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「薮原検校」

「なにも引かない。なにも足さない。」とは広告文句だが、もう一つおまけに何もしない演出だった。戯曲をひたすら忠実に舞台に上げて見せる段取り仕事、それが精いっぱいであった。蜷川幸雄にはこの戯曲は所詮無理だったのだ。シェイクスピアならあれだけ自信満々に自分の世界を作り上げられるのに、チェーホフとかこの芝居のようにからきしダメなものがあるというのも実に変な演出家である。ジャン・アヌイの「ひばり」(2007年2月シアターコクーン)はかろうじて戯曲をばか丁寧に再現、何もしなかったことが逆に功を奏していい結果を生んだが、あれだって、他の演出家なら実存主義の思潮を背景に神学論争を強調するとか人間賛歌を歌い上げるとかもっと工夫があったはずだ。(浅利慶太のは見てないが・・・彼はアヌイの思想を鮮明に表現した筈)始めからこんなことを書くのは気が引けるけれど、終って見れば木村光一のすごさがかえって際立つという印象だけが残った。(http://www3.zero.ad.jp/ryunakamura/comment/yabuhara.html 参照)

この芝居は、現代にいる盲大夫(壤 晴彦)が江戸時代に生きた二代目薮原検校(古田新太)の悪業の数々にまみれた一代記を講釈師あるいは浄瑠璃語りのように観衆に語って聞かせるという趣向である。いわば再現フィルムを見させられているようなもので、「話はこうでありました」という具合に芝居は進行するのである。つまり盲大夫の語りの通りに登場人物が浄瑠璃人形のように動く手はずなのだが、語りだから強調するところもあれば省略もある。この狂言回しの盲大夫を指揮者のようにうまく使って劇を盛り上げたり転換したりするのが普通のやり方だと思うが、プロローグで口上を言ったら、あと舞台上手手前に座ったきり動こうともしない。これではただの説明役で、話を語って進行させる役としては不満が残る。能狂言の心得もある壌晴彦のことだから、朗々たる語りは結構だが、のどを絞って凄みを利かせようとするところなどかへって、説明役と舞台との距離を遠くした。とはいってもまあ、これで不都合があるかといえば、作者の井上ひさしも不満のあろうはずもない。

しかし、木村光一演出を見てしまってからこれでは、なんだい、なにも工夫はないのかい、といいたくもなる。木村は盲大夫を軽い口語調の説明役兼劇の進行役として位置づけて、ト書きの中にないが、盲大夫に時によっては劇の中に割って入って芝居を止めたり、はやし立てたり、頭をどやしたりさせて、ときどき芝居が劇中劇の構造になっているという注意を喚起した。運命に翻弄されつつも欲望のままに生きた殺人鬼の話を一種のひっくり返した滑稽譚として捉え、ブラックユーモアの劇世界を描こうとしたのであった。

これに対して蜷川演出は盲が目明き(つまりは観客も含めて)にすごんで見せるという対決姿勢がはっきりしていて、盲大夫もまた観客と対峙しているべきとの解釈だったのであろう。劇の捉え方が決定的に違っていたといえる。これは芝居のポスターにも端的に現れていて、盲人がしかめ面をしてこちらに、ということは目明きの社会に挑戦的な視線を送っているのを見ると、社会的弱者が権力に立ち向かっているというところに劇の基本的な骨格があると見てとれる。庶民の味方、井上ひさしのことだから、そういうテーマ性を認めることは出来る。劇中、塙保己一(段田安則)のせりふの中で「盲人がはい上がろうとすれば必ず邪魔がはいる。健常者は盲人を一段下に置いておきたいのだ」という意味のことをいわせている。そして権力対民衆(社会的弱者も含む)の構図は、最後に寛政の改革の松平定信(松田洋治)を登場させることによってあらわになるという仕掛けになっている。蜷川はおそらくそのような劇として描こうとしたのであろう。

