「焼き肉ドラゴン」新国立劇場2007/2008シーズンはこの「焼き肉ドラゴン」初演を除いて8本すべて見た。どうしてこれが抜けてしまったのか・・・
後でいろいろな演劇賞を取ったことを知って「しまった」と思っていたが、再演されて今回めでたく見ることができた。
構成のうまさはさすがにたいした手練れである。
さりながら、先に印象を書いておくと、期待した割には、存外薄味に仕上がっており、これがどうしてそんなに賞を取ったのか正直のところ理解に苦しんだ。
一言で言えば、「在日」の問題はいろいろと詰め込んであるが、その本質にある「差別」に対する「批評」はなく、アボジもオモニも自分たちの境遇は宿命だったと受け入れるあたりはあまりにも安易できれい事である。それでは、ただ運命に翻弄された一家の物語、しかも貧しさからようやく抜け出そうとしている時期の(つまりは四十年も前の)日本の一般的な家族とどれほどの違いがあるか、結局のところ姉妹の恋愛模様だけが目立ってこの一家が在日である必要があったかどうかすら疑問であるということだ。作家の意図がそこにないというなら、時代設定に誤りがある。
この点についてはむろん後に詳しく述べる。昭和四十年代初めと言えば高度成長の真っ盛りで、四十五年(1970年)にはその総決算とも言うべき大阪万博があった。
物語は、その頃の関西の空港そばにあるコリアンタウンでホルモン焼き屋を営む在日コリア一家の話である。父親の金龍吉(申 哲振)は56才、オモニ高英順(高秀喜)が42才、二人は再婚同志。どちらも済州島出身である。娘のうち上の二人、静花(粟田麗)35才と梨花(占部房子)33才は父親の連れ子、三女の美花(朱仁英)25才は母親の連れ子、中学生で長男の時生(若松力)は二人の間にできた子である。
キャスティングを見るとおり、これは日本と韓国の俳優の混合で演じられている。新国立劇場とソウルー芸術の殿堂(韓国の国立劇場)とのコラボレーションなのだそうで、初演はソウルでも好評だったという。韓国語の台詞は両袖に字幕が出る。舞台中央に「焼き肉ホルモン」の看板を掲げた店のたたき、粗末なテーブルと椅子が二組ほどならんでいる。奥にカウンターと厨房、トイレのドア、上手は畳敷きの小あがりに焼き肉用のテーブルが数卓、壁に「・・・結婚おめでとう」の文字が見える。下手には奥に少し上っていく路地を挟んで物置のような小屋が建っていて、その屋根には梯子がかけられている。手前に三尺ほどの高さに水道の蛇口が突っ立っている共同の水場、塀にはリヤカーが立てかけられ、たらいだのバケツだのなにやら雑然と置かれている。
島次郎の装置は、安食堂の人間くさい賑わいはあるが、どこか寄せ集めの材料でにわか作りしたようないかにもバラック然として恐ろしくリアルである。それは、最後に解体されるときに「空虚」で「根無し草」という思いが一層強く伝わるように初めから計算されているようであった。客入れから、小あがりにはアコーデオン弾き(朴勝哲)と太鼓ーチャンゴをたたく男(山田貴之)が賑やかに時の流行歌を演奏をしていて、その前では常連客の呉信吉(佐藤誓)と親戚で韓国からやってきた呉日白(金文植)が焼き肉を食べながら小皿をたたいて合いの手を入れている。どうやら呉日白は腹をこわしていると見えて、しきりにトイレと行ったり来たりする。
やがて、二女の梨花とその結婚相手の清本(李)哲男(千葉哲也)40才が飛び込んできて物語は始まる。
二人は大声でののしりあっている。結婚を祝う席が設けられているというのに喧嘩である。今日二人は婚姻届を出すために役所に行ったのだ。窓口で何かトラブルになって、哲男が怒り出したために届けを出さずに帰ってきたというのである。
哲男は、炭鉱ではたらいていたが閉山になったあと空港の工事でこの街へやってきた。大学出の「インテリ」が邪魔をして仕事を選んでいるから就職口が見つからないと梨花はなじるが、この当時まだ差別は残っていたから哲男の憤懣は理由のあることだ。哲男は、仕事探しもろくにしないで朝から酒を飲んでぐうたらしているために、梨花はヒステリックになじり、そのたびに大げんかになる。
