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「山の巨人たち」
舞台の奥から手前にかけて太鼓橋のような広いアーチがむかってくる。その道は、かなりきつい傾斜でおりてくると、途中ですっぱりと切れ落ちている。その下は暗くて見えないがどうやら奈落である。役者が躓いて転んだりしたら穴の底に落ちてしまいそうだ。アーチの頂上あたり、道を挟んで同じような石造りの建物があり、小さな入り口が開いている。
そこは「ラ・スカローニャ」(不運)と呼ばれるところである。人里からだいぶ山の中に入った渓谷にある屋敷で、魔術師のコトローネ(平幹二朗)が、「ラ・スカローニャ」の住人たちと共に住んでいる。その連中は、コトローネをリーダーとする妖術使いあるいは妖精らしきものの一団で、不運という名が示す通りどこか奇妙な身体的特徴を持っている。
そこへ伯爵夫人イルゼ(麻美れい)が率いる劇団の一行がこの人里離れた屋敷を目ざしてやって来る。かつて人気の劇団も今や零落して、つてをたどってこのような山深いところに公演場所を求めなければならなくなったのだ。
コトローネは慇懃無礼に歓迎の意を表すが、その仲間たちは、落ちぶれた劇団の一行に冷ややかな態度である。どこか下界の人間をばかにしたようなところが見える。要するに、ここはもともと妖精の住む世界だが、「不運」を背負った人間が「不運」という名の異界につい迷い込んだということらしい。 コトローネが一行に宿と食べ物を提供することにして、ひとまず事態は落ち着くが、この分ではいったい劇はいつになったら上演されるのか見当もつかない。
イルゼは「伯爵」夫人ということだけあって、当の伯爵がどこにいるかにいるはずである。と思ったら劇団の中の若い男がその伯爵本人(手塚とおる)であった。もともと劇団は伯爵が作ったもので、イルゼはその看板女優であった。よくあることで、立場が逆転して女優が君臨した。お里が知れていることから、劇団の他のものからは内心嫌われていたが、なにしろ客を集めるのは彼女だった。しかし、それも移り行く世のならい過ぎていく年月には逆らうことができない。ちかごろでは、言動にやや怪しげなところが見えていた。長く頂点に居座っているとわがままが高じて精神に問題が生じる類いのことだろう。その反面、伯爵は礼儀正しく理性的でさすがに由緒ある家柄の出であることを思わせる。伯爵に思いを寄せるものや、イルゼにすげなくされて逆恨みするものなど、劇団という生な人間の集団にありがちな関係がここにもある。
彼らとコトローネのおしゃべりは、出し物のことや人生観に至るまで広範囲におよび実に闊達であるが、どこか浮世離れをしていてどうも具体的に何を語っているのかいっこうに実感がない。ところが、コトローネのはなしにはさりげなく人生の機微に触れる言葉が折り込まれていて、それがなにとは言えないが、平幹二朗が流麗におだやかな口調でせりふ「吟じる」ものだから詩の一編を聞かされているような気がして、何となく「あれか、あるいはこのこと」をいっているのかと納得してしまうのである。もどかしさは、翻訳劇の限界だと思ってあきらめるしかないか。
とりとめもない(ただし、脇役たち個性的な連中の小さいエピソードは積み重なっていく。)話の中に伯爵夫人イルゼの異様とも言える物語が挿入される。
ある時、伯爵の知り合いでイルゼに恋い焦がれる若い詩人の男が、彼女のために書いたという未完の物語(「取り替えられた息子の物語」)を持ってきた。一旦女優をやめていたイルゼに再び舞台に立って欲しいというのが詩人の願いであった、しかし、イルゼは詩人の本心は他にあると気付いていた。「私を慕うあまり」自分のものにしたいというというのがありありとわかった。
しかし、イルゼは詩人本人よりも物語の美しさに魅せられて、その作品のためだけに再び舞台に立つことを承諾し、ぜひ完成させるように促したのだが、それがあだになった。