ところが、この劇に現れた暴力性とか限りなく「悪」を求める嗜好性、残酷で無秩序、原始的な土俗性やエロティシズムへの傾斜、それらの裏にはなにかどす黒い「破壊への衝動」、制御出来ない暴力性が潜んでいるようで、それは権力対民衆などという理屈を遥かに越えて、劇の中核に居座っているように見える。この「悪」への傾斜は同じ時期に書かれた「雨」にも感じるのであるが、この時井上ひさしが取り組んでいたのは、人間の中の「悪」や「欲望」「暴力衝動」というテーマではなかったかと思う。少し書きすぎるのを承知でいうのだが「肋骨と左の鎖骨にひびが入り、鼓膜は破れ、全身打撲。顔はぶよぶよのゴムまりのよう。耳と鼻から血が吹き出て…」と夫のDVについて書いたのは元妻西館好子であるが、作家の心の底にこうした物語を書かせる何らかの動因があったのだろうというのは考え過ぎだろうか。木村光一がそれを意識していたかどうかは知らないが、彼は井上ひさしが格闘していたこの奇っ怪なもの、「人間」を真ん中に据えて劇を作ろうとしたのだ。しかも、「人間」この底抜けに真面目で滑稽な生き物、として。

明かりが落ちると、ピーッと按摩の笛が鳴り響き、暗闇を裂くように一条の光が舞台中央に差し込まれ、その光の輪の中に五尺一寸の白木の杖をつきながらそろそろと盲大夫が現れる。プロローグでは、盲大夫の口から江戸時代の盲人の定法と飢饉の時の悲惨が語られる。盲人の定法とは、娯楽の少ない時代、各地域を尋ねた盲人が奥浄瑠璃三段を語って聴かせ、かわりに宿を借りて朝飯を腹いっぱい食わしてもらうというものである。普段はそれでもかまわないが、飢饉の時は誰でも敬遠したい。盲人とて生きていかねばならないから、他に手だてがある筈もなくあっちだこっちだと訪ね歩くうちに沼にはまってなくなるものも数知れず。これは邪魔にしたあなた方目明きの仕業に違いないと盲大夫は嘆息して見せる。

この部分の圧巻は津軽の盲人三百人が、このままでは飢え死にすると、米どころ秋田藩を目指して移動する話である。五所川原に集結した一行は、鯵ケ沢を過ぎ深浦から中山峠にさしかかる。盲人の列が、雪が舞い木枯らしの吹く峠を上って、こけつまろびつ岩崎村を目指す様子が唄とともに描かれる。舞台には縦横に数本の麻を撚った太いロープが床上一尺ほどの高さに張られており、それが障害物になって盲人が引っ掛かりコケながら越えていくという場面である。登場人物のうち六人がこれに当てられることになるが、この劇ではここがなんとも気の抜けた場面になっていて、盲人の身振りにリアリティがなく気障りであった。盲人は白木の棒で足下を探りながらそろそろと各自てんでに進むのだが、棒立ちのものや目を開いているものもいて、とても死んでたまるかと異国を目指す数百人からの集団の生への執着、生きようとするエネルギーなど感じることができない。これを木村演出はどうしたかといえば、まずロープを二尺ばかりの高さに引き上げている。ロープの素材は美術の朝倉摂が考案したのだが、古い敷布団の布を裂いて撚った独特の風合いのものであった。そして舞台を暗くして雪を吹き上げ、冬の日本海の咆哮を背後に盲人たちが歌いながら進むところを薄暗いサスペンションで照らし出すのである。盲人たちは腰をかがめ「左手を前のものの肩において」、身体全体を左右にゆすり声を上げながら、ロープを越えて闇に消え再び闇から現れるのである。たった六人の俳優で襲いかかる自然の猛威などものともしない集団の力強さをものの見事に表現したのである。

こういう表現をしようと思ったらシアターコクーンの舞台は広すぎる。狭く使うことはいくらでも出来た筈だが、今回も蜷川の空間恐怖症とも言うべき癖がでてしまって、あの広い舞台の三方を三尺×六尺の戸板を何十枚も張り巡らして天井まで囲ってしまった。これでは狭く使うことはあきらめねばならない。それに何故戸板なのか?何故囲ったのか?はいくら考えてもわからない。「四谷怪談」の宅悦の幽霊が戸板に張り付けられて現れるのを僅かに思いだすが、関連性はなにもない。一体、中越司は何を考えていたのだろう。

それはさておき、プロローグではこの後、盲人たちの群れが秋田藩への最大の難所、白神山地が日本海にキレ落ちる大鉢流山の崖を越えて秋田領須郷崎にさしかかり、あらかじめ海へ誘うように仕掛けられていた綱をたどると、次から次盲人たちが海中へ投げ出され助かるものはいなかったという。哀れをさそう話ではあるが、額に汗して働くものだけが生きる権利があるとされていた時代に致し方ないといえるのか?それに対抗するように、盲人だろうと何だろうと人間は生きていれば誰にも生きる権利はあるという証を示すようにして、精いっぱい生きぬいたのが薮原検校だったのではないかとプロローグは締めくくられている。