次第に二人の間には秋風が立っていくようであった。長女の静花は、右足の膝が伸びたままで足を引きずっている。この足のせいで、結婚をあきらめているのであるが、実はかつて哲男と恋仲のようであった。足の怪我に哲男が関係している。
店の仕事を淡々とこなしている静花の様子をみて、韓国から出稼ぎに来たという客の尹大樹(朴師泳)が惚れる。自分のようなものに心をよせてくれる者がいるのかと静花もその思いに答えようとするが、それに気づいた哲男が俄に邪魔立てするようになる。心は梨花のもとを離れたようだ。一方、二女梨花もまたぐうたらな哲男に愛想づかしをしそうになっているところへ若くてまじめな呉日白が目の前に登場、ある雨の日に二人は関係してしまう。
三女の美花は歌手志望で、近所のクラブで歌っている。その店の支配人長谷川豊(笑福亭銀瓶)が何くれと応援してくれているのに全幅の信頼を置いていて、実は互いに惚れ合っているようだ。
中学生の時生は、私立の名門に通っている。父親の金龍吉が、これからは学歴がなければよい暮らしは望めないとして、金のかかる進学校にあえて入れたのである。ところが、時生は激しいいじめにあって学校を休みがちになり、物置小屋の屋根で一人物思いにふける日々が続いていた。このままでは中学留年になるおそれがあった。
転校させた方がいいと言う姉たちの意見を父親は頑として聞き入れない。時生ははっきり言わないが、自分の気持ちと板挟みになって次第に追い詰められていくようだった。静花を失いそうだと感じた哲男が激しく迫ると、次第に静花も哲男の方を向くようになる。哲男の気持ちは完全に梨花を離れて静花に向かった。客の尹大樹が取り残されて右往左往するが、韓国を食い詰めてやってきたと言う負い目もあり、いまいち強引にはなれない。静花と哲男の関係が昨日や今日に始まったわけではないことを知らないのだ。
ある日突然、一風変わった和服の女が現れる。実は、三女の美花の相手であるクラブの支配人、長谷川の妻(水野あや)で歌手であった。一家は騒然となるが、これは長谷川が美花を選んで一件落着となる。
この店は国有地の不法占拠だからと立ち退きを要求されてきたのだが、居座りもそろそろ限界に達していた。近所に空き地が目立つようになっていたのだ。世の中は、大阪万博が始まって「こんにちは、こんにちは、世界の国から・・・」と賑やかである。そんな中、いよいよ強制代執行の日を迎える。
国有地と言うが、自分は「佐藤さんに金を払って買ったのだ。」と金龍𠮷は主張する。 彼は隻腕であった それを国が取り上げるというなら戦争で失った片腕をかえしてもらいたいと役人に迫る。しかし、それもまたむなしい。夫妻は自分たちを襲った不幸は運命だった、それが宿命だったのかも知れないと天を仰いでつぶやく。
万博の騒音が聞こえるなか、取り壊されて骨組みだけになった店に一家が集まり、静花と哲男は北朝鮮に、梨花は呉日白の故郷韓国で子を産み暮らすために、大きなお腹を抱えた美花と長谷川はスナックの新居へ、そして金龍吉とオモニはどこか他の街で焼き肉屋をやるために、それぞれが旅立とうとしている。
そして、皆が立ち去り最後に残った夫婦の上にさくらの花びらが降りしきり・・・どんどん降りしきる。しばらくあって金龍吉が妻を乗せて引くリヤカーが舞台奥に消えて溶暗。最後は、観客の胸の中に「こんな時期に北朝鮮に行くなんて」とか「韓国に嫁に行って、うまくいくのか」とか「でも、まもなく孫の顔が見られるのだねえ」とか「また一から出直しとは、大変だ」とか「戦争やら差別やら、いろいろあった人生だね」とか「だけどみんな生きていかなくちゃ」とか様々の感慨がわき上がったのであろう。そちこちからすすり上げる音が聞こえた。