詩人は、張り切って作品を書き上げたが、イルゼはいっこうに自分の心を受け入れてくれない。次第にやつれて屍同然になった揚げ句自殺してしまったというのである。
こうした、イルゼが得意とする出し物をはじめ豊富な演目をいつどこで上演するのか?劇場はあるのか?などという問いはコトローネの巧みな話術にかわされて、物語は次第に夢か現実か境目が怪しいことになってくる。
劇団の連中ががとまどいながら劇の上演を実現するというただ一つの目的のために翻弄されていくと同時に観客もまたコトローネとその仲間がつくりだす奇妙な世界に巻き込まれていく。
イルゼに恋をした詩人の痛ましい話を心に留めていたコトローネは、「山の巨人」の結婚式に集まる家族たちのために「取り替えられた息子の物語」を上演しようと提案、劇団のものたちはようやくこの山奥までやってきた目的が果たせると喜んだ。ところが、コトローネの言うことには、「山の巨人たち」は文字通り「巨人」であるばかりか、気まぐれで人間に対して何をしでかすか分からないとんでもない乱暴者で、ひょっとしたらとって食われるかもしれないというのである。にわかに不安に駆られるが、もはや逃げ出すわけにはいかない。
そしてその日はやって来る。遠くからいかづちのような音が聞こえ、それが次第に地響きを伴って近づいて来る。コトローネさえも天を見上げながら 何かを恐れているように見える。一同も不安と恐怖の入り交じった表情で大音響がこだまする方向を見据えている。
ここでストップモーションとなり半明かりの中、字幕が浮かび出る。
この劇は、ルイジ・ピランデルロの未完の遺作であり、書かれたのここまでであった。続きを死の前々日に長男のステファーノ・ピランデルロが父から聞いたという。その第三幕の内容の要約がしばらく字幕で示されて終幕となる。
それによると「山の巨人たち」の前で劇は上演されることになり、コトローネ始め一同は荷車を引いて山の上にある彼らの家の庭にやって来る。「巨人たち」は実際に舞台に登場することはなく、すべて「気配」でその存在が描かれる。そして「取り替えられた息子の物語」は上演される。ところが、なぜかイルゼの芝居が巨人たちの不興を買い、イルゼがこれに対抗すると巨人たちが暴れ始め役者たちも巻き込まれて皆なぎ倒されてしまう。気がつくとイルゼが死んでいた。荷車にイルゼの亡骸を乗せて一同が山を下りるところで終わる、ということのようだ。
この現実とも幻想ともつかない不思議な世界を作り出したのはフランスの俳優であり演出家であるジョルジュ・ラヴォーダンである。彼は、ピランデルロ、とりわけこの「山の巨人たち」を得意な演目としてかの地ですでに何度も上演しているということだ。おそらくそれを知っていた鵜山仁が招聘したものであろう。美術のジャン・ピエール・ヴェルジュは、作者が舞台の重要な要素として「糸杉の老木」をあげているのを省略し、本ではわずかに欄干しか見えていない橋をあえて巨大にデフォルメして舞台奥から手間に渡した。彼岸から此岸へあるいは幻想から現実へ、過去から未来へ(しかも手前ですっぱりと切れ落ちている野は象徴的)いづれともとれる大胆でうまい表現であった。両側に作った建物の石の質感は、おそらくフランス人ならではのものであろう。
照明は演出家自身が、また衣装もブリジット・トリブイヨワが担当したところを見ると、フランスの舞台をそのまま移してきたものと思われる。
それにしてもなぜ今、この様な芝居を見せる気になったのか不可思議な気がした。
ピランデルロはノーベル賞作家であるとはいえ、七十年以上前になくなっている。日本でいえば漱石と同世代である。もちろんそれだからといって古典的で古くさいという気はしない。むしろコトローネの詩的で哲学的な言辞には、幻想的な前衛劇の雰囲気さえ感じられる。しかし、どうにも僕らの感覚とは異質のものがあって、いったいこの作品とどう向き合えばいいのか戸惑いを感じることも事実である。