塩釜の魚売り七兵衛(段田安則)は行商しながらこそ泥を働くという小悪党であったが、不器量で気立てのいい女房お志保(梅沢昌代)と一緒になったのをきっかけに改心した。ところが子供が生まれるという段になって小金が欲しくなり、峠で出会った座頭を殺して金を奪う。生まれて半年も経った頃、子供の目が見えないことに気付くと、盲を殺して盲を作ったと七兵衛は絶望する。お志保はどうせ盲人の社会で生きていかねばならないのなら早い方がいいと、五歳の時に塩釜座頭の琴の市(山本龍二)のところへ預けることに。ここで杉の市(古田新太)という名前を与えられる。子供のころから手癖が悪く、手も早い。十三の歳で女を知り、やがて琴の市の女房お市(田中裕子)と出来てしまう。

この芝居は、浄瑠璃やら講釈、歌舞伎の声色に語呂合わせの唄やら長い早物語=奥浄瑠璃のパロディ、卑猥な地口、など土俗的な唄や言葉遊びをふんだんに使っていて井上ひさしの日本古典芸能総覧のような様相を呈している。しかも、猥雑さと暴力への傾斜という意味では他に類を見ないほどだ。この杉の市とお市がまぐわう場面はむろん本にあるが、この芝居の演出は少し真面目に考えすぎている。土俗的な生の饗宴としてシンボライズして見せるべきところを、蜷川は出来るだけリアルにと思ったのであろう。むき出しの女の足を男が両手で抱えて引っ張るなど強姦まがいのしぐさまで見せる必要はなかった筈だ。しかも本にある通りしつこく長くやり過ぎて、ついにはエロティシズムとはどういうものかに関して不見識であることを暴露した。この時の田中裕子がすっかり白けた顔に見えたのはかえって幸いだったといえる。

立川談志が淡谷のり子に「先生、近頃セックスはどうですか?」ときいたら、あのブルースの女王は津軽訛りでこう応えたそうだ。「あれは、格好悪くてね。」

そう、格好悪いところはあまり見せない方がいい。なにしろ格好が悪いのだから。しかし、格好悪く見せない方法だってあるのに蜷川先生は妙なところでリアルこだわったのである。いかんなあ。不愉快になった観客は多いとふんだが、どうか?

こういう杉の市の所業を知っていながら、何故琴の市が追い出しもせず飼っていたかといえば、それはことのほか声の器量が良かったのである。特に早物語の評判が良く、どこへいってもせがまれた。これは奥浄瑠璃の真面目な話に対してパロディになっているものだ。これを杉の市が実際にやって見せる。「そもそも源平合戦壇の浦の戦い・・・」と始まるこの七五調の物語は184行にもおよぶ長尺で、師匠琴の市がやった「牛若東下り」の段の丁度もじりになっているというわけである。これを古田新太は延々読み上げるのであるが、覚えた古田の努力もたいしたもの、といってもサ行にすこぶる付きの難がある古田の発音を我慢して聞いた観客の努力も評価してもらいたい。木村演出ではもっと面白かったように思ったが・・・。

 さて、ある日琴の市と一緒のところを盲人の世界では上座の佐久間検校(六平直政)に難癖をつけられ、佐久間検校の結解(けっけ=目明きの秘書))(松田洋治)刺し殺してしまう。逃げる前に母親に別れを告げようと寄ったところ、誤って情夫と母親を殺してしまう。琴の市のもとへ戻ってお市とともに江戸に逃亡しようとしたが師匠に見つかり、杉の市はこれを刺し、お市は夫に刺されてあえなくなる。杉の市は師匠の金を奪い、検校の地位に登り詰めるべく江戸に向かって常磐道をひたすら歩く。何事もなく松戸の渡しまでやってくると、腹痛で苦しむ老人の侍に出会い、介抱すると見せかけて腹をさするとずっしりと重い財布の気配。弱っているのを幸いに侍を刺し殺し、幅広の小刀一振りと金を奪って・・・次に杉の市が現れたのは日本橋である。奪った小刀に錆が浮いていたので研屋(山本龍二)に出すと、これは正真正銘の正宗、日光東照宮の宮司の家に伝わる名刀だというのである。「お前さん、まさかこの刀を盗んだわけじゃ・・・」の言葉も終らぬうちに杉の市は研屋を殺していた。

