題名:

薮原検校     

観劇日:

03/7/18    

劇場:

新国立劇場      

主催:

地人会     

期間:

2003年7月11日〜23日   

作:

井上ひさし   

演出:

木村光一  

美術:

朝倉摂     

照明:

古川幸夫   

衣装:

    

音楽・音響:

宇野誠一郎・深川定次     

出演者:

金内喜久夫 嵐広也 松本きょうじ 鈴木慎平 蔵一彦 仲恭司 水村直也 高橋恵子 銀粉蝶 山口杏子 松井茜    
 


「薮原検校」
 

 開幕の口上のさなか、飢饉のため津軽の盲人がおよそ三百人、徒党をなして米どころ秋田に向かうという場面がある。五所川原を発った一行は、鯵ケ沢、深浦と海岸をたどり、峻険な艫作(へなし)崎にさえぎられ、迂回して岩崎へ山越えしようと中山峠にさしかかる。右手に白木の杖、左手で前のものの肩をつかみ、雪の中をこけつまろびつ、盲人達が「・・・雪崩に飲まれりゃ叫喚地獄・・・雪の峠を漕ぎ分けりゃ、着たる浴衣も血で染まる・・・」と合唱しながら峠をよじ登っていく。舞台には白い布(実際には布団の皮の生地らしい)を捩って作った太いロープ、ところどころ血がしみ出たような赤い斑点のある木綿の綱、が縦横に張ってあり、それをまたいで越えていくのである。(美術 朝倉摂)生き残りをかけて進む盲人達のエネルギーが圧巻である。やがて一行の前には秋田領への最後の難所、大鉢流山が屏風のように海岸から626mを突き上げている。足を踏み外せばそのまま海の中である。互いの杖をつかんで数珠つながりにそろりそろりと進んでいく。ここを越えれば一安心と思いつつ秋田藩、最初の村岩館に到着安堵すると、知らせを受けた役人が待ちかまえている。街道へ案内するといって設けた手すりをたどるとそのまま海中へドボン。つぎつぎに海に落ちて、助かるものはなかったという。秋田藩も同様の飢饉、やむなき処置かといいよう哀れを誘う話である。
 今回は、この岩館での話を抜いていた。誰か難癖をつけたのか?
 このプロローグは、薮原検校と直接関係するエピソードではない。しかし、盲人達のと言うよりは人間の生への執着、わずかな希望の飽くなき追求と言ったものを見せて主題に重なる。
それにしても井上ひさしは、いかにもプロローグにふさわしいこの説話を何処から見つけ出したのだろう。津軽の風土記のようなものか?
 それはともかく「ふさわしい」というのは主題として、と言う意味もあるが、僕にとっては「情景」としても、いかにもふさわしいという実感がある。つまり僕はこの鯵ケ沢から岩館に至る海岸線を極めてよく知っていて、盲人達が真冬の道を行く難儀が、あの季節風の指すような冷たさ、海鳴り、感覚がなくなった手足の指、吹きつける雪が顔に当たって溶ける、それらの感覚が身をもって想像できるのである。もちろん井上ひさしはこの道を歩いたはずだ。その目を通して書いているのだから、この街道を知らないものにも十分理解は出来るだろう。しかし、僕にとっては子供のころからキャンプをしたり海水浴に来たり山菜採りをして親しんだところだけに、単に地名としてでなく、映像として目に浮かぶという格別のことであった。
 この芝居を始めて観たのは、2000年4月である。その前年だったか僕は深浦までのドライブの帰り、以前から気になっていた中山峠の道を通ってみることにした。国道101号線は艫作崎の中腹を海岸線に沿ってU字型に付けられているのだが、中山峠道はそれをショートカットする形で岬の付け根から反対側に向かっている。緩やかに蛇行する道を登って行くと、両側から夏草が覆いかぶさってきて何度もサイドミラーをこすった。やがて山が迫ってきて切り通しのようなところをあえぎながらしばらく登って行くと、急に車が楽になる所へでた。中山峠の看板が一枚あるだけで、あっけなくそこを通りすぎた。ところどころアスファルトの間から雑草が芽吹いていた。一台の車にも出会わなかったのは既に廃道になりつつあるのだろう。