あれだけ欧米の翻訳劇を取り上げた築地の連中もこの作家については存外冷たい。千田是也は「現代世界演劇2」(白水社)の巻末で次のように書いている。
「ピランデルロの芝居は、当時の検閲ではタブーであった、近親相姦がからんでいるというのでずたずたにカットされた揚げ句、《非公開》と言うことでやっと上演を許された「作家を探す六人の登場人物」(彼の代表作:中村註)の息子の役と、「各人各説」のディエゴの役を築地にいた時やっただけだ。築地があの頃めったやたらにやりまくっていた外国の《前衛劇》の中では、ピランデルロが今の《前衛劇》に一番近いのだろうが、彼の作品がほんとうの意味で今日に通じるものなのかどうか、私には疑問である。グラムシなども、彼をただ《地方方言うまくこなした劇作家》としか認めていない。《神話》とか《夢》とか《ファンタジー》とか《超現実的世界》とかいうものについての考え方が、根本的にちがうせいであろう。」もっともこの作家について立ち入って勉強したこともないからこうのべるのも口幅ったいがというのである。
ノーベル賞作家といっても新し物好きの築地がこの程度だったのだから、「感覚」の違いは当時からはっきりしていたのであろう。
「・・・にもかかわらず、この作品は「未完の傑作」と称されている。ピランデルロ自身も「現代の凶暴な世界における詩の悲劇でありと同時に、詩の、ファンタジーの勝利なのだ」と記す(マルタ・アバへの書簡)
『寓話と現実の境』で展開される1936年作の『山の巨人たち』は、まさに超現実的な境を描いた、ピランデルロの『詩と現実』そのものだ。」(パンフレットの紹介文より)
そういわれても、1971年当時千田是也が書いた感覚の違いが解消されているわけではない。
ただ、コトローネのせりふを聞きながら「あれか?あるいはこのことか?」などと考えていたと書いたが、そういう意味ではピランデルロが何を伝えたかったかということに思い当たる節がないわけではない。
僕が感じたのは、コトローネが、妖術使いあるいは妖精であると言うことにおいて、これはアイルランドで『妖精』といっているものに近いのではないかということだった。アイルランド人はカソリックの国にもかかわらず『妖精』が住んでいると信じている。それはローマ帝国によってキリスト教が伝えられる以前の古い素朴な宗教的存在の名残ではないかと考えられているが、コトローネと『不運』の住民もまた、人間とつきあい、からかいいたずらもするという点でこの妖精とよく似ている。コトローネの中には、キリスト教以前の欧州辺境の古層が見え隠れしていると思ったのである。
また、コトローネの自然観は現代のエコロジーとよく似ていて、創造主によって作られた自然という西欧の伝統的な考え方に対立しているように感じられた。日本の八百万の神といえば、時代を遡行してしまいそうだが、西欧においては、なるほどこれこそ近代精神ではないかと感心した。しかし、考えてみればピランデルロとシュペングラーは同時代人なのである。冬の時代を迎えつつあった「西洋」にたいして、コトローネのせりふはほんとうに大切なものとは何かということを伝えて、時代への警句としての役割を果たしていたのではないかとも感じた。
もちろん、状況が変わったわけではないことに留意しなければならない。現実の方は「凶暴な世界における詩の悲劇」は「詩の、ファンタジーの勝利」になっていない。もはや誰も詩を謳わなくなった。詩を詠もうとすれば『そんなことをやっている場合ではない。ぐずぐずしていると国際競争に勝てないぞ!」という警告がやってくる。それが僕らの時代なのである。
こうして僕は、ピランデルロとは何者なのかということに興味を持った。少し調べてみると、上のことになるほどと思った。
