題名:

時の物置

観劇日:

04/6/11

劇場:

世田谷パブリックシアター

主催:

世田谷パブリックシアター     

期間:

2004年6月5日〜20日

作:

永井愛

演出:

江守徹

美術:

妹尾河童    

照明:

成瀬一裕 

衣装:

半田悦子

音楽・音響:

笠松泰洋

出演者:

有馬稲子 辰巳琢郎 雛形あきこ 根岸季衣 木津誠之 田根楽子 駒塚由衣 かんのひとみ 河合美智子 江守徹 佐藤麻衣子 藤川三郎 太刀川亜希 川辺邦弘 植田真介 佐川和正
 


 「時の物置」

「昭和三十年代まで戦前が残っていた。」と山本夏彦が書いている。その頃僕らは日常的に下駄を履いていた。母親はたいてい和服に割烹着だった。年中行事というものもよく行われていた。日本は敗戦の日から何もかも一変したと思い込んでいるが、そんなことはないと夏彦翁はいうのである。確かに新憲法が出来、農地改革や改正民法、婦人参政権が得られて制度は転換されたが、「戦前」の暮らしが根っこのところで変化するのはそれよりずっとあとのことだった。
この芝居は、昭和三十六年という設定である。その前年には安保闘争があった。岸信介の後を襲った池田勇人はすでに「所得倍増」を唱えていて、このころから「戦前」の終わりが始まろうとしていた。
幕が上がると、二階建て木造家屋が現れる。下手には畳の座敷、真ん中にソファのある居間、二階に至る階段があってその奥に台所が見えている。妹尾河童ならではの超リアリズム、時代が匂ってくるような典型的な下町の日本家屋である。
新庄家の孫、秀星(佐川和正)が60年安保の挫折感が漂う大学で自治会長に立候補するかどうか学生仲間と話しているところから始まる。こたつのある座敷だが、何故か古い蓄音機やこおり、写真のアルバム木箱などのすえたにおいのがらくたが積まれている。このがらくたは居間を挟んで向かい側にある物置から出たものらしい。というのもこの納戸には最近、素性が謎である女、月岡ツル子(雛形あきこ)を住まわせている。新庄家を切り盛りしている新庄延ぶ(有馬稲子)が近所の民生委員に頼まれて決めたことだ。
延ぶは女子師範を出て恩師にみそめられた。いまその恩師は二階で寝たきりになっている。ドラのような大音響で家人を呼ぶのを見るといかにもの感じがする。息子つまり秀星の父親、新庄光洋(辰巳琢郎)は、中学の教師で私小説の同人誌を主宰している。戦前はプロレタリア文学を志したが逮捕されて転向した。秀星はこれを快く思っていない。一時は三十人もいた同人が、今は古くからいる萩富貴子(根岸季衣)だけになってしまった。萩は光洋に好意を持っている。
光洋は大正五年の生まれらしいからこの年四十六才である。高校生の娘日美(佐藤麻衣子)が生まれたころ妻は新劇の女優になるといって乳飲み子を抱えて家を出た。延ぶが行ってみると到底育てられないと判断して、日美を奪い返してきたのだという。延ぶは日ごろから「士族」の出であることを誇りに思っている。家人にはうっとうしいが、言うことやることにはいちいち筋が一本通っている。
娘の詩子(河合美智子)は鉄工所の経営者加賀美(江守徹)に嫁いでいる。建設ラッシュが始まるところで景気がいい。詩子はもと「歌声喫茶」のアコーデオン弾きで、加賀美はストライキの応援に行った先の経営者であった。士族の血はこう言う成り上がりをうさんくさくみるもので、加賀美は新庄家の人々に疎まれていると感じている。
 この加賀美がテレビを進呈すると言い出す。まだ庶民の手に入る値段ではなかった。何か魂胆があるに違いないと延ぶが断ると詩子が納戸のツル子にあげるといってさっさと運び込んでしまう。
 延ぶの家には、時々無尽仲間の磯谷貞子(田根楽子)、魚住佳枝(駒塚由衣)、野平みさお(かんのひとみ)らがきていたが、テレビが見られるというのでツル子の納戸に入り浸りになる。・・・これが新庄家の人々それぞれの事情と日常である。
この芝居は永井愛の戦後生活三部作のひとつで、94年二兎社で初演された。あとに「パパのデモクラシー」「僕の東京日記」がある。(三部作とは井上ひさしにあやかったものか。)背景としてテレビが家にやって来るという象徴的な出来事が描かれているが、この時代を経験した者は郷愁をかきたてられ、知らない若い観客はこう言う時代もあったのかと言う感慨を抱いたに違いない。
ドラマは、自治会長に立候補して当選した孫秀星が大学でセクトの妨害に会ってくじけそうになる話と、新庄光洋が小説家の夢を断ちきれず、恥ずべき行為と否定していた出版社への売り込み、それに名のある作家への批評の依頼を密かに行う話が二筋平行して展開する。60年安保の後全学連は分裂して各大学の自治会を確保する権力闘争に入った。それにあまりにもナイーブな秀星たちが巻き込まれたのだが、この闘争は常に深刻な暴力沙汰に発展した。いわゆる三派全学連時代の始まりである。
また、光洋の私小説というのも戦中のプロレタリア文学弾圧の犠牲になって、その反動として内省的になったことを示している。私小説という日本独特の文学形式がまだ裾野を広く保っていた時代であった。光洋がためらいながら椎名麟三に直接電話をかけるシーンを若い観客はどんな思いで見たことだろう。
もちろん、そのような背景を知らなくても秀星と彼を囲む学生の多様な生き方や光洋の売り込み行為を巡って謎の女月岡ツル子がからむ話、脇筋として過剰なくらいに語られるエピソードを含め起伏のあるドラマとして十分楽しめるものになっている。なつかしい情景にうなづきながらノスタルジーに浸ることで満足することも出来るだろう。
だが、94年ごろになって何故永井愛はこのような形で戦後生活を書こうと思い立ったのだろうか?考えてみればこのころの日本はちょうどバブルがはじけて長期低迷時代に入った時期である。僕はそのことと無縁ではあるまいと思っている。
バブルが終わってみると、何故日本人はあんなにも無邪気に拝金主義に走ったのか?という反省が聞かれるようになる。三十年続けてきた高度経済成長の出口がつまりはバブルだったとすれば、経済的豊かさの追求だけではダメだったということである。露骨に言えば欲望を制御するモラルがなければ、それは暴走する。日本人のモラルの部分が壊れたのではないかという不安が時代を蔽った。さて、一体どこで道を踏み間違えたのか?あるいは何を得て何を失ったのか?そこで永井愛は戦後の暮らしを検証してみようと考えたのではなかったか。
自治会委員長に立候補することをためらっていた秀星の背中を押すのは結局、延ぶである。士族の子は迷わず決断するものだという声に促された。延ぶは明治の中ごろの生まれだろうから士族の誇りも実態も知っている。それを知らない秀星をその気にさせるというのは「士族」の何たるかを感覚で共有していたからであろう。
私小説を書いて世に出たいということ以外関心のない息子光洋にかわって、家族を取り仕切っているのは延ぶである。延ぶには家族とはこうあらねばならないという規範があるようだ。いわゆる家刀自であり士族としてのモラルを体現している存在である。家族はかならずしも合理的でないと感じながら従わざるを得ない。
日本はこの後急速な工業化のために農村から都市周辺へ人口が移動し、核家族化が進行して伝統的な暮らしの規範を家の中から失う。
芝居ではテレビも電化製品も、スキーや観光も生活の中に新たに加わり暮らしが豊になっていく様を表現するが、やがて来る沸き立つような成長期を思えば、その一方で、立っている土台がゆれるような不安つまり延ぶの不在を予感することにもなる。
延ぶがいう「士族」は必ずしも武士道を意味してはいない。武家の生活規範が背景にあるだろうが、もう少し広い意味の日本人の伝統的な社会倫理や勤労観をいっている。失ったものは、どうもそれではなかったか?と考えた。いや失ったのではなく、いつでもとりだせると確信してそっと物置に納めただけなのかもしれない。
江守徹の演出は、そんなことにお構いなしに面白く楽しければいいじゃないかという分かりやすさであった。辰巳琢郎の光洋だけが少し若すぎて浮いていたように思えるが、役者のアンサンブルは極めてよかったと思う。特に芸達者の三人、田根楽子 駒塚由衣 かんのひとみの登場場面は、必ずしも必然性はないが十分に楽しめた。有馬稲子はさすがの貫録だったと思う。女子高校生日美の佐藤麻衣子は初舞台を感じさせない度胸のよさを見せた。江守徹は謎の女ツル子の雛形あきこにはてこずった様子で、ちゃんと演技指導しろと言いたい。