 杉の市は今や殺しの数々が露見するのを恐れて酉の市と名前を変えている。江戸で評判の高い盲人の学者である塙保己一に、酉の市と名乗って弟子入りしようとするが、万事金次第と決めつける杉の市と江戸時代切っての教養人の考えは合う筈もない。杉の市は金貸しをしていた薮原検校のもとに弟子入りし、貸し金の取り立てで頭角を現すことになる。頃や今と見計らって凶状持ちの倉吉(六平直政)と共謀し、主人薮原検校を殺してその地位を奪おうとする。倉吉には一生面倒を見てやるといって検校の寝間に導き、寝首をかかせると、次に倉吉を刺してなんなく二代目薮原検校を名乗ることになる。この頃から、息を吹き返して江戸にやってきたお市が女郎に身をやつして杉の市につきまとうようになっていた。過去を知っているお市を消そうと大川に投げ込んだが、運良く三人組の男に助けられ・・・。吉原の揚屋町を貸し切りにして行われた二代目薮原検校襲名披露も終わり、意気揚々と夜の街を歩いていたら、殺した筈のお市が現れる。夢中になって例の正宗の小刀で突き刺すが、お市もこれにしがみついて放さない。必死に抜こうと思ってもがいているうちに騒ぎを聞きつけた近所のものが集まって来て・・・。

ここで寛政の改革を推進しなければならない松平定信は、塙保己一を呼んで、田沼意次によって緩みに緩んだ政治をただすために何をすべきかを相談する。保己一は、浪費、怠惰、出鱈目、悪辣さ、醜さ、汚さを罰することが肝要と応える。しかし、それは単なる言葉ではないかという反論に、庶民は年に一遍は祝祭として、それが許される、その祭りを一身で体現している具体的な人物がいるという。しかもその祭りのような男は、盲でありかたわもので、うさんくさく気味が悪い。そう、その薮原検校を罰することが庶民に対する効果的な見せしめになるだろうというのだ。かくて薮原検校はもっとも残虐な方法によって処刑されることになるのである。

ここで庶民と権力の構図から祝祭とは何かを読み取ることはできるが、しかし、観客の興味はすでにそこにはない。薮原検校が捕まったところで「我らの祭り」はすでに終っていたのだ。彼がどんなに残虐な方法で処刑されようと、それは「あとの祭り」なのである。そういう意味では、このエピローグをあくまでもリアルに表現しようとした蜷川演出よりも、大きな地蔵像のような張り子を作って最後を飾った木村光一の舞台のほうに説得力があると感じた。この終わりだけでなく、芝居全体にいえると思ったが、演出家が、必死で作家の書こうとしたことを追いかけて、かろうじて息切れを起こさなかったという、余裕の無さが図らずも露呈した舞台ではなかったか?

古田新太は、先にも書いたがサ行の発音にしまりが無く、終いまで極めて聞きづらかった。基本からやり直したほうがいい。それから薮原検校に、頭脳のスマートさはあっても、あのずぶとさは必要ない。
秀逸だったのは段田安則である。何役もこなしたが、それぞれの役にメリハリをつけて落ち着いた芝居には安定感があった。特に、塙保己一役は声がよく通って説得力があった。
どうしたことか景山仁美、梅沢昌代ら女優陣に元気がなく、中でも田中裕子はあまり気合いがはいっていないように見受けられた。
音楽に宇崎竜童を起用したのは間違いだった。彼に「YOKOHAMA」的なものは備わっていたとしても、土俗的な世界からもっとも遠いところにいる。

蜷川幸雄と井上ひさしはもっとも合わない存在だと思っていたら、このあいだ初めて「天保元年のシェイクスピア」をやって成功したらしい。シェイクスピアだったから良かったのかは、見ていないので何ともいえないが、この芝居を見た限り、やはり「合わない」というのは当たっている気がした。こんな無理をしなくてもよさそうなものだが、井上ひさしも興行的にもっと成功したいと思っているのかなあ。

 

 

 

   

                           

題名:

薮原検校

観劇日:

07/5/11 

劇場:

シアターコクーン

主催:

シアターコクーン

期間:

2007年5月8日〜31日

作:

井上ひさし

演出:

蜷川幸雄

美術:

中越 司

照明:

原田 保

衣装:

前田文子

音楽・音響:

音楽:宇崎竜童 音響:井上正弘

出演者:

古田新太 田中裕子 段田安則 六平直政梅沢昌代 山本龍二 神保共子 松田洋治景山仁美 壤 晴彦

 

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