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「私はだれでしょう」
終戦直後からしばらくのあいだ、NHKラジオでやっていた「尋ね人の時間」の制作者たちの話である。「尋ね人の時間」は、終戦の混乱から消息が分からなくなった人を、ラジオ放送を通じて探すという内容で、聴取率90%にもなった国民的番組である。「昭和18年ごろ満州黒竜江省の○○に住んでいた××さん、隣組で一緒だった△△さんが、お探しています。お心当たりの方は・・・・・・までご連絡ください。」という無機質なナレーションが延々と続くだけの番組であった。僕も実際に聴いたような記憶があるから戦後ずいぶん長くやっていたものと見える。
このところ井上ひさしの新作はほとんど見ているが、すべて終戦前後を舞台にしたものばかりで、ここ数年、井上ひさしの時計はそこで止まっているかのように見える。
「夢の裂け目」(01年5月)「夢の泪」(03年10月)「夢の痂」(06年7月)の「夢の・・・」三部作は、東京裁判にかかわりのあった庶民の話、「連鎖街の人々」(01年12月)「円生と志ん生」(05年2月)は戦中戦後の満州大連が舞台、「箱根強羅ホテル」(05年5月)はスターリンに戦争終結の周旋を依頼しようと画策する外務省の役人とそれを阻止しようとする軍人の駆け引きが主題、とあの時代の世相を背景に、したたかに生きた庶民の姿を描きながら権力批判を加えるという物語である。
昔から、政治的な発言がないわけではない(日本共産党のシンパと見られている)のに、決して現代には近づこうとせず、あの時代に決着を着けなければ前へは進めないとばかり、まるでノックアウトを狙うボクサーのように立ち止まって撃ちあっている。もはや古典になった昭和庶民三部作「きらめく星座」「闇に咲く花」「雪やこんこん」と比べて、物語の面白さや権力批判の切れ味においても成功しているとは言い難いものが多いが、戦後日本の原点がある場所を必死の形相で指し示している姿にはあの世代ならではのこだわりを感じる。
この芝居は、混乱を極めた戦後の社会で、強い使命感をもって番組を作っていたNHKラジオ放送のスタッフとそこに飛び込んできた記憶喪失の男が巻き起こす騒動を面白おかしく描くと同時に、進駐軍の占領政策がここにも首尾一貫していて情報の操作が行われていた事実をあばくというものである。
井上遅筆堂のことだから、初日は開くのかと心配していたが、案の定一週間遅れた。遅れるとせりふがよく入っていなかったり、劇のアンサンブルがすこぶる悪かったりするものだが、今回はそれが少しも感じられなかった。どの部分で筆が滞ったのか不思議である。栗山民也の演出がそれを感じさせなかったのかもしれない。
日本放送協会の脚本班分室長、川北京子(浅野ゆう子)は、元伝説のアナウンサーである。戦前は大物政治家や軍人のインタビューをこなす美声のアナウンサーとして名をはせた。いまは、「尋ね人の時間」の原稿を制作しチェックする責任者として勤務している。部下に、やはりアナウンサーだった山本三枝子(梅沢昌代)と若い脇村圭子(前田亜季)の二人がいる。
内幸町の東京放送会館(現在の日比谷シティ)の建物は、占領軍に接収され、情報関連のオフィスが置かれたために手狭になり、脚本班分室は二階の楽器置き場をベニヤ板で仕切った部屋に入っていた。ここには、ナレーションの原稿に不適切な言葉がないかをチェックしている放送用語調査室主任、佐久間岩雄(大鷹明良)のデスクも置かれていた。また、この部屋には、組合費の徴収のためにやってきて親しくなった従業員組合書記で特攻隊上がりの高梨勝介(北村有起哉)が出入りしている。
川北の上司は占領軍の民間情報教育局情報普及課ラジオ班の将校であるが、今度日系二世のフランク馬場(佐々木藏之介)に交代することになり、脚本班分室のメンバーは彼の来訪を待っていた。現れたのは、日系二世とはいえ日本で暮らしたことがある人物で、話が通じると一同は一安心である。
そうした中、ある日、警備の目をかいくぐって、建物に入った一人の若者が脚本班分室に飛び込んでくる。陸軍戸塚病院に入院中の患者らしいが話を聞いても要領を得ない。どうやら自分が誰なのか分からないといっているらしい。しかし、薄汚れたシャツの胸にはサイパン島○○山田太郎(川平慈英)と書いた布が縫い付けられている。ただし、自分が山田であるという覚えは無い、つまり過去の記憶がないというのである。微かに覚えているのは子供の頃広い庭で婆やと一緒に遊んだことぐらいで、後は自分が誰か分からない、私はだれでしょうというわけだ。
川北は、これに接して戦争時の何らかのショックで記憶を失った人や、戦災孤児で自分が誰か分からないものもいるだろうと気がついて、番組の中に「私はだれでしょう」というコーナーを作ることにした。
その第一号として山田太郎を放送したところすぐに反応があった。山田は身内と名乗る人の元に勇躍出かけていくのだが・・・・・・
ところで名前が縫い付けられていたサイパン島の山田太郎とは復員軍人ということになっている。どういういきさつで陸軍病院に入っていたのかは語られないが、サイパン玉砕の前に島を逃れたものだろう。
サイパンはもともとドイツ領であったが、第一次大戦の後に日本の統治下に入った。主に沖縄からの開拓移民が多く入植し、昭和18年8月の時点で、約三万の日本人(台湾、朝鮮人を含む)が暮らす豊かな島であった。昭和19年6月の米軍侵攻で、多くの一般島民が巻き込まれ、犠牲になったことはバンザイクリフやスーサイトクリフなどニュース映画などで知られている。こうした背景は劇では特に説明されないが、サイパンからの引き揚げ者という比較的珍しい設定に、何か格別の意味を込めていたかもしれない。