さくらの花びらは降り続け、涙を払う気配も続き、そういう感慨たちも(社会学者、見田宗介みたいな口調になってしまった)あらかた出尽くしたと思われる長い時が過ぎてもなお、さくら吹雪はやまず、こんなに花を付けたさくらの木は一体どんな大きさだろうという、だんだん意地悪な気分に代わろうとする矢先に、歌舞伎の六方でも踏むような決心でリヤカーが去っていくのである。随分と芝居がかった、演歌がかった(むろん演歌ではなかったが胸を揺するストリングスの演奏が続いた)終幕だと感心してしまったが、いやあ、これは観客が流した涙の乾く間を待ってくれていたのだと、ようやく合点がいくのであった。
いろいろあったけど、何しろ日韓合同公演のことだから、在日も韓国人も日本人も「仲良きことは美しきかな」あまり互いに文句をいいあってもしょうがない。最後はさくら吹雪できれいに決めて見せたと言う感があった。
映画「月はどっちに出ている」(原作、梁石日、脚本、崔洋一、鄭義信)があるから彼にしてはずいぶんとウエットな芝居を書いたものだと思ったが、これはどうも差別ということよりも憧憬であった。つまり有り体に言ってしまえばこの劇は、鄭義信にとっての「三丁目の夕日」なのである。
「三丁目・・・」が昭和三十年代であったのに対して、それから十年後、彼がちょうど十代に達したあたりに大阪万博があり、その時代が彼の原風景なのだ。「みんな貧乏で差別もあり苦労もしたけど、あのころ家族は一つだったね。なつかしいね。」といっているのである。みんながあそこにはもう戻れないことを分かっているから過ぎ去りし日々への愛おしさのあまり、涙したといってもよい。感動の拍手が鳴り止まずスタンディングオベーションこそなかったが、三度もカーテンコールがあったのはまことに結構なことであった。おそらく、この感動が演劇賞を授賞する要因だったことは確かで、あえてそれに異を唱えるつもりはない。
感動というのは、人間の業のような(やっかいな)ものと言ったのは呉智英だが、ある条件が整えば理屈や立場や道理やら何もかも超えて現れるものだから、ついでに言えばこれは国際的な合同作業と言うことでもあり、つられて「絶賛」と言うことはありうることなのだ。しかし、僕としては最初に「期待した割には薄味であった」と書いたとおり、演劇賞をとるにはいまひとつ塩味が効いていないのではないかと思った。
この芝居は、コリアンタウンの焼き肉店一家という背景はあるが、構成のほとんどを占めているのは三姉妹の恋愛と結婚である。しかも、その人間模様には日本人も在日も韓国人も登場するが、その間の差別も摩擦も諍いも実にあっけらかんと存在しない。あえて言えば、在日と差別を投影しているのは、哲男の婚姻届と就職のこと、それに時生のいじめの問題に垣間見えるが、それは必ずしも十分に描かれているとは言い難い。
おそらく、哲男の不満を細かく追求していけば具体的な差別の問題に突き当たっていたであろう。また、時生のいじめも顔に殴られたあざをつくるほどだから、よほど激しいものと想像できるが、では誰に、どのような理由で暴力を受けていたのか?それを具体的に説明すれば、明らかに在日と日本人の対立が浮き彫りにされる。しかし、それを描けば双方に傷がつくのだ。
つまり、そこをあえて避けた節がある。
したがって、哲男がただのぐうたらなのか、あるいは世間からいわれのない就職差別をうけるなどあの憤怒の理由がわからないから、哲男の行動にリアリティがなくなる。同じように、時生が殴られていると言う現象だけみたら、ただのいじめか喧嘩だが、それ以上に精神的に追い詰められていった理由を描かなければ、これもまた彼の行動が著しくリアリティを欠くのである。
そこは察してくれと言うのでは、在日という背景はかえって邪魔であった。70年当時中学生だった鄭義信の十年ほど年長である僕らは、まだ学生だった。母親が日本人で韓国籍だった友人は、多少の逡巡はありながら在学中に日本国籍を取得した。公務員の道は閉ざされていたし、一般企業も色目使いで見たという時代であった。