 パンフレットに内野儀が「ポストコロニアル・モーメントとしての1960年代」というサブタイトルがついた文章を書いている。1960年代を「脱植民地化の期間」として捉えてみたいというのが前提である。日本が占領時代に受けた米国の強い影響下から独立して出たときに様々なオルタナティブがあったのではないかという論旨である。にもかかわらず高度成長という選択肢を選んで今日までやって来たが、芝居に事寄せて言えば今ここであの時代にあったオルタナティブスをもう一度検討してみるべきではないかというのである。
この時代を多少物心ついてから経験したものとして言わせていただければ、Occupied Japan 時代というものはあったがコロニアルという言葉のニュアンスを感じさせるような露骨な植民地主義はなかったと思う。米国流の民主化路線に異を唱えるものもいなかった。米国の文化の強い影響下にあったというが、五十年代に憧れたのは、日本だけではない。空前の好景気に湧く米国の消費文化に羨望の目を注いだのは復興に喘ぐ欧州も同じであった。一方で、国内にはイデオロギー対立を背景とした反政府運動があり、根強い反米の空気は存在したのである。
サンフランシスコ条約の頃には東西対立が厳しく深刻になりつつあり日本も西側の一員として安全保障の枠組みに組み込まれざるを得ない状況にあった。つまりそれほどオルタナティブはなかったのである。
内野儀の提案には賛成するが、ポストコロニアルとはまた初めて聞くフィクションだ。
池田勇人の「所得倍増」に反応したのは、それまでの政府や軍部が唱えた観念的なドグマでなかったことが大きい。分かりやすく何も考える必要がなかっただけである。
日本人の生き方、倫理観がのっぺらぼうになるのは、むしろ核家族化が原因である。
ただ、最近になってITもグローバルスタンダードもリストラも長期低迷を抜け出す方策などではなくて、単に米国の都合によい戦略だとわかって以来、日本人も日本の企業もしゃきっとしてきたような気がする。
日本には独自の文明の流れがあって、一度失ったかに見えたものでも、必要に応じて再び地中から湧きだしてくる。僕はそれを信じたい。
   

 

 

      (6/18/04)

 


新国立劇場

Since Jan. 2003