こうして林芙美子は見事に「転向」したのであった。
全部で唄が十一曲、歌っている時間だけでもまとめるとおそらく一時間に近い。もはや音楽劇と言ってもいいだろう。この唄が出るタイミングは舞台を見ながら朴勝哲がリードするピアノがあるから出来るといえるが、しかし、そんな生易しいことで作られてはいない。これは栗山民也の緻密な計算、演出の結果ということが明白である。唄が口をついて出てくるまでの台詞回し、唱和するタイミング、動作、唄の締めくくりから次の場への移行など音楽劇としての気分の流れを作り出すのは誰でも出来るワザではない。
 神野三鈴は役どころを得たようだ。阿南健治のおかしさも尋常でなかった。役者のアンサンブルはこれ以上望めないほどのレベルであった。
 この再演は、舞台の楽しさを十分に堪能させてくれる作品に仕上がって、初演をはるかに超えたといっておこう。
 さて、僕はどこかに置いてきたクエスチョンマークと偏見を探しに戻らなければならない。
        

        (2004/4/20)

 


 


新国立劇場

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