題名:

線の向こう側        

観劇日:

04/4/16        

劇場:

新国立劇場   

主催:

新国立劇場    

期間:

2004年4月12日〜28日     

作:

アリエル・ドーフマン       

翻訳:

水谷八也      

演出:

孫振策          

美術:

堀尾幸男             

照明:

服部基            

衣装:

前田文子            

音楽:

高橋巌
出演者:
岸田今日子  品川徹  千葉哲也

 


 「線の向こう側」

 大きくて頑丈そうな木製のベッドが舞台中央を占めている。年代物のキルティングのカバーが蔽っていてそれだけが妙になまめかしい。上手のブリキの壁には流しとコンロがくっついていて狭いが調理は出来そうだ。その手前にスチール製の棚があって、ファイルやら段ボールが置いてあり上に明りとりが小さく開いている。下手には同じような棚があって、脇に出入り口、板壁を隔てて奥にトイレがある。亀裂が走り修理の跡が見える正面の壁は金属製で、男の子どもの古ぼけた写真が一枚だけ額に入って斜めに掛かっている。
 頭上には絶えず砲弾の飛ぶひゅるひゅるという音が走り、どこか遠くまでいってそれが炸裂するとやがて地響きが伝わってくる。
 要するにここは国境に近い戦場なのである。孤立して壊れかかった小さな建物の中に一組の老夫婦が暮らしている。もう何年も。
 彼らは、死体から髪や爪などのサンプルを採取し、記録を残して埋葬するという仕事を請け負ってきた。戦争が終わって死者の親族や関係者が探しに来るときのために。棚に置いてあるのはそのファイルの山である。
 戦っているのはコンスタンツアとT(国名を失念した)。妻のレヴァーナ・ジュラック(岸田今日子)はコンスタンツアの出であるが、夫のアトム・ローマ(品川徹)はTの生まれでアトムによる略奪婚のように結ばれた夫婦である。彼らには息子があって、二つの国の血を引くという複雑な運命を背負って、十五歳の時に自分のルーツを探しに家を出たまま行方がわからなくなっている。壁の写真がそれである。出自にもかかわらず、彼らは愛し合っていて、砲弾が飛び交う戦争のさなかでもそれを確かめあおうとする。この日も食事の支度をする妻の後ろに迫って・・・。腕もあらわに下着姿のレヴァーナ岸田今日子はベッドカバーの上で夫アトム・ローマと抱き合い下になり上になり転げ回り愛し合う。
 不意に砲声が止んで、雑音の響くラジオから休戦協定という言葉が聞こえてきた。戦争は終わった。歓呼の声を上げて抱きあうが、レヴァーナには追っ手がやって来る心配が生まれ、アトムには国境の向こう側の故郷へ帰される可能性が出てくることに気づいて急に不安にかられる。
 静寂を破って不気味な音が迫ってきたかと思うと突然正面の壁の一部が外にはがされ、ヘルメットにゴーグルの兵士のような姿の国境警備隊員(千葉哲也)がぬっと現れる。
 彼は測量をし、ベッドの足下に杭を打ち外から引いてきた黄色い布を巻き付けるとこんどは靴のままベッドにあがって反対側の端にも杭を打ち込み、余った布を巻き付ける。部屋はちょうど二分された形になった。国境警備隊の男は、この黄色い布が休戦協定ラインだと宣言する。向こうの川にあった国境がこんどは家の真ん中を通ることになったのだ。住人は協定ラインから離れてそれぞれの故郷へ帰還すべきという命令が出ていると聞いて、心配が現実になったと思った二人が寄り添おうとすると、鋭い声が飛ぶ。「二人とも休戦ラインを越えてはならん。」というのだ。台所の側からトイレに行こうとすると旅券と査証がいるらしい。無論逆も同じだ。そんなばかばかしいというと、これは規則であるという。自分は生まれた時既に戦争状態だったが、いつか平和が訪れたときのためにと国境警備隊の養成所で勉強した。法律もマニュアルもたたき込んであるから間違いないというのだ。そして、有無を言わさず財産、持ち物をわけて早く立ち去れと命令する。だが、二人にとっては、それに応じるわけには行かない。
 この国境警備隊の男の杓子定規で官僚的な態度に対する夫婦の駆け引きが続いて面白いのだが、しばらくして突如砲声が響き、また戦争が始まった様子である。国境警備隊の男は失業するのかと嘆くのだが・・・。
 