ピランデルロは、シチリア島で生まれ育っている。シチリアは周知の通りイタリア半島の南端にある大きな島である。地中海に飛びだした火山島で、峻険な山が連なっている。ピランデルロの父親は、火山から噴きだした硫黄を扱う事業を営んでいて、家は裕福であった。パルレモの高等学校からローマ大学に進学したが、担当の教授と喧嘩してドイツのボン大学に留学し、そこで哲学の学位を取った。帰国後ローマの女子高等学校で文学教授を勤めていたが、劇作を始めたのは四十八歳という遅咲きであった。
シチリヤといえば思い出すのはビスコンティの映画『山猫』である。冒頭、旗印を掲げ鉄砲を持った若者の一団が通りにあふれどこかへ移動していく緊迫した様子を二階の窓から見下ろすシーンが映し出される。若者たちは、祖国統一と貴族支配からの開放を主張して立ち上がったガリバルディの赤シャツ隊である。 何代にもわたってシチリアを統治してきたサリーナ公爵家にも、終焉の日が近づいていることを告げていた。1860年五月といえば、日本では万延元年のことである。奇しくもイタリアもまた我が国と同じ時期に近代化の波にさらされていたことになる。
この映画では、サリーナ家の人々が夏を過ごすために、山あいの村の別荘に出かける途中の風景が存分に描かれる。それを見て僕は、地図で見れば隣り合っているシチリアとイタリアだが、シチリアは独特の地形を持っていて海岸線から島の中心には容易に近づけない一個の巨大な要塞を思わせるものがあると思った。案の定ここは独立精神旺盛で、イタリアとは付かず離れずの関係を保ってきた歴史を持っている。
僕はローマ帝国の版図ということを思い描いた。アイルランドにはシーザーはやってこなかったと同じようにローマは足下にあるにもかかわらずこの島を無視して対岸を目ざしたのではなかったか?そのために、キリスト教以前の文化的古層が埋もれずに残った?もちろん、僕にはそんなことをいう根拠も資格もないのだが、『妖精』あるいは『妖術使い』ということからアイルランドを思い出したのだ。
ピランデルロは、そうした歴史と風景の中で育った。
さらに彼は、ドイツで文学と哲学を学んでいる。この時期の欧州は君臨してきたヘーゲルの影響力が小さくなって、ニーチェ、キルケゴール、マルクス、フッサールなど多様で新しい思想が取りざたされる時代である。端的に言えば汎神論的な議論が批判にさらされ新しい思想の土台が築かれようとしていたのである。
ピランデルロは、こうした欧州の思想情況に身を置いて若い日々を過ごした。
こういうことを考え合わせれば、コトローネこそピランデルロ本人だったことに気付かされるのである。
さて、平幹二朗のコトローネは穏やかにせりふを『吟じる』と書いたが、この芝居を見て『至芸』ということを考えた。歌舞伎も新派(古いなあ)も能や狂言、ありとあらゆる舞台の世界でそういわれる演者はいるだろう。しかし、歴史の浅いいわゆる「新劇」の世界で、せりふに意味を込めて観客に手渡すという点で、一つの完成形を見せてくれたのではないかと思った。滝沢修や杉村春子がいるではないかという向きもあるかと思うが、しかし、しぐさではともかくせりふ回しの妙では勝っていると思った。
他の役者は、フランス人の演出家の意図と必ずしも噛みあっていなくて存在感がいまひとつ希薄であった。こういう芝居は、あまり深刻に考えずに、あっけらかんと思いっきりやったほうがよかったのにを思わないでもない。
千田是也がいうように、感覚の違いはどうにも埋めようがなさそうだが、ピランデルロが『妖精』を中心に据えてファンタジーを現出させようとした精神は、とりわけわれわれ日本人にとっては『わが意を得たり』とでもいえばいいのか、好ましいものだと思った。僕らは、あらゆるものに神性は宿るということをごく自然に理解している。それは、幸いなことに歴史上一度も帝国によって支配されたことがないという奇跡によってもたらされたものであり、そのことを噛みしめるべきだと思った。
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