 また、別の年の冬のある日艫作崎を回り込む国道を通った。中山峠のある山が左側を遮ってしばらく空以外何も見えないが、不意に視界が開けると、目の前いっぱいに圧倒的な大きさの山塊が迫ってくる。標高1250メートルを超える山々が重畳と連なり、その奥はどんよりと重い灰色の空に消える。深田久弥流に言うと巨大なマッスだ。これが白神山地である。右手は災厄を予感させる険悪な墨色の空の下で、吹雪にかすんだ暗い海が白波を立てて海岸に押し寄せている。眼下のはるか向こう、街道に沿って岩崎の町並みが波から身を守るように、戸を閉ざし身を寄せ合っている。雪は、風に舞いあげられ、時々強くふいて視界を遮った。
 このいっさいの色彩と言うものがはぎ取られた厳冬の自然に、南を目指す盲人達の列が点景として加わった様は、もはや寂寥と言う言葉を超えたものだ。
 そして大鉢流山。岩崎村大間越からしばらく人気のない海岸をたどり県境近くになるとまるで千メールはあるのではないかという高度感を持った山が立ちはだかる。国道は海岸につけられた坂道を一気に二百メートルほど駆け上がって左に曲がり込む。名前の由来も知らず登山道があるかどうか確かめてもいないが、いつか機会があれば頂上から日本海を眺めてみたいと思っている。
 このルートは、ローカル線の旅ベスト5には必ずはいるという五能線沿線である。「薮原検校」を見たからには、このプロローグを思いながら経めぐるのも一興である。是非お奨めしたい。
 さて、物語の本題はこの話から一気に3,4百キロメートル程南東に、つまりなんの関係もなく、仙台郊外築館から始まる。
 魚の行商人七兵衛(松本きょうじ)はこそ泥まがいの悪事を働きながら商売をしているが、ある日峠で出会った座頭を殺し金を奪う。まもなく女房お志保(銀粉蝶)が子を生むが、親の因果が子にたたり、この息子、生まれついての盲である。早く独り立ちさせたようと判断したお志保は、この子が5歳になった年に塩竈座頭琴の市(鈴木慎平)のもとへ奉公に出す。当時座頭は浄瑠璃を語って口銭を頂いていたが、成長したこの子、杉の市(嵐広也)は声がいいと評判で、自分の女房お市(高橋恵子)と出来ているのを承知の上で、子飼いにしていた。いつの頃からか杉の市は、盲人のくらいの最高位である検校になって権力を振るうことを考えていたが、それには700両以上の金が必要だ。ある日佐久間検校に足蹴にされたことがきっかけになり、杉の市は、いよいよ金を奪って江戸へ向かう決心をする。琴の市を殺し、お市を刺して凶状持ちになった杉の市は、手配の薄い阿武隈川を下って水戸街道から江戸にでようとする。松戸に達し矢切の渡しで船を待っていると、一人の侍(仲恭司)が差し込みで苦しんでいる。腹をさすってやろうと手を回すとずっしりと重い財布。杉の市はこれを殺して金を奪い、懐にあった幅広の短刀もついでに手にして江戸日本橋に姿を現す。宿のとなりに刀の研師の店を発見して、奪った短刀の錆を落とそうと見せると研師は驚く。これは日光東照宮の宮司の家に伝わる正宗に間違いないというのだ。しかし、こんな大事なものを座頭がもっているのはおかしい、盗んだものだろうと騒ぎ立てするのに困って、杉の市これを刺し殺して立ち去る。この時代検校は小金を貸して商売にしていたが、杉の市は薮原検校の下にうまく収まり、貸し金の取り立てをやっていた。脅すでもなく、せっつくわけでもなく、何日でも居座って、盲をいじめてはならないと諭すのである。よく金を回収したから検校の信頼も厚く次第に出世していった。そんなある日、殺したはずのお市が江戸に現れ、驚いた杉の市はこれを川に沈めて再び殺す。いよいよ時は熟したと考え、凶状持ちの倉吉(蔵一彦)に検校殺しを持ちかける。杉の市が密かに検校の寝間で待っていると倉吉が現れ手はず通り検校を殺す。杉の市は、分け前をやると見せかけ油断した倉吉を刺し殺して、常まわりの同心に「異変に気づいてやってくると倉吉がいたので夢中になって刺し殺してしまった。」と訴える。これが通って、師匠の仇を討った手柄として、名跡を継ぐことになるのである。