  この戯曲はあの「谷間の女たち」のアリエル・ドーフマンに栗山民也が依頼して新国立劇場のために書き下ろしてもらったものだ。きっかけは、ドーフマンがニューヨーク9・11、二ヶ月後に書いたエッセー「もう一つの9・11」と「米国は何故嫌われるのか」というインタビュー記事が目に留まったことだといっている。
 戦争状態が長く続いたあと、休戦ラインが家のど真ん中を通るというかなり象徴的な出来事を中心にかかれたこの芝居は、いかにもドーフマンらしい設定で、様々のテーマを想起させる。そもそもドーフマンの経歴からしてこう言う話に恐ろしいほどのリアリティを与えうるのだ。
彼は、ロシア系ユダヤ人の子で、父親はマルキスト経済学者である。42年にアルゼンチンで生まれるが翌年軍事クーデターのために一家で米国へ移住。53年にはマッカーシー旋風に巻き込まれ、一家はサンチャゴに移住、十代をチリで過ごし、22歳の時国籍を取得する。26歳で米国の大学(UCバークリー校)で講座を担当し、1970年(28才)アジェンデ政権誕生とともに帰国、政府の文化政策にかかわる。73年9月11日(もうひとつの9・11)、軍事クーデターによりピノチェトに追われ、アルゼンチン大使館に逃げ込んだあと、76年オランダに亡命。このころから「谷間の女たち」を書き始める。現在は米国ノースカロライナ州在住。
おそらく父親は亡命して南米に来たものだろう。自らも幼くして何カ国も渡り住み、アジェンデが倒れると同時に命を危険にさらして亡命すると言った波乱の前半生を生きれば(しかもジューイッシュ)、国家や政権というものに対する「構え」のようなものが自然にでき上がるだろう。ドーフマンは、この芝居に描かれた国境にかかわる事件に遭遇してはいないが、ある日突然誰かが敵対するという様な無数の一線、国境(ボーダーライン)に出会ってきたに違いない。
この芝居は恐ろしい体験ではあるが、日常化された戦争が日常的であるがゆえにその上に生を築いていかねばならないといういわば人間の愚かで滑稽な性(さが)が見え隠れしており、ドーフマンのある意味では冷徹な視線としたたかさを感じられるところが救いである。
この芝居の演出を韓国人の孫振策(振は正しくは木扁)に依頼するという離れ業を栗山民也は繰り出した。もちろん38度線を意識してのことであろう。あるいは軍事政権下での民主化運動のこともあっただろう。この休戦協定ラインは、韓国に長い間暮らすと頭の片隅にこびりつくようにして無意識に存在するものなのか、あるいは今なお痛みを伴って病んでいる傷のようなものなのか、僕らにはもっとも想像がしにくいもののひとつという気がしている。芝居に描かれた国境というものの苛烈さがそれであったかどうかは、僕らには知るよしもない。しかし演出は、ドーフマンをよく知っており、寓話的とはいえ休戦と順法精神などといういかにも現代の戦争の欺瞞を射程におさめた、極めて正統的で分厚い物語世界を作り出した。それにつけてもこのような力量を見抜いて孫振策を起用したプロデューサーとしての栗山民也の仕事を高く評価しなければならない。
 俳優について言うと、国境警備隊員の千葉哲也は、あまり器用な役者ではないが、このような機械的というかロボットのような杓子定規で官僚的な役どころはあっていたと見えて、いかにもマニュアルを覚え込んだ人権派の若い役人を好演した。アトム役の品川徹は地味な役柄だったが、その存在感に独特のものがあって、やはりこの人で良かったという気がする。
 岸田今日子は、どういういきさつでキャスティングされたものか知らないが、ベッドシーンをやるには少し年をとりすぎた。彼女である必然性があっただろうか?
 途中、国境警備員が棚のものをぶちまけるところで、最前列で見ていた僕の手にファイルのひとつが飛び込んできた。その薄汚れた透明の封筒には、死体所見のフォームと小さなビニール袋に入った髪の毛、同じく袋に入った爪、その他が収まっており、ここまでやったのかと驚いた。それらのひとつひとつを作り込んだ国立劇場のスタッフの根気とそれを主張し用意させた演出の執念に感じ入った。