また、結婚相手が在日である場合大概の親がそれを問題にした。今のように、在日の結婚相手の90%は日本人という時代ではなかった。だから三女の美花と長谷川の再婚をめぐって、その問題に一言も触れないのはおかしいといえる。この時代、僕らと同じ年代で熊本に生まれ育った永野鉄男は、早稲田で二十歳を迎えている。永野は自分のアイデンティティをめぐる深刻な問題に突き当たった。国籍名である姜尚中(カンサンチュン)を名乗るべきかどうか、差別と偏見と闘いうるかどうかに懊悩した。同じように大阪で生まれ、早稲田にいて竹田靑嗣というペンネームで論文を発表していた姜修次は、いつ自分が在日であることを公表しようか悩んでいる。
青春に、普通であれば考える必要もない国籍という悩みが加わり、就職にしても結婚にしても人生で最も大切な選択に重大な制約が加えられる過酷な青春だったのである。この劇にはさらに、出稼ぎにやってきた韓国人が登場する。彼らについて十分な説明がないために、その生活ぶりや思想信条を想像することはできなかった。韓国は当時はまだ、軍事政権下で言論統制はあったのうえに、何よりも対日蔑視の思想教育は徹底していた。「日猿」ということばがかなり昔から存在していたことを日本人は知らないが、ついこの間サッカー韓国チームの一員が、日本代表から一点をもぎ取った際、猿面を作って見せたことに韓国国内のネット上でブーイングが起きた。あれは、日本人に対して失礼だったというわけである。
今だからこそ、韓国のネット社会でそういうことができるが、韓国はほんの十年前までは出版物をはじめ日本文化の輸入は一切禁じていた国である。
劇の中の韓国人が、当時そういう国からやってきたにもかかわらず、日本と在日という存在に一言もないというのでは、何のためにわざわざ登場させたのか理解できないのである。この芝居は、こうした70年当時の在日の状況を正しく写し取っていない。
在日という生き方が存在したのは日本社会の偏見との相対関係においてである。むろんその根のところには歴史的な原因といきさつがある。そのどっしりと重い時間の厚み、文明批評とも言うべき視点を欠いているために、この物語が在日と日本人と韓国人の表面的な「仲良きことは美しきかな」というただの薄っぺらな人情劇になってしまったのである。そのことには理由がある。
この劇は、現在から40年という時間のフィルターを通して過去をのぞき込んでいる。それが一種の懐かしさ、憧憬として見えることはしかたがないが、その見え方にも現在というバイアスがかかっている。
その現在とは何かと言えば、空前とも言うべき韓流ブームである。
僕は正直に言って生きているうちにこういう時代が来るとは思っていなかった。朝鮮半島の人々の日本人に対する憎しみがなくなっているのかどうかわからないままに、いわば日本人の勝手な一方的な思い入れで、「ヨン様ブーム」が起きていることに、とても違和感があった。
2002年のサッカーワールドカップの日韓共同開催は、組織委員会内部の政治的な事情で無理矢理演出されたものであった(日本が誘致に先行していた)にもかかわらず、見かけだけはまさに「共同」であった。世界から見れば極東の辺境にある隣国同志だから一緒でいいではないかと言うことだろうが、サッカー国際連盟などそのぐらいの教養程度なのである。
「冬のソナタ」はその翌年であった。それからあれよあれよという間に日韓は「仲良く」なった。
演劇の世界でも、ワールドカップを言祝ぐように、同じ年新国立劇場が日韓合同公演として「その河を越えて、五月」(平田オリザ、金明和作)を上演した。この公演は両国で上演され評判がよかったために2005年、本を多少手直しして再演された。これ以上あれこれ例を上げることは止めるが、僕の印象ではこの十年、おそらく二つの国の間で余計なコンフリクトは避けようという機運が高まり、様々な局面で露骨に相手を非難することはなくなったように見える。