一方、フランク馬場は少年時代を過ごした丹沢山の東にある煤が谷に出かけ、炭焼きで栄えた村が戦中の増産に次ぐ増産によって木が採り尽くされてすっかり疲弊しているのを知り、復興援助をしようとしていた。もともと米国籍と日本国籍の両方を持っていたフランク馬場には自分がどちらに所属すべきか、という悩みがあった。馬場にとってもまた、「私はだれでしょう?」だったのである。故郷の村の有り様や戦災孤児の存在を見て馬場は米国籍を捨てようと密かに決心している。
脚本班分室には、決して読まれることのない投書の棚がわけて置かれている。川北圭子にとっても山本三枝子にしても以前から気になっていることだった。それは広島と長崎の原爆に関連する尋ね人の手紙だった。進駐軍は原爆の悲惨さが分かっては、民間情報教育の趣旨から具合が悪いということで、それを封印していた。しかし、川北たちは日本人が困っていることに広島も長崎もない、進駐軍の都合で同胞の期待に応えられないのは理不尽だと、放送することを決意する。
ここにも自分のアイデンティティはどこにあるか、「私はだれでしょう」と自問する人々がいた。フランク馬場に相談すると、始め累は全体に及ぶと考え躊躇するが、川北の熱意に負けて賛成に回る。問題は、上司のサインを取らねばならないことだが、これはあの山田太郎の機転で無事通過することが出来た。
そしてある日、川北京子とフランク馬場に進駐軍の当局から出頭命令が下り、二人は拘束されることになる。
物語は二人がそのまま解放されることなく、また井上戯曲によくある未来を示唆することもなく終わる。それによって、むしろ進駐軍の占領政策が、日本人にとっては良心的でもフェアでもなく、彼らの価値観の押し付けであったことを浮き彫りにした。
私はだれでしょうといって飛び込んでくる山田太郎の行く先は、実はとんでもない偽情報に基づいていたという話は、少し設定に無理があって荒唐無稽に見えた。この男が狂言回しなのだからもっとほんとうらしい仕立てでないと観客は納得がいかないと思う。
それにしても川平慈英は歌って、踊って、タップまでこなす縦横無尽の大活躍だった。実際に二世なのだからフランク馬場の役でもよかったが、それでは煤が谷の話につじつまが合わなくなってしまう。これはこれで、大正解だったかもしれない。こまつ座の芝居に新たな常連役者が出ることになるかどうか?
無理があるといえば、煤が谷のフランク馬場のエピソードにもリアリティを欠くところがある。少年の頃暮らしたとか炭焼きのための植林、村長として期待などというが、僅か数ヶ月の滞在で丹沢の麓の住民が進駐軍の将校に心を許すとも思えない。国籍の選択で悩むということなら他にいくらも考えられただろうに、と思ってしまう。
日本放送協会・東京放送会館の脚本室の場面は、アナウンサーの仮眠室とか地下のシャワーやお風呂あるいは従業員組合などの存在に非常にリアリティがあって、「尋ね人の時間」がこういうところで作られていたという実感がある。
その反面、山田太郎とフランク馬場の話はどこか浮ついていて、全体がよく練り上げられたエピソードという気がしない。所々に、山田太郎がじつは陸軍中野学校出だったとかフランク馬場が接収されていた帝国ホテルのデポから食料をくすねているとか面白い話がないわけではないが、それらが一つにつながって人物像が立ち上がってこないところが非常に大きな欠陥ではないかと感じた。ひょっとしたら、この二人の造形に苦吟していて初日を明けられなかったのかもしれないとかんぐってしまう。
にもかかわらず、まとまった劇として見せることが出来たのは、はじめに書いたように栗山民也の力が大きい。この芝居もまた井上ひさし独特のスタイルの音楽劇であるが、音楽のタイミング(今回はダンスも入った=振り付け、井手茂太)といい、各エピソードの始末の付け方に切れ味があり、安心して見ていられた。
俳優は、達者な役者を揃えていて不満のないところであった。浅野ゆう子は、舞台で見るのは初めてだったが、危なげなくこなしていた。梅沢昌代、大鷹明良については当て書きかもしれないと思うほどだった。北村有起哉は一回り大きくなったように見えた。佐々木藏之介は役柄で、少し損をしたかもしれない。
一番若い前田亜季は、それほど重要な役回りでもなかったが、発声法といい、せりふ回しといい、女優としてすっかりでき上がっていたのにはいささか驚いた。子役と映画の経験があるということだが、舞台でこれほどの表現力を発揮出来るのはなかなかいない。どうも、栗山民也の指導が効いているような気がする。若い時にいい演出家と出会うことが何よりも成長の助けになる。素直さも感じられて筋のいい女優だと思う。活躍を期待している。
それにしても、6時半から9時50分まで休憩を挟んで3時間25分は長い。歌の挿入は切らなくても、山田太郎とフランク馬場のエピソードに切れ味があったらこんなに長く感じなかったはずだ。再演があったら一考を願いたい。
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題名: |
私はだれでしょう |
観劇日: |
07/1/26 |
劇場: |
紀伊国屋サザンシアター |
主催: |
こまつ座 |
期間: |
2007年1月20日〜2月25日 |
作: |
井上ひさし |
演出: |
栗山民也 |
美術: |
石井強司 |
照明: |
服部基 |
衣装: |
前田文子 |
音楽・音響: |
宇野誠一郎 |
出演者: |
佐々木藏之介 川平慈英 浅野ゆう子 |