  それにしても、この物語は一見分かりやすく見えるが、僕らにとってはよほど想像力を働かせなければ現実のものと見えてこない。国境も革命も戦争についても日本の誰がドーフマンのように書けるだろうか?
 ドーフマンは、ピノチェトが政敵に対して行った残虐行為を告発し、更に米国のやり方も批難している。このクーデター(「もう一つの9・11」というもの)はいまやITT(米国民間企業)とCIAの合作だったことが明白になっている。アジェンデが基幹産業を国有化し始めた途端に米国は国益を賭けて他国の政府転覆をもくろんだのである。他国民が二分されて争っても米国の知ったことではない。このような政治のダイナミズムがこんどのイラクでも働いていないとは限らない。既に二兆円を超えているはずの戦費はイラク民主化と引き換えに米国民が負担するなどというフィクションを信じているものなどどこにもいないだろう。
 このパレスチナ問題を含む中東での出来事を「文明の衝突」と分析する向きもあるが、いかにも米国発の通俗的で大雑把な見方である。それで物事が解決する気配は全く見えない。
 では、外国で起きていることに限らず、目前の事件や事柄を含めて、僕らはどのように考えるべきなのか?少なくともドーフマンの様な経験を持たない「平和ボケ」といわれる僕らにとって世界を見るための独自の土台を確保することは大事なことである。
  それにつけても日本とは何と特殊な国かと思わざるを得ない。
梅棹忠夫が84年にコレージュ・ド・フランス(メルロ=ポンティ、J-P=サルトル、レヴィ=ストロースなどが教授となったフランス思想界の最高権威)で行った「近代日本文明の形成と発展」と言う講義の中に少し驚いた記述があった。
 「・・・ある歴史家が、1480年から1941年までの460年間に行われた戦争の数を次のように報告しています。イギリス78回、フランス71回、スペイン64回、ロシア61回、ドイツ23回、そして日本は9回です。これらの数字はヨーロッパ文明の発達が戦争の遂行といかに緊密に結びついていたかを,はっきりと示しています。・・・」
 戦争が科学技術を押し上げ文明の発達に寄与するというのはわかる。しかし、鎖国という特殊な事情があったにせよ、日本の平和は先進国では飛び抜けている。日本は戦争の哲学もあるいは始め方も終わり方も技術もたいしてもたないまま近代化を遂げた奇跡のような国なのである。
 同じ梅棹忠夫が57年に書いた「文明の生態史観序説」は広く知られた学説だが、アジアからヨーロッパ、北アフリカ一帯の旧大陸の歴史を概観して、日本と西ヨーロッパの二つの端を第一地域、真ん中に拡がる過酷な乾燥地帯を中心にした広大なエリアを第二地域としたものだ。第二地域は四大文明発祥の地である。生態学の見地からすれば、両端の第一地域は生態学で言う「オートジェニック・サクセション(自発的遷移)」に喩えられており、大帝国が栄枯盛衰を繰り返した(他発的遷移)第二地域に比べると、干渉が少なく自然発生的に文明レベルの遷移が行われ、東西の二つの端は同じような条件(気候も含め)を享受することによって相互に関係なく平行的に発展したとされている。
 そのような立場で、ドーフマンの書いた世界を眺めると「さて何を言えばいいのか」と眩暈のようなものを覚える。日本は、もっとも遅れて帝国主義戦争に参加し破れた。それまでに欧州は世界を思うがまま切り刻んだ。日本には、明治以来西欧文明に学んだという劣等意識が強く残っているが、上のような平行的発展という見地でいえば、現在よりはもう少し独自の文明史論的な立場から発言してもいいのではないかと言う気がしている。
 梅棹忠夫は、慎重に南北アメリカ、大洋州、中南アフリカなどのいわゆる新世界については言及していないが、パックスアメリカーナの生態史観などというものがあるなら是非読んでみたいものだ。    

 

 (2004/4/28)

 

 


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