この芝居もそうだが、「その河・・・」も韓国については、過去はないものとして当たり障りのない両国の現在を紹介するにとどまった。
こうした態度の発端は、90年代初頭に起きた「従軍慰安婦」問題である。日本軍によって強制的に慰安婦として徴用されたことを告白し、日本政府に謝罪と補償を求める韓国人女性が現れたのであったが、事実がどうであったのかわからないままに、民間人が寄付を集めてさっさと金で解決した事件であった。多くの識者が、軍(すなわち国家)が直接徴用したり管理する慰安婦なる存在はなかったはずといって、事実を追求しようとすると、それ自身が非難されるという異常事態が起きたのだ。どうもあれ以来、韓国との間の問題は、まるで腫れ物に触るような扱いになってしまった。政治家は、植民地支配を誤りだったとして謝罪を何度も繰り返してきたが、これもまた腫れ物に触る態度と同じことである。政治家の態度はそれでいい。しかし、過去をリセットするわけにはいかないし、人間の感情は、謝ればそれでちゃらになるというものでもない。
そのようにして到達した現在という無理なストレスがかかったレンズを通して40年前の過去を覗いているというのが、この芝居の視点なのである。なぜお前は、そのようにして両国の関係改善に水を差すのかと言うむきもあろうと思うが、それは現実の両国の理解が、本音のところでは実はほとんどなにも進行していないからだ。
それというのも、ネット社会における言論を見れば、過去の差別を実際に知らない若者ですら偏見に満ちた攻撃を在日、韓国人に向けているという実態があるということだ。それは一部に過ぎないといえるレベルにはない。「仲良きことは美しきかな」が希望的な観念に過ぎないのと同等程度には高いレベルにあると言っていい。
こういう現実を見据えないまま、表面だけを取り繕っても、反日の政権が誕生するたびに煮え湯を飲まされることは目に見えている。劇評の領域を逸脱しそうだから、 鄭義信には二つのことを提案して終わることにする。
まずひとつは、両国民の対立の構図をきちんととらえ、ののしり合いでもつかみ合いでも本音をぶつけ合う芝居を書くこと。そして、それを笑い飛ばせるような喜劇として成立させることである。ちょうど、「月はどっちに出ている」がそうであったように。
いまひとつは、舞台を通じて在日の現在と未来を日本社会の中にポジショニングしてみせることだ。これには、何人かいる在日のイデオローグ(あくまでも日本社会と対立する)の見識を取り込みつつも克服すると言う方向でなければ、在日であることの意味も希望も見えてこないはずである。以上のことは、在日である鄭義信にしかできないことである。
最後になってしまったが、俳優陣について触れておきたい。
アボジの申 哲振は、感情を殺した演技で、昔気質の父親らしく無口で風格があった。韓国演劇界の重鎮らしい貫禄を見せた。オモニの高 秀喜は、誰かが日本にいないタイプの女優と言っていたがまことにその通りで、この劇の駆動力として常に中心に存在した。日本の芝居にも出ているということだが、得難い個性である。
「その河を越えて、五月」にも出演した佐藤誓は韓国通ということなのかはともかく、相変わらず達者なところを見せた。
妙な存在感を見せたのは水野あやである。ちょい役だったが、あやしげな雰囲気がただよって場面を独り占めする力量はさすがであった。三女役、朱 仁英も韓国の女優だが、言われなければ日本人と思うくらいはまっていたといってよい。
韓国から出稼ぎにやってきたという 朴 帥泳、金 文植については、本が十分な役柄を与えているとはいいがたいところがあって惜しいことをした。
初演のキャストとほとんど変化がなかったようで、両国俳優が入り乱れてのアンサンブルは文句のないところであった。
戯曲の持つ考え方には不満があったが、舞台としての完成度については認めざるを得ないと言うことか?
いや、一つだけ言っておきたい。
あのさくら吹雪のなが〜い終幕は、過剰なド演歌でいただけない。