ついに検校に上り詰めた杉の市、いや二代目薮原検校は、盲人で学者、文化人である塙保己市(松本きょうじ)と対面するまでになる。盲人の生きる道として学問を選んだ保己市に対して、薮原検校は盲人には金しかないと自説を披歴する。有頂天になっていた薮原検校の前に三度お市が現れ、過去をばらすと脅す。かっとなった検校は懐にあった正宗の短刀でお市を刺すが、これがなぜか抜けない。そうこうしているうちに見物人が集まり、薮原検校はついに御用となるのである。寛政の改革を進めようとしていた松平定信は、この大事件の結末を塙保己市に相談する。保己市は大衆に対する見せしめとして最も残虐な刑を行うべきだと答える。末期の蕎麦を目一杯食べさせ、手足を縛ってつるした胴を切り、次いで首を切り離すと言う極刑である。巨大な薮原検校の像が運ばれてくる。役人が刀を振り落ろすと胴体が分かれ、再び袈裟懸けに切ると首が落ち、その中から蕎麦がぞろぞろ落ちてくると言う趣向で、アラら、と言う感じである。
 盲大夫と言う語り手(金内喜久夫)が上手前に陣取って、場面を説明しながら、時々舞台に出てゆき芝居にストップモーションをかけたりしてちょっかいをだすのが面白く、この陰惨な物語をある意味で軽くしている。ギターを津軽三味線のようにひいて伴奏する奏者(水村直也)までが調子に乗って舞台にのこのこ出ていく場面もある。金内喜久夫は、軽妙におかしく語り手を演じてはまり役である。
 薮原検校は実在したのだそうだ。しかし二代目は井上ひさしの作った完全なフィクションで、これほど凶悪な人物像に仕上げたのは、盲人のものがたりがいくつか参考にされているらしい。それもあるだろうが、この時期の井上ひさしには、「雨」などにも共通する、強い土俗的エロティシズムや嗜虐性、リアリズムの傾向が強く感じられる。無論非常によく出来た物語で、特にプロローグの歌や日本橋の場面、処刑の場面にうたわれるコロスは、地口のようなごろ合わせと反復で構成されているが、その意味は極めて直截に伝わってくる。これが書かれた70年代前半はまだ、政治的な季節の名残があった時代であり、我々もそうだが、胸の中に物事を単純に見ようというものさしがあった。右か左か、悪か善か。そう簡単にいかないかもしれないが、盲人が目明きに伍して、生きていくとすれば悪逆非道の限りをつくすしかない、と言うひっくり返しが説得力を持つ時代だった。壮年の井上のエネルギーが横溢したハードボイルドな作品と言えよう。
 この芝居はエジンバラで評判になった後世界各地を回っている。いくつかの新聞評を読んだが、皆一様に言葉の壁を乗り越えてブラックユーモアとして、エロチックな喜劇として楽しむことが出来たと書いている。「リチャード三世」やオイディプス、アーサー王伝説などを持ち出して論ずるものはあったが、この東洋の辺境の国に二百年も前から「盲人」が生きていける「盲人」独自の社会参加システムが存在していたことに言及するものは皆無のようだった。
我が国は、既にこの時代から福祉という思想を実行していた。その装置の中にヒエラルキーを作り出したのも運営する知恵の一つであろう。こういう構造が背景にあって、盲人の世界、目明きの世界が交差するところにおかしみが生じ、悪剌なアンチヒーローに喜劇性を感じさせることが出来たのだ。しかし、序列社会の弊害とか弱者いじめの復讐などという言葉で否定的に捉えるのが西洋流である。この芝居には明らかに福祉の側面を表現する場面が多数あった。文化の違いとはこんなものだ。
 さて、今回は、高橋恵子のお市、銀粉蝶のお志保、松本きょうじ、蔵一彦が入れ替わって登場した。この芝居は歌や踊りが多くアンサンブルが大事だが十分な稽古を積んでいるようで、申し分がなかった。ただ、高橋恵子だけは、きれいにしすぎていてやや違和感があった。

 それにしても、力感あふれた舞台で、今回は次第に古典としての地位を確保してきたという実感があった。                           (2003/8/4)








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